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アラブの革命のその後

2011年8月13日にメディアパルトで掲載された、チュニジアやエジプトなどアラブの革命の現状についての記事「アラブの春の現状」です。
*意訳しています。誤訳があると思います。

ベンアリ大統領の失脚から8ヵ月、ムバラク大統領の退陣から9ヶ月、歴史的な手続きがはじまっている。それに続いて多くのアラブ諸国で革命と進展の予感があるが、現在どのような状況なのか?

期待とフラストレーション:チュニジア、エジプト

独裁体制の完全な崩壊は、大きな期待とそれに相対するフラストレーションを生み出した。ベンアリ大統領とムバラク大統領の終焉は、大半のチュニジア人とエジプト人にとって、政治的経済的ルネッサンスのはじまりと同時に、あらゆる挑戦に応え、これまでの習慣を変革でもある。とはいえ、現実はもっと複雑だ。経済的社会的困難が明らかに存在しており、保守的な政治文化はいまでも人々の精神に浸み込み、平穏無事に返り咲くのを政治家はもくろんでいる。ほとんどの市民は当然の期待のなかで曖昧にさせられている感情をすでに抱くようになったが、独裁政権の一掃に成功した誇りとなんら矛盾するものではない。そして、公共の場での熱意と検閲や自己規制からの開放が決定的で逆戻りができないという確信ともなんら矛盾しない。

国民議会議員選挙へ向けた取り組み:チュニジア、エジプト、モロッコ、ヨルダン

革命後初めてのチュニジアとエジプトの大統領選挙および国民議会議員選挙が準備中で、モロッコとヨルダンでは政治的要求の規制中であり、立法計画と改革計画が議事日程にのぼっている。チュニジアとエジプトで採用された選挙法は、すべての政党や政治団体に適合するわけではなく、憲法改正にふさわしいわけでもない。チュニジアの新しい選挙法では女性の割合を50%にするとなっており、女性の割り当てのない混合システム(半分の議席が単記投票、半分は政党リストによる)を予定しているエジプトの法律より可能性が高いとはいえ、対照的な2つの国には政党と社会運動が多く存在する。

さらに、モロッコとヨルダンの立憲君主国家への移行は、長年反対派から要求されており、両国の国王は「革命の」伝染を避けるために必要だと最終的に認め、新しい憲法を要請している。ある程度はそのレベルにいたるようだが、まだ懐疑的なままである。数ヶ月後に実施によってはじめて、政治分野での深刻さの決定がくだされる。

力関係:チュニジア、エジプト

この秋、チュニジアとエジプトでは、対峙した政治派閥間の本当の力関係がついに明らかになるだろう。チュニジアでの「政教分離/イスラム教徒」、エジプトでの「市民/宗教」の分裂が、考慮すべき最も重要で興味深く、介入するもうひとつの重要要素になる。軍の役割、昔のエリートとしばしば結託していた企業家、革命を主導した若者の運動、政治的社会的な地位を獲得するチュニジアと奪われた地位の請求するエジプトの女性たち、左派やリベラル派の政治的勢力、さらに、イスラム勢力範囲の中心をなす派閥(ムスリム同胞団、ムスリム同胞団の若者たち、サラフィスト)もまた、綿密に分析されている。チュニジアとエジプトは、アラブ世界が革命の結果と、専制君主とその政府に長い間自由を抑圧されてきた社会の「現実」を理解するために、どこへ向きを変えるのかを知る実験場そのものといえる。

一時的に成功する圧力:バーレーン

バーレーンが痛切に知っているのは、革命の息苦しさである。そこにはさまざまな理由、(シーア派とスンニ派の絶対的な縦社会による共同体の)国内、国外(地域のあらゆる民主化に敵対するサウジアラビアの役割、そして、イランに有利な湾岸での「不安定さ」のアメリカの懸念)が、唯一の問題として現在まで残っている。

しかし、大半の暴動を鎮圧しているアルカリファ政権の成功は、決定的ではない。この小さな王室はすでに、これまでの間、連続する暴動、独裁政権下の市民の多様な形での抵抗を知っている。過去に何度も繰り返されてきたケースのように、多様な反対党派が、国内外の大規模な発展に賛成して新しく結集している。

調停:イエメン

アラブ諸国のなかで最も貧しく、すでに数ヶ月間、状況は沈滞しているようだ。国民の異議やデモが衰退しておらず、サレハ大統領の追放を求めて毎週金曜日に数万のイエメン人がサナアやアデン、タイズ、その他の町の大広場で集まっているが、負傷してサウジアラビアにいる大統領は辞任を拒んでいる。

サウジアラビアとアメリカは、ここ数週間、過激な変化(サウジアラビアにとって)、そしてジハードのイスラム教徒に有利な混乱(アメリカにとって)への恐ろしい移行を防ぐために、妥協を見出そうとしている。分裂した軍隊、同様に武装した部族(社会構造上の勢力)とともに、あらゆる行き詰まりが紛争の一般化で悪化するかもしれない。その上、アルカイダの危険性を矮小化しつづけているイエメンの傍観者が多い(いくつかの地域での戦闘員の存在を否定できないにもかかわらず)。彼らは、アメリカの支援を得ようとするサレハ体制によってあおられた亡霊の考え方をつねに持ち続けている。

戦争開始によってこの国での民主主義のあらゆる望みに終止符をうつことができるが、その責任を引き受ける恐怖が、弱々しいスタンバイのような状態を生み出している。しかし反対派は、サレハ大統領追放を強制する圧力をつづけている。

軍事的対立:リビア

権力を維持しようとするカダフィ大統領の激しい敵意と、リビア戦争が、アラブの春の期間中の革命的プロセスの最も有害な要素になっていると思われる。

ジャマヒリヤが参加する前のチュニジアやエジプトではじまった平和的な「うねり」が軍事的な対立への変化させられた事実は、多くの体制(バーレーンや特にシリア)にデモ行進に対して軍を準備したり使うことを可能にした。国際社会は「リビアのシナリオ」を他の国でこれ以上繰り返すことができなくなった。国連からの要求でNATOが軍事介入したが、限界を明らかにし、倒錯した結果を生み出した。

シリアの例外

シリアでは例外を引き起こした(イスラエルとアラブの対立に関する立場から、シリア体制は「春」を逃したと言っている)。シリアの例外が存在するとしたら、明らかにこのレベルではなく、むしろ、体制の残虐さと人々の勇気のレベルにある。

3月以来、この体制はあまりにも暴力的で堕落しているのを知った。2300近くのシリア人が弾丸や拷問で命を落とし、数万人がケガをし、逮捕され、追放された。不正操作的な体制も問題である。国内では恐怖と疑惑をまきちらして少数派を集結させようとし、それだけでなく、地域的な計画にも不正操作が行われている。つねに(物質的にも政治的にも)悩ませている戦略的地理学的位置に関して、シリア人だけでなく、パレスチナ人やレバノン人の大多数に効果的にプロパカンダを行っている。

アラブの春の出現は、もちろん、シリアの人々を40年以上におよぶアサド政権を終わりにさせようとの決心にいたらせた。アラブやヨーロッパ政府のうんざりさせるほどの沈黙にもかかわらず、自由を愛する人々は、驚くべき創造力と忍耐力を証明しながら、毎日弾丸に立ち向かい、独裁政権打倒の声を上げている。

9月:挑戦が再び

ラマダンの終了とあわせるかのように、9月になると、革命(もしくは手続き)が新しい段階に入る。たくさんのことに取りかかっているところであり、多くの対立もまだつづいている。選挙準備(チュニジアとエジプト)から、軍事的状況の総括(リビア)、改革計画(モロッコとヨルダン)から調停(イエメン)、反対派の再組織化(バーレーン)から自発的な戦争(シリア)まで。


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by k_nikoniko | 2011-08-19 00:48 | 国際ニュース
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