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韓国と日本の歴史観をとらえ直す写真家・孫昇賢さん

朝鮮人強制連行と遺骨返還
植民地時代の歴史に向き合う

離散した朝鮮人のポートレート撮影と聞き取りをはじめたのは17年前。個々人の物語を通して植民地時代の真実を伝え、韓国と日本の歴史観をとらえ直す写真家・孫昇賢さんが語る。

 韓国に移り住んだ、スパイと呼ばれる北朝鮮出身者を撮影するうちに、日本に戦時動員された朝鮮人労働者に関心を抱くようになった。離散や分裂が強制労働と深く結びついているのを痛感したからだ。
「北朝鮮出身のハラボジ(おじいさん)たちは、日本の植民地時代に家族らと引き裂かれた共通点があり、全員が強制労働の経験者でした。強制連行や強制労働は一人ひとりの物語の一部になっています」
 9月11日から10日間、北海道で犠牲になった朝鮮人強制労働者の遺骨返還に同行した。北海道を出発し、本州を縦断して下関から釜山、そしてソウルへと、朝鮮人が連行された3500キロの道のりを、遺骨とともに逆にたどった。
 この遺骨返還に合わせ、ソウル図書館で、北海道の強制労働者を紹介する写真展も開催。
「韓国人の大半が、日本での強制労働について知りません。事実を伝えるのが一番の目的ですが、遺骨をきっかけに、韓国人と日本人がどう向き合ったらいいのかを考えてもらいたかったのです」
 韓国人の一方的な反日感情は少し違うと感じている。
「日本では1970年代から朝鮮人強制労働者の調査や発掘が草の根で行われてきたと聞きました。この遺骨返還も写真展も、日本側の40年以上にわたる努力がなければ、実現しなかったでしょう」
 強制労働は、民族問題にとどまらず、資本主義と欲望の問題でもある。韓国人だけでなく、多くの日本人労働者も犠牲になった。
「そうした事実をとらえ直し、韓国人も歴史観を変える必要があるのではないか、と。今回の遺骨返還で日本人は“謝罪”という言葉を何度も口にしました。そうした日本側の配慮を尊敬します」
 70年間も里帰りできなかった犠牲者の運命を想像したら、遺骨返還は喜ばしい。しかし一方で、矛盾に戸惑いもする。
「『亡くなった瞬間、魂は肉体を離れ、遺骨は自由になる』という考えには同感ですが、現実に生きる私たちの状況は非常に複雑で、遺骨が自由になっても、私たちは自由になるどころか、遺骨にどんどん巻き込まれていきます。私たちはこれから、重い責任を引き受けていかなければなりません」
 遺骨が祖国に戻った翌日19日未明、日本で安保関連法案が成立した。
「センシティブな問題は、どの国も社会の危機感の度合いに関係している」と冷静にとらえる。
「安保関連法案は、福島原発事故と関連があるのでは? 2年前に大阪に行ったときにヘイトスピーチに出くわし、3.11以降の日本社会は閉塞感に満ちているのを感じました。関東大震災のときもそうでしたが、不安が集団暴動を引き起こします。恐怖心に駆られた人がどう行動するか。歴史が教えてくれるのはないでしょうか」
 今最も興味があるのは、祖国に帰った人とそれができなかった人の歩んだ、それぞれの違う人生だ。
「自分の意思でサハリンまで働きに行った場合もあるし、北海道に強制連行されて戻れなかった人もいる。さまざまな物語から歴史をさらに掘り下げたいですね」

ソン・スンヒョン(孫昇賢)
写真家、大韓民国芸術院教授。1971年、釜山出身。ソウル中央大学校大学院で写真を学ぶ。北米の先住民族の写真集『The Circle Never Ends』刊行。

『週刊金曜日』(2015年11月13日) 『金曜日』で逢いましょう

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by k_nikoniko | 2016-12-25 20:07 | 掲載記事(2011~)

「少女像」作家が来日講演

「少女像」を制作したアーティスト、キム夫妻の記事がこちらにアップされました。

「少女像」作家が来日講演ー日韓合意の「撤去」を批判ー

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by k_nikoniko | 2016-03-19 13:16 | 掲載記事(2011~)

アート作品としての「慰安婦」少女像

昨日で終わってしまいましたが、「不自由な表現展」に、韓国ソウルの日本大使館前に設置されている「慰安婦」少女像のレプリカが展示されていました。

少女象の縮小模型は、2012年8月東京都美術館で開かれた「第18回JAALA国際交流展」に出品されましたが、美術館側が「(政治的表現物であるため美術館の)運営要綱に抵触する」という理由で一方的に会場から撤去されたとのこと
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今回の展示にあわせ、少女像の作家キム・ソギョンさんとキム・ウイソンさんが来日し、都内で講演を行いました。そのときのお話を紹介します。
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「慰安婦」少女像は「反日の象徴」のような取り上げられ方をしますが、この像は、芸術大学を卒業した芸術家が制作した「アート作品」です。

キム・ソギョンさんとキム・ウイソンさん夫妻は、韓国中央大学校の芸術大学卒。学生時代の80年代から民主運動にかかわり、芸術で社会問題を提起してきました。

地方から20年ぶりにソウルに戻った二人は、ハルモニたちが水曜デモを20年間もつづいていることに驚き、「このままにしておけない」と動きだしたそうです。金学順(キムハクスン)が名乗りでたのは1991年8月14日。当時はメディアも騒いだので、すでに解決されたものと思っていたのです。
2011年5月ごろ、ハルモニを支援している韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)を訪ね、「アーティストとして、私たちに何かできることはないか、それがわかれば、やらせてほしい」と訴えたところ、「2011年12月14日に水曜デモが1000回を迎えるので、平和の碑を建てたい。そのデザインを担当してほしい」と言われました。
そこで、二人は20数点のアイデアを作って見せたのですが、日本大使館前に設置することに対し、「無事にできるのか」「韓国政府が賛成するのか」という悩みが深刻になり、いいアイデアが浮かばなくなってしまったそうです。
日本政府から「建てないでほしい」との要請もありましたが、「こういう状況だからこそ、違うものを作ろう」とするのがアーティストです。
最初は文字を刻む「平和の碑」を建てる予定でしたが、「人々がコミュニケーションでき、ハルモニたちを癒す彫刻はどうだろう」と考え、挺対協がその案を受け入れてくれたので、ソギョンさんが少女像を提案しました。

日本大使館前の少女像の設置は、韓国政府から承認を得たわけではなく、地方自治体や地元警察は、何度も対策会議を開きました。拘束されるかもしれないが、その責任は自分たちでとろう、とこの少女像を建てたそうです。

少女像を制作する際、最も大切にしたのは、多くの人と分かち合えること、コミュニケーションがとれること、でした。

少女像にしたのは、10~20代のたくさんの少女が連れていかれたのがわかっているからです。最初はおばあさんにしようかと思ったのですが、「女性たちが連れて行かれたのをどう表現したらいいか」を考え、少女にしたそうです。ソギョンさんは、「女性として、娘を持つ母親として、こういう発想になった」と言います。
3か月の制作作業中、ソギョンさんは、「自分自身が被害者だったら、娘が被害者だったら」を考えていたそうです。

この少女像には、いくつかの象徴があります。

少女の背後には、影と蝶々、碑文見えます。
この影は、おばあさん、つまりハルモニたちの姿で、ハルモニの痛みや苦しみを表しています。
真ん中に飛ぶ蝶々は、既に亡くなられた被害者がよみがえり、伴にいることを表しています。
「おばあさんの影を描いたら?」とアイデアを出したのは、娘さんだったそうです。
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作りはじめたときは、手は重ねているだけでしたが、最終的には、こぶしをギュッと握る形にしました。
こぶしを握る形にしたのは、3か月の作業中に、日本政府が「建てるな」と要請したのがきっかけでした。
彼女自身との約束であり、この問題を解決するための闘い、未来の子どもたちへの思いが込められています。

おかっばの髪は、毛先がそろっていません。これは、日本人によって無理やり切られた髪をイメージしています。
最初はおさげやきれいに切りそろえたおかっぱにしてみましたが、最後にはガタガタに切られたおかっぱにしました。
「家族や祖国とのつながりをむりやり切られた」というのを表しています。
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肩にとまる鳥は、亡くなられたハルモニと生きているハルモニをむすぶ触媒の役割を持っています。

少女は裸足です。それは、険しかったハルモニの人生を表しています。
遠くに連れて行かれ、故郷に帰れなかった人、帰る故郷を失った人がいます。
ですから、かかとがすり減っているのです。
今もハルモニたちは胸に痛みを抱え、その痛みを消し去れないでいる人もいます。
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少女の横の空いた椅子は、亡くなったハルモニが座り、一緒にいるために用意した椅子です。
また、誰もがここに座ることができ、ここから日本大使館を見つめてほしいとの思いもあります。
ハルモニの心、少女の心に共感してもらうために作った椅子です。
さらに、次世代の子どもたちが、ここに座ってくれたらいいと思っています。
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この少女像は、ある日突然ひらめいたのではなく、二人は大学在学中から、芸術的才能を使って、社会的なことができないか考えていたそうです。
ウイソンさんは、「韓国には抵抗美術、民衆美術というものがあり、これを抜きにして、芸術を語れない」と言います。
民衆美術を制作する芸術家はたくさんおり、反戦や反核、女性問題や労働問題など、さまざまな分野で表現しています。
民衆美術は政治的、社会的だとの批判し、否定的な人もいますが、ウイソンさんは、「政治や社会問題を抜きにして、何の表現活動ができるのか」と。

少女像の日本の反応については、次のように述べました。
「少女像が日本大使館の前にあるから、不快なのだろう。
しかし、なぜこの少女像がイヤなのか考えてほしい。
真実をあきらかにするためにハルモニたちは闘っている。
日本政府が解決すれば、いやな気持ちはなくなるのではないか。
それまでは、いやだという気持ちを甘受すべきだと思う。
この問題が解決したら、少女像は日本政府が管理すべきだ。
そうすることで、日本の誠実さ、度量の広さが見えてくる。
これを引きうけることで、日本の偉大さが見えてくると思う」


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by k_nikoniko | 2015-02-02 23:49 | 歴史

デモ日記:「慰安婦」被害者の水曜デモに連帯するアクション(2012年8月15日)

8月15日、第1035回韓国水曜デモに連帯する世界同時アクションin 東京「8.15終わらない戦争 『慰安婦』被害者に謝罪と賠償を!」の集会の後、ちょうちんデモが行われました。
集会には間に合わなかったため、17時半ごろ集合場所の日比谷公園中幸門付近に到着したのですが、すでにデモは出発。
声のするほうへと歩いたのですが、なかなか追いつきません。
銀座に入ると、警官や機動隊が出動し、物々しい雰囲気。
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その様子を撮影していたら、結局、デモは見失ってしまいました。

「慰安婦」問題の運動の厳しさを思い知った日でした。

“ヘイトスピーチ”という言葉が使われる以前から、こんな状況だったのです。
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by k_nikoniko | 2013-10-06 09:48 | デモ日記