海外で出会った人々:スリランカの若者
2014年 01月 21日
通っている英語の語学学校に、スリランカの若者が加わった。
パリから英語を勉強しにロンドンへやってきた、20代のスリランカの男性。
両親がパリへ移民し、彼は祖国に行ったことがない。スリランカ語もほとんど話すことができない。
しかし、彼は、パリの自慢話を全然しなかった。
同じクラスには、スペイン人、イタリア人、トルコ人などが多かった。
アジア系は、彼と私だけ。
授業中、イギリス人の教師に、「僕と君の違うところは?」と質問され、彼は「名前が違う」とだけ答えた。
トルコ人の女性は、授業が終わってから私にこう言った。
「彼はきっと肌の色にコンプレックスを感じているのね。肌の色が違う、とは答えたくなかったんだわ」
私はそうした考えがまったく浮かばなかったので、ドキっとした。
自分もまた、白人に対し、コンプレックスを感じていたからかもしれない。
「日本人の女の子がダンスをするのを見たいもんだ」とか、このスリランカの若者は、私にときどきちょっと憎たらしいことを言った。
でも、そこには親しみが感じられた。アジアの仲間、だしね。
1992年、ロンドンにて
パリから英語を勉強しにロンドンへやってきた、20代のスリランカの男性。
両親がパリへ移民し、彼は祖国に行ったことがない。スリランカ語もほとんど話すことができない。
しかし、彼は、パリの自慢話を全然しなかった。
同じクラスには、スペイン人、イタリア人、トルコ人などが多かった。
アジア系は、彼と私だけ。
授業中、イギリス人の教師に、「僕と君の違うところは?」と質問され、彼は「名前が違う」とだけ答えた。
トルコ人の女性は、授業が終わってから私にこう言った。
「彼はきっと肌の色にコンプレックスを感じているのね。肌の色が違う、とは答えたくなかったんだわ」
私はそうした考えがまったく浮かばなかったので、ドキっとした。
自分もまた、白人に対し、コンプレックスを感じていたからかもしれない。
「日本人の女の子がダンスをするのを見たいもんだ」とか、このスリランカの若者は、私にときどきちょっと憎たらしいことを言った。
でも、そこには親しみが感じられた。アジアの仲間、だしね。
1992年、ロンドンにて
by k_nikoniko
| 2014-01-21 09:54
| ー海外の若者