フリーライター木村嘉代子のブログです。日々感じたことを綴っています。Copyright(C)2005-2018 Kayoko Kimura
by k_nikoniko


タグ:フランス ( 40 ) タグの人気記事

フランスDV夫殺害の女性の減刑が大々的な支援で不利に

フランスで、DV夫を殺害した女性の仮出所をめぐり、大きな話題になっている。

ジャクリーヌ・ソヴァージュさん(68歳)は、47年の結婚生活で暴力をふるいつづけた夫を殺害し、2015年に禁固10年の刑が確定した。
彼女の境遇に同情を寄せ、情状酌量を訴える支援運動が広がり、仮出所を求める署名は43万筆集まった。
2016年1月にはフランソワ・オランド大統領が「恩赦」を発表し、すでに3年以上を服役しているソヴァージュさんは、4月中旬に釈放される見込みだった。
しかし、8月12日、刑罰適用裁判所は、ソヴァージュさんの仮出所請求を却下。

その理由は、「メディアでの大々的な支援キャンペーンでソヴァージュさんの被害者意識が高まり、加害者としての反省に欠ける」といったものだった。
「ソヴァージュ事件のメディアでの報道」は弁護士や支援者たちが画策でもあり、それによって大統領の恩赦を引きだしたが、皮肉にも受刑者の出所に不利に働いたというのだ。

”人権”、そして”愛”の国といわれているフランスだが、この国でもDVは深刻な問題だ。
それ自体への関心もさることながら、今回の事件で私が最も驚いたのは、メディアを使った支援運動が、女性の減刑の妨げになったという点。

日本でもDV夫が原因の殺害事件は日々起こっているが、暴力に耐えつづけた末に夫を殺害した女性を支援する動きが、大きくメディアで報じられることはほとんどない。
ましてや、そうした支援運動に心を動かされ、首相が恩赦を与えるなど、たぶんありえない。

ソヴァージュさんは、15歳で結婚して以来、夫から殴られつづけ、娘たちも強姦され、息子も虐待されていた。
2012年9月、息子が自殺した翌日に、彼女は夫の背中をライフル銃で3発撃ちこんで殺害した。

2014年10月に禁固10年の刑を言い渡され、2015年12月の 控訴院でも「正当防衛」の主張が棄却された。
この12月の判決の後、ジャクリーヌさんの娘は、フランソワ・オランド大統領に母親の恩赦を陳情。
「10年の禁固刑は不当」と訴え、著名人らが支援会を立ち上げ、約150人の賛同人を集めた。政治家も右派左派にかかわらず、ソヴァージュさんを支援。
仮出所を求めて、43万筆の署名が集まった。

オランド大統領は、1月29日にジャクリーヌさんの娘と会談し、1月31日に恩赦を発表。
大統領の恩赦は、釈放後の「危険性」について心理学の専門家などからの審査を経て、条件付き(たぶんGPS監視のもと)仮出所を即時請求できるというもの。

ソヴァージュさんは2月初旬に、「危険性」の審査を受けるために、別の刑務所に移動させられていた。
この審査で、彼女に”不利な意見”が出たといわれ、「彼女にはいまだ精神的なサポートが必要」と判断された。

そして、「この事件がメディア化され支援さたことで、ソヴァージュさんは犯罪者という状況から一気に被害者として有利な立場になり、罪の意識を忘れてしまっている」との理由で、仮出所が却下された。

この決定に、弁護士や専門家、そして多くの支援者たちは騒然となった。
ソヴァージュさんの弁護士や刑務所管理者、多くの専門家は、「彼女は何の危険性もなく、常習犯の恐れもない」と主張している。

この決定を受け、ソヴァージュさんは、「自分への司法の嫌がらせに疲れ果てた」と弁護士に述べ、再請求をあきらめる意向を示した。
しかし、8月21日(日)に仮出所の再要請を行ったという。8月22日が要求手続きの期限だった。

「メディアの過剰報道が不利に働いた」との指摘から、ソヴァージュさんの支援会は、公開活動を縮小することを決めたという。

ソヴァージュさん自身はこれまでメディアで何の発言もしておらず、支援者たちはインタビューやテレビ出演を自粛することを発表した。
9月10日にパリで予定されていた集会も中止する。

ただ、仮出所却下が決まった翌日の8月13日にはじまった署名だけは継続するという。
署名は、8月22日19時現在で242000筆以上集まっている。

今回の事件がきっかけで、正当防衛の適用範囲を見直す議論も巻き起こった。
ソバージュさんのように、長年繰り返された暴力に対して相手を殺害した場合は、フランスの法律上の正当防衛に適合しないため、家庭内暴力の被害者へも拡大するよう、女性の人権団体などが訴えている。

ジャクリーヌ・ソバージュ事件について、日本語の記事はこちら。
暴力夫を殺害した女性受刑者に恩赦、仏大統領(AFP)
47年間の忍耐の末に…。(オヴニー・パリの新聞)


[PR]
by k_nikoniko | 2016-09-01 23:06 | ジェンダー

パリの惨劇

11月13日、東京のとあるハラルレストランで、旧知の中東出身の友人と久しぶりに会い、共通のシリア人やイラク人の友人のこと、難民のこと、ISのことを話しながら食事をしました。
その翌日、13日にパリで惨劇が起きたのを知り、とてもショックでした。
幸い、パリに暮らす知り合いとその関係者はみな無事でしたが、送られてきたメールからは、沈痛な思いが伝わってきました。
ここ3日間、パリから来日している友人と一緒だったので、ネットでフランスのニュースを観たり、いろいろ話して、現地の悲しみを共有した気がします。
この件について、何か書きたいのですが、いまはまだ整理がつきません。

1995年7月、パリの地下鉄で爆弾テロが起きたとき、事件現場の徒歩10分圏内に住んでいました。
しばらくはその近くを歩けませんでした。
どこもかしこも警備が厳しく、町中が緊張した雰囲気だったのをいまでも覚えています。

2010年10月、今回爆発があったサンドニのスタジアム近くで、引ったくりに遭いました。
変な話ですが、この出来事は、フランス社会を考えるうえで貴重な経験になっています。

このブログで、いくつか関連するものを書いているので、リンクします。

シェルリーエドブの銃殺と日本の報道(2015年1月8日)
マリ人が語ったフランスのマリ介入(2013年1月26日)
アラブの秋、チュニジアの出発(2011年10月24日)
イラクに「アラブの春」は来るだろうか(2011年8月24日)
アラブ革命のなかでイラクは(2011年8月19日)
フランスのイスラム文化メディア(2010年10月インタビュー)
移民取り巻く状況悪化の中で変わったフランス社会とW杯風景(2006年7月)
暴力ではなく投票を・フランスの試み(2006年1月25日)
フランスの暴動、その後は?(2005年12月26日)



[PR]
by k_nikoniko | 2015-11-22 23:46 | フランス

フランスの独立系メディアがクラウドファンディング

フランスの非営利団体系メディア『Altermondes』が、存続のためのクラウドファンディングをしています。

国際問題、人権問題などを扱うメディアで、創刊は10年前。
フランスの新聞『リベラシオン紙』とコラボで特集号を発行したり、タイムリーでユニークな企画で、読者を増やしてきました。

クラウドファンディングの締め切りまであと5日。
現在、目標の81%でもう少しです。
ご興味ある方は、こちらへ。

フランスの非営利団体系メディア『Altermondes』
フランスのオルタナティブ・メディア

『Altermondes』は原発についても書いています。

ウラン採掘に苦しむニジェールの人々
原子力と民主主義



[PR]
by k_nikoniko | 2015-11-15 12:48 | メディア

フランスの非営利団体系メディアAltermondes

アルテルモンド(Altermondes)のダヴィッド・エロワ編集長のインタビュー(2010年11月)

アルテルモンドは、2005年3月創刊の季刊誌。基本的には4,000部発行で定期購読者数は2,200人。

 今年の12月号が24号目で、その他特別編集で10号分発行しています。特集号は部数を増やし、たとえば、リベラシオンとのコラボで発行した「ミレニアム開発目標」の特集号は、例外的ですが、12万部発行しました。
 この手のメディアとしては発行部数も購読者数も悪くはないと思います。もちろん、安定した経営には、定期購読者を増やす必要があります。ただ、一般紙のリベラシオンでも、10万部以上の発行に対し、定期購読者数は22,000人とさほど多くはありません。リベラシオンはキヨスクでも販売していますが、定期的に読むのは2万人にすぎないのです。桁は違いますが、割合的からすると、この雑誌は悪くはありません。
 既存メディアの現状は厳しく、最も深刻なのは、リベラシオンやルモンドなど、情報全般を扱う一般紙です。新聞の情報は質が低下し、読者が減っています。
 そうしたなか、新しいタイプのメディアが出現しています。専門を絞った、しっかり地に足のついたメディアです。なぜなら、人々はより正確な情報、自分の興味のある情報を求めているからです。
 こうした状況がいつごろはじまったのか、正確にはわかりませんが、フランスのマスメディアの危機は、80年代の末ごろからだったと思います。インターネットの普及で、ますます悪化していきました。人はネットで情報を入手するようになったからです。マスコミのスキャンダルがあったりしたため、メディアへの信用も落ちました。
 新しいタイプのメディアが増えたのは、インターネットが出現した1990年代ごろだと記憶しています。1980年代にコミュニティラジオが発達し、1981年にラジオ・リーブルの設立が可能になり、オルタナティブラジオのブームが起きました。ネットメディアの発達とともに、2000年ごろから既存メディアとは違う雑誌や新聞が次々に創刊されました。
 「マスメディアの情報は正しくない」と人々は思いはじめ、本来あるべきメディアへの回帰しだしたのが、2000年代の初期の現象です。紙媒体は消える、といわれた時期です。オルタナティブメディアが発達したのは、既存メディアの信頼度の低下を反映した結果といえます。オルタナティブメディアには質のいいもと悪いものがありますが、正確な情報を提供しているものの信頼は高まっています。
 もちろん、オルタナティブメディアを信用してもらうのも容易ではありません。メディアそのものが信用されていないからです。私たちの雑誌はNGOや労働組合とかかわりがあるため、疑わしいとみなされることもあります。私たちは、ルモンドやリベラシオンでは見つけられない情報を提供しています。他の雑誌とは完全に違う情報です。
オルタナティブメディアを立ち上げるのは、普通の媒体に比べて、さほどお金がかかりません。ただ、部数や読者数を増やす難しさがあります。なかなか方法が見出せません。我々も、定期購読者を増やすのに苦労しています。
 アルテールモンドの収入の50%は購読料です。2つめの収入源は助成金で、予算のうち30%を占めます。特集によって助成先は変わります。国連やEU、自治体、県や市などから助成を受けます。残りの5%ほどは、市民団体からのわずかな広告料、それから、会費です。収入モデルはバランスがとれています。広告に依存しているわけではなく、定期購読者が増えたら、助成金を減らすことができます。
2010年の財政は悪くはなく、2011年はさらに少し良くなる予定です。いずれにせよ、定期購読者を増やすことがカギになります。経済的にはまあ大丈夫の状態ですが、快適とまではいきません。特に、このところ金融危機が響いています。
 行政からの助成金を受けられるのは、非営利団体だからです。私たちは出版社ではなく、営利企業でもありません。私たちが非営利団体にしたのは、助成金を受けることができるという理由からです。ただ、フランスの非営利団体はどこも資金繰りに苦労しています。財政難で自治体は助成金を削る傾向にあり、助成を受けるのが難しくなっています。
f0016260_23571458.jpg


More
[PR]
by k_nikoniko | 2015-05-22 07:40 | メディア

女性初のパリ市長の当選第一声

新しくパリ市長になったアンヌ・イダルゴさんの当選第一声を訳してみました。
イデオロギー抜きで、たとえば、都知事選と比べてみてください。
この国の首相の所信表明より視野が広いです。
「経済成長」なんて言葉は1回も出てこないけど、読んでいて豊かに暮らせそうな気持になります(たとえハッタリでも)。

今夜、パリは勝利しました。共和主義的価値の勝利であり、真実性の勝利であり、理想と効果のための活動に忠実な左派の勝利です。そして、敬意の勝利でもあります。これまでの生き方や感性、方向性がどうであれ、出会い、耳を傾け、意見を聞くパリの人々の敬意。パリという都市、その歴史、その複雑さ、その多様性、その規模に対する敬意です。
大きな感動で、今夜あらためて感じている喜びと責任をみなさんに伝えたいと思います。この大きな喜びは、進行中の2つの公約の仕事に注ぎます。ベルトラン・ドラノエ前市長がパリを、最も公平で、最も美しく、最も輝かしい都市にしようと奉仕して達成した仕事に。
左派と緑の党の存在をパリに残したいという希望を持ち、すべての区で応援してくださった有権者のみなさんに、心からお礼を申し上げます。

もちろん、私に投票しなかった方々への心配りも忘れません。私はパリ市長になます。パリに住むすべての人々の市長です。あらゆる違いを表現できるよう心がけます。なぜなら、この違いこそが、民主主義とパリの偉大さに寄与するからです。

この勝利のために集結された多くの力にお礼を述べます。社会党、ヨーロッパ・エコロジー緑の党、共産党、極左、その他の左派の人々、そして、無党派のすべての人々に。その方たちは、パリを愛し、パリに貢献する仲間と市長が必要だと思い、私たちの闘いに加わることを選んだからです。

この勝利は私だけのものではなく、しっかり連帯した、優秀で才能に満ちた仲間の勝利でもあります。今夜の光栄を仲間のみなさんにお返しします。この仲間は明日からパリの人々のために奉仕するでしょう。

同時に、それぞれの区で見事な選挙運動をした候補者の方々にも心からお礼を申し上げます。
私は、今日性の挑戦を目前にしてのしかかる責任と、我々の頭によぎる自信という危険性を見定めています。パリを公平で連帯した、これらの価値に忠実な都市にするために。そして、性や年齢、出身国、恋愛の志向の違いがパリのアイデンティティーの素因であるという、素晴らしい多様性に満ちた都市にするために。

創造性と改革によって人々がよりよく共存する模範的な都市に、パリをしていきます。空間を改造し、国境を取り払い、世界に情熱的で美しく、公明正大な姿を見せて、パリをエコロジー都市にしましょう。
私はパリで初めての女性の市長です。そして、それにふさわしい挑戦が待ち受けていると自覚しています。
私は、不正を働かず、怒りやイデオロギー、名誉心を持たない都市パリの市長になります。

私は例外なくパリのすべての人々の市長になります。当選されたすべての方にお祝いを申し上げます。与党であろうとも野党であろうとも。明日から我々はともにパリのために働きます。私たちの目標はひとつです。
選挙運動で私が公約したことは守ります。この約束は、共同体の団結の源であり、パリの人々が私に託した信頼と希望の源です。私はそれを責任として見定めます。そして、すべての力をそれに注ぎます。
ありがとう、みなさん。
ビバ・パリ!

ビデオはこちら原文はこちら


[PR]
by k_nikoniko | 2014-04-02 23:11 | フランス

ステファン・エセルの『憤れ!』

映画「怒れ! 憤れ! ―ステファン・エセルの遺言-」の試写会に行きました。
しんどかった。
ヨーロッパのデモや太陽燦々な風景など映像は暗くないのだけど、重苦しい。
移民がテーマなので、日本人にはややなじみが薄いかも。

ステファン・エセルが亡くなったのを知りませんでした。
2011年秋に「Indignez-vous」を購入。
心に残ったのは、「社会保障」と「メディアの独立」についての文章。
「社会保障は働くことができない状況にある全ての人を支えるために作られた……社会保障は、経済的、社会的、文化的権利を満たす基本である……」「真の民主主義を実現するには独立したメディアが不可欠」...
同じ2011年秋、ステファン・エセルは共著で「希望の道(Le chemin de l'espérance)」を刊行。この本では、脱原発について語ってます。
f0016260_19475561.png

[PR]
by k_nikoniko | 2014-02-26 19:45 | 原発・核

海外で出会った人々:ケベックの女性

パリの北駅近くにある安ホテルで、朝食を食べていたときのこと。
彼女はあいている私のテーブルの椅子を見つけて、「ここ、いい?」と言って座った。
お互い女の一人旅。
「もしよかったら、一緒に観光しない?」
そう誘われて、彼女とパリ観光することに。
「私、何も決めてないし、どこでもいいの」
気の向くまま、ポンピドーセンター、パレロワイヤル、リュクサンブール公園などをブラブラと見学。
日本人のように、ぴっちり予定を決めることなく、ショッピングすることもなく、いきあたりばったりの観光を楽しんだ。
やることがなくなると、「映画を観よう」と言い出す。
「これ観たかったのよ」と彼女が選んだのは、マレーネ・デートリッヒの「モロッコ」。
24才の女性にしては渋い。
新しいものだけを追い求めるキャピキャピギャル日本女性とは大違い。
彼女の親はアーティストだという。
以前、日本人の20代の女の子が、「古い映画はちょっと」と言っていたのを、ふと思い出した。
彼女はケベック出身で、フランス語がペラペラだ。
何をするにも、自信に満ちていてカッコいい。
何よりも、全く人種を越えて、時代を越えて、好きなものを認める心の広さには驚かされた。
「お母さんは、日本の化粧品が気に入ってるのよ」と、かなり日本びいきらしい。
「和食も大好き。今夜は、和食にしようよ」
そこで、サンミッシェルの安い串焼き屋さんに入った。
ちょっといいところを見せようとしたが、店員は日本人ではなく、メニューもフランス語のみ。
結局彼女の世話になってしまうはめに…。
国際的って、どういうのを言うんだろう?


1993年、パリにて
[PR]
by k_nikoniko | 2014-01-24 20:49 | ひとりごと

海外で出会った人々:コロンビア人のカップル

引っ越しをするので、次の借りてのために、大家さんが部屋のクリーニングをはじめた。
台所の掃除を頼まれたという青年は、おなかの大きい妻とやってきた。
「二人で仕事をするのかな?」と、ちょっと戸惑ってしまったった。
しかし、そうではないらしい。
男性はすまなそうに、「もう引っ越して誰もいないと思ったので、妻を連れてきてしまいました。すみませんが、ここにいてもいいですか?」
「もちろん、居間でどうぞ」 
夫が仕事をしている間、私は彼女とおしゃべりして待つことになった。
二人はコロンビア人。外見はちょっと私たちに似ている。
彼女は、パリに来て6ヶ月。妊娠5ヶ月だという。
とても若そうだったので、「パリに来て結婚したの?」と聞いてみた。
「コロンビアで結婚して3年経つの。彼がパリの大学に留学することになったから、追いかけてきたんです」 26歳だという。
彼女は、市が運営するフランス語コースに通っている。
「妊娠しちゃったから、学校へは行けないし…」「彼の勉強が終わったら、コロンビアに帰る予定」 
この日一日のアルバイト料は、200フラン。
掃除を頼んだ大家さんからお金を受け取るとき、「こんなにいいんですか? ありがとうございます」と、礼儀正しくお礼を言った。
とても幸せそうなカップルだった。

1999年、パリにて

f0016260_08443161.jpgビバ! ワールドカップ すべてのサポーターへ
[PR]
by k_nikoniko | 2013-12-10 08:54 | ひとりごと

NUCLEAR SOS

これ面白い。英語です。
NUCLEAR SOS

[PR]
by k_nikoniko | 2013-11-23 15:21 | 原発・核

エメ・セゼールと世界の植民地化

エメ・セゼールと世界の植民地化」のシンポに参加。
フランソワーズ・ヴェルジェスさん(ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ)のお話がものすごくよかった。
フランスで起きた差別問題について述べた、「『極右が悪い』という美徳の怒りにより、社会が抱える問題を見えなくしている。もっと深いところにある問題を見ていない。フランスは昔と完全に変わってしまい、どこが昔だかもうわからなくなった。新しい社会を作っていかなければならない」は、まさに日本にも当てはまる。


[PR]
by k_nikoniko | 2013-11-22 15:19 | 歴史