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おしゃべりな毎日

フリーライター木村嘉代子のブログです。日々感じたことを綴っています。Copyright(C)2005-2023 Kayoko Kimura   

ロンドンの暴動:世界的な苛立ち

2011年8月9日のメディアパルトに掲載された、ロンドンで起きた暴動に関する、人類学者でパリ8大学のアラン・ベルト教授のインタビューの一部です。

アラン・ベルト教授は暴動現象研究の専門家。イギリスの暴動のタイプについて、2005年のフランス郊外の動乱との共通点、そして、ロンドンの反乱でも世界各地と同様に用いられた最新テクノロジーの果した役割について話をうかがった。

ロンドンの暴動は、一般的な反乱と同じ文脈か?

深刻さはさまざまだがいくつもの事件が、1月以降、世界各地で起きている。それらは、一般人と警察および国家権力との対立という共通の特徴を持っている。その観点から、ロンドンの暴動は時流に乗っているといえる。イギリスのメディアによると、ロンドンの暴動は、不可解な情況で警官に虐待された若者が死亡した後、突発した。この出来事は、伝統的な政治的ルールのわくでは自己表現できないがために緊張が高まり、それに連続した兆候として起こる対立突発という、典型的な事件である。

若者が死亡した後の暴動は、2011年1月1日以来、世界中で20数件すでに起きている。それらの暴動、それらの状況、それらの怒りの爆発にはそれぞれの特徴がある。伝統的な政治議論では出てこないものを我々に伝えている。

金融市場に強制された国家の厳しい政治が、これらの暴動に影響を与えている。強国であろうとそうでなかろうと、国家は、人々に予算的要求へと関心を向けさせている。世界中で、治安および警察的政策の普及が加えられている。ギリシャ、イタリア、アフリカ諸国など、いたるところでそれを見てとれる。チュニジアのケースも同じである。

チュニジアの革命は、警官に敵視され、ひどい扱いを受けた若者が自殺した後にはじまった。若者が自分にもかかわりがあると感じるのであれば、孤立した現象であるはずがない。人々が金融資本主義を負わされている明らかに腐敗した国では、すべてが爆発にいたって終わる。

治安権力と若者との関係が、イギリスの暴動の原因のひとつか?

イギリスのメディアが報道した証言によると、イギリスでは、フランスの状況に類似しているが、極度の緊張感、庶民階級に対する象徴的で現実的な暴力的な現象のなかにあるようだ。大勢の人が若者の死にかかわっていると感じたら、論争は非常に重大で、日常生活の実際の体験は本当に耐えられないものだ。

この観点からすると、治安の論理は、国家の本質を警察が行使しているのであり、フランス以外のほかの国、特にイギリスでも起こっているようにみえる。これはつねに悪い結果で終わる。中国でも同様で、ここ数週間いくつかの暴動が起きたが、人々と警官の関係は良くないことを証明した。

どのような政治体制でも、国家は現在、厳しい政策へと向わざるを得なくなっている。国民の利益を無視し、正当性を失うだけだ。治安の論理は、「恐怖、対立、緊張のなかでの正当性を模索する」ということだ。

イギリス政府の厳しい政策に対する6月30日の大きなデモは、今回の事件の予兆として解釈できるか?

6月30日のデモの最後の数時間のなかに、今回の前提をみることができた。このデモは対立を残したまま終了し、イギリスではかなり例外的だった。同じ手法で、学生のデモ、特に、春に起きた保守党に抵抗する反乱を予兆とみている。

さまざまな社会的前線において、権力側からの政治的対話を維持するのが不可能だ。たぶん、それをしないで、人々を違った方法で理解させようと誘導する。今のところ、これはかなりヨーロッパ的な現象であり、どこにでも見られるというわけではない。ここには2つに区分される。一方では、イギリスの大学改革に反対して警察と対立する学生たち。もう一方は、ここ3日間の暴動。この2つの出来事は、主観的および政治的に、区別した現象としてイギリスで起こった。これはチュニジアやエジプト、セネガルのケースとは違う。これらの国では、最も貧困な庶民階級の若者とゆとりのある若者の間の接点がある。

イギリスのメディアは、今回の暴動と、1985年11月に同じくトットナム起きた突発的な暴動とを比較している。これは正しいか?

我々は新しい時代にいると思う。事件は同じ地域で起きてはいるが、主役となっている人たちは同じタイプではない。20~25年前ほどの時代と正確に同じ厳しさ状況のところはどこにもない。国内政策の確固とした選択と特にサッチャー首相の結果がこの状況だと考えることができる。政治の行き詰まりがさらに明白になった。2つの暴動現象の間の共通点はあるかもしれあないが、むしろ別の次元にいると私は仮定する。

イギリスの事件と、2005年にフランス郊外で起きた動乱に共通点はあるか?

ロンドンの暴動は、フランスの2005年の暴動よりも計画性がある。主役となった人たちの年齢が高い。イギリスの運動は、参加はしなかったが、特に反対しなかった人々がかなりいて、暗黙の同意を受けていたようだ。

2005年のフランスはもっと分断されていた。車が燃やされた地域では、起こったことを特に大騒ぎをしなかったし、かなり局地的だった。ロンドンでは、現象がより大きいようにみえる。




フランスで起きたことと似通いはじめている現象がある。地政学の拡大である。数日後まで引きつづくかどうかを見守らなければならないだろう。関係する地域ではじまった暴動が、ロンドンの他の地域に広がり、バーミンガムやブリストルへも広がった。

イギリスの暴動の操作方法は、フランスのものよりもずっと暴力的で明白だ。2005年と比較すると、略奪や火事、警察との直接対立はほとんどなかった。ロンドンでは、他のことが起きていた。庶民階層や特に若者に対する警察の態度が原因の苛立ちはどんな土地でも見られるが、厳格な政策、終わりのない社会的不平等の拡大に苛立ちがつけ加えられる。そこには先進国の国々も含まれる。先進国では、明確に2つの現象が存在する。長い間鍋が煮立っていて、まさにちょうど蓋を開けた、と人々は感じている。

略奪はつねに話題に上る。2005年にサン・ドュニの商店街のウインドーが壊されているのを目撃したが、靴の一足もなくなっていなかった。ものを壊し、そこだと証明することで地域を印象づけるのを示す行動であり、略奪はなかった。ものを取るということは、実際のところ、日ごろ禁止されているなかでお金をあさることを自分に課すのであり、補完的だといえる。2005年のフランスにはなかった社会的不公平や厳しい政治への疑問が、ロンドンの暴動の主観に含まれている。

スペインの「激怒」のように平静を保つ運動と、ロンドンのように都市部の暴力に変わる運動をどのように説明するか?

スペインの「激怒」のような平和的な運動は、新しい現象である。反グローバリゼーションの初期の運動も平和的なデモの試みがなされていた。しかし、それがかなり早い段階で暴動へといたった。

スペインの運動が平静を保つかどうかは確かではない。この夏、対立の可能性があることを証明した。国家が、バルセロナのカタローニャ広場や、マドリッドのプエルタ・デル・ソル広場、その他、デモが行われた小さな町のあらゆる広場から立ち退かせようとするたびに、衝突があった。絶対的な原則の問題ではない。警察が攻撃すれば、若者はそれに応えるのだ。

ブラックベリーメッセージといった新しい技術は、イギリスの暴動を組織するのに大きな役割を果たしたか?

暴動のタイプにもよるが、暴動は新しい技術で進展した。アラブの春でそれを目にしている。アメリカのフィラデルフィア警察は、ツィッターの利用と町のスーパーマーケットでの集団強奪との関係に興味を抱き、少なくとも2年前からこの問題を懸念している。

ソーシャルネットワークは、階級も討論もない究極のソフト組織のための道具であり、リアルタイムで行動を調整できる。それに対し、暴動の拡大は主体性の範疇に入る。怒りや苛立ちにある。その動機として道具を用いる必要はない。道具が抗議行動の形にまさしく適合していても、危険をおかす決意は、心理的、主体的、個人の意思の命令でくだされる。これらの技術はさほど影響しない。

イギリスの出来事はどのように進展していくと予測するか?

進展には2つの可能がある。ひとつは、すでに発生した場所で包括され、数日間のうちにそこで消滅する。もしくは、拡がり続ける。暴動のサイクルが維持されれば、間違いなく地政学的な広がりになる。

2005年のフランスや2008年のギリシャもそうだったが、こうした現象が起きるたびに、それがどのように鎮まるのかはわからない。暴動がいつ起こるのかを予測するのが非常に難しいのと同様、予想するのは非常に難しい。つねに構造的原因を引き起こす可能性はあるが、事件がどうしてその瞬間に突発するのか、他の若者よりその人が怒りを爆発させるのはどうしてなのかはわからない。


by k_nikoniko | 2011-08-16 12:36 | イギリス