人気ブログランキング |

フリーライター木村嘉代子のブログです。日々感じたことを綴っています。Copyright(C)2005-2018 Kayoko Kimura
by k_nikoniko


フランス移民の高校生が”共存”を告発

フランスの新聞ルモンド紙に掲載された、エピネー=シュル=セーヌ(セーヌ=サン=ドニ県)のジャック=フェデー高校の高校生のグループが書いた記事です。

この学校の高校生は、校舎の改築により、工事現場と化した構内のプレハブの教室で、騒音や雨漏りなどひどい環境のなか授業を受けています。
昨年夏にはじまった工事が終わるのは2年後の予定。
入学から卒業まで、こうした劣悪な環境で学び、バカロレア(高校卒業証明書のような国家資格)の試験を受けなければなりません。

セーヌ=サン=ドニの移民が多い地域の高校生が、「公立学校の平等」を求めて、要望書を書きました。
とても良い文章です。

以下、記事の抄訳です。

今日、フランスのバカロレアを受験した私たち、セーヌ=サン=ドニ県の生徒、女子と男子、異性愛者、同性愛者、ユダヤ人、イスラム教徒、キリスト教徒、白人、黒人、混合、アルジェリア人、イラン人、スーダン人、スリランカ人、コートジボワール人、チュニジア人、マリ人、全員フランス人の私たちは、言いたいことがあります。
公立学校はセーヌ=サン=ドニ県の若者たち、中央都市の学生より貧しい、移民の息子と娘たちに対して、同じ環境とはいえません。
私たちにとって、これはただひとつのことを示しているだけです。
あなたたちは、”私たちと”共に生きるというより、”あなたたちのなかで”共に生きることを好んでいるのです。

私たちの授業は、工事のざわつきのなかで行われます。教室は私たち全員が学ぶには小さすぎて、冬は寒すぎ、夏は暑すぎ、遊ぶ中庭も、議論や作業などをする場所もありませせん。

こうしたほとんど信じられない環境で、私たちはフランスのバカロレア試験の準備をし、ほとんど聞こえない審査員の前で口頭試験を行いました。
雨の日には洪水になり、濡れた靴で1日中過ごさなければなりませんでした。

女子生徒が800人いるのに、電灯がつくトイレは2つしかありません。ないよりましです。1年目は、トイレがひとつもなかったのです! トイレに行きたいときは、自宅に戻る許可を得ていました。

いいえ、私たちが言っていることは、フィクションではありません。
私たちは、テレビゲームの新しい企画に応募しているのではなく、バカロレアの候補者なのです。

2018~2019年の就学は、フランスの公共中等教育学校として行われます。
私たちの高校の入り口に掲げられたフランス国旗は、それを証明しています。
フランスのすべての学校のように、入口にスローガンが記されています。
自由、平等、友愛。
これらの3つの言葉は、他の人たちというより、一部の人たちに対して価値があるのでしょうか?

これは、私たちが住んでいる地域、低予算の地域の組織的流刑の政治の結果です。
これは、下層市民に私たちを閉じ込めるシステムの結果です。
”93<訳注:セーヌ=サン=ドニ県の件番号>”に許されたことは、ほかの地域では許されません。私
たちに可能なことは、中央都市や首都の子どもたちにとってはスキャンダルになるでしょう。

オート=マルヌ県の共和党議員とセーヌ=エ=マルヌ県の共和国前進議員が作成した、公共政策の評価および管理委員会の国会報告で、このことが強調しています。
「パリの学校の予算はあまり多くないが、セーヌ=サン=ドニ県の学校で多いとされる予算より多額の予算である」と、社会学者が指摘がこの報告に記されています。

私たちは悲しいというより怒っていて、同時に私たちを不安にさせています。
私たちは、勇気を奮い起こして伝えます。
私たちは、私たちの怒りが不安にさせることに恐怖を感じ、怒りでもう一度発言するのを禁止され、怒りで私たちを、社会が私たちに作りだした”郊外の若者”という檻に閉じ込めることを怖れています。
私たちは、あなたたちが自分自身にまず押しつけて、そして私たちに押しつけた恐怖を怖れています。
私たちが今発言できるのは、私たちの運命の責任を引き受ける決意をし、私たちの声が工事の音より大きいからです。

あなたたちが閉じ込めた檻は、あなたたちの恐怖の反映ではないでしょうか?
あなたたちが私たちについて描写していることは、私たちであること、あなたたちが怖れていることと何の関係もありません。

私たちは自問します。
私たちは、親から受け継いだ文化と、ここで今作り上げたフランスの文化という複数の文化を持って育っているから、あなたたちより劣ったフランス人なのですか?
私たちは周辺の別の地区に住むから、私たちは劣ったフランス人なのですか?
私たちはもっと貧しいからですか?
それとも、私たちは”本当の”フランス人ではないからですか?

私たちの耳にこびりついている”共に生きる”は、意味のないスローガンでしかないのでしょうか?
あなたたちは、コミュニティーで生きる私たちを批判しますが、疎外したのは誰ですか?
ひとりだけで生きている人はいますか?

私たちは、あなたたちが描写していること、あなたたちが知ろうとも会おうともしない私たちに抱いている幻想に反対します。
私たちの住む郊外を散歩して、見に来て、特に文化、カラー、言語の共有の重要性を認めてください。
混ざり合った言語とそれが生み出す音楽を聞きに来てください。

私たちは、出身地が異なる人たちと、ユダヤ人やイスラム教徒、無神論者やプロテスタント、カトリック、仏教、ヒンズーの隣人と共存しています。
私たちは、地政学、外交の専門家で、共に生きていて、それは概念ではなく、私たちの日常生活の現実です!
私たちはそれが誇りだと言うことに恐怖はありません。
この国の最も貧しい県は、フランスにとって最も豊かでもあるのです!

もちろん、私たちも、フランスの輝かしい過去の誇りを学校で学びました。
私たちの先祖ガリア人の誇り、特に、フランス第三共和国の全学校で歴史が学ばれたという誇り、フランスの全ての村と植民地の一部の大都市でも同様だったことを。
でも、こうしたガリア人の先祖は、私たちすべての歴史の豊かさに勝るのでしょうか?
私たち原住民、私たちポーランド人、私たちイタリア人、私たち北アフリカのユダヤ人、私たちピエ=ノワール、私たちの”フランスのために死んだ”祖父、私たちの親たちの歴史より?
これらの歴史を否定することは、フランスの歴史を否定することです。
それぞれのフランス人がフランスを表すことを忘れるということで、多様なアイデンティティの形成を忘れることです。

私たちは移民のあらゆる問題であり、私たちが誰かを自問しています。
私たちはフランス人ですか?
それともアルジェリア人、イラン人、モロッコ人、セネガル人ですか?
両方ですか? それともどちらでもない?
私たちはフランス人とアルジェリア人、フランス人とイラン人、フランス人とモロッコ人、フランス人とセネガル人だと思っています。

滞在許可証を持っていて、フランス語を話すからではなく、私たちはフランスの価値に賛同しているから、私たちはフランス人なのです。
私たちは、アルジェリア人、またはイラン人、モロッコ人、セネガル人で、これは私たちが受け継いだものであり、私たちの誇りです。
私たちは2つの祖国を持ち、それはカッコイイのです!
フランスの土地で何世代も生まれ育ったときから、私たちの”出身地”に私たちを送りかえすのをやめましたよね?

私たちの祖父、私たちの親は、弁解をしないようにするために弁解しながら、あなたたちに認められようとして、一度も実際にそれを告げずに、あまりにも長い間何も言いませんでした。

でも、フランスの子どもであり、祖父母や親の価値を身につけた私たちは、あなたたちにそれを言います。
私たちは、このフランスで完全に私たちの地位を築く意志があります。
私たちは将来の議員であり、弁護士であり、経営者です。
私たちは、私たちのフランスの価値に誇りを持ち、あなたたちと共に、もしくは自分たちだけで、誇りを守ります。
あなたたちは私たちに、”あなたたち”と”私たち”をいつまで言わなければならないのですか?

平等は1世代、2世代、3世代たってもまだ実現されていません。
多様性をもつ私たちは、たったひとりで、自由、平等、友愛の統一を形成しています。
私たちは全員同志であり、共に生きなければならず、他者を受け入れ、協力し合わなければならりません。
私たちは全員フランス人であるのだから、ひとつを成すだけです。


by k_nikoniko | 2019-06-23 10:38
<< アフリカ選手権優勝とアルジェリ... ノートルダム大聖堂再建に向けた... >>