フリーライター木村嘉代子のブログです。日々感じたことを綴っています。Copyright(C)2005-2018 Kayoko Kimura
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2016北海道5区補欠選挙・東京集会の記録(1)

昨年4月の北海道5区補欠選挙は、史上初の野党統一候補・池田まきさんと、自民党公認で公明党推薦の和田義明氏との一騎打ちとなりました。参院選の前哨戦ともいわれ、日本の未来を占う重要な選挙として、全国的にも注目されました。

4月19日には、東京の衆議院第一議員会館で、池田まきさんを応援する緊急集会「CHANGE 日本、北海道5区から in TOKYO ~野党共闘を全国へ」が開かれ、札幌の上田氏が現地報告し、集会の呼びかけ人は26人、2団体にのぼり、10人もの著名人が登壇してアピールしました。
登壇者(順不同):上田文雄(札幌前市長)、澤地久枝(作家)、佐高信(評論家)、河合弘之(弁護士・映画監督)、鈴木邦男(「一水会」最高顧問)、古今亭菊千代(落語家)、神田香織(講談師)、原中勝征(日本医師会前会長)、下山保(パルシステム生活協同組合連合会・初代理事長)、松井久子(映画監督)、奥田愛基(SEALDs)

集会呼びかけ人・団体(順不同):澤地久枝(作家)、鳥越俊太郎(ジャーナリスト)、鎌田慧(「戦争をさせない1000人委員会」呼びかけ人)、河合弘之(弁護士・映画監督)、佐高信(評論家)、鈴木邦男(「一水会」最高顧問)、古今亭菊千代(落語家)、北村肇(ジャーナリスト・元新聞労連委員長)、山口二郎(法政大学教授)、松元ヒロ(芸人)、湯川れい子(音楽評論家・作詞家)、下山保(パルシステム生活協同組合連合会・初代理事長)、原中勝征(日本医師会前会長)、神田香織(講談師)、広河隆一(フォトジャーナリスト)、海渡雄一(弁護士)、松井久子(映画監督)、内海愛子(市民文化フォーラム共同代表)、豊田直巳(フォトジャーナリスト)、新藤宗幸(千葉大学名誉教授)、太田啓子(弁護士・怒れる女子会呼びかけ人)、井筒高雄(元陸上自衛隊レンジャー部隊)、雨宮処凛(作家・活動家)、SEALDs、JG83キャンペーン

この東京集会の書き起こしを、数回にわたり投稿します。

開会のあいさつ:下山保さん(パルシステム生活協同組合連合会初代理事長)

今日は大変あわただしく呼びかけて、あわただしくお集まりいただき、終わりましたら、あと残った4日間でしょうか、あわただしくみなさま方に選挙運動をやっていただきたい。そういう会でございます。

17日付の読売新聞の世論調査によりますと、京都は優位に立っている、北海道5区は横一線。劣勢だったのが、優位になったり、横一線になっているのですから、追い上げているわけです。これからこの勢いを保てば、勝てます。

おそらく、1000票とか2000票の差になる可能性があります。これからの運動が非常に大事だと思っております。

今回は、本当に歴史的な全野党共闘が成り立っているわけです。民進党と共産党が連携するという、その歴史に我々は立ち合っています。みんなでがんばっていきましょう。

上田文雄さん(「戦争させない北海道をつくる市民の会」代表、札幌前市長)

昨年9月19日、集会やデモが国会を取り巻くという、60年闘争以来ではないかといわれるほど、日本の安全保障、9条を守れと、人々が大きな声を上げたにもかかわらず、強行可決をされました。私たちはそれに対してどうしたらいいのか。もう選挙しかない、と考えました。補欠選挙で私たちにチャンスが与えられた、これで結束をしなければならない、そして7月には参院選です。

この選挙、295議席のなかのたった1議席です。しかし、たった1議席、負けていられない。与党が圧倒的多数の国会情勢のなかで、295分の1をどう闘うかについては、関心度というのは、それほど大きくありません。そういうなかで、この選挙がいかに大きな意味を持つかを多くの方に知っていただきたい。

まず、9月19日に成立しました安全保障関連法に対し、国民的な非難、国政レベルでの国民の判断が示される、最初の大きなチャンスなのだ、と私たちは位置づけ、選挙をみんなで力を合わせて闘っていこう、ということです。

そしてまた、多くの方がおっしゃっておりましたように、7月の参議院選挙の前哨戦でございまして、ここの戦い方が、まさに全国に影響するのではないか。うまく戦えば勝てる、ということをお示しできる。そういうチャンスにしていく、という決意をもったところです。

共産党からすでに橋本美香さんという方が公認で立候補の表明をされ、活動をすでに展開をされていまして、この方と、私ども「戦争させない北海道をつくる市民の会」が一緒にやれるかどうか、いろいろな判断をさせていただきまして、やはり共産党出身者ではなかなか厳しいのではないか、ということで、市民活動をやっている者の感覚で、橋本さんとは違う方を候補にできないだろうか、ということで選定をしました。

池田まきさんについては、ネットでご覧いただいて、素晴らしい笑顔と、声もお聞きいただいていると思います。また、彼女がどういう生活をされてきたのかということも。




私が最初に彼女に会ったのは、2011年で、東日本大震災、福島原発から札幌に自主避難してきておられる、北海道に1500人程度おいでになっていて、その被災者のみなさまの支援活動を一生懸命やっておられた場でした。本当に生き生きと、被災された方々に対する支援活動を彼女がされていた。その活動のし方に私の思いに留まるところがございまして、それ以外のさまざまな機会で、彼女が活躍しているのを見て、彼女なら多くの方に支持いただけるのではないか、そんな思いで、私は白羽の矢を立てさせていただきました。

私ども「戦争させない北海道をつくる市民の会」の呼びかけで、12月の初めに、ようやく池田さんが一緒に闘うという思いを表明していただきました。そして、各政党に推していただきたい、ということで、私どもグループの人間が、政党に説得に行くということをやったのでございます。

もちろん、それぞれの政党にはそれぞれの考え方がございます。特に衆議院選というのは、党の指示に従って、政権をとって、というのが選挙であり、他の政党と一緒にやるというのは、当初、本当に消極的な考えでした。

しかし、それに対して私どもが「じゃ、勝てるんですか」と聞きますと、先方は、「勝てない」と言う。「勝たなくていいんですか」「勝たなければいけない」「じゃあ、方法を考えましょう」ということで、どういう方法があるのか、探りました。

私どもは11月にこの「戦争させない北海道をつくる市民の会」を立ち上げましたが、広報をする、伝達をするお金もなければ、なにもない状態でしたが、ネットで伝えたら、わずか1か月で1000人の賛同者が集まりました。そして、約50団体、趣旨に賛成だ、一緒にやろう、ということで。共産党と民主党(当時)の統一候補擁立を目指して、一緒にがんばろうという要望に、それだけの賛同者が集まったわけです。

それなのに、この一大事に何にこだわっているのか。ということを、私どもはさんざん申し上げました。

私どもは、地方の組織、民主党であれば北海道本部、共産党であれば北海道委員会の委員長さんらと折衝するわけです。上にいけばいくほど、こだわりがございまして、最終的には、国政ですので、中央本部ということで、なかなか地元の意見、意向が反映されるという状況ではありません。

私どもが最終的に提案した方法というのは、いわゆるブリッジ方法というものです。要するに、私どもと共産党、私どもと民主党が共闘し、民進党と共産党とが現場で一緒に活動できるようにしよう、というようなことです。

そして、声を大にして言ったのは、1300人もの熱い気持ちをもった市民、50にも及ぶグループが、政党に期待をしている、ということです。我々の団体を道具にしていただきたい、いくらでも道具になります、と。共産党とはできないけれど、市民団体とならやれる、とか、市民団体が共産党と連携しているのはOKだ、というところまで話がいき、ぐるぐる時間がかかったわけです。

最終的に決断がつかず、ぎりぎりの状況で、「もう私たちは待てない、1月末までに結論が出なければ、もう見限るよ」と宣言をさせていただきました。「この一大事に共闘ができないのであれば、完全に政党が市民から見放される。そういう時間が近づいています。1月末までに、必ず成果を出していただきたい」というお話をさせていただき、決断を促したのです。

本当にずるずると延びて、4月の告示直前に共闘ができるといわれても、勝てるわけがない。すでに遅いのですけど、最低限の期間というものを確保するためには、1月中としました。

そこでもまだ結論はでなかった。地元の5区の団体、支部、地区委員会とは一緒にやりたいという気持ちがあるんですよね。そこを大事にしない政党というのは何なんだ、現場の人間が一緒にやりたいというのに、上部がそれを阻止するということは、本当にけしからん。このように私どもは思いまして、「党本部から支部や委員会が独立して、やってしまおう」という話を持って行きました。

そういうギリギリのところで、「いったい誰が選挙をするのか、ここにいる北海道5区に住んでいる人間が、代表を国会に送りこむという選挙で、その担い手がやるといっているものを阻止されたら困る」とさんざん申し上げ、我々市民の意向でもある、と説得させていただきました。参議院選挙でのさまざまな政党間のやりとりと同時並行的に議論がされていたわけで、党本部は7月に間に合えばいいだろう、いうので、我々は怒ったのです。

そしてようやく、2月19日に合意ができました。共産党委員会と、当時の民主党北海道本部の代表代行、そして私どもと池田本人の4人で、「民主主義と立憲主義を守る」「戦争法案を廃止していく」ということをみんなで進めていこう、と。

当選したらどこの会派に所属するか、ということが議論になりました。それは後で決めたらいいのではないか。我々の反応はそうなのですが、それはなかなか難しい問題でありまして。結局、当選したときに両者の間で議論しることで、立憲主義の回復と戦争法案の廃止を忠実に守ることを誓約する、という一項目を入れてクリアし、めでたく次の日から一緒に選挙活動をすることになりました。

多くの参議院選挙の共闘で、さまざまな形で努力をされておりますが、バラバラで独自の闘いをしていては、絶対に勝てないということです。市民の意向をくみ上げて連携していくという思いを持たなければ、政党が死んでしまう、日本の政党政治も死んでしまう。そういう本当に危機的状況にある、ということを認識できるような、そういうメッセージを我々は送り続けていかなければならない、と思っています。

余談になりますけど、私は13年前に札幌市長に就任いたしました。そのとき、2回選挙をやりました。再選挙をやったんです。ここで、4人立候補しました。私、民主党議員、共産党の委員長さん、もうひとりは自民党からでした。告示後2~3日運動をやったのですが、共産党は立候補を撤回し、おりたのです。そして、私に支持をいただき、29000票の僅差で勝つことができました。そのとき立候補されていた当事者が、今回の北海道委員会の書記長さんでございました。私とは、敵であり味方であり、やさしい言葉をかけあうことができる、そういう関係であったことも、よかったかな、と思っております。

去年の市長選挙では、私の部下であった人が立候補し、やはり共産党も立てたんですね。「何とかしてほしい」と頼んだのですが、そのときはダメでした。でも、今回はOKということで、ことの重大性にちゃんとメリハリつけて、それだけ危機的状況にあるのだ、とみんなで認識ができたかな、と思います。

池田さんについては、ネットでご覧いただきたいと思います。壮絶な幼少期を送り、DV等の大変な思いをされながら、苦学をしました。高校も行けなかったんですね。そして、10代で幸せの家庭を作ろうとしていたのですが、夫が借金して、2児が生まれたときに蒸発してしまい、シングルマザーで2人のお子さんを育てながら、板橋区役所で働きました。弱い立場にある方々に徹底的に寄りそうということをやってきた方でございます。さまざまな介護とか、社会福祉とかの資格を取得しまして。こちらに来られて、いろいろな、フリーのケースワーカーということで、がんばっておられました。

そのかたわら、北海道大学公共政策大学院に入られまして、ここにおられる山口先生のご指導をいただきながら、しっかり修学いたしまして、今は研究員ということです。本当に努力家で、とても明るく、がんばっている。そういう日本の縮図のような、貧困、格差という部分から出てきた人とこそ、今、国会に出ていただかなければ困るのです。

12日が告示でして、本当に元気いっぱい、さすがに43歳。がんばって駆け巡っているところでございます。

一方、市民はどんな対応かというと、やはり関心度というのはなかなか高まらないというのが現状です。なんとか60%台まで投票率を上げる努力をするために、さまざまな手立てをさせていただいておりまし。130人ぐらいのコアメンバーで、連日、スタンディングといいまして、プラカードを持って、連日、寒いなかも立ちつづけ、選挙があることをお知らせして、支持をお願いする、という活動をやり、だいぶ認知度が高まってきました。

告示段階で横一線というところまで追い上げてまいりました。これからのもみ合いで、最後まで混戦でどうなるか。

本当に今のこの憲法状況、私たちは今、ストップしないともう帰ってこれない、というぐらいに思っております。ここでこんなに関心を持っていただいて、東京の集会から、さまざまな形で「発信するぞ、という気持ちをちょうだいするのは、本当にありがたい。集会にお越しくださいましたみなさまに、お礼を申し上げたい。

私は弁護士でありますので、憲法を大事にするというのは、当然のことであります。憲法前文のなかの平和的生存権、平和的に生存する権利を保証する手立てとして、憲法第9条を定めています。私たちが70年前にですね、310万人という同胞を失って、そしてまた、あまたの中国をはじめ、アジア諸国のみなさまがたに甚大なる人命、あるいは幸福に生活できる権利を破壊してですね、そのあげく、ようやく信託された、与えられたのが平和的生存権であり、その憲法だと考えたときに、私たちは、漫然とその権利の上に眠っていてはいけない、と私は思っております。権利の上に眠る者は保護されない、というのは、いわゆる法源といいまして、法律上の確言として昔から言われております。黙っていてはだめで、使い切るということが大事。憲法第12条においても、この憲法、国民に与えられた自由や権利というのは、日々実践をしていかなければならない、ということを掲げております。今、私たちが黙って見過ごすというのは、権利を行使しない、というか、平和的生存権がおびやかされ、失われることになる。

この1票で絶対に譲らない、という決意を、みんなで持つ努力をしよう。そして、単に権利だけではありません。私たちの子孫に対して、無傷の平和憲法を、そしてこの全文で語っている歴史を、ちゃんと承継していく義務がある。この1票は、権利だ、義務だ。絶対に棄権させない。そして、安保法制に、あるいは立憲主義に反することを平気でやってしまう政治家を、ひとりたりとも国会には送らない、と。

あと4日でございますけど、北海道のゆかりのみなさんにぜひ電話をかけて、その方から北海道5区に住んでおられる方に電話をかけていただいて。本当にもみあいです。たぶん2000票ぐらいで変わるんじゃないかと。毎日日替わりでもみあうという状況を我々は読んでおります。我々の勝利のために、ぜひがんばりましょう。
今日は本当にありがとうございました。

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by k_nikoniko | 2016-07-16 09:05 | 社会問題
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