フリーライター木村嘉代子のブログです。日々感じたことを綴っています。Copyright(C)2005-2018 Kayoko Kimura
by k_nikoniko
お問い合わせ:
k.kayoko.7☆gmail.com
☆→@に変えてください

最新の記事
「白人」への偏見を助長でマッ..
at 2018-03-19 09:28
性暴力の根絶に向けて 北海道..
at 2018-03-18 09:52
教育現場へ不当介入か 道教委..
at 2018-03-17 08:53
外国の模倣でない札幌らしい”..
at 2018-02-23 09:42
外見ばかりではなく意識の高さ..
at 2018-02-19 10:29
フランス女性から学びたいクリ..
at 2018-02-17 09:12
福島県大熊町の復興についての..
at 2017-12-15 18:03
こんな国際恋愛も…という話を..
at 2017-12-08 09:23
福島県大熊町の復興についての..
at 2017-10-24 20:00
南スーダンPKO自衛隊派遣差..
at 2017-10-06 08:58
カテゴリ
全体
掲載記事(2011~)
掲載記事(2000~2010)
掲載記事(1991~1999)
掲載記事(1990以前)
ジェンダー
男と女
ひとりごと
フランス
イギリス
国際ニュース
社会問題
原発・核
デモ日記
戦争
歴史
メディア
カルチャー


サッカー
外部リンク
ライフログ
タグ
検索


カテゴリ:掲載記事(2000~2010)( 108 )

「白人」への偏見を助長でマックCMに抗議の声

日本マクドナルドが8月から展開しているNIPPON ALL STARSキャンペーンのキャラクター「Mr. ジェームス」に対し、「偏見と固定観念に満ちたガイジン像」と在日外国人らが抗議している。

白人扮するMr. ジェームスは架空の人物で、「昔訪れた日本の魅力を忘れられず娘の留学についてきたオハイオ生まれの43歳」との設定。
バーガーを味わうために全国を回り、その様子を、カタカナとひらがなの奇妙な日本語で日々ブログにアップしている。

人種差別と指摘される点は、彼のカタカナ日本語と「元気なオタク」のイメージ。

NPO法人日本永住帰化移民住民協会の有道出人会長は、「外国人は日本語を話すことができない、という印象を強めるだけ。彼の外見も、日本在住の白人には恥ずかしいもの。努力して日本語を学び、長年ここに暮らしても、所詮”ガイジン”扱いしかされない。国際感覚があまりにも欠如し、子どもに与える影響も大きい」と憤慨する。

協会は8月20日、日本マクドナルド宛に、CM停止を求める”日本語”の抗議文を提出。5日後に広報担当者から届いた回答は”英文”で、「侮辱する意図はない」と弁明のみ。謝罪の言葉は一切なかった。

白人を笑いものにしても差別にはならない。日本人がこうした意識を持つ傾向は否めず、外国人の不満や意見になかなか耳を傾けようとしない。

「白人は日本で少数派。声を上げても、この国のメディアや人権団体からはほとんど無視される」と有道氏。

人種差別の定義が白人に適用されないのは、劣等感から脱しきれない白人への歪んだ感情の現れともいえる。
キャンペーンは現在も続行中だが、ネット上でMr. ジェームス反対運動は拡大中だ。

『週刊金曜日』(2009年10月2日)「金曜アンテナ」

[PR]
by k_nikoniko | 2018-03-19 09:28 | 掲載記事(2000~2010)

性暴力の根絶に向けて 北海道でシンポジウム

札幌市の札幌エルプラザで19日、シンポジウム「性暴力の根絶に向けて」が開催され、性暴力被害者や支援者ら約1000人が参加した。

主催した「性暴力禁止法をつくろうネットワーク」は、性暴力の根絶と被害者の保護システムの確立、加害者対策など包括的な法整備を求め2年前に設立。
シンポジウムは札幌を皮切りに、2年かけて全国を縦断する予定だ。

ネットワークの呼びかけ人の一人、札幌のNPO法人「女のスペース・おん」の近藤恵子代表理事は開会にあたり、「性暴力の被害者が声を上げにくい今の日本に、どのような制度が必要か。参加者の意見を集め、社会を作り変える原動力にしたい」と挨拶を述べた。

続いて、米軍の貧困徴兵制が招く沖縄での性暴力の実態、従来とは異なる女性による女性のためのフェミニストカウンセリングの重要性などについて講演が行われた。

セクハラ労災の不支給処分取り消しを求める行政訴訟を起こした女性は、企業の相談窓口や労働基準監督署の配慮に欠けた対応に触れ、労災申請時に被った苦痛を吐露した。

8月に勝訴が確定した「女性自衛官の人権裁判」の支援者は、「ここまでやらなければ、女性の尊厳が取り戻せないのか。それほど大変な裁判だった。この判決が性暴力禁止法の制定に少しでも役立つといい」と訴えた。

『週刊金曜日』(2010年10月1日)「金曜アンテナ」

[PR]
by k_nikoniko | 2018-03-18 09:52 | 掲載記事(2000~2010)

教育現場へ不当介入か 道教委が新聞・雑誌使用授業の実態調査

授業内での新聞活用をめぐり、北海道教育委員会(以下、道教委)が道立高校に、新聞や雑誌を使った授業の実態調査を求めていたことがわかった。

ことの発端は、8月下旬、帯広市の道立髙の授業で、衆院選公示日(18日)の北海道新聞社説を使用したところ、「『自民党批判にみえる社説を用いるのはおかしい』と保護者から問い合わせがあった」と自民党道義が道教委に指摘したことによる。

道教委は、「一紙のみの社説の活用は、特定政党の政策について偏った認識を生徒に持たせかねない」と判断し、9月7日と8日、全道立校に、政党の政策について記述した社説や雑誌の活用の有無を報告するよう求めた。

問題となっている授業は三年の公民で、社説のキーワードを穴埋めしたプリントを作り、生徒に解答させる形式。教諭は社説の論理には触れなかったという。

「教育現場への不当介入」との抗議に対し、道教委は「中立性を確保するための慎重さに欠けていた」と妥当性を説明している。

こうした事態の一方で、危惧されるのが、マスコミの冷ややかな反応である。道内でこの件を伝えたのは三紙(道新、毎日、十勝毎日)で、道外では琉球新報ほか二紙ほどだった。

道教委は9月末の道議会一般質問で、「指導方針を示す」と述べたが、いまだ検討中とのこと。それもあってか、現在のところ報道は全く影を潜め、このまま展開せずに収束しそうな気配だ。

『週刊金曜日』(2009年11月29日)「金曜アンテナ」


[PR]
by k_nikoniko | 2018-03-17 08:53 | 掲載記事(2000~2010)

外国の模倣でない札幌らしい”文化”とは

現在工事中の札幌の駅前通りは、パリのシャンゼリゼ通りをイメージしたカフェのある風景に変わるそうです。
こうした構想からもうかがい知れるように、パリ・フランスから連想されるもののひとつとして、「カフェ」があります。
カフェはフランスの街のいたるところに存在します。
その歴史は古く、老舗のカフェは観光スポットにもなっています。
パリのカフェ第一号ル・プロコールは、フランス革命前の17世紀に創業し、現在はやや高級なレストランとして営業をつづけています。
その昔、常連客にはヴォルテールやルソー、ロベス・ピエールらが名を連ね、白熱した議論を交わしたそうです。
その近くには、サルトルやボーヴォワール、カミュ、ピカソらが通ったカフェ・ド・フロールとレ・デュ・マゴも並んでいます。
カフェで人々は出会い、交流し、そして哲学や文学や芸術が生まれる。
フランスのカフェは、単なる“ハコ”ではなく“文化”そのものであり、その“カフェ文化”は脈々と21世紀の今も受け継がれています。
カフェに集い、語り合うのは、著名人だけではありません。
学生でにぎわうカフェ、ダンプの運転手がたむろするカフェ、ゲイが中心のカフェ、町内会の寄り合いカフェなどスタイルはさまざま。
読書したり、ナンパしたりと、過ごし方もいろいろで、一般向けの哲学カフェも定期的に開催されています。
フランスでもグローバリゼーションの波には逆らえず、米国のスタンドカフェの進出で、業界は打撃を受けているそうです。
それでも、フランスが“文化”を重視しつづけるのは、それが生活と切り離されるものではなく、大きな経済効果がもたらすからともいえます。
美しい海外のワンシーンを切り取ってきても、本質を手に入れることはできません。
カフェとともに、札幌はどのような文化を育てていくのでしょう。
これまでどのような文化を築いてきたのか、壊してきたのか。
そこから再考してみる必要があるような気もします。
札幌では雪解けのこの時期、パリも空気が柔らかくなり、カフェのテラスに人が戻りはじめます。
華やかな季節の到来を、誰もが待ち望んでいるのです。

『カイ』2009年春号


[PR]
by k_nikoniko | 2018-02-23 09:42 | 掲載記事(2000~2010)

外見ばかりではなく意識の高さでリードする女性に

札幌を歩くと、お洒落な人に出会い、振り返ってまでみとれてしまうことがあります。
そんなときに思い出すのが、パリの現地ライター時代にした「街角スナップ」の仕事。
各都市の“お洒落さん”のスナップ写真をズラリと並べる、女性誌の人気ページです。
パリにはファッショナブルな女性が多く、素人でもバッチリとポーズを決めてくれるので、こうした取材や撮影はそれほど苦労しないでこなせました。
ただその一方で、街角スナップでは彼女たちの内面を表現できず、もどかしさを感じてもいました。
雑誌に写るパリの女性たちは、“単なる美しい人”といった印象しか与えられなかったと思います。
彼女たちが輝いている理由は、着飾っているからではないのに…。
一度だけですが、買物ツアーに来た20歳前後の日本女性たちをスナップしました。
そのなかの4人には、購入した数々のブランド品をホテルの部屋で披露してもらいました(えげつないのですが、そういう仕事だったのです)。
ビジネスホテルのシングルベッドの上に、クラクラするほどたくさんの高級ブランド品。
そして、サイドテーブルに夕食として彼女たちが用意していたのは米国ファストフードの紙袋。
目にしたのは、なんとも虚しい光景でした。
こうした日本女性とパリの女性たちは、平面のページ上では同類にしか見えません。
ニコリと笑う写真からは、社会問題への関心や文化的意識の高さなどが伝わらないのです。
フランスは経済不況が長引き、いうなれば、今の北海道と似ています。
モノや技術の売込みで景気回復をしようと躍起になっていますが、内面に磨きをかける価値を北海道から発信するのはどうでしょう。
「大事なのは中身であり、外見のみにお金をかけるのはダサい」
この常識を日本中に広めることができたら、北海道女性の魅力がいっそう引き立つはずです。

『カイ』「意識の高さでリードする北海道女性に!」 2009年冬号


[PR]
by k_nikoniko | 2018-02-19 10:29 | 掲載記事(2000~2010)

フランス女性から学びたいクリーミーな人間関係

独立精神にあふれ自立している。
道外の人に北海道の女性のイメージを尋ねると、こうした答えがよく返ってきます。
北海道生まれで本州育ちの私は、「北海道出身です」と言うたびに、“だから独立精神にあふれ自立してるのよ!”と秘かに主張して楽しんでいました。
フランスから日本に拠点を移すとき、「女性がのびのび活躍できるはず」との思いもあり、札幌を生活の場として選びました。
でも、実際に暮らしはじめると、なにかが違う…。
その訳のひとつは、北海道の女性の比較的淡白な人づきあいにありそうな気がします。
フランスの女性は、生活力という意味での“自立”ではなく、精神的な面も含めて“自律”しています。
この“自律”は、他者との関係性から育まれていくと思うのです。
個人主義と評されがちなフランス人ですが、実は意外と人づきあいがこってりしています。
フレンチソースのように。
人とかかわりながら成長することに価値をおいているからです。
男女のあり方に関しても、フランスの女性たちは、男女間で対話を繰り返し、男性を“意識改革”していきます。
フランスには“泣く男”が多いのですが、女性は彼らをバッサリ切ったりしません。
男性の弱さに寛容で、慰めたり渇を入れたり、操縦が上手です。
男性もまた、意地を張らずに弱音を吐くことができるのです。
人間関係を通し、“自律”していく。
この点が、北海道人は苦手のように見受けられます。
とはいえ、伝統にとらわれない奔放さが、北海道の女性の魅力です。
クリーミーさをどう加えていくか。これが、より素敵な“自律”した女性になるカギといえるでしょう。

『カイ』2008年秋号


[PR]
by k_nikoniko | 2018-02-17 09:12 | 掲載記事(2000~2010)

古本とジャズ、パリの場合(カイ)

書物と音楽が息衝く街パリ
日常風景としてのブキニストそしてジャズ

パリの名物のひとつに、セーヌ川河岸通りで書物を売るブキニストがある。古本も扱う彼らは、歴史的建造物を背景に、野外で客の相手をする。
ブキニストは、書物の露天商という職業であると同時に、パリの風景、そして観光資源にもなっている。本の青空市は、約三キロメートルにわたる。セーヌ川河岸は世界遺産に登録されており、午前十一時ごろから日暮れまでそこに居るブキニストは、彼ら自身が“パリの遺産”の一部だと自覚している。
一八五九年以来、ブキニストは市に税金を払い、許可証を更新して営業している。新規の申請者は、場所が空くまで待たなければならない。本を並べる深緑色の箱は、大きさが規制されている。壁に固定された箱は、夜になると蓋に鍵がかけられ、置きっぱなしにされる。
パリ市によると、二百十七のブキニストが、九〇〇の箱を並べ、古本から新刊本まで三〇万冊を販売しているという(二〇〇九年二月二六日現在)。
ブキニストの歴史は古い。「ブキニスト」という言葉は、一七八九年刊行のアカデミー・フランセーズの辞書で確認できるそうだ。
パリに書物の露天商が現れたのは、大学が創立された十三世紀ごろだという。架台や地面に並べたり、木箱を革バンドで首から下げてブラブラ歩き、通行人に本を販売していた。
現存する最古の橋ポン・ヌフが完成した一六〇一年以降、ここが格好の稼ぎ場となる。商売は大繁盛。書籍商・印刷業ギルドとの対立や、「よからぬ思想を撒き散らす」と王権や教会からの度重なる取り締まりを受けながらも、露天売りはつづけられた。一七世紀半ばのブキニストの数は二四人だったという。
ルイ十五世は、風刺本、宗教や政治的パンフレットの流布を危惧し、ブキニストを厳しく弾圧したが、穏健派のルイ十六世時代、ポン・ヌフ一帯は再び社交と文学の場となった。フランス革命時、路上は危険きわまりなかったにもかかわらず、徴集・略奪された書物がブキニストのもとにもたらされ、商売は盛況だったらしい。
一九世紀、フランス文壇華やかな時期には、著名な作家たちがいたるところで文学講義を催し、そのおかげもあり、ブキニストは飛躍的な発展をとげた。
一九二〇年に二〇四名だったブキニストは、二つの大戦による影響をさほど受けることなく、一九五六年には二三〇名に達し、大きな変動のないまま、いまに至っている。
二年前に発行されたブキニストの冊子には、一九九三年に行われた実態調査の結果が紹介されている。十四年たった現在もほとんど状況は変わっていないとのこと。
ブキニストの七割が男性。年齢は、二〇歳から三五歳が四割で、三六歳から五〇歳が三割。親や配偶者の後を継いでいる人が多いという。
ブキニストになるための資質は、本好きで、自由を愛し、人と接するのを好み、さらに、独創的で独立精神旺盛なこと。
寒空の下で椅子に腰掛けている姿は、“堅物”に見えなくもないが、パリのど真ん中で、常に通行人の目にさらされる仕事なのだから、ブキニストが「人嫌い」なわけがない。
ブキニストは、ともすれば閉鎖的になりがちな書物を“野外”に持ち出すことで、通りすがりの人と文化とを媒介しているともいえる。誰もが容易にアクセスできてこそ、文化は本来の意味をなすのである。
音楽もしかり。フランスは、革新的な試みで、近寄りがたい音楽の“殻”破っていった。たとえばジャズ。フェスティバルという形で、フランスはジャズを大衆に広めたのである。
一九四八年二月に南仏のニースで開催されたのが、世界初のジャズ・フェスティバルだといわれている。翌年の五月には、パリで国際的なジャズ・フェスティバルが催された。当時、ジャズに限らず、こうした音楽祭は画期的なイベントだった。各国の演奏家が集まったジャズの祭典は成功をおさめ、その後、各地でも行われるようになったという。
フランスにジャズの愛好家が現れたのは、三〇年代ごろからである。一部の熱狂的ファンに支持されていたジャズは、フェスティバルをひとつのきっかけにして、一般市民の手の届く音楽となった。
五〇年代と六〇年代に、パリではジャズの隆盛期を迎える。サン・ジェルマン・デ・プレやサン・ミッシェル界隈のジャズ・クラブに、多くの若者が詰めかけた。この頃の様子は、映画「ラウンド・ミッドナイト」に描かれている。また、「勝手にしやがれ」「死刑台のエレベーター」といった、この年代を代表するフランス映画は、ジャズが用いられていることでも話題になった。
“流行遅れ”といった観念が希薄なフランスでは、現在でも、ジャズが広く親しまれている。老若男女に問わず、ジャズは自然体で聴かれているのだ。本場フランスのジャズに触れたければ、インターネット・ラジオで視聴可能だ。
フランスにおけるジャズのイメージは、日本のそれとは違うかもしれない。五月から数ヶ月、ピクニック気分でジャズが楽しめるからだろうか。夜一〇時ごろまで太陽が沈まない夏、ジャズ・フェスティバルは、まさに季節の風物詩となっている。
ちなみに、今年五〇回目を迎えるニースのジャズ・フェスティバルは、七月一八日から二五日。パリは、ヴァンセンヌの森にある植物園で六月と七月の土日にコンサートが開かれる。
文化は、生産・普及・受容を脈々と繰り返し、暮らしを豊かにしていく。その主体は、特権階級の人間ではなく、一般の人々だ。エリート主義と難解さからの変容。書物であれ、音楽であれ、こうして、フランスの文化は日常生活と密接に結びつき、浸み込んでいくのだ。

『カイ』2009年夏号


[PR]
by k_nikoniko | 2015-07-25 08:19 | 掲載記事(2000~2010)

「フランス語講座」ビューティ編(VoCE)






[PR]
by k_nikoniko | 2015-07-24 10:26 | 掲載記事(2000~2010)

世界の人々が身近に(2002年W杯 決勝戦)

波乱といわれた大会は、王者ブラジルの優勝で幕を閉じました。ブラジルの個人技に勝るものなし。カフー、ロナウド、リバウドらブラジル選手の笑顔はおちゃめですね。一方、気丈なドイツ選手は負けても泣きません。ゲルマン魂は、最後まで不変でした。
選手やサポーターの泣き笑いには国民性が表れることを、W杯を通して知ることができましたね。世界の人々が、実態のある身近な存在になったと思いませんか?
札幌ドームで、私は初めてエクアドル人に触れました。以前は位置さえ定かではなかったこの国ですが、サポーターを直接目にしたことで、親近感を覚えるようになりました。対戦相手のイタリア選手を撮影してはしゃぐ姿は、とても無邪気。応援の言葉の意味を知りたくて声をかけたら、かなり無愛想。どちらも素顔のエクアドル人です。
この大会で見た世界の人々は、想像の人物ではなく、いい面も悪い面もある等身大の人間です。少し大げさかもしれませんが、勝利の喜びや敗北の悲しみが万国共通ならば、日常生活の楽しさや憂いも、みんなで共有できそうな気さえしてきます。
W杯の魅力は、試合のスリルはもちろんですが、世界の人々と同じ視線で世の中を見つめ、分かち合う喜びを教えてくれるところにあります。そして、感動的なエピソードが生まれることも忘れてはいけません。決勝戦で途中出場したアルモアは、ドイツの人種差別の壁を崩した初の黒人選手です。また、3位決定戦では、心温まる光景を目にしました。涙する韓国選手の手を取り、健闘を称えたトルコ選手。その立派な精神に拍手を贈りたい。
すばらしいシーンだけでなく、ささやかな美談もしっかり心に残しておきましょう。
万歳(ビバ)、日韓共催ワールドカップ! そして、ありがとう。

『北海道新聞』夕刊 「ビバ!サッカー」2002年7月1日


[PR]
by k_nikoniko | 2015-07-19 07:48 | 掲載記事(2000~2010)

トルコ ネチっこく奮闘(2002年W杯 トルコ対ブラジル)

応援するチームがあるのとないのでは、サッカー観戦に対する気合の入れ方が違ってきます。ブラジルとトルコ、どちらを選ぼうか。両国ともそれなりに愛着を感じているので、迷ってしまいました。
なぜなら、外国で初めて友だちになったのがトルコ人なら、海外生活最後に親しくなったのがブラジル人。ちなみに、そのブラジル人は、サッカーに全然興味がないという珍しい女性。母親はサッカー好きだけど、フランスのジダン・ファン。
決めかねたので、客観的に観ることにしました。ブラジルとトルコはかなり硬派だし、ミーハ-に騒ぐ必要もなさそうです。この2チームには、ネックレスやピアスを装着している選手がほとんどいません。昔懐かしい体育会系男たちの戦いです。そして、なぜか大吾郎ヘアが二人(ロナウドとイルハン)。これは、お笑い系を狙っているのかしら?
しかし、外見は飾り気がなくても、卓越したテクニックはため息ものです。人々を引き付けるのに十分すぎるほど素晴らしい。曲芸師のようなプレイに、この日もみせられてしまいました。シナリオなどあるはずないのに、上等のショーを演じているみたいでした。
ところで、トルコの粘り強さと絶妙な動きから、ある記憶が鮮明によみがえってきました。ロンドンのトルコ料理レストランでのことです。キラキラのセクシードレスを身につけた豊満な女性がベリーダンスを踊り出したとたん、客のトルコ人男性たちが豹変したのです。おひねりを手に浮かれ騒ぐ姿は、表現不可能な妖しさでした。
そのときのムンムンとした熱気は、選手たちのネチっこいプレイにも感じられました。暗そうなハカンシュキュルや森島似のバストゥルクも、はしゃぐのでしょうね。想像するのは少し怖いけど…。

『北海道新聞』夕刊 「ビバ!サッカー」2002年6月27日


[PR]
by k_nikoniko | 2015-07-16 08:53 | 掲載記事(2000~2010)