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フランスの原発労働者2,606人が過剰被ばく

フランスの脱原発市民団体から届いたニュースです。

2016年9月6日にIRSN(フランス放射線防護原子力安全研究所)が原子力産業で働く労働者の被ばくに関する報告書を発表した。

それによると、2015年に放射線量測定を受けた365,830人の労働者のうち、核物質を使用する労働者(ウラン濃縮工場、核燃料製造、原子力発電所、燃料取り出し、解体作業、核廃棄物)の2,606人が年5m㏜以上の被ばく線量で、14,138人が1m㏜以上が被ばく線量だったという。

過剰被ばく労働者が多い上位企業は、アレバとフランス電力公社である。

被ばく線量は20m㏜以上だった労働者は2人おり、アレバの労働者が20m㏜を1.1m㏜上回り、フランス電力公社の労働者が3m㏜上回っていた。
別の1人は500m㏜以上の被ばく線量だった。
原子力産業で働く人の年間の被ばく線量は1m㏜に制限されている。

原子力産業で直接もしくは間接的に働く人の30%が、平均の1.17m㏜~1.38m㏜以上の被ばく線量だった。

集団積算線量は、2014年の56.3人シーベルトに対し、2015年は61.9人シーベルトと増加している。

IRSNの報告書PDFはこちら(フランス語で、130ページのボリュームです)


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by k_nikoniko | 2016-09-29 23:06 | 原発・核

「3.11甲状腺がん子ども基金」が設立

9月26日から福島市で、子どもの甲状腺がんをテーマにした国際会議が開かれているそうです。
福島県が福島第一原発事故時に18歳以下だった約38万人に実施している「県民健康調査」では、6月末現在で135人が甲状腺がんだと診断されました。

福島では、子どもが甲状腺がんと告知されても、当事者の子どもも家族も世間の目を恐れて孤立し、患者の家族同士がつながることさえ難しい状況だといいます。
先行検査(2011~2013年)で小児甲状腺がんが確定した福島の子どもは85人、そのうち手術待ちは23人でした。
こうした子どもや家族を支援しようと、「3.11甲状腺がん家族の会」が発足したのは今年3月12日です。

個人的な話ですが、私の身内は3人、がんを告知されています。
当事者でないにしても、生存率が高くても、がんの告知を聞くのは落ち込みます。
何回聞いても慣れるような話ではありません。
誰にも相談できない状況を想像すると、とても胸が痛みます。

小児甲状腺がんと診断された本人や家族は、治療などの経済的負担も大きく、困窮しがちだそうです。
まずは経済的に支援を、と「3.11甲状腺がん子ども基金」が設立され、9月17日に設立記念シンポジウムが開催されました。
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シンポジウムでは、代表理事の崎山比早子さんが、日本甲状腺学会雑誌で放射線被ばくが「甲状腺がんのリスクファクター」の最も高いグレードAであると紹介。

この日本甲状腺学会雑誌(2010年10月)の「甲状腺がんリスクファクター」の部分(特集「甲状腺腫瘍の診療ガイドライン」)は、PDFでネットにアップされています(雑誌の99ページ、PDFの4ページ目)。
Q&A方式で、「甲状腺癌のリスクファクターにはどのようなものが存在するか?」との質問の回答は次の通り。

推奨グレードA:放射線被曝(被爆時年齢19歳以下、大量)は明らかなリスクファクターである。
推奨グレードA:一部の甲状腺癌には遺伝が関係する。
推奨グレードB:体重の増加はリスクファクターである。
これ以外に科学的に立証されたリスクファクターは今のところ存在しない。

このガイドラインによると、科学的に立証されたリスクファクターは、放射線被曝、遺伝、体重増加だけで、これを福島の子どもに適用すると、「放射線被ばく」は最も重要なファクターとしてはずせないということになります。

にもかかわらず、県民健康調査を担当する福島県立医大は「放射線の影響は考えにくい」と主張しています。
しかも、福島県では、甲状腺検査が「過剰診断」との意見も出ており、検査縮小に向けた見直しの動きがでているそうです。


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by k_nikoniko | 2016-09-27 23:51 | 原発・核

東電の元会長ら3人を強制起訴

久しぶりにうれしいニュースです。

東京電力福島第1原発事故をめぐり、東京第5検察審査会は本日31日、勝俣恒久元東電会長(75)、武藤栄元副社長(65)、武黒一郎元フェロー(69)の3人について、業務上過失致死傷容疑で起訴すべきだと議決しました。

告訴、告発された旧経営陣3人は、これまで2度にわたり、事前に事故を防ぐことは不可能だったとして、東京地検が不起訴処分にしていましたが、2度目の検察審査会でも起訴となりました。

川内原発の再稼働が差し迫ったこの時期に、東電の元会長らが強制起訴されたことは、とても意味深いと思います。

検察審査会の議決要旨から、「犯罪事実」を掲載します。
内容は変えていませんが、読みやすいように少し手を入れています。

被疑者・勝俣恒久(以下「勝俣被疑者」)は、平成14(2002)年10月から東京電力株式会社(以下「東京電力」)の代表取締社長、平成20(2008)年7月からは東京電力の代表取締役会長。
被疑者・武黒一郎(以下「武黒被疑者」)は、平成17(2005)年6月から東京電力の常務取締役原子力・立地本部長、平成19(2007)年6月からは東京電力の代表取締役副社長原子力・立地本部長。
被疑者・武藤栄(以下「武藤被疑者」)は、平成17(2005)年6月から東京電力の執行役原子力・立地本部副部長、平成20(2008)年5月からは東京電力の常務取締役原子力・立地本部副部長、平成22(2010)年6月からは東京電力の取締役副社長原子力・立地本部副部長。
つまり、勝俣被疑者は東京電力の経営における最高責任者としての経営判断を通じて、武黒被疑者は同社の原子力担当の責任者として原子力発電所に関する知識、情報を基に実質的経営判断を行うことを通じて、武藤被疑者は同社の原子力担当の責任者として原子力発電に関する知識、情報を基に技術的事項に関して実質的判断を行うことを通じて、3人はいずれも、福島第一原子力発電所(以下「福島第一原発」)の運転停止または設備改善等による各種安全対策に関する実質的判断を行い、福島第一原発の地震、津波による原子力発電所の重大事故の発生を未然に防止する業務についていた者である。

福島第一原発は、昭和40年(1965年~)代に順次設置許可申請がなされて設置され、我が国では津波に対する余裕の最も少ない原子力発電所とされていた。

しかし、文部科学省に設置された地震調査研究推進本部(以下「推本」)の地震調査委員会が平成14(2002)年7月31日に公表した「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」(以下「長期評価」)において、三陸沖北部から房総沖の海溝寄りの領域内のどこでも津波マグニチュード8.2前後の津波地震が発生する可能性があるとされた。

原子力安全委員会が平成18(2006)年9月に改訂した耐震設計審査指針(以下「新指針」)では、津波について、施設の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性があると想定することが適切な津波によっても、施設の安全機能が重大な影響を受けるおそれがないことは十分に考慮したうえで設計されなければならないとされた。

原子力安全・保安院は、それを受け、各電力業者に対し、既設の原子力発電所について新指針に照らした耐震バックチェックを指示。
そのバックチェックルールでは、津波の評価につき、既往の津波の発生状況、最新の地検討を考慮するとされる。
その一方で、それまでの海外の事例や東京電力内で発生した浸水事故等により、想定津波水位を大きく超える巨大津波が発生して原子力発電所が浸水した場合には、非常用の電源設備や冷却設備等が機能喪失し、最悪の場合には炉心損傷等の重大事故が発生する可能性があることがすでに明らかになっていた。

平成19(2007)年11月ころより、東京電力では、耐震バックチェックにおける津波評価につき、推本の長期計画の取り扱いに関する検討を開始。
その結果、平成20(2008)年3月ころには、推本の長期評価を用いると福島第一原発の小名浜港公示基準面+10メートルの敷地(以下「10m盤」)を大きく超える津波が襲来することが判明した。
それ以降、武藤被疑者は少なくとも平成20(2008)年6月に、武黒被疑者は少なくとも平成21(2009)年5月ごろまでに、勝俣被疑者は少なくとも平成21(2009)年6月ごろまでにはその報告を受け、被疑者ら3名はいずれも、福島第一原発の10m盤を大きく超える津波が襲来する可能性があり、それにより浸水して非常用の電源設備や冷却設備等が機能喪失となり、炉心損傷等の重大事故が発生する可能性があることを予見し得た。
したがって、武藤被疑者は少なくとも平成20(2008)年6月以降、武黒被疑者は少なくとも平成(2009)年5月以降、勝俣被疑者は少なくとも平成21(2009)年6月以降、福島第一原発の10m盤を大きく超える津波が襲来した場合に対する何らかの設備改善等の安全対策を講じることを検討し、何らかの合理的な安全対策を講じるまでの間、福島第一原発の運転を停止すること等も含めた措置を講ずることにより、いつか発生する可能性のある大規模地震に起因する巨大津波によって福島第一原発が浸水し、炉心損傷等の重大事故が発生することを未然に防止すべき注意義務があった。
しかし、これを怠り、必要な対策を講じることなく、運転を停止することもないまま漫然と福島第一原発の運転を継続した。

その過失により、平成23(2011)年3月11日午後2時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(以下「本件地震」)に伴い、本件地震に起因して生じた巨大津波による福島第一原発の浸水により、全電源喪失により非常用の電源設備や冷却設備等を機能喪失させ、炉心損傷等の重大事故を発生させた。

同日以降に生じた水素ガス爆発等により福島第一原発から大量の放射性物質を排出させた結果、別紙被害者目録(省略、以下同様)の番号1ないし13の計13名につき、水素ガス爆発等により生じたがれきに接触するなどして同人らにそれぞれ同目録記載の障害を負わせた。

福島第一原発から約4.5キロメートルに位置する福島県双葉郡大熊町大字熊字新町176番1所在の医療法人博文会双葉病院に入院していた患者のうち同目録の番号14ないし57の計44名につき、前記放射性物質の大量排出に起因して災害対策基本法に基づく避難指示により、長期間の搬送、待機等を伴う避難をさせた。その避難の過程において、同目録記載の同人らの既往症をそれぞれ悪化させ、よって、同項目記載の日に同人らをそれぞれ同目録記載による死因により死亡させたものである。


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by k_nikoniko | 2015-07-31 19:14 | 原発・核

原発震災離婚(週刊金曜日)

『週刊金曜日』(2011年10月21日)に書いた記事です。

原発事故が引き裂いた男女の絆

当山 原発事故が起きた時、最初は夫も一緒に避難してきました。でも、事故があまりにもダラダラと続くし、政府は「大丈夫だ、大丈夫だ」としか言わないし。そうしたら、夫が「一旦帰る。福島には仕事あるから」って言い出したんです。避難生活では180万円があっという間に消えてしまいましたから。それでみんなで帰ろう、って決めたんです。でも、ちょうどその時に2回目の大地震が起きて……。それで私は、やっぱりまだ様子を見たいと思い、子どもと残りました。それからは福島との二重生活。夫は「オレが福島で働いて、仕送りするから」って。

藍田 私は、地震後すぐに娘と一緒に東京へ避難しました。夫とは電話も通じなかったし、仕事の邪魔もできないと思ったから、告げずに避難したんです。東京にいる1カ月間、夫は一度も来てくれなかったし、「そこ(東京)から危ないと言われても困る」って、話しを全然聞いてくれなかった。でも、私も仕事を中途半端にしたままにしてきたこともあって福島に帰りたくなったんです。それで、4月の終わりに「避難生活やめる」と言ったら、夫は結局それを待っていたみたいですごくうれしそうでした。
当山 やっぱり、別居生活が2カ月、3カ月と続くと精神的に追い詰められていくんですよね。これまで家族で暮らしていた家にポツンと一人。仕事して家に帰っても料理作って待っててくれる人もいないし、子どもの賑やかな声もない。友だちはみんな福島で普通に生活し始めたので、「どうしてうちだけこんな生活しなきゃいけないの。寂しいよ」と夫からは言われました。
藍田 私も一度は福島に戻ったんです。でも、五月下旬に娘が鼻血を出して、それで心配になって、夫に「鼻血出したんだよ、おかしいよ」と言ったら、「医者に行けばいいだろ」って真剣に聞いてくれなかった。外に出たら被ばくしちゃうのにって、涙がボロボロ出てきて……。それで、翌日、また娘と一緒に逃げてきました。夫には、ひじきの煮物作って置いてきたまま……。
立花遥香 私は、被ばくが心配だったから、夫に「仕事やめて」と言いました。「(福島では)子どもも絶対に産まない。耐えられない。安心して子どもを育てられるところに移ったほうがいいんじゃない」って。
立花光男 妻と私は、お互い二男・二女で、アパート暮らしだったから、身軽だったというのはあります。ただ、できれば避難はしたくなかった。地元に愛着や想い出がたくさんありますから。でも、福島でいろいろと気にしながら生活するよりは、違う土地で健康な生活を送れればいいのかな、と。
当山 放射能って見えないからわからないんですよね。夫からは「自分が生まれ育った町が汚れているとは思えない。俺は残りたい」と言われました。でも、客観的に福島を見ると、私にはもう無理なんです。生活していい場所だとは全然思えない。福島のアパートの部屋は、空気清浄機をつけてやっと0.2マイクロシーベルトまで下がるんですよ。夫には「健康が保証されないところに子どもを連れて帰れない」という話をして「仕事も見つけておいたから、こっちへおいでよ。私も働くから」って言ったんですが、彼の踏ん切りがつかなかった。それで夫から「もう耐えられない」と離婚を切り出してきました。

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by k_nikoniko | 2015-06-25 07:46 | 掲載記事(2011~)

イタリア国民投票後の脱原発の課題(週刊金曜日)

フクシマの事故が脱原発へ イタリア国民投票後の課題

フィレンツェ大学物理学部のアンジェロ・バラッカ教授は、一九七〇年末から一貫して反原発運動をつづけている。
「国民選挙(二〇一一年六月)で廃炉が決まったのは、フクシマの影響が大きい。次は私たちが、日本に協力する番です。国際的な連帯を強め、世界の脱原発を実現しなくてはなりません」
あまり知られていないが、イタリアは、一九六四~六五年に三基の原子炉が稼動させており、アメリカ、イギリスに次いで世界三番目の原発先進国だった。その後、原発建設は一時停滞し、第一次石油ショックで計画が再開する。
この頃から、イタリアでは科学者や一般市民の原子力への不信感が高まっていった。バラッカ教授もまた、イタリアの脈略のない原発政策に疑問を抱き、原子力に関する研究に傾倒していく。
一九七七年、イタリア政府は、原子炉二〇基を建設する大プロジェクトを提案。この計画に、大規模な反対運動を巻き起こり、国内各地で抗議デモが繰り広げられた。
「イタリアの原発政策はつねにビジネス優先で、国民の利益は二の次」 バラッカ教授もこれを機に、反原発運動に深く関りはじめた。
チェルノブイリ事故の翌年(一九八七年)の国民投票でイタリアは「全原発の停止」の決断を下す。それ以降、原子力問題が取りざたされない時代がしばらくつづいたが、二〇〇八年、ベルルスコーニ政権が原発再稼動に動き出した。
バラッカ教授は、「原発問題に鈍感になり、反原発運動が存在しない」イタリアの状況を危惧し、『L’Italia Torna al Nucleare?』(イタリアは原子力に戻るのか?)を出版するなど、活動を開始。二〇一〇年に原発再稼働の是非を問う国民投票の実施が決定してからは、公開討論や講演会などを活発に繰り広げた。
政府はマスコミを利用し、国民投票阻止のプロパガンダを展開していた。そんな中での「草の根」の運動だった。
街頭活動などもないわけではなかったが、全国規模での抗議デモにはいたらず、焦りも感じたという。七〇~八〇年代の反原発運動の勢いを目にしているバラッカ教授によれば、今回のイタリア人の態度は、実に冷めたものだったそうだ。
「フクシマの事故がなければ……」とバラッカ教授は漏らす。
実際、福島第一原発の事故が決定打となった。三月十一日以降、世論が脱原発へと大きく傾いた。ただ、バラッカ教授は、「すさまじい事故を見て、拒絶反応を示しただけ」と分析する。現に、イタリアでは、国民投票で決着がついたかのごとく、原発への関心が急速に薄れている。経済危機をはじめ、国内には優先されるべき問題が山積みだからだ。
「国内での原発建設は違法ですが、イタリアは間接的に原発稼動に関与しています。イタリアの電力会社ENELは、スロバキア、スペイン、ブルガリアの原発運営企業の株主です。国営であれば国民投票に従う義務がありますが、民間企業には何も言えません」
イタリアでもまだ闘いは終わっていない。国を超えた脱原発に向けて、何をすべきか。
「政策を変えていく挑戦はできます。そのひとつが、再生可能エネルギーに有利な法律の整備です。やるしかないですね。まだまだがんばっています」

Angelo Baracca
ミラノ大学物理学部卒業後、フィレンツェ大学で博士号を取得。1968年よりフィレンツェ大学で統計力学や高エネルギー物理学などを教える。2009年の退職後も同大学で教鞭をとりつづけるかたわら、執筆や講演会、キューバの大学との協働研究など、国内外で活躍中。

『週刊金曜日』(2012年1月13日)「『金曜日』に逢いましょう」に掲載


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by k_nikoniko | 2015-06-23 13:59 | 掲載記事(2011~)

仏・放射能監視団体が測定結果公表(週刊金曜日)

『週刊金曜日』(2011年6月10日)「金曜アンテナ」に掲載された記事です。
「正確な放射線排出量を知るべき」 仏・放射能監視団体が測定結果公表


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by k_nikoniko | 2015-06-05 08:57 | 掲載記事(2011~)

フランス脱原発めざし6万人の「人間の鎖」(ビッグイシュー)

福島第一原発事故から1年の3月11日の午後、フランス南部で大規模な「人間の鎖」が実施され、約6万人が参加した。フランス各地から貸し切りバスが運行し、ドイツ、スイス、ベルギーからも多くの人が集まった。
手と手で、もしくは「人間の鎖」と書かれたオリジナルのリボンでつないだ距離は、リヨンとアヴィニョンを走る国道7号線の230キロメートル。ここは原子力施設集中地帯で、子の地域を流れるローヌ川沿いには、14基の原子炉が存在する。MOX燃料製造工場を有するマルクール原子力施設から30キロ圏内のアヴィニョンでは、南仏特有のミストラルが吹くなか、11時半から「人間の鎖」の準備が始まった。
「アヴィニョンでは福島事故の直後から、月1回、『人間の鎖』を行ってきました。150人だった参加者がやるごとに増え、1000人に。そこで、アヴィニョンからリヨンまでつなげてみよう、と考えたのです」とジャン=ピエール・セルヴァンテスさん。この日、アヴィニョン地区の参加者は主催者発表で5600人。脱原発の世論がなかなか高まらないフランスだが、史上最大の脱原発デモとなり、その様子は各メディアで報道された。

『ビッグイシュー日本版』(2012年4月15日)「世界短信」に掲載

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by k_nikoniko | 2015-05-31 08:06 | 掲載記事(2011~)

19歳女性除染作業員の思い(週刊女性)

『週刊女性』2014年3月11日発売号に書いた記事です。
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「最初は放射能が怖かったです。妊娠できなくなったらどうしようかなって。でも、今は心配していません」
 そう話すのは、2か月前から福島県福島市内で除染作業員として働きはじめた半沢恵子さん(仮名)。華奢で色白、少女のあどけなさが残る19歳。仙台出身の半沢さんは、知り合いの紹介でこの業者に入った。
「もともと口下手なので、こういう仕事が向いているのかな、と思って」
 除染とは、生活空間の放射線量を減らすために、土壌を剥ぎ取ったり、壁を洗浄したりして汚染物質を取り除き、もしくは土で覆うといった処理をいう。2012年1月に『放射性物質汚染対処特措法』が施行され、国の事業として除染事業がスタートした。線量の高い福島県内11の除染特別地域は国が直轄で、福島県や宮城県、栃木県など8県約80市町村は各自治体が中心となり、除染作業が行われている。
 福島市では現在でも、学校を含む公共施設、道路、宅地などの除染がつづく。作業員のなかに、若い女性の姿を見かけることも。彼女たちは、主に住居の除染にたずさわる。
 半沢さんが除染作業を選んだ一番の理由は、日給1万3000円の賃金に惹かれたから。基本的に1日7時間労働なので、時給に換算すると約1857円。福島の最低賃金675円(2013年10月現在)に比べてはるかにいい。
「以前は飲食店とかでバイトをしていました。正社員になりたかったんですけど、就職できなくて……」
 現場では除染後の線量を測定するモニタリングを担当。
「こういう仕事は初めてですが、屋外で働くのはけっこう好きです。同僚の女性も20歳だし一緒に働くのは楽しい」
 恥ずかしげだった彼女の表情がパッと明るくなった。
「親は心配していましたが、“楽しい”っていつも電話で言うのを聞いて、今は応援してくれています」
 半沢さんが働く業者は、従業員30人ほどの3次請け。
「うちは、女性にモニタリングだけやらせてます。女性のほうがきっちりしていて、記入漏れがないんですよ」と代表取締役の佐藤一郎さん(仮名)。
 さらに、「被ばく線量は毎日測定してますよ。元請が朝礼で線量計を配布し、作業中は胸につけるんです。帰りにその線量計を返却し、データは2次請けが記録、元請に報告します」と説明する。
「放射能の関係で、若い女性を雇わない事業所もありますね。これから結婚して妊娠するので。でも、福島市内は線量が下がってますし」
 除染業者は楽観的だが、福島県の『放射能測定マップ』によると、福島市内の放射線量は、毎時0.1~0.6μ㏜台を推移し、他都道府県の線量0.04μ㏜前後よりかなり高い。福島市は福島第一原発から北西に50km以上離れているのに、この線量だ。
 福島市では、除染の長期的目標を年間1m㏜、毎時に直すと、0.23μ㏜以下に設定している。これは『原子力基本法』が定める、一般人の年間被ばく限度量だ。
 ところが、現在の福島市内には高線量地区が点在し、計画通りに除染が進んでいない。
 各地域の除染の進捗情報は、福島駅近くの『除染情報プラザ』で確認できる。この施設は、除染について理解を深めてもらう目的で、環境省が2012年2月にオープン。展示や模型を使って除染に関する情報をわかりやすく発信している。「安心・安全」を印象づけるグリーンとホワイトを基調にした館内からは、放射能の危険性は全く伝わってこない。
 除染をすることで将来、若い女性の身体に何らかの影響が出ないのだろうか……。
 除染では、土壌を剥がすときに高濃度の放射性物質を含む粉じんが飛び、それを吸い込むなどして、内部被ばくの可能性が高くなる。
 被ばく労働者の相談にのっている『ふくしま連帯労組』の組合員は、「除染作業は被ばく労働です」と断言する。
「福島は生活空間の線量が高く、それを基準に判断してしまうので、ここにいると放射能に対する感覚がマヒしてきますよ」
 そうした雰囲気ゆえ、“気にしていては仕事にならないよ”と被ばく防護対策がおざなりにならないか懸念する。
「被ばく限度や線量測定値の記録・管理などの厳しい規定があり、事業者はこれに従わなければならない。マスクをつけるなど細かくマニュアルが定められていますが、ガイドラインはあっても、守られてないですね」と先の組合員。
 その規定とは、厚生労働省が、除染などの作業員の被ばくを低減させる対策として施行した『東日本大震災により生じた放射性物質により汚染された土壌等を除染するための業務等に係る電離放射線障害防止法』。
 この法律では女性の就労も認めているが、女性の被ばく限度は3種類に分かれている。
 妊娠する可能性がないと診断された女性(男性と同等)は5年間で100m㏜かつ1年間で50m㏜。この数値は原発施設で働く労働者と同じレベル。妊娠する可能性がある女性は3か月5m㏜。そして、妊娠中の女性は妊娠期間中1m㏜。放射能は流産など胎児への悪影響があるとされ、妊婦は極力被ばくを抑えるよう、昔から注意を促されてきた。
「除染特別講習を受けましたが、女性にそんな規定があるなんて、知りませんでした」
 1年前から除染作業をしている浅見洋子さん(仮名)は驚きを隠せない。
 除染作業をはじめるときに必要な5時間半の講習は受けたが、「テキストは2㎝ぐらいの厚さ。読んでないですね。疲れちゃって」という。現在49歳。10代の子どもがいる。
「もう妊娠はないし、この年齢だと他に生活費を稼ぐ手段もないですしね」
 それが除染をはじめた動機のひとつ。ほかにも、
「震災で以前働いていた会社が経営難に陥り、転職。でも、家計をまかなえなくなり、除染をやってみよう、と。将来やりたい夢もあり、貯金したかったんです」
 仕事は求人サイトで探した。浅見さんの作業内容は、男性とほぼ同じ。草刈りなど力仕事もこなす。
「肉体的にキツいところもありますね」とこぼすが、
「地域の線量を下げて、安心して住めるようにする。そうした手伝いをしている気持ちがありますから。除染という仕事に誇りを持っています」
 そう浅見さんは胸を張る。
 とはいえ、放射能への不安は常につきまとう。
「事故直後、子どもを避難させたかったのですが、子どもが反対して断念したんです」
 現場で若い女性を見かけると、つい“やめたほうがいいんじゃない?”と声をかけてしまうという浅見さん。
「東電や国が責任をとるなんてありえないから、妊娠の可能性のある人は福島から離れてほしいんですよ。私だって“放射能が怖くない”といったらウソになります」
 しかし、浅見さんの思いはなかなか若い女性たちに届かない。
「“そうですかね~”くらいの反応なんです。放射能よりとにかくお金。資格もいらない、ポンとはじめられる業種を選んでしまう若い子は多い」と浅見さんはため息をつく。
 そして、「若い女性に除染を禁止したら、放射能は危ないのを国は認めることになりますよね」と真剣なまなざしで確認するように問いかけた。
「子を持つ親として、若い子は除染をやめてほしいです」
 彼女はきっぱり言い切った。

女性除染作業員の取材追記(1)
女性除染作業員の取材追記(2)

『週刊女性』2015年3月10日発売号「福島の現実」


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by k_nikoniko | 2015-05-07 08:04 | 掲載記事(2011~)

『週刊女性』に「福島の現実」を書きました

3月10日発売の『週刊女性』に「福島の現実」を書きました。
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ネットでも一部読むことができます。
地産地消を奨励の福島県、弁当持参は「復興の妨げ」の声も
帰宅困難区域の女性「帰ったら危ない」で町民に叩かれる


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by k_nikoniko | 2015-03-10 10:39 | 掲載記事(2011~)

ミナモザの『みえない雲』を観ました

原発事故をテーマにした舞台『みえない雲』を観てきました。

原作は、グードルン・パウゼヴァングの青少年向け小説。
チェルノブイリ事故がきっかけで書かれた作品で、1987年に日本語版が出版されました。

西ドイツで原発事故が起き、家族を失い、自分も被ばくした14歳の少女と、彼女を取り巻く人々、そして、彼女が事故後の社会で生き抜く姿を描いています。
この小説に出てくる原発は架空のもので、少女の身に起こったことも、社会の反応も、すべてフィクション。
ですが、福島原発事故後にこの小説を読んだとき、まるで今の日本社会を見て書いたのではないかと思ったほどのリアル感を抱きました。

今日は、この本を翻訳した髙田ゆみ子さんのトークショーもあり、どんなふうに舞台化されるのか、楽しみに出かけました。

舞台の『みえない雲』は、小説に忠実な演出。
主演の上白石萌音さんが、とにかくすばらしかったです。
体は小さいけれど、ステージでは凛とした存在感。
ラストシーンが、やはり圧巻です。

個人的には、独白シーンは too much でした。時間的にもセリフ的にも。

そして、この舞台を福島の知人に「観てね」とは言えないなぁ、と思いながら観ていました。
10月、11月と、飯館村や楢葉町に行ってきたばかりなので、私には生々しくもあり…。

東京(都会)の人たちによる、東京(都会)の人のための舞台、という印象を持ちましたが、東京の人たちが、福島で何が起こっているかを伝えるには、こうした舞台の力が大きいと思います。
ぜひ多くの人に観てもらいたいです。

世田谷・三軒茶屋のシアタートラムにて、12月16日まで、です!
14日(日)14:00/18:00
15日(月)19:00
16日(火)14:00/18:00

ミナモザ『みない雲』



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by k_nikoniko | 2014-12-13 22:19 | カルチャー