フリーライター木村嘉代子のブログです。日々感じたことを綴っています。Copyright(C)2005-2018 Kayoko Kimura
by k_nikoniko


カテゴリ:国際ニュース( 17 )

イラクで失業や水・電気の供給を求めて抗議デモ

猛暑がつづくなか、イラク南部バスラを中心に、デモが頻発している。

「ここ3か月、大きなデモがイラク全土に広がり、特にイラクの南部バスラ周辺でつづいています。特別なことを要求しているのではなく、水と電気、仕事の供給を求めているだけです」とイラク南部のバスラに住むフサーム・サラ医師は語る。
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「デモの参加者はほとんどが若者です。若者たちは大学を卒業して働きたくても、仕事に就くことができません。彼らは大学を卒業したのに、何もすることがなく、路上にいるしかないのです。
バスラのこうした若者たちが自然発生的に集まり、関係機関や大企業の前でキャンプをはじめました。それが次第に各地に拡大していきました。日に日に人数が増え、新しい人がどんどん加わっています」

「イラク戦争から15年経ったにもかかわらず、生活に必要な水と電気の供給が十分ではありません」とフサーム医師。

電気は数時間止まるため、多くの人が自家用発電機のコードを公共送電線につなげ、蜘蛛の巣状態になっているという。

フサーム医師が働く病院には、2台の巨大な発電機が設置されており、停電に備えている。

「集中治療室やモニターがあるので、電気を止めるわけにはいきません。2時間、3時間停電したら、患者は亡くなってしまいます。
でも、病院の水道は汚染されていて、患者は飲むことができず、手を洗うこともできません。飲料水のボトルを購入しています」

イラクの水道水は塩分が多く、飲むのはもちろん、洗濯さえできない。

「ティグリス・ユーフラテス川が流れるイラクは水に恵まれた国でしたが、トルコとイランがダムを建設したため、イラクに水が流れてこないのです」

ティグリス・ユーフラテス川の源流はトルコにあり、70年代からトルコが上流に大規模なダム建設をはじめ、イラクへの流量が減少した。
これまでもトルコとイラクは水をめぐる紛争を繰り返してきた。
さらに、2012年には、ティグリス川の支流の上流でイランが大規模ダム開発に着手し、イラクへの流水が阻まれた。
ここ数年、イラクの慢性的渇水は深刻を極めている。

「イラク南部の大湿地帯マーシュランドはユネスコの世界遺産に登録されていますが、干上がってしまいました。以前は多くの人がここに住んでいましたが、いまでは誰も暮らすことができません」

「国は崩壊しています」と彼は嘆く。

「政府関係者たちは、戦後イラクに来た人たちです。彼らはイラクで暮らしていたわけではなく、国や人々についてあまり知らず、関心もありません。その人たちがいまでは国を支配し、国民のためではなく、自分と自分の家族のために利益をむさぼっているのです」

イラク戦争でサダム・フセイン政権が倒壊し、国外で亡命生活を送っていたさまざまな政党や政治家がイラクに戻り、政権を担うことになった。戦後の主要政党はこうした政党だが、亡命の長期化により、一般のイラク人の支持を得ていない。

「汚職や賄賂といったイラク政府の腐敗はすさまじい」と怒りをあらわにする。

「政府の一部の人が利益のすべてを独占しています。
例えば、イラク中央銀行総裁の息子はヨルダンで車を買い、特別な数字のナンバープレートをオークションで7万ドルで落としました。
サダム・フセインがいいとは言いませんが、彼だったら、オークションで7万ドルのナンバープレートを落とした息子やその父親を処罰するでしょう。
でも、今は誰もチェックしたり、批判したりせず、何のルールもありません」

イラクでは、ひとつの政党が省庁を独占的に管理し、汚職や賄賂が慣例化しているそうだ。

「イラク戦争後、多くの外国企業、イギリスのBPやイタリア、中国の企業が進出してきました。でも、企業の契約は、すべてを支配している政府との接触だけに限られていて、そこでは、多くの汚職やわいろが発生しています。
たとえば、企業が発電所建設事業を進めようとしても、総事業費の20%のリベートを支払うなど、政府関係者にさまざまな部署で搾取されます。海外の大企業はこのような契約を拒否し、事業に着手できないのです。
ただ、石油企業は例外で、不正な契約を交わし、お互い相応の分配金を受け取っているのではないかと思います」

イラクの石油埋蔵量は世界のトップレベルを誇り、膨大な量の石油が輸出されている。
にもかかわらず、貧困が大きな問題となっている。

「路上でお金を求めたり、車磨きをして稼いだりするストリートチルドレンが増えました。イラク戦争以前はこうした子どもはいませんでした。
イラクは石油産出国であり、貧しい国ではありません。
でも、イラクの経済は停滞し、危機的状況です。
すべてを支配する政治家や政府関係者が利益をむさぼるという腐敗が蔓延しているからです」

腐敗は政治家ばかりではない。

「宗教者も同様です。かれら宗教者は、モスクを立派にするためとか、人々を助けるためとか、と言って寄付を募りながらも、イスラム寺院のお布施を横領し、豪勢な食事をしています。貧困や子どもの教育、国の問題について関心がありません。
普通、宗教者は腐敗と闘い、政府の不正を許さないのですが。
こうした宗教者がいるから、イスラム教はだめなのだ、という悪いイメージを植え付けることになるのです」

イラク戦争後、イスラム教シーア派主導の政府が成立したが、一般のシーア派イラク人の反発は強まるばかりだ。
イスラム教シーア派政党がイランから支援を受けていることへの不満も大きい。

「イランと関係が深い宗教家たちはこの国のために何もしない」と、自らもシーア派のフサーム師は批判する。


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by k_nikoniko | 2018-09-05 17:28 | 国際ニュース

イラク南部バスラで増加する子どもの白血病と脳腫瘍

イラク南部バスラで小児がんの治療にあたっているフサーム・サリ医師。
増加する白血病や脳腫瘍、厳しいイラクの医療体制について語った。

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「私が勤務するバスラ小児がん(腫瘍)センターは2003年5月に設立され、2010年に新しい病院として再スタートしました。
2004~2017年秋までに診た患者は約2180人で、主に白血病、その他リンパ腫や固形がんの患者です。外来患者は毎月450人、2017年の小児がんの発症は216人でした」

この間の病気の内訳は、白血病が944件(急性リンパ性白血病が713件、急性骨髄性白血病が201件、慢性骨髄性白血病が24件)、骨髄異形成症候群が4件、未分化型白血病が2件。リンパ腫が368件(ホジキンリンパ腫が146件、非ホジキンリンパ腫が222件)、固形がんが868件にのぼる。

「小児がん患者は増加し、白血病も固形がんも増えています」

小児がんの発症は、2004年の78年から、2005年に108人、2007年の111人から徐々に増加し、2015年以降は200人以上だ。
2006年は、小児がんの発症が167人に急増し、白血病が78件、固形がんが89件にのぼる。

固形がんも、2004年の45件から2017年には120件と3倍近く増えた。

「2017年に発症した固形がんは、脳腫瘍が最も多く、次が骨腫瘍です」

次いで、神経芽細胞腫、腎腫瘍、横紋筋肉腫が多い。

「2015~2017年の3年間の固形がんの件数をみると、脳腫瘍が17件から24件に増加しています。骨腫瘍も14件から19件に増えています」

白血病は、2004年に33件だったのが、年々増加し、2017年は96件。

「2017年の悪性腫瘍の割合を見てみると、急性リンパ性白血病が最も多く、70件で62%を占めます。
一方、急性骨髄性白血病は24件です。
そして、ホジキンリンパ腫と非ホジキンリンパ腫の悪性リンパ腫が約14%です」

子どもの白血病と脳腫瘍の増加は、チェルノブイリ原発事故後にもみられ、劣化ウラン弾の放射線の影響が考えられる。

「イラクでは、病気の原因が劣化ウラン弾にあるとは理解していない人が多いと思います。研究機関もありませんし、放射線線量の測定はしておらず、政府はこの問題についてこれまで一度も語っていません。誰もこの問題について触れず、病院のスタッフでさえ話しません」

「日本でも、原爆被ばく者の調査がすべてアメリカに委ねられていたので、それと同じだと思います。先日、原爆の被爆者の組織の方とお会いし、戦後73年経つのに、被ばく者の調査が現在もつづけられ、そのデータをアメリカに送っていることをお聞きし、驚いています。
我々は劣化ウラン弾による被ばく量を調査できません。アメリカがいまでもイラクを支配しているからです。イラク政府はそのような状況で何もしないのです」

2009~2017年の急性リンパ性白血病患者の経過結果によると、がんの発症数は年々増加し、2017年は70件。

「2009年は38人が急性リンパ性白血病と診断されましたが、5人は初期治療を断念しました。親が治療を拒否したりしたためです。
住まいが遠い、貧困などの理由で、早急な治療ができず、治療を継続できないケースがあります」

治療を断念したのは、2010年と2013年が各1人、2011年が6人、2014年と2016年が各4人、2017年は2人だった。2017年は治療の前に6人が亡くなっている。

「専門的な治療をした患者は32人で、現在も生存しているのは16人です。
生存率は50%で、他の年も、約50%が生存しています」

治療を行った患者の9割以上が完全寛解(がんの徴候がすべて消失)し、約半分が現在も生存している。

その一方で、再発件数は、2009年が10件、2010年が7件、2011年が9件、2012年が24件、2013年が13件、2014年が18件、2015年と2016年が6件、2017年は3件。

「再発率はいまでも高いです」

そして、再発した患者の5割近くが、治療を断念している。

「治療を拒否するのは、がんの発症を信じたくないから、それから、手術を嫌うという理由もあります。身体の一部を摘出するのを拒絶するというのが大きな問題のひとつです。
白血病の小さな赤ちゃんを治療しようとした際、『家に帰らなければならないので、治療は受けない』と言う母親もいました。『この子のために病院に残ると、家で待つ7人子どもたちが死んでしまう。私は働いて、食事を作って、子どもたちを学校に通わせている。7人の子どもを犠牲にして、この赤ちゃんを救うわけにはいかない』と」

「それでも、私たちはあきらめないで、治療するよう勧めています。
少し大きな子どもたちは、それほど深刻ではなく、健康状態も良く、特に白血病は直る可能性が高いため、治療に来るよう何度もあきらめないで頼みます。
治療をつづけるために寄付を募ったり、遠くに住む人は通院が難しいので、地域の人に送迎を頼んでサポートしてもらったりして、治療をしています。
ただ、そういうサポートもバスラ周辺に限られていています。」

少しずつではあるが、がん治療の医療機器も導入されている。

「放射線治療機器は、2010年に導入される予定でしたが、6年ほど遅れ、昨年設置されました。これまでの化学療法に加え、放射線治療も可能になりました。
また、フローサイトメトリーでの白血病の精密な血液検査も可能になりました。とはいえ、フローサイトメモリー用の抗体が十分ではなく、不足しています。
PET検査をする機器はまだありません」

「私の病院の患者は、多くのハンディを負っている」とフサーム医師は言う。

「細胞遺伝学の研究および民間研究機関が存在しないため、医師はその経験を積むことができません。
骨髄移植センターもありません」

なかでも深刻なのが、医薬品の問題だ。

「ほとんどの医薬品が足りず、抗生物質、抗ウィルス剤、そして最も深刻なのが抗菌剤の不足です。厚生省は我々が必要とする医薬品の20%しか供給できず、しかも質が悪く、どこの製品か信用できません」

例えば、注射用薬品に注射針をさすとゴムの蓋が中に落ちてしまったり、水を入れても溶解せずに固形のままだったり、多くの医薬品がこのような状態だという。

「薬の有効期限やどこの製薬会社か、まったく信用できません。
パッケージにカナダとあっても、箱が安っぽく、カナダの医薬品かどうか疑わしいのです。
腐敗が一般化していて、輸入する際も多くの契約や賄賂などがあり、医薬品を国内に持ち込み、誰かが誰かに薬を渡しています」

医療業界でさえ支配されている、とフサーム医師は嘆く。

「90年代まで、イラクのサマワに有名な製薬会社があり、非常に質のいい薬を製造していました。
ファイザー、バイエル、スイスやドイツ、イギリス、アメリカなどの薬品も輸入されていましたが、これらの海外の製薬会社と比べても、サマワの医薬品は質が良く、信頼できました。
しかし、今は信用ゼロです。
イラク戦争後、製薬工場は民営化され、新政府が支配し、品質に注意を払わなくなりました。
もはやこのイラクの製薬会社は信用できません。たぶん、ここで製造しているのではなく、インドやイランから持ち込まれた安い薬だと思います。
効果も期待できません」

こうした理由から、イラク国内での治療を拒否する人もいる。

「イラクの薬、医師や病院を信用していない一部の人は、レバノンなど外国に子どもたちを連れて行って治療しています」

また、コンプライアンスも確立していない。

「患者側の病気に関する知識不足、貧困、治療に対する恐怖があるからです」

これらの問題が組み合わされ、日本では8割近い小児がんの治癒率に対し、イラクではそこまで至っていない。

「私の患者、サディーンについてお話したいと思います」

フサーム医師は2年前、サディーンが白血病を克服して小学校を卒業したと話していたが、その後、再発したという。

「彼女はこう書いています」

私の名前はサディーン、7歳です。
ラマダンが終わったら、イードの祭りに新しい洋服を着ることができるよね?と毎日家族にお願いしていました。
でも、イードの祭りの朝、吐き気がして、ひどく身体が痛み、頭痛がしました。
それが白血病のはじまりだとはまだ気づきませんでした。

「彼女はとても賢く、発想が豊かで、たくさん絵を描きました。
例えば、これは、痛みを恐ろしい蛇で表現しています。
病院の治療には、化学療法、注射、カニューレ、点滴、苦い薬、抗がん剤の髄腔内投与があり、こうした治療は彼女を傷つけ、苦しめていたのです。
もうひとつの絵は、化学療法からヘリコプターで逃げるサディーンです。
化学療法をしようとするこの医師は、私です」

残念ながら、今年3月にサディーンは亡くなった。

「それでも、私の病院では、たくさんの患者ががんや白血病を克服しています。
治癒した子どものそれぞれの写真を病院に貼り、患者の励みにしています。
今年、5年以上の化学療法を終えて治癒した患者が集め、祝賀パーティーを開催しました」

「なぜあなたは腫瘍学、癌の専門医になったのですか?」と何度も聞かれ、医師同士でも、お互い質問することがあります。
がんは非常に難しい病気で、一般に不治の病といわれています。
病院内においてでさえ、治癒できない、患者はみな死んでしまう、と思われている場合がよくあります。
ですから、「なぜあなたは治療をつづけるのですか?」と聞かれることが多いです。
たとえ件数は少なくても、がんは治癒します。
数件であっても、がんの治癒は、私たちにとって勝利なのです。
私たちは、患者と家族、そして医師らとともに喜びあうために治療をしています」

フサーム・サリ医師は、イラクセイブチルドレン広島の支援で、広島大学病院で腫瘍とがんの研修をしている。
初めて来日したのは2003年、今年の来日は6回目だ。

「広島大学病院での研修で、医療経営や悪性腫瘍の患者の治療の点でイラクとの格差に失望することがあります。
でも、私が広島で集めた情報、ここで学んだことは、イラクでの治療の質の向上に役立っています。ここで研修を受けることで、患者の治療はずっと改善しました。
広島に来てから、希望が持てるようになりました。
広島は私たちに多くの希望を与え、前向きな気持ちにさせてくれています。
それが、患者の治療をより効果的にし、良い結果へと導いています」

(2018年8月12日 広島市で開催された報告会より)


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by k_nikoniko | 2018-08-26 21:45 | 国際ニュース

ポスト・アラブの春

モロッコ関係のセミナー「『ポスト・アラブの春』の北アフリカ・中東と日本」に出席。
長らくモロッコから離れてたのでお勉強。
興味深いお話いろいろ。

終了後、西麻布のモロッコ料理レストラン「ルマグレブ」へ。
ラマダン中なので、日が落ちてから軽食。
久しぶりのミントティがおいしかった。

食事の席でアルール駐日モロッコ王国大使が、「毎月2回ほどさまざまな大学で話をしている。ビジネスによる関係より、人的信頼関係を築いたほうが、20年、30年先に両国のつながりが一層強まる」とおっしゃったのが印象的だった。
「女性のエンパワーがアラブの発展のキーファクターになる」とも述べていた。

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by k_nikoniko | 2014-07-05 01:07 | 国際ニュース

北アフリカの政治変動

2011年5月11日に、東京の国際文化会館にて、「北アフリカとサヘル地域の政治変容と地域安全保障」に関する国際セミナーが開催された。主催は、トランスリージョナル&エマージング・エリア・スタディーズ国際研究グループ(ITEAS)、共催は札幌国際連帯研究会、開発と人間の安全保障のためのアフロ・アジアフォーラム、グローバルネットワーク21(GN21)。研究者、NGO関係者、ジャーナリスト、国会議員、官僚、そしてエジプト、チュニジア、モロッコ、バーレーン、ヨルダン、ジブチ、アンゴラ、エチオピア、アメリカ、フランス、スペインなどの大使や外交官など約100名出席し、活発な議論をおこなった。

司会を担当した片岡幸彦氏は、「ITEAS発行の報告書で取り上げられ、同セミナーのテーマでもある問題の重要性」を強調した。片岡氏は、「今、各地で起きている変化は、新たな世界が生まれる可能性を持つほど大きなものであり、新しい理解の仕方、新しい政治的行動、そして新しい形の感情の相互作用を必要とするものである」と述べた。

 羽衣国際大学の中川恵教授は、「北アフリカの政治変動」について発表。エジプト、そしてアラブ世界全体に広がった政治変動に関し、中東・北アフリカ地域の諸国を、軍の介入の点から次の4つに分類。(1)軍が中立を保ち、短期間に政権が崩壊したケース(例:チュニジア、エジプト)、(2) 軍の中での分裂が見られるなど中立を保たず、政府と市民との間の武力衝突に発展しているケース(例:リビア、シリア)、(3)軍の政治的な場でのプレゼンスが大きく、今後の改革のアジェンダが不透明なケース(例:アルジェリア)、(4)逆に軍の政治的な場でのプレゼンスがほとんどなく、抗議運動はあるものの、現体制の枠内での改革を求めており、反体制運動には発展していないケース(例:モロッコ、ヨルダン)。

 そして、「(4)のケースに分類できるモロッコでは、2月末に抗議運動が起こったが、3月9日には、国王が憲法改革案についてスピーチをおこない、自らの権力の制限、すでにモロッコで進められていた地方分権化や人権擁護、アイデンティティーの多様化などをさらに推進する方向性を示した。結果、その後の抗議運動の要求の枠組みを提供することとなった」と説明した。

また中川教授は、「地域としての安定性を考える場合、マグレブ地域では、①モロッコとアルジェリアの関係改善(西サハラ問題、リビアの行方)、②テロリズム(北アフリカやサヘル地域でのアル・カーイダの活動がより活発化する可能性)、③イスラム過激派の動向(特にエジプトとチュニジアでのイスラム運動の動向)が、安定への鍵となるだろう」と指摘した。

モロッコ・タンジェのアブドゥルマリク・サーディ大学のラシード・ブダイギ教授は、「地中海からマグレブ地域、さらに南のサヘル地域にかけての地政学的文脈における、人間の安全保障を妨げる要因、国境横断的および地域的な不安定要因」について発表した。
「前述の広大な地域においては、これらの諸要因が相互に作用しあうため、同地域の経済的統合や安全保障において3つの課題がある」と述べた。
エルフデイギ教授は次のように解説した。「不確実性、不安、確信の3つが課題である。つまり、持続可能な人間の安全保障を国家が保証できるかどうか、非常に不確定である。実際マグレブにおいて、人間の安全保障が保証されない限り、国家や社会の継続的な安定は不可能である。民主化そして人権問題が、これまでもマグレブ諸国の発展の大きな障害となってきた。テロリズム、組織犯罪、不法移民、移動の自由の制限という諸問題が、サヘル・サハラ地域、モロッコとティンドゥフに近いモーリタニアとの国境地帯、さらに封鎖されているモロッコ・アルジェリア国境地帯という3つの地域に存在している。モロッコとアルジェリアの間での信頼関係の構築が、その地域の包括的な安全保障に適した条件を作りだすために必要となる」
それを実現するために、エルフデイギ教授は、「両国は政治的な対話をおこない、戦略的な敵対関係を終わらせ、マグレブ地域が非常に長い間陥っている戦略的にナンセンスな状況から解放する必要がある。サハラ問題は、両国の長年にわたる敵対関係を示している。両国は国境の封鎖を解除する必要がある。またティンドゥフ難民キャンプでの違法な活動を監視すべきである。これはポリサリオ戦線のなかの一部の人々とテロリスト・ネットワークとのつながりを避けるために必要だ」と指摘した。

札幌学院大学の松本祥志教授は、「緊急事態宣言と国際人権B規約の絶対的人権、つまり身体の自由と差別禁止」に焦点を当てた。「ジャスミン革命は緊急事態下でなされた。民主的な国家においてでも、自然災害・人的災害により普遍的人権(人民の権利)や相対的人権(財産権、表現、結社の自由など)を制限することが正当化されうる。その場合でも、公正かつ公開の裁判なしに身体の自由が侵害されてはならない」と語った。

さらに松本教授は、「アルジェリアは19年間、シリアは1963年以来、緊急事態を継続している。国際人権B規約は緊急事態の宣言を認めているが、それは緊急な事態の存在を前提にしている。かかる事態が緩和されたら廃止されなければならないが、実際には継続されることがよくあった。それゆえ緊急事態宣言には、時限を定めるサンセット条項が入れられるべきで、既存の宣言には直ちに時限が追加されるべきである」と指摘した。
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by k_nikoniko | 2013-11-06 08:08 | 国際ニュース

ソウルでキャンドルデモ

韓国大統領選に不正があったことに抗議して、このところソウル市役所前で10万人規模のキャンドルデモが行われている。
という話を聞いたので、いろいろ検索してみたけど、日本語の情報があまりなく。
7月15日のデモに関するCNNのレポートをみつけました。
http://ireport.cnn.com/docs/DOC-1005863


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by k_nikoniko | 2013-08-12 01:17 | 国際ニュース

アラブの秋、チュニジアの出発

フランスでは、カダフィ大佐の殺害場面が何度もテレビで放映された。
そのたびに目を背けるか、チャンネルを変えるか。
とても直視などできない、残酷な映像だ。
「知られたくない真実」を葬るために、カダフィ大佐は裁かれることなく殺害されたのではないか。
こうした憶測が飛び交っている。
サルコジ大統領は、カダフィ大佐と原子力に関する会談をしている。
独裁者の死によって、リビアがどうなっていくのか、まったく予測がたたない。

カダフィ大佐が殺害された20日、フランス在住のチュニジア人有権者による制憲議会選挙がはじまった。
新憲法を策定するための議員選出選挙で、217議席のうち、フランス在住チュニジア人から10議席選ばれる。
手元の資料によると、全体的には、政党数は110、候補者11000人で、無党派を加えた1570のリストから選ぶそうだ。
有権者数は約750万人だという。
居候している友人の夫がチュニジア人で、毎晩、選挙の準備をしていた。
フランス国内では、44のリストが候補者を立てている。有権者は6~7万人とのことだ。
数が多すぎて、主張の違いをどう区別するのか、とも思う。
世論調査では、イスラム政党(Ennahda)が20~30%獲得するだろうと予測している。

フランスの投票は3日間、国内数ヶ所で行われた。
最終日22日(土)の夜7時ごろ、投票場のひとつ、16区のチュニジア領事館に行ってみた。
最寄り駅の地下鉄のホームには、投票を終えたチュニジア人がたくさんいた。
領事館の前は長蛇の列。
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3歳ぐらいの娘を連れた男性は、この選挙に「期待している」と満面の笑みで答えた。
パリに数年住んでいる若い男性二人は、「チュニジアの民主主義がはじまる」「たくさんの人が投票に来ていて驚いただろう?」と笑った。

どの顔も喜びにあふれていた。
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自らの手で、ゼロから民主主義の国を作り上げる。
前途多難ではあろうが、可能性に満ちている。
うらやましいと思った。
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by k_nikoniko | 2011-10-24 06:42 | 国際ニュース

アラブの革命のその後

2011年8月13日にメディアパルトで掲載された、チュニジアやエジプトなどアラブの革命の現状についての記事「アラブの春の現状」です。
*意訳しています。誤訳があると思います。

ベンアリ大統領の失脚から8ヵ月、ムバラク大統領の退陣から9ヶ月、歴史的な手続きがはじまっている。それに続いて多くのアラブ諸国で革命と進展の予感があるが、現在どのような状況なのか?

期待とフラストレーション:チュニジア、エジプト

独裁体制の完全な崩壊は、大きな期待とそれに相対するフラストレーションを生み出した。ベンアリ大統領とムバラク大統領の終焉は、大半のチュニジア人とエジプト人にとって、政治的経済的ルネッサンスのはじまりと同時に、あらゆる挑戦に応え、これまでの習慣を変革でもある。とはいえ、現実はもっと複雑だ。経済的社会的困難が明らかに存在しており、保守的な政治文化はいまでも人々の精神に浸み込み、平穏無事に返り咲くのを政治家はもくろんでいる。ほとんどの市民は当然の期待のなかで曖昧にさせられている感情をすでに抱くようになったが、独裁政権の一掃に成功した誇りとなんら矛盾するものではない。そして、公共の場での熱意と検閲や自己規制からの開放が決定的で逆戻りができないという確信ともなんら矛盾しない。

国民議会議員選挙へ向けた取り組み:チュニジア、エジプト、モロッコ、ヨルダン

革命後初めてのチュニジアとエジプトの大統領選挙および国民議会議員選挙が準備中で、モロッコとヨルダンでは政治的要求の規制中であり、立法計画と改革計画が議事日程にのぼっている。チュニジアとエジプトで採用された選挙法は、すべての政党や政治団体に適合するわけではなく、憲法改正にふさわしいわけでもない。チュニジアの新しい選挙法では女性の割合を50%にするとなっており、女性の割り当てのない混合システム(半分の議席が単記投票、半分は政党リストによる)を予定しているエジプトの法律より可能性が高いとはいえ、対照的な2つの国には政党と社会運動が多く存在する。

さらに、モロッコとヨルダンの立憲君主国家への移行は、長年反対派から要求されており、両国の国王は「革命の」伝染を避けるために必要だと最終的に認め、新しい憲法を要請している。ある程度はそのレベルにいたるようだが、まだ懐疑的なままである。数ヶ月後に実施によってはじめて、政治分野での深刻さの決定がくだされる。

力関係:チュニジア、エジプト

この秋、チュニジアとエジプトでは、対峙した政治派閥間の本当の力関係がついに明らかになるだろう。チュニジアでの「政教分離/イスラム教徒」、エジプトでの「市民/宗教」の分裂が、考慮すべき最も重要で興味深く、介入するもうひとつの重要要素になる。軍の役割、昔のエリートとしばしば結託していた企業家、革命を主導した若者の運動、政治的社会的な地位を獲得するチュニジアと奪われた地位の請求するエジプトの女性たち、左派やリベラル派の政治的勢力、さらに、イスラム勢力範囲の中心をなす派閥(ムスリム同胞団、ムスリム同胞団の若者たち、サラフィスト)もまた、綿密に分析されている。チュニジアとエジプトは、アラブ世界が革命の結果と、専制君主とその政府に長い間自由を抑圧されてきた社会の「現実」を理解するために、どこへ向きを変えるのかを知る実験場そのものといえる。

一時的に成功する圧力:バーレーン

バーレーンが痛切に知っているのは、革命の息苦しさである。そこにはさまざまな理由、(シーア派とスンニ派の絶対的な縦社会による共同体の)国内、国外(地域のあらゆる民主化に敵対するサウジアラビアの役割、そして、イランに有利な湾岸での「不安定さ」のアメリカの懸念)が、唯一の問題として現在まで残っている。

しかし、大半の暴動を鎮圧しているアルカリファ政権の成功は、決定的ではない。この小さな王室はすでに、これまでの間、連続する暴動、独裁政権下の市民の多様な形での抵抗を知っている。過去に何度も繰り返されてきたケースのように、多様な反対党派が、国内外の大規模な発展に賛成して新しく結集している。

調停:イエメン

アラブ諸国のなかで最も貧しく、すでに数ヶ月間、状況は沈滞しているようだ。国民の異議やデモが衰退しておらず、サレハ大統領の追放を求めて毎週金曜日に数万のイエメン人がサナアやアデン、タイズ、その他の町の大広場で集まっているが、負傷してサウジアラビアにいる大統領は辞任を拒んでいる。

サウジアラビアとアメリカは、ここ数週間、過激な変化(サウジアラビアにとって)、そしてジハードのイスラム教徒に有利な混乱(アメリカにとって)への恐ろしい移行を防ぐために、妥協を見出そうとしている。分裂した軍隊、同様に武装した部族(社会構造上の勢力)とともに、あらゆる行き詰まりが紛争の一般化で悪化するかもしれない。その上、アルカイダの危険性を矮小化しつづけているイエメンの傍観者が多い(いくつかの地域での戦闘員の存在を否定できないにもかかわらず)。彼らは、アメリカの支援を得ようとするサレハ体制によってあおられた亡霊の考え方をつねに持ち続けている。

戦争開始によってこの国での民主主義のあらゆる望みに終止符をうつことができるが、その責任を引き受ける恐怖が、弱々しいスタンバイのような状態を生み出している。しかし反対派は、サレハ大統領追放を強制する圧力をつづけている。

軍事的対立:リビア

権力を維持しようとするカダフィ大統領の激しい敵意と、リビア戦争が、アラブの春の期間中の革命的プロセスの最も有害な要素になっていると思われる。

ジャマヒリヤが参加する前のチュニジアやエジプトではじまった平和的な「うねり」が軍事的な対立への変化させられた事実は、多くの体制(バーレーンや特にシリア)にデモ行進に対して軍を準備したり使うことを可能にした。国際社会は「リビアのシナリオ」を他の国でこれ以上繰り返すことができなくなった。国連からの要求でNATOが軍事介入したが、限界を明らかにし、倒錯した結果を生み出した。

シリアの例外

シリアでは例外を引き起こした(イスラエルとアラブの対立に関する立場から、シリア体制は「春」を逃したと言っている)。シリアの例外が存在するとしたら、明らかにこのレベルではなく、むしろ、体制の残虐さと人々の勇気のレベルにある。

3月以来、この体制はあまりにも暴力的で堕落しているのを知った。2300近くのシリア人が弾丸や拷問で命を落とし、数万人がケガをし、逮捕され、追放された。不正操作的な体制も問題である。国内では恐怖と疑惑をまきちらして少数派を集結させようとし、それだけでなく、地域的な計画にも不正操作が行われている。つねに(物質的にも政治的にも)悩ませている戦略的地理学的位置に関して、シリア人だけでなく、パレスチナ人やレバノン人の大多数に効果的にプロパカンダを行っている。

アラブの春の出現は、もちろん、シリアの人々を40年以上におよぶアサド政権を終わりにさせようとの決心にいたらせた。アラブやヨーロッパ政府のうんざりさせるほどの沈黙にもかかわらず、自由を愛する人々は、驚くべき創造力と忍耐力を証明しながら、毎日弾丸に立ち向かい、独裁政権打倒の声を上げている。

9月:挑戦が再び

ラマダンの終了とあわせるかのように、9月になると、革命(もしくは手続き)が新しい段階に入る。たくさんのことに取りかかっているところであり、多くの対立もまだつづいている。選挙準備(チュニジアとエジプト)から、軍事的状況の総括(リビア)、改革計画(モロッコとヨルダン)から調停(イエメン)、反対派の再組織化(バーレーン)から自発的な戦争(シリア)まで。


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by k_nikoniko | 2011-08-19 00:48 | 国際ニュース

エジプトのニュースに思う

エジプトの抗議デモが大きく取り上げられています。
最初に政権を転覆させたチュニジアは、これまで大きなニュースにはなりませんでした。
なぜか? 考えてみました。

エジプトにはテレビや新聞の特派員がいて、英語での情報が入りやすい。
チュニジアは特派員がいないし、フランス語の情報が多い。

これらは、日本側の理由で、国際的なニュースバリューとは関係がないと思います。
そういう、こちら側の理由で、国際ニュースの重要度が決められていいのでしょうか?

海外のメディアでは、引き続きチュニジアのニュースを流していますが、日本ではほとんど語られません。

もうひとつ。

エジプトは日本人観光が多く、ピラミッドなど日本人にはなじみ深い。
チュニジアはそうではない。
日韓ワールドカップで日本はチュニジアと対戦しているので、そのとき少しは話題になったような気もするけど、ほとんど知られていない。

これも、日本側の落ち度、というか、こちら側の理由。

グローバル化の時代、日本人が関係しているかいないかで、ニュース性を決めていいのかとも思います。
直接関係がなくても、日本人は惑星に住んでいるわけではなく、地球で起きたことは、必ずなんらかの形で跳ね返ってきます。
このアラブの変化で、日本はどのような影響を受けるのか。日本が何ができるのか。
ちゃんと考えるときだと思います。

観光地がひとつ減る、というレベルではあまりにも情けないです。

フランスのネットメディアRue 89に、今回のチュニジアやエジプトでの出来事と、ベルリンの壁崩壊を比較した記事を見つけました。
翻訳はこちらです。
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by k_nikoniko | 2011-02-02 10:48 | 国際ニュース

チュニジアやエジプトの革命とベルリン壁崩壊

フランスのネットマガジンRue 89に、1月29日に掲載された「アラブ世界とベルリンの壁」の記事です。
現在、アクセス数2万以上、書き込み150以上。賛否両論あり、コメントも興味深い。
誤訳、省略もありますが、翻訳しました。おかしな点がありましたら、訂正よろしくお願いします。

チュニジアのベンアリ元大統領の国外退去と、他のアラブ諸国における「伝染」という事態以後、1989年10月のベルリンの壁崩壊、そして、ヨーロッパ社会主義ブロックの崩壊へと導いたドミノ効果との比較がしばしば行われている。この比較は限界をともなうが、全く無意味というわけではない。

はっきりした大きな違いは、中央および東ヨーロッパ社会主義国が同じ「ブロック」に属していることにある。モスクワ、クレムリンを統制の中心とした連合だった。1952年のベルリンや、1956年のブダペスト、1968年のプラハでは抗議デモを鎮圧する指令が出されたが、ミカエル・ゴルバチョフの指示により、クレムリンは東ドイツの抗議デモをそのまま放置し、歴史的変化により、道が突然解放された。

それから数週間で、東側諸国が壁の崩壊の連鎖で共倒れとなった。武力で「民主的な伝染」を回避できると考えていたチャウシェスク元大統領のルーマニアも含まれる。社会主義ブロックに属さないユーゴスラビアだけが生き延び、2年後に流血の内紛が起こった。

国際的な文脈においても、同様に特異である。西ヨーロッパとアメリカは、敵対する軍事連合コメコンに属する国の体制の変化を好意的に見ていた。そして、ソ連という20世紀における敵国の弱体化も見ていた。その段階では、2年後にソ連も同じように崩壊するなど、わかるはずもなかった。

アラブ世界はひとつのブロックではない

アラブ世界は、このような特徴を全く持っていない。ひとつのブロックではないし、アラブ連盟のようなインフォーマルなもの以外の連合には属していない。抗議デモ鎮圧の指令か、それとも鎮圧の禁止命令かの判断を、「センター」に依存しているわけでもない。

当事国ではない世界の国々は、抗議デモの民主的渇望を支援しつつも、原理主義の手中に落ちていく国々が出現することを恐れ、この2つの感情を同時に抱いている。不安定な故郷、潜在的な「敵」になることを恐れているのである。

チュニジアの出来事は人々を驚かせた。チュニジア人もまた驚いている。本当の勇気、20年もの間居座っていた独裁者を転覆させた可能性に驚かされた。しかし、チュニジアは小国であり、大それた戦略的な賭けに出ることはない。今回の出来事は、外部からの強力な干渉もないまま、順調にことが運んだ。

2011年チュニジア、1989年ベルリン

結果として、ベンアリ元大統領の国外退去は、アラブ世界の人々にとって、ベルリンの壁の効果を持ちうるのである。いずれにせよ、心理的な側面でその効果を示すかのように、多くの国(アルジェリア、ヨルダン、エジプト、イエメン…)において、シディブジィドでの絶望的な自己犠牲、権力に対する抗議デモ、ソーシャルネットワークの妨害のためのネット検閲が記録されている。ソーシャルネットワークは、革命誘因としてのベクトルの役目を果したすことが、チュニジアのケースで明らかになった。

しかし、それぞれの国には、それぞれの体制があり、それぞれの方法で状況を管理している。エジプトは、ここ数日、旋風の中心だ。手荒い行動が起こり、金曜日には60人以上が死亡し、通信が切断された。包囲されたムバラク大統領は、身の危険を逃れるために、内閣の解散を行った。

アルジェリアでは、2月12日に抗議デモが約束されていたにもかかわらず、その兆候は、すぐに制圧された。

それぞれの国がそれぞれの歴史を持ち、それぞれ異なる政治的、経済的、社会的文脈がある。アルジェリアやチュニジアでの出来事が、サウジアラビアと同じように展開するとは、誰も予想していない。今回の伝染は、同じ体制が同じ現象に対抗した1989年のヨーロッパと共通の感覚ではないことは確かだ。アラブ世界におけるインパクトは現実であるが、同じ原因が必ずしも、それぞれの国に同じ結果をもたらすとは限らない。

権力者たちの懸念

とはいえ、世界の権力者たちが、この出来事を心配しながら観察していることは確かである。長期間に及ぶ保守主義、軍事政権もしくは王政の専制君主の凡庸さ、政治と宗教の反啓蒙主義的脅威。こうしたことで批判されている国々で、自由を求める風が吹いているのを、喜んで観ている場合ではないのだ。

ワシントンから、パリ、同じく、「エジプト」の言葉が土曜日に検閲の対象となった北京でも、こうした懸念を感知することができる。民衆運動から何が飛び出すのか、それを誰も予知できない、そういった懸念である。中央および東ヨーロッパのときは、より民主的で、西ヨーロッパ体制と両立可能な体制という予見できたが、それとは対照的に、現在エジプトで起こっている革命が、いったいどこに向かうのか、全くわからない。

イスラムの懸念も明らだ。1世紀にわたる長い歴史を持ち、エジプトやヨルダンにしっかり根づいたムスリム同胞団にとって、ムバラク大統領の転覆は勝利への道を開くことになるのだろうか? それは、アメリカやイスラエル支持者たちにとって望ましいことではない。アラブ世界の「反逆者」民主主義者をいらだたせる立場にあるからだ。

先週、保守的アナリストであるロバート・カプランは、ニューヨークタイムズ紙に次のようなことを書いていた。アラブ世界の出来事に大喜びしていてはいけない。なぜなら、ヨルダンのアブダラ王のように「思慮に富む指導者」や、ムバラク大統領のような「安定」を名残惜しく思うだけで終わってしまうだろう。そして、ガザでのハマス政権の誕生が、民主的な選挙の結果だったことを思い出すだろう。

しかし、アラブの人々は、ロバート・カプランの記事を読んではいないし、何も心配していない。

どうやって脱出するのだろうか? 1989年のように、歴史はアラブ世界で動き出している。安心感を保障してくれた独裁者の崩壊に感涙する人々はまず、がまんならない像をあまりにも長期にわたって支持したために、革命的なこうした過程を不利にしたのではないか、と自問しなければならないだろう。それがどのようなものであろうと、結果を引き受けなければならない。



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by k_nikoniko | 2011-02-02 10:16 | 国際ニュース

海外メディアが伝える「チュニジア」(1)

大手メディア以外で、チュニジアの情報は収集できる。

とりあえず、ネットメディア
allafrica.com(英語) 
afrik.com(フランス語)
afrik.com(英語)
RFI(Radio France International(英語)

IPS(Inter Press Service)のサイトに掲載された、12月31日付の記事「アラブ世界を揺るがすチュニジアの不穏">アラブ世界を揺るがすチュニジアの不穏」を紹介(ほぼ全文ですが、逐一全訳ではありません)。

Emad Mekay 2010年12月31日 カイロ

西側諸国がクリスマスの祝いで忙しかったり、大雪による飛行機の遅れで年末旅行の調整をしていたとき、北アフリカの静かな国チュニジアは、3週間前に起きた信じがたい事件をきっかけに、ベンアリ大統領の独裁体制に抗議するデモが行われていた。

2009年のイランの大統領選挙に反対して今回と同様の抗議が起こっていた期間、アメリカとヨーロッパではメディアや政治家が癒着に向かい、予想もしなかった出来事が西側メディアから全く無視されてしまった。チュニジアのブロガーたちやツイッター投稿者たちは、動乱の行方を刻一刻と伝える主要な情報源となった。

ベンアリ政権は、中東において、国民に対する厳しい統制を誇りとする“穏健的な”親西欧アラブ体制の手本といえる。

大卒の26歳の失業者モハメド・ブアジジが、果物と野菜の荷台を没収されたことに抗議し、シディブシッドの中心街で焼身自殺を図ったのが、動乱の発端だった。

少なくとも二人の大卒の若者が、アラブ諸国の貧しい経済状況に抗議し、ブアジジの後を追って自殺した。

西欧の後ろ盾をもつ多くのアラブ諸国では以前にも似たような動乱が起こり、警察力で弾圧している。武力での弾圧、活動家を追跡する家宅捜査、大量逮捕、収容者の拷問も報告されている。

シディブシッドへ通じるすべての通信と交通を遮断し、警察は町でのデモをつぶした。

ベンアリ政権は、民衆の抗議行動に直面した全てのアラブ独裁者による典型的な批判と同様に、扇動者たちを「過激分子」「騒動屋」「金銭ずくの少数派」と非難した。

コミュニケーション省の大臣は、チュニジアのカフェやパブリックビューでのアルジャジーラの放送を禁止したという。

あるブロガーは、「インターネットも弾圧している。いくつかのサイトやフェイスブックのアカウントがブロックされた。今後は投稿できないかもしれない。私が突然消えたら、どうか祈ってください」と書いていた。

アラブ諸国からは、チュニジアを支援するコメントが書き込まれた。

ドバイからは、「アラーに感謝する、この地域の民衆がついに目覚め、不正と汚職を広げる暴君に抗議している」との投稿があった。

「アラブ体制の終焉はそこまで近づいた」とエジプトからの投稿もあった。

他のアラブ人たちは、鼓舞されながら、抗議デモを見つめている。チャットのフォーラムやソーシャルメディアでは、アラブ人たちが抗議者に拍手を送り、彼らを”英雄”とさえ呼んでいる。

動乱は物価高騰や失業によってはじまったが、ベンアリ政権を崩壊させるためのデモという政治的な抗議へと転向したと言う。

他の石油産出国ではないアラブ諸国のように、チュニジアもまた、西欧の影響による民営化計画や、別の収入源を提供されないまま主要産物への補助金削減を施行している。

チュニジアが忍耐強く待てなかったように、経済改革は全く効果がなかった。ソーシャルメディアの画像や動画は、飢えと貧困の象徴であるパンを手にした抗議者たちを映し出している。

ショックをやわらげようと、ベンアリ大統領は小規模な内閣改造を行ったが、内務省には手をつけなかった。大統領は抗議者の弾圧を誓った。


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by k_nikoniko | 2011-01-18 02:06 | 国際ニュース