フリーライター木村嘉代子のブログです。日々感じたことを綴っています。Copyright(C)2005-2016 Kayoko Kimura
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放射能と離婚

福島原発事故の放射能が引き金になり、離婚を決意した女性たちに取材した。
離婚など珍しくないご時世だが、彼女たちの話を聞くのは、とても胸が痛かった。
“放射能”の心配がなければ、離婚の危機などなく、夫婦生活をつづけていたであろう。
私が話を聞いたのは、子どもをつれて避難し、夫との二重生活を経験した後、離婚協議に入った女性たちだ。
避難していない女性の多くは、放射能について夫に相談もできずにいるという。

仮にお金で補償されたとしても(取材した女性たちは自主避難なので、補償の対象ではない)、壊れた夫婦関係は修復できない。
人間関係は、お金で解決する問題ではない。

放射能と夫婦関係の取材ではつねに、「子どもを守るために避難したい母親」と「家族を養うために留まって働くことを優先する父親」が話に出てきた。
家族における男女の役割は、“最先端の原発技術”を誇る日本で、何十年も変わっていない。
原発事故と男女の役割を一緒くたにするな、と言われるかもしれないが(この問題はどんな場合でも議論にならず、後回しにされる)、この取材をしている間つねに、やるせない気持ちになった。
伝統的な家族の役割分担が、“放射能”という生命にかかわる一大事を乗り越えるものどころか、夫婦関係に重くのしかかっているからだ。
「子どもを守るために避難したい母親」も、「家族を養うために留まって働くことを優先する父親」も、“放射能”に加えて、慣習だとか常識だとかに縛られ、がんじがらめになって苦しんでいる。

こうした状況が、日本特有のものなのか知りたく、何人かに質問してみた。
日本在住のイギリス男性「妻と夫の立場やそれぞれの意見は、人間の正直な言い分として理解できる。その上であえて言うとしたら、母親が幼い我が子の健康を心配するのは至極当然で、それを優先すべきなのももっともなこと。夫は、幼子の命を思い、仕事や居住地を変える選択をしてもいいのではないか? その決断ができないのは、自分に自信がないからか。会社の辞めて新天地で就職することに臆病になっているのではないか。日本男性は変化を好まないからかもしれない」
イタリア在住の日本女性「夫婦で話し合わないのでしょうか? イタリアでは政治的意見が正反対の夫婦が珍しくないのですが、こういうときには、とことん議論すると思います」
フランス在住のフランス女性「フランス人にとって仕事は二の次。男性も家族を優先し、仕事を辞めて避難するはず」
イギリス在住の日本女性「日本では今でも、『夫が家族を養う』という考えが残っているのですか?」

ヨーロッパの家族のあり方が正しい、と言っているわけではない。
日本の伝統的な家族で、女性も男性も幸せであるのなら、何も問題はない。
が、本当に、これで幸せといえるのだろうか…。

震災後、“絆”という言葉が、美化されて用いられている。
私個人の意見としては、“絆”は、危機が起きたときに急遽見直されるべきものでもないと思っている。
そして、“絆”を結ぶには、激しいぶつかりあいも必要だと思っている。
相手に従属するだけでなく、お互いを尊重する関係でなければ、“絆”は築けないとも思う。

取材した記事は、10月21日発売の『週刊金曜日』に掲載されています。
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by k_nikoniko | 2011-10-22 06:52 | 原発・核

女に生まれてはみたけれど

このところ書くことから離れていたので、投稿するのがおっくうになってしまっていた。
このままではマズいので、今日はがんばって書いてみます。
とりあえず、やわらかい話題から。

10月の記事で、「『性差研究入門』の講義を聴講」について触れたが、もうひとつ参加していた「男に生まれる」という講座が12月で終了した。
「男とは何ぞや?」がわかるかと思いきや、結局、さらに混乱してしまった。

「女らしい」「男らしい」というのがあるとしたら、私は「男らしい」ほうだと思う。
子供の頃の遊びでいえば、カブトムシ採りが好きだったし、トカゲの卵を育てたり、ドライバーで機械を分解するのも楽しかった。
その一方で、リカちゃん人形も持っていたし、おママゴトもしたし、女であることに違和感を抱いたことはない。

エラそうなことを書いている割には、昔ながらの「男らしさ女らしさの神話」に縛られているところも大いにある。
最近、自分が伝統的な「男と女」に縛られていることを自覚して愕然とした。
ある人に、「あなたは男っぽいから、女っぽい男性とのほうがうまくいく」と言われ、「え~!」と大げさなまでに拒絶反応を示してしまったのだ。

「え~!」と大声を出してしまった理由はふたつ。
1)「男っぽい」と指摘されてがっかり
2)「女性っぽい」男性が恋愛対象なんてイヤだ~

でも、少し冷静に考えてみれば、その人の言うとおりのような気もしてきた。
1)「男っぽい」というのは褒め言葉、ともとれる。さっぱりしているってこと?
2)確かに、マッチョな男性より、女性的な男性のほうが合うのかもしれない
そして、この「え~!」という態度が過去の失敗の元であった、と実感した。悲しいかな。

どうして瞬間的に否定したかというと、まさに「異性愛規範」の呪縛ともいえる。
恋愛関係において、男女の役割分担がほぼ決まっている。
社会的地位のある女性であっても、異性愛ともなると、ステレオタイプの役におさまるというか。
それからはずれると、それは「異性愛」じゃないような錯覚におちいるというか。

「男らしい」私が、「女らしい」男性を好きになった場合、最初はうまくいくのだけど、そのうち、「なんで女の私より彼が女々しいんだ?」と疑問に感じはじめる。
そして、「彼のほうが男らしくあるべき」などと機嫌が悪くなり、口論が増え、「さようなら~」と離別。

典型的な男女の役割に固執してしまっているからだ。
「男らしい」私が、「女らしい」男性を好きになったのだから、「私より彼が女々しくてもいいや。そういう恋愛関係もありうる」と開き直ることができたら、悩む必要もないのだ。
このようにポジティブに考えることができていたら、私の人生、もう少し違っていたかも。

幸せを逃しちゃったかな。やや遅すぎる気づき、ではありますが。
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by k_nikoniko | 2008-12-23 01:28 | ジェンダー

男性学「男に生まれる―神話と実話」

10月から6回にわたり、「男に生まれる―神話と実話」という講座の進行を担当します。

「男も弱い人間である。ということを、女性は忘れていないか? 『男女の役割が変わったことによる男の戸惑い』を、女性はどれだけ理解しているか? 女性の権利を主張するだけでいいのか? 男性は自分の弱さを見せまいと虚勢を張っていないか? 弱さを認めることは恥ずべきことではなく、弱い自分を認めることで、女性や弱者の気持ちがわかるのではないか?」
こうした疑問がこの企画を提案した理由。

男性学は、90年代ごろ、欧州で盛んに語られていました。
女性が力をつけたら、男女の関係も必然的に変化する。
新しい男女の関係とはどうあるべきか。
こうした論点から、「男性についてもっと知ろう」という議論が活発に展開されていたのです。

でも、日本ではいまだにほとんど話題にならず、”男性と女性の新しい関係”など真剣に考えようとはしません。
女性は従うだけではなくなりました。
そうした社会変化のなか、男性は、強い女性の前ではやや腰を引きながらも、隙あれば「男らしさ」を主張し、自分より弱い女性を見つけて専横的な振る舞いをしています。

女性もまた、男性の弱さを認めようとしない傾向にあります。
女性は権利を要求したり、封建的な男を否定しながらも、「男にモテるメイク法」に夢中になり、「夫は自分より給料がいいのは当たり前」と言い張ったりします。
男性に”責任”と”頼りがい”を求める受身の姿勢はあまり変わっていません。

一番気がかりなのは、お互いがお互いを知らなすぎること。
その結果、悲惨な事件が生まれているのではないか、とも考えます。
たとえば、最近起きた福岡の事件のように、母親がわが子を殺めるといった事件が後を絶ちませんが、そのほとんどに、”夫”の存在が見えません。
相談相手として、”夫”は含まれていないのは、どういうことなんだろう。
「夫婦とはそういうもの」なのだろうか?
夫婦だけでなく、職場でも、社会のあらゆるところで、男女の関係が歪んでいます。
暮らしていくうえで、非常に息苦しい。

と、ここまで書きましたが、実は、少し自信がなくなっています。
男性学は、女性の権利がある程度保障されている成熟した社会で語られるべきで、現在の日本では尚早で、受け入れられないのではないか、と。
女性が力をつけるには、男性とよりよい関係を築くことが大切だと思います。
女と男の役割に変化が生じているのであれば、関係の変化にも焦点を当てるべきでなはいか、と。
多くの方がこの講座に参加し、活発な意見交換していただきたい、と思っています。

男に生まれる:神話と実話
全体コーディネーター:瀬名波栄潤(せなはえいじゅん) 北大文学部准教授 英米文学ジェンダー論

●日時:10月7日(火)開講 全6回(隔週火曜) 18:30~20:30
●会場:さっぽろ自由学校「遊」 (札幌市中央区南1条西5丁目愛生舘ビル2F)
●受講料:通し 一般6,000円 会員・学生4,800円 (単発 一般1,500円 会員・学生1,000円)
●問い合わせ:NPO法人さっぽろ自由学校「遊」 
TEL.011-252-6752 FAX.011-252-6751
syu@sapporoyu.org  http://www.sapporoyu.org

生物としての男、社会が作り出す男性像、そして男達の本当の姿。フェミニストのボーヴォワールが『第二の性』で発した「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」はあまりにも有名ですが、男に生まれるとはどういうことなのか。
本コースでは、初回と最終回を除いては毎回ゲストスピーカーをお招きし、「男」についての研究やエピソード、そして多様な性を生きる「男」たちの生の声を紹介します。さあ、「男」について楽しくそしてまじめに考えましょう。

①10月7日(火) イントロダクション:男性神話と男たちの今
瀬名波 栄潤(せなは えいじゅん):北大文学部准教授 英米文学ジェンダー論
ウォーミングアップです。男の歴史、理想的男性像と男の現実、男の多様性、男として生きる楽しさやむずかしさなど、男を取り巻く環境を、映画を紹介しながら概観します。

②10月21日(火) 分子細胞遺伝学:生物としての男
黒岩 麻里(くろいわ あさと):北大創成科学共同研究機構講師
生物学的には女性は「原型」、男性は「模型」といわれ、デフォルトの女性か男性を作ります。男性がどのように作られるのか、男性とはどのような生物なのかを紹介します。

③11月4日(火) 男性学/男性性研究ヘの誘い
兼子 歩(かねこ あゆむ):大学非常勤講師 歴史学・ジェンダー論
「男について研究する」とはどんなことなのでしょう。いろいろな分野で行われている「男性学」とは何か、いったいどんなことが語られているのか、紹介いたします。

④11月18日(火) 楊貴妃になりたかった男たち2008
武田 雅哉(たけだ まさや):北大文学研究科教授 中国文学
男も女もそれらしい服装を--この規範はここ何千年、基本的には変わっていないようですが、ひねくれ者は必ずいるもの。その諸相を、中国の奇譚の海から拾い読みしてみましょう。

⑤12月2日(火) 性の多様性
田中たみえとHSA札幌ミーティングの人たち
田中さんは「性のバリアフリーをめざす会ピーナツハート」代表、HSAは「北海道セクシャルマイノリティ協会」のこと。彼らにとって、「男に生まれる」とはどういうことなのか。真面目に耳を傾けましょう。

⑥12月16日(火) 「男に生まれる」とは...?
瀬名波 栄潤(せなは えいじゅん):北大文学部准教授 英米文学ジェンダー論
最終回です。「男」って何なんだろう。参加者の皆さんとじっくり考えます。
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by k_nikoniko | 2008-09-23 22:23 | 男と女

歩いても 歩いても

久しぶりに映画を観た。是枝裕和監督の「歩いても 歩いても」 
主演の阿部寛さんと是枝裕和監督の舞台挨拶つき。
阿部さん、背が高い、顔が小さい、足長い!
映画は心にしみた。老いた両親の家に久しぶりに戻ってきた子どもたち。何気ない会話に笑い、じわりともくる。
うちに似ているようでもあり、というより、40代の自分たちと親の関係は、この映画の登場人物に通じるのではないかと思う。子どもも親もなかなかドライで…。
ついでに、阿部さん演じる失業中の男のふがいなさが、自分と重なり、情けないというかため息というか。

たまたま今日、実家から車で荷物を運び、帰りは父の運転で帰ってもらうつもりだったのに、父が免許証を忘れ、結局運転してまた実家に行き、車を置いて、私はJRで自宅に戻った。
忙しい一日だったので、免許証を忘れたことに腹を立てたが、考えてみれば、親はもう”物忘れする”年になっているのである。
そのことにあらためて気づき、ある種の覚悟みたいなものを感じてしまった。
そしてこの映画を観たので、ズキリと心が痛かった。

映画を観ながら、老後についてちらりと考えたりした。
最近、カレセン(枯れオヤジ)がもてているらしいけれど、そんなイケイケのオヤジがいる一方で、自分の老後の心配を理由に、「相手に迷惑をかけるから」と恋愛を躊躇する人もいるという。
まぁ、女性をふる口実としては上出来かも。いかにも思いやりのある言葉といえなくもない。
でも、誰かを愛したことのある人なら、その話しを聞いて、やるせない気持ちになるだろう。
愛する人の面倒をみることは、決して迷惑ではないから。
たとえば、余命1ヶ月の人を好きになったとして、ともに過ごすことを拒否されて悲しい日々を送るより、短い時間でも一緒の想い出を作ったほうがどんなに幸せか。
あるかないか先の見えないことを心配して、目の前にある幸せ(恋には苦痛もつきものだけど)をつかまない、というのは、私にはちょっと理解できない。
人生一度しかないのに。

映画の最後で、ぽつりというセリフ。
「人生は、いつもちょっとだけ間にあわない」
そんなものなんだけど、ときには間にあうこともある、間にあわせることができる、と私は思ったりする。
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by k_nikoniko | 2008-05-30 03:32 | 男と女

カフェで声をかけるのは変な人?

娘がパリに留学中という女性に、フランス男性のナンパ状況について聞かれた。
「『三国ナンパ論』に出てくる男性は特にひどい人たちでしょ?」と問われ、「確かに全員があのような男性ではないけれど…」と答えつつも、「けっこういるんですよ、あのタイプの男性が」とも言ってみた。
私だけでなく、多くの日本女性があの手の男性に出会っているのだから、かなりの数いるのではないかと思う。
でも、信じてもらえそうにない。
「まともな人はカフェで声をかけないはず」と主張されても、それは正しいとはいえない。
どちらかというと、声をかけない人のほうが珍しい。
女性を引っ掛ける目的とは限らず、何かひと言ぐらい話しかけるのが、フランス人やイタリア人だ。
うっとうしくても、それが普通なので、生活していくうちに慣れてくる。
しかし、日本にいると、カフェで声をかけるのは、変態の部類ととらえられがちだ。
「カフェではみな声をかけますよ。恋愛が生活の一部なので、カフェも大切な出会いの場なのです」などと返答してみたけれど、自分の言葉が恐ろしく浮いてしまった。
”恋愛が生活の一部”なんて、ここではかなり“異質”な感じ。言ってしまった自分に引いた。
もうひとつ、その女性は「フランス人は簡単に恋愛をする」的な発言をしたが、これも間違った情報だ。
フランス人は、日本人がイメージするほど、ポンポンと恋愛を楽しむ軽々しい人たちばかりではない。
どちらかというと、重苦しい人たちだと思う。
結局、「しっかりしていれば、変な男性に騙されたりしませんよ」と締めくくってみたけれど、本当だろうか。自信はない。
“しっかりしている”って、どういうことだろう?
そもそも、日本女性は、国際レベルで自律しているのだろうか?
私たちの世代は、外国人と接する機会がいまほどなかったし、外国人とのつきあい方もよく知らなかったし、女性の地位も低かった。
それゆえ、海外に住みはじめたとき、みんなとんでもない経験をしたりした。今なら笑い話だけど。
あれから20年近くたっているので、最近の女性たちは、もっと上手に外国人とつきあい、堂々と自分の意見を言い、胸を張って海外で生きているのだろうか?
だとしたら、「日本女性好きの外国人に騙されないように!」なんて、時代錯誤ということになる。
でも、実際は、昔とあまり変わっていないのではないかと思う。
この夏、パリのパーティを覗いたが、男性はほとんどフランス人、女性は圧倒的に日本人、という、あいかわらず歪んだ光景だった。
それにしても、こうしたことを言いつづけるのも疲れてきちゃった。
外国人と関係を築く日本女性はそれほど多くないのだから、あれこれ気を揉むこともないのかな、と。
日本人同士が自律した関係を築くことができたら、日本女性も国際社会で立派にやっていけそうな気がする。
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by k_nikoniko | 2007-11-18 02:57 | 男と女

フランス婚!?

フランス婚なんていうものがあるわけではないけれど、この夏、パリで会ったカップルたちは、みなラブラブでした。
知り合いの娘の結婚式にちょっと立ち寄り、50過ぎにしてパパになる友人宅で昼食をし、同じく50にして年下の男性と暮らしはじめた友人のアパートに泊めてもらいました。
ほのぼのした気持ちを忘れかけていたので、フランスの“浮いた”雰囲気は妙に新鮮。
とはいっても、若い二人は生活費をがんばって稼がねばならず、父親になった友人はここまでくるのに紆余曲折し、新婚?の彼女はイスラム教徒の夫と過ごす難しさを知り…と、単にラブラブなわけではありません。
こうした“複雑さ”をともなうのが、まさにフランス婚ともいえます。
当の本人たちは、“複雑さ”などなんのそので、これが“普通”だと思っているに違いありませんが。
ちなみに、フランス婚といっても、このなかで正式に「結婚」したのは若いカップルだけ。

ところで、フランスの女性がどのように男性を”調教”していくのか、今回はじっくり観察(?)できました。
居候させてもらった友人は、年下の北アフリカ出身の男性と暮らしています。
離婚経験もあるバリバリのフランス女性が、パリに住み始めたばかりの封建的な北アフリカの男性を手なずけるのです。
「手なずける」とは言葉が悪いのですが、たとえば、食事を運ぶとか、コーヒーをいれるとか、いちいち教え込んでいきます。
フランス男性があたりまえにやることが、彼には進んでできないのです。
彼女の態度に対して、「それは女性がやることだ」とちょっと文句を言ったり、「そうだよね?」と私に同意を求めます。
日本人の男性も、フランス女性にかかると、こうして“教育”されるのでしょうか。

それにしても、彼女は厳しい。さすがの私もそこまではできない…。
フランス女性のような徹底していなければ、男女平等など達成できないのかも。
と思いつつも、つい手伝ってあげたくなるのです。
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by k_nikoniko | 2007-11-06 22:52 | 男と女

奥さんではなく職業婦人です

面識のない男性に、「奥さん」と呼ばれることが多い。
先日も、ある硬い仕事をしている男性に、何度も「奥さん」と呼ばれた。
おまけに、「無職ですよね」と。
“若くない女性=主婦=無職”というステレオタイプの決めつけは、いったい何なんだ!

「職業はフリーライターです」と答えたら、「フリーター?」といぶかしげに聞かれ、仕事の内容を少し説明しはじめたとたん、「よくわかんないなぁ」と首を傾げられた。
面倒くさくなって、「じゃ、無職でいいです」と言ったら、ホッとしたように、「そうだね、無職にしておきましょう」だって。

こういうことは珍しくない。これまで、何度「奥さん」と呼ばれたことか。

一番驚いたのは、30代後半だったのにもかかわらず、北海道大学の守衛さんに「お嬢ちゃん」と言われたこと。
そのときは、さすがにひっくり返りそうになった。
女の子を“お嬢ちゃん”と呼ぶ人が昔いたことを思い出し、そんな呼び名をまだ使う人が21世紀にいることを知って、クラクラした。

札幌は、女性の地位が低い、と思ってしまうことがある。
特に、働く女(この表現は大嫌いだが)に対する認識が低すぎる。
そして、女性の意識も決して高いとはいえない。この言い方は少し乱暴かもしれないが。

札幌にも働く女性はたくさんいるし、意識の高い女性もいることはいる。
アクティブに活動している女性たちは、たくましくて頼もしい。
でも、その職業はかなり限られていて、教師、自営業、市民活動やボランティアに励む主婦といったところだ。
それ以外の職種、たとえば、企業で働く女性たちは、東京の意欲的なタイプとは違うように感じる。

そう推測できる証拠というか、「ビッグイシュー(路上生活者支援雑誌)の購買者が、東京などはOLが最も多いが、札幌はOLに全くというほど受け入れられていない」という事実がある。

がんばっても認めてもらえない風土なのか、がんばろうという女性が多くないのか。
テキパキ働くタイプは、ここでは受けが良くない気がする。
女性の意識の低さに比例して、男性の意識も下がる。

男女の格差というのは地域によって異なる、とつくづく実感してしまう。
全国共通の目標を立てるとき、どこを基準にするのだろうか。
男女格差を縮めるためには、男女の意識に関する地域格差も是正する必要があると思う。

「スウェーデンに学ぼう」というのは、札幌ではハードルが高すぎる気がしないでもない。
人の意識を変えるのは地道な努力が必要で、実現不可能な理想を夢見るより、もっと身近な問題から解決していったほうがいい。
当面の目標は、それなりの年齢の女性を誰でも「奥さん」と呼んでしまう男性(そして女性も)を減らすこと。
“世の中にはいろいろな仕事があり、女性の生き方はひとつではなく、きちんと専門分野で働いている女性がいる”ということをわかってほしい。

働く女性の自覚とやる気が高まったら、男女どちらも意識が変わり、もっと暮らしやすくなるはずだ。
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by k_nikoniko | 2007-10-29 02:36 | ジェンダー

2児虐待死のぬる~い法廷

2児虐待死の3回目の法廷を傍聴。
今回は、DV問題の専門家でもある東北大学大学院教授・沼崎一郎さんの証人喚問でした。
その内容は後ほどまとめて紹介しますが、それよりなにより、この裁判に漂う、ダラ~っとした空気が気になってしょうがない。
前回の法廷で驚いたのは、若い女性検察官のタメ口ともいえる口調。
「だからね、あなたね、ってわけでしょ?」といった調子は、優等生の生徒会長がヤンキー系同級生を責めているようでもある。

今日は、裁判長の口の利き方に憤りを感じた。
質問の主旨は、「すべての女性がDV被害者になりうるのか?」で、私自身も気になる点だった。
しかし、その聞き方が、「だからサ…」といったぐあいにはじまり、「みんながみんなDVの被害者になるわけじゃないでしょ!」とややキレ気味に言い切り、何か言いかけて、「まぁいいや」とやめてしまった。
前回も、「まぁいいや」と途中でやめた。

全体的に流れるだらけたムードは性にからむ事件に対する蔑視と関係している気がする。
被告人が“DV男に翻弄されて2児を失ったナイーブな若い女性”というレッテル。
命を奪われた2児を軽く扱っているようで、腹立たしくなってくる。
虐待され、殺害されたのに、裁判所でも大人たちに“どうでもいいように”扱われ、なんてかわいそうなんだろうと思う。

DV被害者が社会的に理解されていないことも、この裁判からは見えてくる。
DV加害者と被害者、そして子どもの事件は、“取るに足らない”程度にしかとらえられていないようだ。
でも、本当に“どうでもいい”事件なのだろうか。
毎日、シェルターに逃げ込んでくる被害者はいるし、逃げることもできずに耐えている人もいるはずだ。
DV被害者は将来、加害者になる可能性が高く、服従に何の疑問も抱かない女性が延々と育てられている。
この連鎖を断ち切るための仕組みはほとんど機能していない。

人を食ったような裁判自体が、精神的な苦痛を与えるDVのように思えてきた。


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by k_nikoniko | 2007-06-02 00:01 | 社会問題

「結婚しやすい」人間の条件って?

ヨルダン国籍のパレスチナ人から、「日本は大臣の自殺の記事ばかりだけど、中東ではイラクとパレスチナの記事以外ないというぐらい、この2つの問題が大部分を占めている」といった話しを聞いた後、家で新聞を広げたら、ちょっと腰が砕ける記事を見つけた。

結婚情報会社と名古屋大による「結婚しやすさ」の調査結果で、 男性は“若くて稼ぎのいい”ほうが結婚しやすいとのこと。
当たり前の話といえば当たり前の話。
“中年で稼ぎの悪い”男性よりは、その逆のほうがポイント高いでしょう。
ニートとか派遣社員とかが問題になっているなか、「“若くて稼ぎのいい”ほうが結婚しやすい」というのは、かなり残酷な宣告。
「あなたは結婚ムリムリ」と言われているようなもので、この結果に、うなだれている若者や母親が多数いるかも。
女性はといえば、“元気さが結婚の鍵”なのだそうです。
この記事の締めくくりは、「あまりしゃべらないほうが結婚しやすいようだ」となっている。
調査結果によるものだけど、“元気であまりしゃべらない女”というのはどんな女?
すぐ浮かんだのが、体が丈夫で、骨盤がしっかりしていて、愛想はいいけど慎ましやかな女。
男にはたてつかないで子どもをたくさん産む女、って、まさに“産む機械”というか…。
「元気でも、しゃべり過ぎる女は結婚しにくいんだ」とわかったからといって、何がどうなるわけでもないけど、どっと疲れた。

この記事の半分のスペースでもいいから、今イラクがどうなっているか伝えてほしいなぁ、と思うのは、私だけなのだろうか?
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by k_nikoniko | 2007-06-01 01:39 | 男と女

アラブの女性は地位が低い?

実際はよく知らないにもかかわらず、アラブ(イスラム教)社会では“女性は虐げられている”“男女不平等”といったイメージがあります。
日本で研修をしていたイラク女性医師は、「そんなことはない」と否定しました。
欧米社会とは違う形で、男性は女性を尊重しているというのです。
ところが、サナ・エルカットの著書「アラブの女 イラク女性の素顔」を読むと、“女性の人権は無視されている”印象を受けます。
子どものときから「女らしさ」を教え込まされ、「従わせるための圧力」のもとで教育される。
家事は「毎日の長くて辛い単調な仕事」「義理の親との関係に苦しむ」「離婚は簡単ではない」
イギリスに住む著者による、イラクの女性たちのレポートは、少し息苦しくなる内容でした。
でも、読み進めていくうちに、昔の(今も?)日本の状況に似ているのではないかと思えてきました。
こうした女性の不満は、日本でもよくあった(る)ことです。
西欧から見て、「女性の地位が低い」のは、イスラム教だけが原因ではないようです。
日本人が、「アラブ(イスラム教)社会の女性はかわいそう」と同情するのは、ちょっと滑稽な気がします。
というのは、欧米から見ると、日本社会も十分「男女不平等」だからです。
以前、アメリカ人かイギリス人の男性に、こんなことを言われたことがあります。
「日本の女性は女中みたでかわいそうだ。僕が見た夫婦は、夫がいばっていて、妻が言われるがままに従っていた」
数年前のことなので、現在の若いカップルを見たら違う考えを持つかもしれませんが、どうでしょう。
西欧型の男女関係を、そっくりそのまま日本やアラブ(イスラム教)社会に適応できるのか、それが正しいのか、よくわからなくなってきました。
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by k_nikoniko | 2007-05-14 10:51 | ジェンダー