フリーライター木村嘉代子のブログです。日々感じたことを綴っています。Copyright(C)2005-2018 Kayoko Kimura
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海外で出会った人々:スリランカの若者

通っている英語の語学学校に、スリランカの若者が加わった。
パリから英語を勉強しにロンドンへやってきた、20代のスリランカの男性。
両親がパリへ移民し、彼は祖国に行ったことがない。スリランカ語もほとんど話すことができない。
しかし、彼は、パリの自慢話を全然しなかった。

同じクラスには、スペイン人、イタリア人、トルコ人などが多かった。
アジア系は、彼と私だけ。
授業中、イギリス人の教師に、「僕と君の違うところは?」と質問され、彼は「名前が違う」とだけ答えた。

トルコ人の女性は、授業が終わってから私にこう言った。
「彼はきっと肌の色にコンプレックスを感じているのね。肌の色が違う、とは答えたくなかったんだわ」
私はそうした考えがまったく浮かばなかったので、ドキっとした。
自分もまた、白人に対し、コンプレックスを感じていたからかもしれない。

「日本人の女の子がダンスをするのを見たいもんだ」とか、このスリランカの若者は、私にときどきちょっと憎たらしいことを言った。
でも、そこには親しみが感じられた。アジアの仲間、だしね。

1992年、ロンドンにて



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by k_nikoniko | 2014-01-21 09:54 | ひとりごと

映画『いとしきエブリディ』

旧知のライターとランチした後、映画『いとしきエブリディ』を観ました。
世界各地でとんでもない出来事が起きているなか、イギリスの一家の何もない日常を淡々と撮りつづけた作品。何か起きそうで、何も起こらない。ちょっとしたAffairぐらい。でも、このAffairが、この一家には重大事件ともいえる。
日々大騒ぎしているからか、ここで描かれる生活感が新鮮に感じました。
昔取材したロンドンの刑務所も思い出した。クリスマス前になると、軽犯罪を犯して、刑務所に入りたがる人が多いそう。暖かいし、食事も出るし。

イギリス映画を観たら、おやじパブに行きたくなりました。
そういえば、先日、赤坂のイングリッシュ・パブでギネスを飲んだんだった。
ベルビー赤坂がビックカメラになっていて、がっかり。

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by k_nikoniko | 2013-12-07 16:10 | カルチャー

サウスウェールズの炭鉱労働者

2009年8月9日、北海道岩見沢市の岩見沢コミュニティプラザで、シンポジウム「日本とウェールズにおける炭鉱の記憶:『地域再生へのアーカイブと社会教育の役割』」が開催されました。
基調講演を行ったスウォンジー大学のクリス・ウィリアムズ教授が、会場からの質問に答えた一部です。

スペイン戦争について
サウスウェールズから参戦した兵士のうち、114名が炭鉱労働者で、一番多くの割合を占めていた。
なぜ、サウスウェールズの炭鉱労働者かというと、民主主義を守るのはもちろんだが、スペインの置かれた状況が、自分たちと重なる面があったからだ。たとえば、政府の政策が労働者にとって不利だったなどだ。
それで、志願して参戦した。
ファシズムがヨーロッパに広げてはならない、という使命感もあった。
「ファシズムを許さない、それに抵抗する」という精神が流れていた。
その後、世界第二次大戦がはじまり、その際もファシズムに抵抗した。
戦後、1948年に冷戦がはじまり、共産主義が影を潜める。
炭鉱労働者はもともと労働党を支持していて、過激化する傾向もみられたが、冷戦中に共産主義を弱体化するという形に代わっていった。

コミュニティー・レストランについて
サウスウェールズにも、エンタープライズを立ち上げるという話があった。
90年代に、コミュニティービジネス、いろいろな社会に対応する形で、ビジネスを立ち上げている。
協同組合 エンタープライズを興し、サウスウェールズ全体に広げている。
ウェールズの政策の方向性として、社会整備という名で、旧産炭地のエンタープライズを支援する政策をうちたてた。最終的には地域の産業にまでもっていこう、という政策だ。

負の遺産という意識はなかったのか? (安全管理・強制労働)
サウスウェールズでも、事故が起きると、人命を失う。病気など、負の遺産という面がある。
日本の安全基準が低いとは思っていない。戦後の安全基準は、大変優れている。
炭鉱は、災害や疾患など、一般的に社会では負のイメージでとらえられている。
アバーデンでは、128人の子どもたちが命を失うという象徴的な事故があった。
危険、リスクをともなう仕事であり、負のイメージがあるのは当然だ。

再就職はどこでしているのか。
工業部門が大きくなり、そこで雇用を生んでいる。
仕事がなくなれば、リタイアするしかない。
家電工場があったが、そこも撤退してしまった。
200人の雇用しかないような工場(洗濯機)しかない。

DOVEワークショップ(女性たちに学習の機会を提供するために創設)の受講者はどのような活躍をしているのか?
ワークショップは、ヨーロッパの助成団体から助成を受けている。
受講したコースによって、就職先はそれぞれ違う。教師、ソーシャルワーク、公共施設など。
図書館の分館がDOVEの施設内にあり、女性たちのケアをしている。
託児所があり、女性の自律を支援している。
DOVEワークショップに参加した女性で、図書館の司書のアシスタントとして働いている人もいる。
DOVEそのものの機能として、雇用機会を作ることにある。
たとえば、生涯学習コースで修士を取得したマネージャーがいたりする。
働いていたが、さらにスキルアップし、雇用を確保していく、ということもやっている。

サウスウェールズの炭鉱マンはプライドを持っているのか?
プライドを持っているかを判断するのは難しいが、私が会った炭鉱労働者は、誇りを持っていた。
70年代、炭鉱に対する一般的なイメージは、乱暴者でデリカシーがないといったものだった。
しかし、きちんと見てみると、あれほどきちんとした連帯が作られているのは、炭鉱だけといえる。社会が落ち着いて流れている。他の産業にはない環境。
社会はそれをちゃんと認めているので、尊敬の念を持つ。
以前炭鉱で働いていた人は、「危険で大変な仕事をきちんとやっていた」というのが、自信になっている。
マイナスイメージがないわけではないが、「炭鉱の歴史は残さなければならない」という雰囲気はある。
「こうした仕事をいつまでもやっていたくない」という人もいたし、そういう両方の気持ちを持っていたのではないか。
「生まれ変わっても炭鉱を選ぶか?」という問いには、素直にうなずけないかもしれない。
若い男性は、炭鉱で働きたがった。20世紀はじめは、仕事の選択が少なく、炭鉱を選ばざるを得ないという状態だった。
他の仕事に逃げていく人もいた。
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by k_nikoniko | 2013-11-18 15:18 | 社会問題

英語が話せても歴史を知らなければ国際人になれないよ

イギリスが軍事介入断念。シリアは石油があまりとれないしね。シリアはフランスの委任統治領だった(イラクはイギリス領だった)ので、手を出さないほうがいいという、イギリスのしたたかさかも。フランスはしゃしゃり出てまたヘマをする…。
などと考えながら、イギリスの高校生向け世界近代史の本を久しぶりに開いてみました。それにしても、日本の立ち位置がわからないところが不気味。

学校の教科のなかで、歴史が一番苦手だった。
年号が覚えられない。だから、テストの点数がとれない。

イギリスに住みはじめたとき、歴史を知らず、恥ずかしい思いをたくさんした。
そこで、30歳にして、イギリスの高校卒業テスト(GCSE)の参考書を買いこみ勉強…。
日本ではほとんど習わない世界近代史。

読破するのは途中でくじけたので、今日、久ぶりに本を開いてみた。

1冊はドイツが統一された1870年のからはじまり、もう1冊は1914年の世界第一次大戦からはじまり、どちらも1988年まで。
問題集にもなっているが、イギリスの参考書は、年号とできごとを暗記して答えるという問題がまったくない。

たとえば、「第二次世界大戦中の日本とアメリカについて、次の資料を読み、質問に答えなさい」という問い。
資料は、ハワード・ジン(歴史家)の著述からの引用やトルーマン大統領の発言などA~Gの7つ(これを読むだけでも大変)。
そして質問(17問)。
・資料Aによると、アメリカは日本に対し、どのような経済制裁を行ったか?
・資料A~Cの証拠、そして自分の知識から、アメリカと日本の開戦について、どちらに責任があると思うか? その理由を完璧に説明しなさい。
・資料E~Fを使って、アメリカが日本に原爆を落とした理由のリストを作りなさい。
といった具合。

歴史に関して、高校卒業までに達成すべき4つの目標は、
1)関連知識を評価・選択し、それを明確に筋を通して展開する
2)原因と結果、継続と変化、類似と違いのコンセプトを利用し、理解する
3)過去の人々の見方から出来事や問題を考える
4)広範囲のさまざまな歴史的資料を読み解くのに必要なスキルを身につける

高校までにこういう学び方をしているかしていないかで、世界を見る目がまったく違ってくるだろう。

最近のイギリスの若者は歴史を学ばないそうなので、イギリスが絶対いいとは言わないが、歴史を知らなければ、英語を知らない以上に恥ずかしいというのは間違ってないと思う。

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by k_nikoniko | 2013-08-31 10:45 | 歴史

ロンドンの戦争博物館

日本には国立の戦争博物館がないという話を聞き、昔、ロンドンの戦争博物館について書いたことを思い出しました。
“戦争”は嫌いなので、この手の博物館は避けていたのですが、パリとソウルの戦争博物館は友人に誘われて行きました。
ソウルでは米兵がたくさん見学に来ていたのが印象的でした。
最初に訪れたロンドンの戦争博物館では、広島原爆の展示コーナーに展示してあった、変形した「飯ごう」がいちばん記憶に残っています。

以下、1993年の記事です。

8月15日は終戦記念日。戦争は過去のことと片付けがちな日本人が多いが、旧ユーゴスラビア紛争をはじめ、現在でも戦争は続いている。戦争博物館は、戦争の残虐さと平和の大切さを、見て触れて体験しながら確認できる博物館だ。
開館は第一次世界大戦後の1920年。1936年に現在の場所に移され、第二次世界大戦中1940~46年の休館後、再び開館。その後、1986年に大改装し、ニューオープンした。
入るとすぐ、実際戦争で使用しされた戦闘機やミサイルなどが展示されている大ギャラリー。
地階は第一、第二世界大戦に関するメイン展示室になっている。武器や軍服、当時の生活用品など、年代やテーマによって展示。広島原爆のコーナーもある。
フォークランド戦争に関する展示室や、2つの大戦中に描かれた絵画を展示したアートギャラリーなども。
また、1916年のソンム川前線の塹壕(ざんごう)や第二次世界大戦時に空襲で被害を受けたロンドンのストリートが再現されており、実際に歩いて通ることができる。照明、音響、匂いなど当時のままで、緊迫した生活を体験することができる。
そのほか、戦闘機の航空体験ができるコーナーもある。
10月15日までは戦中のロマンスをテーマにした「FOECES SWEET-HEART」を開催。ラブレターやウエディングドレスなど、悲惨な戦争の中でのひとときの幸福に感動するだろう。
また、子供向け特別イベントも開催されている。
8月29日までは、第二次世界大戦時の占領下のヨーロッパからの脱出を体験できる「エスケープ・ルート」、9月12日までは大戦中のおもちゃの展示会を開催。
戦争博物館では、親子連れはもちろん、孫を連れた高齢者の姿も多く見かける。博物館の見学は、戦争を知らない世代へ、戦争について語り伝えるに機会になるだろう。

『UKういーくりー』 1993年8月12~17日号
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by k_nikoniko | 2013-08-17 09:35 | 歴史

イラク戦争から10年

「イラク戦争の10年と日本」のイベントに参加した。

イラク人フォトジャーナリストのアリ・マシュハダーニさんは、「心臓の悪い方は観ないでください」と言い、ビデオを紹介した。
さすがの私も直視できないほどの残酷なシーン(最初の一瞬しか観ていないけど…)。
このビデオの後、会場から、「日本軍も中国などで同じようなことし、その映像が残っているはずだ」との発言があった。

1993年か94年、イギリスBBC2が、アジアにおける日本軍の行い(蛮行)を記録したドキュメンタリーを放映した。
この目でみたので、残虐な映像は確かに存在している。
偶然つけたチャンネルで、目に入ってきたのが、日本刀で首をはねたり、山積みにされた遺体を移動させたりする場面だった。
日本では観る機会がなかった(そして、いまも“ない”)映像。
ものすごい衝撃だった。
ロンドンの狭いアパートでひとり、涙でぐしゃぐしゃになりながら、テレビを観た。

翌日、知り合いのイギリス人にその話をしたら、「過去を教えられないのは、この国も同じ」となぐさめてくれた。
「イギリス人だって、たとえば、ボーア戦争でどれだけ残虐なことをしたのか、知らない」と言った。
イラク戦争の10年前の話だ。

今、イギリスの人たちは、イラク戦争で何があったのか、知っているのだろうか?

イベントのもうひとりのスピーカー、英軍兵士の息子をイラク戦争で亡くしたローズ・ジェントルさんは、「19歳の息子は、イラクがどこにあるか知らずに戦争へ行った」と話した。

イラクは、第一次世界大戦後、イギリスに委任統治されていた。
そうした歴史をイギリス人は知らない?

ジェントルさんのアクセントが気になったので、ちょっと調べてみたら、スコットランド人だった。
ポロックという人口6万人強の町から、息子さんはイラク戦争へ行ったのだ。

戦争へ駆り出される若者は、イギリスもアメリカも似ている。日本も例外ではない。
こうした若者と戦争の関係を考えるたびに、ジャン=リュック・ゴダール監督の映画「カラビニエ」を思い出す。
赤紙を持ってきたカラビニエに、「戦争に行ったら何でも手に入る」と言われ、勇んで戦争へ行く兄弟。
悲しいまでに無邪気な兄弟とその家族。

無知は恐ろしい。
とはいえ、教育もメディアも無知を奨励するような日本で、どうやって“無知”を自覚することができるのだろう。
賢い人たちは、その方法をなかなか教えてはくれない。
知ろうとしない人たちには、いつまでたっても真実は伝わらないままだ。
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by k_nikoniko | 2013-03-20 22:49 | 戦争

ロンドンの暴動:世界的な苛立ち

2011年8月9日のメディアパルトに掲載された、ロンドンで起きた暴動に関する、人類学者でパリ8大学のアラン・ベルト教授のインタビューの一部です。

アラン・ベルト教授は暴動現象研究の専門家。イギリスの暴動のタイプについて、2005年のフランス郊外の動乱との共通点、そして、ロンドンの反乱でも世界各地と同様に用いられた最新テクノロジーの果した役割について話をうかがった。

ロンドンの暴動は、一般的な反乱と同じ文脈か?

深刻さはさまざまだがいくつもの事件が、1月以降、世界各地で起きている。それらは、一般人と警察および国家権力との対立という共通の特徴を持っている。その観点から、ロンドンの暴動は時流に乗っているといえる。イギリスのメディアによると、ロンドンの暴動は、不可解な情況で警官に虐待された若者が死亡した後、突発した。この出来事は、伝統的な政治的ルールのわくでは自己表現できないがために緊張が高まり、それに連続した兆候として起こる対立突発という、典型的な事件である。

若者が死亡した後の暴動は、2011年1月1日以来、世界中で20数件すでに起きている。それらの暴動、それらの状況、それらの怒りの爆発にはそれぞれの特徴がある。伝統的な政治議論では出てこないものを我々に伝えている。

金融市場に強制された国家の厳しい政治が、これらの暴動に影響を与えている。強国であろうとそうでなかろうと、国家は、人々に予算的要求へと関心を向けさせている。世界中で、治安および警察的政策の普及が加えられている。ギリシャ、イタリア、アフリカ諸国など、いたるところでそれを見てとれる。チュニジアのケースも同じである。

チュニジアの革命は、警官に敵視され、ひどい扱いを受けた若者が自殺した後にはじまった。若者が自分にもかかわりがあると感じるのであれば、孤立した現象であるはずがない。人々が金融資本主義を負わされている明らかに腐敗した国では、すべてが爆発にいたって終わる。

治安権力と若者との関係が、イギリスの暴動の原因のひとつか?

イギリスのメディアが報道した証言によると、イギリスでは、フランスの状況に類似しているが、極度の緊張感、庶民階級に対する象徴的で現実的な暴力的な現象のなかにあるようだ。大勢の人が若者の死にかかわっていると感じたら、論争は非常に重大で、日常生活の実際の体験は本当に耐えられないものだ。

この観点からすると、治安の論理は、国家の本質を警察が行使しているのであり、フランス以外のほかの国、特にイギリスでも起こっているようにみえる。これはつねに悪い結果で終わる。中国でも同様で、ここ数週間いくつかの暴動が起きたが、人々と警官の関係は良くないことを証明した。

どのような政治体制でも、国家は現在、厳しい政策へと向わざるを得なくなっている。国民の利益を無視し、正当性を失うだけだ。治安の論理は、「恐怖、対立、緊張のなかでの正当性を模索する」ということだ。

イギリス政府の厳しい政策に対する6月30日の大きなデモは、今回の事件の予兆として解釈できるか?

6月30日のデモの最後の数時間のなかに、今回の前提をみることができた。このデモは対立を残したまま終了し、イギリスではかなり例外的だった。同じ手法で、学生のデモ、特に、春に起きた保守党に抵抗する反乱を予兆とみている。

さまざまな社会的前線において、権力側からの政治的対話を維持するのが不可能だ。たぶん、それをしないで、人々を違った方法で理解させようと誘導する。今のところ、これはかなりヨーロッパ的な現象であり、どこにでも見られるというわけではない。ここには2つに区分される。一方では、イギリスの大学改革に反対して警察と対立する学生たち。もう一方は、ここ3日間の暴動。この2つの出来事は、主観的および政治的に、区別した現象としてイギリスで起こった。これはチュニジアやエジプト、セネガルのケースとは違う。これらの国では、最も貧困な庶民階級の若者とゆとりのある若者の間の接点がある。

イギリスのメディアは、今回の暴動と、1985年11月に同じくトットナム起きた突発的な暴動とを比較している。これは正しいか?

我々は新しい時代にいると思う。事件は同じ地域で起きてはいるが、主役となっている人たちは同じタイプではない。20~25年前ほどの時代と正確に同じ厳しさ状況のところはどこにもない。国内政策の確固とした選択と特にサッチャー首相の結果がこの状況だと考えることができる。政治の行き詰まりがさらに明白になった。2つの暴動現象の間の共通点はあるかもしれあないが、むしろ別の次元にいると私は仮定する。

イギリスの事件と、2005年にフランス郊外で起きた動乱に共通点はあるか?

ロンドンの暴動は、フランスの2005年の暴動よりも計画性がある。主役となった人たちの年齢が高い。イギリスの運動は、参加はしなかったが、特に反対しなかった人々がかなりいて、暗黙の同意を受けていたようだ。

2005年のフランスはもっと分断されていた。車が燃やされた地域では、起こったことを特に大騒ぎをしなかったし、かなり局地的だった。ロンドンでは、現象がより大きいようにみえる。


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by k_nikoniko | 2011-08-16 12:36 | イギリス

ロンドン、初めてのクリスマス

この季節になると、初めてロンドンに暮らし始めた頃を思い出します。
渡英したのは11月。
すぐに、「時期を間違えた!」と後悔しました。
冬のロンドンは、日暮れが早く、日中もほとんど曇り空。
友人もほとんどいないし、張り切って入った英語学校でもくじけっぱなし。
憂鬱な気分になりがちでした。
そんなある日曜日、近所を散歩したときのこと。
住宅街をあてもなく歩いていたら、こじんまりした”ヴィレッジ”にたどりつきました。
細い通りには、洒落たショップが数軒並んでいます。
一軒のアンティークショップの前で、私は足を止めました。
ウインドーにちょこんと置いてあった2脚のティーカップ。
水色のバラが描かれたカップを見たとき、懐かしさがこみあげてきました。
長い間捜し求めていたものを発見したかのように。
「ウインドーのカップをください」とつたない英語で伝えたら、中年のマダムはニッコリ微笑み、「クリスマスだから」と、少しおまけしてくれました。
彼女の応対がとても温かく自然だったため、寒々しいロンドンでの緊張がほぐれていくのを感じました。
f0016260_19143128.jpgこのティーカップは、海外で迎えた最初のクリスマスの、自分へのプレゼントです。
厚手で安物の普通の食器(左イラストのカップ)ですが、私にとっては宝物。
マダムの一言がなければ、イギリス嫌いになっていたかも……
そう思いながら、いまでもこのカップでミルクティを飲んでいます。
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by k_nikoniko | 2006-12-26 01:17 | イギリス

イギリスの若者が活躍できるワケ

イギリスの景気が回復したとき、若者の勢いが顕著だった。
若者の活躍の場が用意されている、と感じた。
42、3歳のブレア首相の誕生もその象徴ともいえる。
その当時、ブレア首相より年上の男性に、「若い首相でも応援するか?」と聞いたら、「もちろん」という明るい答えが返ってきたのを覚えている。
イギリス人は、若い世代に道を譲るのが上手だと思う。
若者の能力を疑ったり、いつまでもでしゃばる中高年者は少ないように見受けられる。
で、その理由も、「社会保障制度が確立していて、将来の不安が少ないからじゃない?」ということらしい。
国の基盤がしっかりしているため、自信と余裕を持って次の世代に任せることができる。がむしゃらに地位にしがみついたりしないのである。
というのは、友人の弁だ。
これもまた、妙に納得できてしまった。
「国が守ってくれるかどうかわからず、信じていいものか??」との迷いから、若者の活躍に脅威をおぼえる。ということは、大いにありそうだ。
健康で元気なのは喜ばしいことだが、若者と張り合うのは大人げない。
自分の経験を少しでも若い世代に伝え、失敗しないよう見守り、成功を応援する大人になりたいです。
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by k_nikoniko | 2006-11-23 23:49 | イギリス

イギリスで10代の少年が終身刑

10代の少年による犯罪など、日本でも珍しくないのですが、これはイギリスの事件です。
違いといえば、未成年でも実名で報道されていることと、刑の重さでしょうか。

学生を刺殺した罪で終身刑
学生ひとりを死に至らせ、もうひとりに重傷を追わせるという残酷非道な殺傷犯罪で、10代の殺人犯が終身刑の判決を下された。
この犯罪に加わったとされる他の二人は、最低5年の禁固刑という無期懲役となった。
この犯罪の詳細は、監視カメラに録画されていた。
恐ろしく悲惨な暴力は40秒間にわたり、20歳の大学生ダニエル・ポーレンは顎を強打されて倒れ、胸をナイフで刺された。録画に映るポーレン青年は、力なく両腕を広げている。
友人の医学生アンドリュー・グリフィスは数回にわたりナイフで刺された。
二人はショッピングセンターの手すりに腰掛け、帰宅する車を待っていた。談笑していたのだが、事件に巻き込まれてしまった。
盗みの罪で保釈出獄中だった16歳のマイケル・リンチは、殺害の意図があったとして、終身刑が下された。最低でも15年の禁固となる。
ティミー・サルヴァン19歳とマイケル・オノカー25歳は、殺人罪は免れたが、意図的に傷を負わせたとして、傷害罪を宣告された。

海外の出来事は、よほど突飛でなければ日本に伝わりませんが、このような事件は毎日のように報道されています。
それぞれの国によって判決や市民の受け取り方が違うし、三面記事はその国の社会を映す鏡として参考になります。
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by k_nikoniko | 2006-07-31 23:04 | イギリス