広島原爆投下直後に行われた「黒い雨」調査
2013年 08月 07日
広島原爆投下直後に降った「黒い雨」の調査は、1945年8月から12月にかけて、広島管区気象台が中心となって行われ、宇田道隆気象技師らが「気象関係の広島原子爆弾被害調査報告書(原子爆弾災害調査報告集 昭和28年)としてまとめられました。
この報告書によると、「特に局部的に激烈顕著でかつ比較的広範囲で、長径19㎞、短径11㎞の楕円形乃至長卵形の区域に相当激しい1時間乃至それ以上も継続せる驟雨(にわか雨)を示し、少しでも雨が降った区域は長径29㎞、短径15㎞に及ぶ長卵形をなしている。」そうです。
降雨地域を示す地図は、広島市江波山気象館に展示されています。 2011年5月16日、広島市江波山気象館に行きました。
福島第一原発事故の2か月後。
このころはまだ、放射能汚染地域を、10キロや20キロを直径にして正確な円形で伝えていた時期です。
この報告書によると、「特に局部的に激烈顕著でかつ比較的広範囲で、長径19㎞、短径11㎞の楕円形乃至長卵形の区域に相当激しい1時間乃至それ以上も継続せる驟雨(にわか雨)を示し、少しでも雨が降った区域は長径29㎞、短径15㎞に及ぶ長卵形をなしている。」そうです。
降雨地域を示す地図は、広島市江波山気象館に展示されています。
福島第一原発事故の2か月後。
このころはまだ、放射能汚染地域を、10キロや20キロを直径にして正確な円形で伝えていた時期です。
ここの「黒い雨」の降雨地域の地図を見て、福島の被害地域について、ものすごい疑問を抱きました。
原爆によって生じた原爆雲は放射性降雨となり、爆心地だけでなく、広範囲にわたって「黒い雨」を降らせました。
その雨や埃、塵の放射能で内部被ばくした被害者は、急性の被ばく症状に苦しみ、その後もがんなど、さまざまな病気に悩まされています。
しかし、こうした人々は、被ばく者として認められていません。
広島市と県は実態調査を行い、2010年に「黒い雨は国の指定地域の6倍の範囲に降り、未指定地域住民は被ばく者に匹敵する健康不良状態」であるとの報告書を発表し、国に被爆地の指定を広範囲にするよう要請しました。
厚労省は検討会を設置し審議しましたが、2012年5月29日の第8回検討会で、「身体的影響については判断できない」「精神的健康状況の悪化は、放射線被ばくへの不安や心配によるもの」として、新たな降雨地域認定は困難でありとの結論をまとめました。
結論を出したのは、福島第一原発事故後です。
「黒い雨」の被害地域の拡大を認めてしまえば、福島でも同じことをしなければならない。
広島の「黒い雨」の被害者の声は、近い将来の福島第一原発による被害者の声そのものといえるでしょう。
結論を出したのは、福島第一原発事故後です。
「黒い雨」の被害地域の拡大を認めてしまえば、福島でも同じことをしなければならない。
広島の「黒い雨」の被害者の声は、近い将来の福島第一原発による被害者の声そのものといえるでしょう。
by k_nikoniko
| 2013-08-07 08:21
| 原発・核