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沢田研二さん全国ツアー開始!

沢田研二さんのライブで「さようなら原発1000万人署名」の活動中。
「一握り人の罪」を生で聴く。
感動!

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沢田研二さんライブの記事です。
ジュリー脱原発 公演で「アッカン安倍」


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by k_nikoniko | 2014-07-13 19:17 | カルチャー

函館市大間原発建設差し止め訴訟はじまる

今日7月3日(木)午後3時より、東京地裁103号大法廷で、函館市が提訴した大間原発建設差し止め訴訟の第1回口頭弁論が行われました。
傍聴には200人以上が集まり、100人の傍聴席はすべてうまったそうです。
傍聴できなかったのですが、弁護団の報告によると、工藤函館市長は、35分間びっちり、意見陳述を読み上げたといいます。

工藤函館市長の意見陳述は、函館市のホームページにアップされるとのとですが、結びを一部ご紹介します。
(訴訟にいたった経緯に関しては、函館市のHP大間原発の建設凍結のための提訴についてをご参考に)
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原発の安全の確保や万一の事故が起きた場合に、誰が責任を持ってあたるのか。政府なのか、原子力規制員会なのか、事業者なのか、その根本のところが極めて曖昧なまま、原発の建設が進められています。

電源開発株式会社という営利を追求する一民間企業の事業のために、27万人の人口を擁する函館市の存立そのものが、同意もなく危機に晒され、そこに住む市民の生命と平穏な生活、そして貴重な財産が、一方的に奪われかねない、そんなことがこの民主主義国家において、許されるのでしょうか。

福島の原発事故によって、はっきり分かったことは、ひとたび原発の過酷事故が起きると、地方自治体、その地域が事実上半永久的に消え去る事態に陥るということです。地方自治体の存立そのものが将来に亘って奪われる、このようなことは原発事故以外にはありません。

戦争もまちに壊滅的な打撃を与えますが、復興は可能です。ある意味で人間はそれを繰り返してきました。戦争による最大の悲劇ともいうべき原爆投下を乗り越えてきた広島・長崎も再生しました。

しかし、放射能というどうしようもない代物をまき散らす原発の過酷事故は、これまでの歴史にはない壊滅的な状況を半永久的に周辺自治体や住民に与えるのです。チェルノブイリや広島がそれを証明しています。函館がその危機に直面しています。電気をおこす一手段にすぎない原発によって、まちの存立そのものが脅かされることになります。

私たち函館市民は、承諾もなく近隣に原発を建設され、いざというときに避難もままならない状況の中に置かれることになります。自分たちのまちの存続と生命を守るために、この訴訟を起こしたのです。それ以外に残された道はなかったということを是非ご理解いただきたいと思います。


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by k_nikoniko | 2014-07-03 21:36 | 原発・核

デモ日記:デモを身近に楽しく「大デモ」(2013年12月7日)

12月7日、代々木公園で開催された「大デモ」に行ってきました。
三宅洋平さんや孫崎亨さんらのお話の後、参加者3000人(主催者発表)がデモに出発。
ROOT SOULが演奏するサウンドカーを先頭に、渋谷の街を歩きました。
心地よい音楽とともに歩くのは、シュプレヒコールよりも、ずっと気分がいい。
沿道の人々も、「なんだ、なんだ?」と注目。その表情は穏やかで、いつものデモと違って、好感度高かったです。
でも、残念なのは、何のデモだかわからなかったこと。
それが主催者の狙いのようですが、デモは「意見表明」でもあるので、何か伝えるべきでしょう。
フランスのデモは確かに楽しいけど、参加者の意志と目的ははっきりしています。
「ただ何となく~」というのは、フランス人にはない。
カフェでもマジ議論してしまう人たちなのだから、デモに参加する以上、アピールもしっかりやります。

たまたま見つけたのですが、12月6日は、1986年の大学制度改革に反対するデモで、ひとりの大学生が亡くなった日だそうです。
フランスでは、反原発デモでも1970年代にひとり亡くなっています。
こうした苦い経験を踏まえたうえで、いまの「楽しそうな」フランスのデモがあるのだと思います。
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by k_nikoniko | 2013-12-09 08:43 | デモ日記

プルトニウムに詳しいラポンシュ氏(フランス)のお話

2011年10月、ベルナール・ラポンシュ氏にお話をうかがいました。
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ベルナール・ラポンシュ(Bernard Laponche)氏は、理工科学校(エコール・ポリティック)卒後、フランス原子力庁(CEA)勤務した経歴のある科学者です。
1960~70年代、CFDT(フランス民主労働総連合)責任者。AFME所長。1988~1989年には、ドミニク・ヴォワイエ(緑の党)の技術相談を担当し、ウクライナへの原発輸出に関して反対しました。
現在は、再生可能エネルギーやエネルギー経済の国際コンサルタント。グローバル・シャンス代表。
2011年10月、「EN FINIR AVEC LE NUCLEAIRE」を共著で刊行しました。

以下、インタビューです。

私は1960年代にCEA(フランス原子力庁)で働きはじめ、プルトニウムを専門テーマにしていました。あの当時、プルトニウムの危険性はあまり知られていませんでした。
原子力関係の現場で働く人は、危険など知らされません。危険性に関する教育はまったくなかったのです。原発の仕組みや原子力についての計算などは学びますが、放射線や原子力の危険性については何の教育も議論もありません。
私もほかの人と同じように、危険性を知らずに原子力機関で働いていました。ペーパーワーク中心だったので、労働者とのかかわりもありませんでした。原子力はすばらしいといった講義すらしていたのです。
しかし、次第にプルトニウムが非常に危険だとわかり、プルトニウムにかかわる労働者のリスクに気づきました。
そこで、労働組合CFDT(フランス民主労働総連合)に加わり、原発の危険性を伝えるために、本を出版することにしました。1975年に刊行した「L’Electronucléaire en France」は、原発の危険性を指摘した、その当時としては珍しい本で、かなり話題になりました。1980年に「Le dossier électronucléaire」というタイトルで再版し、こちらは現在でもアマゾンで購入できます(注:原本あり)。
労働組合の一員として、1980年に日本を訪れました。ただ、原子力ではなく、労働組合の会合に参加するためです。
フランスの原発労働者の環境は改善したとはいえないと思います。施設は近代化しましたが、最近は下請け労働者が多く、危険は増しているのではないでしょうか。原子力産業の情報は隠蔽される傾向にあり、事故も公表されません。
原発労働者の状況について、以前はほとんど話題になりませんでしたが、福島の事故後、あらゆるメディアで原子力や労働者の危険性が語られるようになりました。特にメディアパールには多数の記事が掲載されています。
地震が多い日本では、原発は不可能です。つねに地震の心配がある国では、大惨事を避けられません。マグニチュード8の地震はそれだけでも惨事であり、それに原発事故が加わるのですから。
リスク・ゼロなど不可能で、どこにもありえません。ですから、どの国も脱原発をすべきです。ドイツは地震がないにもかかわらず、脱原発を決めました。日本こそ脱原発をすべきです。状況はフランスよりずっと深刻です。
原発の基本技術は、1940~1960年代にほとんどすべて発明され、その後、発展していません。核兵器の原子炉の技術が、電気を生産する原発の原子炉に発達しただけです。考えてみると、原子力の技術というのはすべて、核反応の危険を防御することに関連しています。しかし、完全に防御するのは無理です。原子炉の中の核燃料は放射能を大量に含んでおり、放射能漏れを防ぐのは不可能です。原子炉が問題なく稼動したとしても、核廃棄物の危険があります。燃料の管理、放射能の管理など、絶対的に制御する技術が必要です。毎日のように起こる事故も防がなければなりません。
リスク・ゼロは存在しません。福島のような事故はときどき起こります。日本やロシア、フランスでも。5年おき、10年おき、もっと頻繁かもしれず、それは誰もわかりません。
被害は広い範囲におよびます。福島の事故で、東京も放射線で汚染されました。恐ろしいことです。東京には200万人が暮らしていますよね。多くの人が命を落とし、もしくは、病気になるかもしれません。
私はこうした原発を受け入れることができません。そういうものは受け入れられるべきではないのです。
原子力は最初、電気を生産するすばらしい技術だともてはやされました。しかし、放射能は何の役に立つでしょう? しかも、事故の可能性が伴います。スリーマイル島、チェルノブイリ、福島で、リスク・ゼロが存在しないことは理解できるはずです。ゼロではないとわかったら、止めるしかありません。信頼できない技術は、放棄すべきです。
1920年代、大西洋を横断する未来の交通手段として、飛行船が登場しました。しかし、ニューヨークの上空で燃えるという事故が起き、飛行船の技術はすたれました。原子力も同じ運命をたどるべきです。原子力は50年前の技術で、もはや時代遅れなのです。
福島第一原発の第3号機で使用されていたMOX燃料は、より多くの放射能を含み、非常に危険です。MOXは核燃料のなかでもっとも危険な物質です。ですから、製造を完全に中止しなければなりません。リスクがさらに増すだけです。わざわざ危険を加える必要はありません。本当に中止すべきです。
脱原発が実現しても、核廃棄物は残ります。先日事故のあったフランスのマルクールの核廃棄物処理はひどい状況です。事故が起きれば、核廃棄物は増えます。日本はあらゆるところに核廃棄物が散在してしまいました。
今のところ、核廃棄物処理のいい解決方法はなく、ましな(悪くない)方法を考えなければなりません。地中に埋めるなど、とんでもない方法です。日本やフランスで、200万年、300万年、400万年も、核廃棄物を地中に埋めておくことなどできません。日本は特に、地震が起きたら、埋めた核燃料が上昇して地表に出てくるでしょう。
フランスや日本やアメリカで、核廃棄物の適切な処理方法が発明されるのを、私は期待しています。多くの科学者が、核廃棄物の処理方法について研究しているので、近い将来、解決策を見出すでしょう。


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by k_nikoniko | 2013-11-16 08:48 | 原発・核

原発に反対するアンジェロ・バロッカ氏(イタリア)のお話

2011年9月26日、イタリアのフィレンツェで、アンジェロ・バロッカ氏にお話をうかがいました。
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アンジェロ・バラッカ(Angelo Baracca)氏は、フィレンツェ大学で物理学の教授(現在は退職し、非常勤)。1970年末ごろから、反原発を訴えつづけ、2011年のイタリア国民投票でも奔走しました。

以下、インタビュー。

イタリアは、1964~65年に3基の原子炉の運転を開始しました。世界で3番目に原発を稼動させた国です。この3基は、イギリスやアメリカのそれぞれ違うタイプの原子炉で、現実的な国家政策はないままスタートしました。当時、イタリアには、原子力エネルギー関する法律が存在しておらず、3基の原子炉は、国内法で認可されもせず、一貫した計画もないまま稼動したのです。

第2次世界大戦末期、イタリア最大の産業は電力業界で、あらゆる特権を有していました。終戦を迎えても、その状況にほとんど変化はありませんでした。1949年ごろから社会党と共産党の勢力が強まり、1961年ごろに最大勢力の社会党が、電力の国有化を提案しました。電力産業が激しく抵抗し、政党間の闘争が繰り広げられましたが、1964年に国有化が実現し、Enelが創設されました。

この頃、石油も国有化(イタリア国営石油会社)しました。それに大きくかかわったのが、キリスト教民主党のエンリコ・マッティです。彼は、中東とフィフティ・フィフティの契約を結び、ヨーロッパの石油市場を独占し、国際的な石油大企業と対立しました。1962年、マッティはシシリアからミラノへ向う飛行機の事故で死亡します。明らかに石油大企業による抹殺だったのですが、一度も裁判されることありませんでした。いまになってやっと、この話ができるようになりましたが、当時は禁句とされていました。

1964年、イタリア原子力エネルギー協会の理事長フェルチェ・イッポリトが、経理上の問題で告訴されました。実際にはたいした問題ではなく、現在のイタリアであれば、誰も何も言わないようなささいなミスだったのです。その背後には、イタリア国内だけでなく、世界的な何か陰謀があったのだと思います。イッポリトは有罪となり、刑務所に入りました。その判決に比べたら、ベルルスコーニ大統領は終身刑になることでしょう。
この事件をきっかけに、イタリアのエネルギー政策は一切ストップしてしまいました。エネルギーだけでなく、イタリアのすべての産業技術の発展が止まってしまいました。せいぜい自動車を少し製造するぐらいにとどまったのです。

1970年代の終わりに、再び原発建設の大プロジェクトがはじまりました。20の原子炉を建設するといものです。20基すべて、ウェスティングハウスの加圧型原子炉を購入する計画でした。とはいえ、ここでも一貫した政策があったわけではありません。イタリアのエネルギー政策は、つねに経済的な関心に向けられ、国民のためではないのです。
20の原子炉建設計画は、全国的に大規模な反対運動を巻き起こしました。国内各地で大きな反対デモが繰り広げられました。私が反原発運動をはじめたのもこの時期です。
今回のベルルスコーニの提案もそうですが、このときにも、自治体にはかなりの補助金を出すシステムになっていました。ですから、住民はかなりの強硬な反対運動を展開しました。政策と住民の間で、かなりのズレがあったのです。

強い反対があったものの、政府は原発建設計画を推進しつづけ、1985年ごろ、トスカーナ北部のラッツィオ州に原発が建設されはじめました。そのときちょうど、1986年にチェルノブイリの事故が起きたのです。
そこで、1987年に第1回の国民投票が行われ、すべての閉鎖が決定しました。国民投票は、法案の一部の条文を破棄するかどうかを問うために実施されますが、1回目のときは、その点があいまいでした。原子力エネルギー政策を全面的に方向転換するのではなく、一部を廃棄するという形でしかありませんでした。ですから、法的な意味では、民意が反映されずに、原子力エネルギー政策は進められていたのです。

今回は原子力に関する法律の全面的な廃棄を求める国民投票であり、結果は非常に明らかです。ベルルスコーニ大統領が提案したすべてのエネルギー政策を廃止し、方向転換することが決定しました。
ただ、この国民投票の効力については、あまり認知されていません。「5年間有効」という人もいます。私の考えでは、10年後ぐらいに、原子力エネルギー政策が浮上したとしても、ベルルスコーニの提案と同じ形では提出できないだろうと思っています。
しかし、確信はありません。
今回、水の民営化についても国民投票で却下されましたが、同じような法律が作られはじめています。ですから、原子力に関しても、何ともいえません。ただ、原子力エネルギーの法案は、当分出てこないと思っています。

フクシマ事故の影響は大きく、あの事故がなかったら、国民投票は成立していなかったかもしれません。「価値あるイタリア」が原発を国民投票にかけたのは2010年で、事故の1年前でした。最初のうちは、反原発の運動が全くなく、国民投票も50%に達しないのではないかと言われていました。
フクシマ原発事故がイタリア人に反原発へと向わせ、投票率57%、反対93%という結果になりました。とはいえ、43%は原発推進派です。

今回、イタリア人は原発への拒否反応を示しましたが、大きなデモや反対運動はありませんでした。1970年代末から80年代初頭にかけてのような大規模な運動が起きませんでした、その当時は、旧ソ連の核軍備拡大など、原子力の反対運動は、核兵器と密接に関係していましたが、今はそういった動きはありません。

国民投票の結果のイメージで、イタリア国民は原発反対だと思っているかもしれませんが、科学者や医師の分野の反原発派は少数です。技術系の科学者はほとんどが推進派です。物理学者も、推進派というほどではないにしても、ややその傾向が強いでしょう。生理学の分野では反対派が多いといえます。
医学に関しては、イタリアに放射線学部はほとんどないため、その専門家は少なく、反対か推進かを判断するのは難しいです。
現在、パレルモ、ローマ、ピサなど5つの町の大学にのみ、原子力工学部が残っています。廃炉になってからは、原子力関係の研究はストップしています。5つの原子力工学部はみな推進派です。

イタリアでも実際、アカデミックな世界で反原発は歓迎されませんが、日本ほど危険ではありません。キャリアに傷はつきません。イタリアの科学者が反原発を表明するのは、さほど難しくはありません。フランスの科学者が反原発を表明するのは、非常に厳しい状況だと思います。
私はつねに原子力エネルギーに反対してきましたが、同僚から排除されたり、敵意を感じたことは一度もありません。自分のキャリアを脅かされるようなことはありませんでした。

イタリアがフランスから電力を輸入しているのは、単にビジネスの問題です。輸入をやめても電力不足にはなりませんが、政治的、そして電力会社の問題とからみ、簡単にはやめることができません。
原子力エネルギーの選択は政治的です。日本は国際的にも最先端の技術を持つ国のひとつですが、再生可能エネルギーが発展していません。それは政治的選択なのです。

イタリアは間接的に原子力稼動に関与しています。イタリアの電力会社Enelが、スロバキア、スペイン、ブルガリアの原発運営企業の株を有しているからです。
国営のEnelは、87年の国民投票の結果に従う義務があったのですが、90年代に民営化してからは、イタリア人は何も言えないのです。
法律でイタリア国内には原発を建設できませんが、どこで何をしようが、どうしようもありません。そういうものなのです。

国民投票の後、原発問題について、一般市民と学生の関心は薄れている傾向にあります。国民投票を終えたことで問題が解決した、という気持ち、それ以上に、経済危機が現実問題だからです。
ただ、これだけ重大な経済危機にありながらも、大きなデモは起きません。イタリアでも、人々がバラバラになっていているのを感じます。
原発問題はもはや埋もれています。少し前にフランスで事故が起きたときに、ニュースになりましたが、それだけのことでした。個人的には、フランスで大事故が起きるのではないかと恐れています。

その意味で、みなで国際的でやるしかないのです。国際的につながって、反対していくしかありません。ドイツは今、強い反対がありますし、日本でも広がっているでしょう。
科学者などたちによる国際的な連携が取ることが、大きなポイントとなると思います。
グズビー博士やガンダーセン博士と同じく、私たちは完全に、ICRRに反対しています。この数値は人体によいとは思えません。

政策を変えていく挑戦はできます。そのひとつが、再生可能エネルギーを強力に発展させ、将来的に脱原発を実現するための法案へと移行させていく方法です。

もうやるしかないですね。私は年をとっていますが、まだがんばっています。
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by k_nikoniko | 2013-11-09 08:29 | 原発・核

イギリスの反核団体CNDにお話をうかがいました

2011年10月、アポなしでCNDを訪問。
アン・シュルティスさんが対応してくださり、お話をうかがいました。
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CND(Campaign for Nuclear Disarmament )は、核に関する5つのキャンペーンを行っています。
メインのキャンペーンは、イギリスの核兵器に反対するキャンペーンで、これが現在一番力を入れているキャンペーンです。
国際的な核兵器の解体、アメリカの核ミサイル、NATOなどの問題にもたずさわっています。冷戦の時代から、NATOとアメリカの核兵器、イギリスやその他のヨーロッパ諸国とは親密な関係があるからです。
さらに、原発問題もやっています。原発は核兵器とむすびついていて、しかも、環境問題とも関係があります。福島原発事故後、私たちは原発問題のキャンペーンを強化しました。

3.11以降、イギリスでは、原発に関するレポートが今週報道され、イギリス国内のすべての原発は問題ないといっていました。政府はそのレポートのなかで、「福島原発の事故はあったが、イギリスのすべての原発は安全であり、イギリスは日本とは状況が違って問題はない」と発表しています。

イギリスの原子炉のなかには30年ぐらい稼動しているものがあり、運営会社はフランスのEDFで、現実的にはイギリスのものではありません。
放射性廃棄物に関しての多くの議論もあります。

私たちはいま、新たに建設されようとしている原発を阻止しようとしています。
先週は、サマセットのヒンクリー・ポイント原発でのバリケートを組織しました。
いくつもの小さな反核団体の集団No New Nuclearというグループと一緒に現地に行き、300人近くが集まりました。
ヒンヘンクリー・ポイントは新しい原発が建設されようとしている一番の候補地だからです。原発は過疎地に建設されることが多いのです。

ロンドンでは、福島第一原発事故の後の3月にデモを行いました。
200人ほどが参加したと思います。
チェルノブイリ事故から25年の4月にもデモを行いました。

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by k_nikoniko | 2013-11-01 08:00 | 原発・核

デモ日記:さようなら原発集会(2013年6月2日)

 6月2日、東京・芝公園23号地で「6.2つながろうフクシマ!さようなら原発集会」が開催されました。
参加者は7500人。
 集会後は日比谷公園に向けてパレードしました。
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by k_nikoniko | 2013-10-17 10:20 | デモ日記

デモ日記:No Nukes Day(2013年10月13日)

昨日開催された再稼働反対の集会とデモ。
日中のデモだけ参加しました。
14時半ごろ、日比谷公園の霞門に到着したら、ものすごい人、人、人。
デモにまだはじまっていないのかと思ったら、出発を規制していて、ここで待たされていたのでした。
友人と合流しようにも、一歩も前に進まないので、待つこと30分。
先頭がスタートしてから1時間は経過しているらしく、不満をもらす人もいて、一時険悪なムードに。
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コースの序盤は官庁街でしたが、休みで閑散としていて、ちょっとむなしい。
連休初日なので、銀座を堂々と歩いたほうが、目立ったのでは…。
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「デモを仕切るのって、けっこう難しいんだなぁ」と感じました。
久しぶりにデモに参加して、楽しかったけど。
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by k_nikoniko | 2013-10-14 09:33 | デモ日記

デモ日記:さようなら原発集会(2013年3月9日)

 東日本大震災および福島第一原発事故から2周年を迎え、3月9日に、東京・明治公園で「『さようなら原発1000万署名』市民の会」主催の「つながろうフクシマ!さようなら原発大集会」が開催されました。
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 第一部のリレートークでは、脱原発に取り組む団体の発言につづき、福島県葛尾村の小島力さんが「被災者救済を心から訴えます」と村民による集団訴訟について説明し、山口県祝島出身の花田恵美代さんは、祝島島民のメッセージを代読しました。
 そして各地から、茨城の東海原発から大石光伸さん、静岡の浜岡原発から伊藤実さんが現状を報告。青森の山田清彦さんは、「六カ所村再処理工場が事故を起こせば、東日本の広い範囲で人が住めなくなる」と語り、北海道の小野有五さんは泊原発について述べました。
福島からは、浪江町から避難した柴口正武さんが「私たちの願いは自宅で生活すること。そんな簡単なことがかなわぬ夢となってしまった」と避難者の窮状を訴え、双葉町の井戸川克隆前町長は東電と政府の対応の悪さを指摘しました。
 第二部は、女優の木内みどりさんの司会進行で、黙とうの後、鎌田慧さん、大江健三郎さん、落合恵子さん、澤地久枝さんの呼びかけ人4人がスピーチ。大江さんは「福島原発事故をなかったことにしようとする勢力と闘う。もう一つの原子炉も再稼動させないために働く、そして、今日のデモは完歩するよう努力する」と3つの決意を表明しました。
 また、作家の広瀬隆さんは上空に飛ぶヘリコプターで集会を空撮中継し、ネットで配信していることを紹介。そして、「原発を稼働させる方が多大な金がかかるということをマスコミはきちんと報道してほしい」と原発事故による恐怖の実態を指摘した後訴えました。
 集会のために来日した韓国の環境団体「韓国環境運動」の共同代表で「核なき世界のための共同行動」のチェ・ヨル代表が、韓国での脱原発の盛り上がりについて述べ、国際連帯を呼びかけました。
 最後に、福島から京都に避難している斎藤夕香さんが、「新しい人に伝えていかなければならない。私たちのことを忘れないで」と訴えました。そして、司会の木内さんが「ここにない人たちをどう動かしていくかが、私たちのやるべきこと」という言葉で集会は終了。
その後、2つのコースに分かれ、デモ行進に出発。「原発はいらない」「再稼働を許すな」などのシュプレヒコールで、沿道の人たちに脱原発を呼びかけました。
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『さようなら原発通信』 2号
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by k_nikoniko | 2013-10-13 10:34 | デモ日記

デモ日記:さようなら原発集会(2012年10月13日)

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 10月13日(土)、日比谷野外音楽堂で「さようなら原発集会」が開催され、6500人が参加しました。Yaeさんのコンサートで幕を開け、鎌田慧さんの主催者あいさつ、そして、落合恵子さんの「民意を国会に届けましょう。何度はじかれようと、何千回門前払いをくらおうと、反原発の私たちの意志をこの思いを葬り去ることは決してできないのだと、思い知らせましょう」とのメッセージが紹介されました。
 つづいて、高橋哲哉さんが登壇し、「福島原発事故の後、あらためて三つのことを痛感させられました。国は国民を欺き、見捨て、国民以外の住民を無視あるいは排除するものである。私たちは今度こそ、まずは人の命や尊厳を最優先に考える国、政府に国に変えていかなければならない。現状はきわめて厳しい。この社会は今、闇の中に入ってしまった、と感じています。この闇の中で私たちは、少しでも多くの光を次の世代の人たちに引き継いでいきたい。その第一歩が、脱原発、原発の廃止だと思います」と講演。
 福島県郡山市の森園かずえさんは、「再び地震は起きませんか? 誰が断言できますか? フクイチは終息していません。ここ東京が何も変わらず安全に生活できているのは被ばく労働作業員の方々がいるからです。そのことを絶対忘れないでください。人間の手に負えない原発はもう、造っても再稼動してもいけないのです」と訴えました。
 10月1日に工事再開が決まった大間原発に反対する「あさこハウス」の小笠原厚子さんが緊急アピールしました。「私の母、熊谷あさこは、工事を一四回止めました。工事計画を白紙に戻し、そのおかげで稼動する年が平成22年から24年に延びました。もし母が、強固ないじめや嫌がらせ、村八分に耐え切れずに土地を電源開発に売っていたら、今ごろ大間原発は稼動していました。これ以上原発を動かす必要はありません。新規の原発は一基たりとも増やしてはいけないのです。原発ゼロといったんじゃないですか? 政府はウソつきです」
 大江健三郎さんは、「私たちがさまざまな形で原発をなくすという決意を表明しつづけて、希望しつづけている。それに対し、内閣は決議すらしない。私たちに対する、私たちの世論に対する根本的な侮辱であります。それに対抗しなければならない」と述べたうえで、中国の作家・魯迅の言葉「希望はもともと有るものとも無いものとも言えない。それはまさに地上の道のようなものだ。本来、地上に道は無く、歩く人が増えればそこが道になるのである」を引用し、次のように語りました。「私たちがこれから大きい行進をすると、そこに大きな道ができるのです。この地上の道のようなものとして、希望があるのだと。私たちは集まって歩くことで希望が生じると、魯迅は言っています。政府も産業界もいかなる希望も私たちに示さない。私たちは自分たちで希望を作り上げることができる。人々が集まって、そこに無かった道を創ってゆこうとするのが、私たちの反原発への行進であって、それが私たちの希望を創るということです。しっかり歩きましょう」
 最後に、城南信用金庫理事長の吉原毅さんが、「会社はそもそも、人々の幸せな暮らしのために存在している。それに反する原発産業は相容れないものです。目先のお金や株価が下がることを心配して原発を動かすのではなく、地域社会や長期経営を重視して企業活動を行うことが本当の企業活動といえます」と閉会のあいさつ。
 この後、参加者は日比谷公園を出発し、東電前、銀座、東京駅、常盤橋公園までパレードしました。

『さようなら原発通信』 1号

「支援法」基本方針の閣議決定に怒り。
意見を聞いておいて、それを反映しないでものごとを決めるなど、民主主義とはいえないことは、小学生でもわかるのではないかと思う。



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by k_nikoniko | 2013-10-12 09:10 | デモ日記