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フリーライター木村嘉代子のブログです。日々感じたことを綴っています。Copyright(C)2005-2018 Kayoko Kimura
by k_nikoniko


戦時中の「興亜への協同新聞記者大会」

日本の戦時中のプロパガンダ映画に、こういうのがありました。
ナレーションもそのまま引用します。

昔も今も変わらない、というのが恐ろしいです。

興亜への協同新聞記者大会(1941年)

東亜弁論界の代表が一同に会して、意見を戦わせる歴史的な催し、東亜新聞記者大会は8月4日から1週間、中国革命の発祥地、広東の中山記念堂で開かれました。日本から23名、中国から50名、満洲国から7名、合計80名の代表者が出席。国民政府からは特に汪主席が林宣伝部長らを従えて大会に乗り込みました。林伯生(りんはくせい)氏の開会の辞をもって大会の幕は切って落とされ、汪主席の特別訓示をはじめ、終始真剣なる態度をもって東亜共栄の実践方法を協議し、東亜新秩序を建設のうえに幾多の大きな収穫をあげました。大会第4日には中山記念堂前広場において、新中国建設の意気軒昂(いきけんこう)たる中国童子軍を汪主席自ら閲し、その前途を祝いました。

これは、NHKが公開している「日本ニュース」のひとつです。
以下、サイトから引用した「日本ニュース」の説明です。

「日本ニュース」は、太平洋戦争を間近に控えた1940年(昭和15年)から終戦をはさみ、1951年(昭和26年)まで制作されたニュース映画です。制作したのは、「日本映画社」(※)で、1940年にそれまで4つに分かれていた新聞社や通信社のニュース映画部門を国策により統合したものです。
戦時中の「日本ニュース」は、日本軍や内務省の検閲を受けた後、毎週映画館で封切られ、国民の戦意高揚に用いられました。テレビがない時代、国民は「日本ニュース」が伝える真珠湾攻撃や特攻隊出撃、学徒出陣の様子を映画館で目にしたのです。
「日本ニュース」は、戦争完遂を目的にした国策映画ですが、太平洋戦争中の映像記録として大変貴重なものです。「戦争証言アーカイブス」では、1940年(昭和15年)の第1号から、戦後も含め、1948年末までのものを公開しています。



by k_nikoniko | 2015-07-05 15:39 | 歴史
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