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おしゃべりな毎日

フリーライター木村嘉代子のブログです。日々感じたことを綴っています。Copyright(C)2005-2023 Kayoko Kimura   

歩いても 歩いても

久しぶりに映画を観た。是枝裕和監督の「歩いても 歩いても」 
主演の阿部寛さんと是枝裕和監督の舞台挨拶つき。
阿部さん、背が高い、顔が小さい、足長い!
映画は心にしみた。老いた両親の家に久しぶりに戻ってきた子どもたち。何気ない会話に笑い、じわりともくる。
うちに似ているようでもあり、というより、40代の自分たちと親の関係は、この映画の登場人物に通じるのではないかと思う。子どもも親もなかなかドライで…。
ついでに、阿部さん演じる失業中の男のふがいなさが、自分と重なり、情けないというかため息というか。

たまたま今日、実家から車で荷物を運び、帰りは父の運転で帰ってもらうつもりだったのに、父が免許証を忘れ、結局運転してまた実家に行き、車を置いて、私はJRで自宅に戻った。
忙しい一日だったので、免許証を忘れたことに腹を立てたが、考えてみれば、親はもう”物忘れする”年になっているのである。
そのことにあらためて気づき、ある種の覚悟みたいなものを感じてしまった。
そしてこの映画を観たので、ズキリと心が痛かった。

映画を観ながら、老後についてちらりと考えたりした。
最近、カレセン(枯れオヤジ)がもてているらしいけれど、そんなイケイケのオヤジがいる一方で、自分の老後の心配を理由に、「相手に迷惑をかけるから」と恋愛を躊躇する人もいるという。
まぁ、女性をふる口実としては上出来かも。いかにも思いやりのある言葉といえなくもない。
でも、誰かを愛したことのある人なら、その話しを聞いて、やるせない気持ちになるだろう。
愛する人の面倒をみることは、決して迷惑ではないから。
たとえば、余命1ヶ月の人を好きになったとして、ともに過ごすことを拒否されて悲しい日々を送るより、短い時間でも一緒の想い出を作ったほうがどんなに幸せか。
あるかないか先の見えないことを心配して、目の前にある幸せ(恋には苦痛もつきものだけど)をつかまない、というのは、私にはちょっと理解できない。
人生一度しかないのに。

映画の最後で、ぽつりというセリフ。
「人生は、いつもちょっとだけ間にあわない」
そんなものなんだけど、ときには間にあうこともある、間にあわせることができる、と私は思ったりする。
by k_nikoniko | 2008-05-30 03:32 | カルチャー