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3つのがんを発症した福島原発元作業員が労災認定を求めて提訴

2月28日、札幌の元原発作業員の50代男性が、労災不支給処分取り消しを求めて札幌地裁に提訴した。弁護団によると、福島第1原発事故の収束作業を巡り、労災認定を求める訴訟は全国初。
男性は2011年7月~10月に東京電力福島第1原発でがれきを撤去する作業に従事。12年6月から13年5月にかけ、膀胱、胃、結腸に、転移ではなく別々に3つのがんを発症した。13年に福島県の富岡労働基準監督署に労災申請したが、不支給となり、審査請求、再審査請求も棄却された。
記録に残された男性の被曝線量は、4か月で56.41ミリシーベルト。国が労災認定の目安とする、100ミリシーベルトを下回り、被曝から発症までの潜伏期間5年も満たしていない。
裁判の争点となる被ばくと発がんの因果関係について、弁護団長の高崎暢弁護士は、「労災の認定基準はあくまでも”当面の考え方”。原爆症認定で『一点の曇りもない科学的証明ではなく、経験則により総合的に判断する』との判決が出ている。原爆症訴訟の経験を生かし、勝訴したい」と力を込める。
原告側はまた、男性の被ばく線量が「記録より多かったはずだ」と主張している。
男性の業務は室内での重機の遠隔操作だったが、ケーブルの敷設などの屋外作業を余儀なくされ、がれきを直接手で運んだこともあったという。さらに、線量計の警報音が鳴っても作業を続行し、線量の高い現場では線量計を外して作業したとも証言している。
こうした労働環境にもかかわらず、記録上は「内部被ばくゼロ」で、計測方法にも疑問を呈する。
男性は代理人を通し、「同じような環境で働いている人たちの助けになれば」と思いを伝えた。
行政訴訟の第1回口頭弁論は4月13日。男性は東電などを相手に損賠賠償の係争中で、同日、札幌地裁にて民事訴訟も行われる。

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『週刊金曜日』2017年3月10日号

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by k_nikoniko | 2017-06-28 11:38 | 掲載記事(2011~)

大間原発建設差し止め裁判と建設現場

10月18日、東京地方裁判所で、大間原発建設差し止め裁判の第10回口頭弁論が開かれました。
毎回、収容席数98席の広い第103法廷で行われ、いつも定員数以上並ぶので、抽選で傍聴券が配られます。
はずれは少ないはずなのに、クジ運悪く、はずれた…でも、悪運に強く、傍聴券を譲ってもらい、この日も傍聴できました。

今回は、原告側(函館市)の代理人弁護士が、「竜巻による大間原発の危険性」をプレゼン。前回は、「火山の影響の想定誤りによる危険性」でした。

裁判については、函館市のHPに詳しく情報開示されています。

先日、函館市に行ったときに、大間町を訪れ、建設中の大間原発を見てきました。
この大間原発建設工事状況の日付ごろなので、私が遠目から見たのは、この状況です。

函館から大間までは、フェリーで1時間半。

朝9時半に函館港を出港し、11時に大間港着。
夏以外は1日2往復しかないため、帰りは大間港発14時10分に乗船。
超短時間の滞在でしたが、実際に町を歩き、地元の方と少し会話でき、行った価値がありました。
まず驚くのが、大間港から大間原発がくっきり見えること。
見たくないのに見える。人家に近い。それだけでゾッとする。
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写真中央、クレーンの右の白い屋根の灰色と水色の建物が原子炉建屋です。

過去に2回、見たくなくて見えてしまった原発に、ゾッとしたことがあります。
ひとつは、岩内のホテルの窓の真正面に見えた泊原発。
朝、爽やかな気分でカーテンを開けたら、目の前にくっきり泊原発の姿。

もうひとつは、フランスのパリからアヴィニョンに向かう電車TGVの窓から見た、ロワール川沿いに建つベルヴィル原発。
すごい至近距離で、ひっくり返りそうになりました。

この大間原発も、見たくないのに、フェリーに乗るたびに見てしまう近さ。
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西吹山展望台から見た建設現場。
この近くに、「陸(おか)マグロ」と呼ばれる大間牛の牧場がありました。
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のどかな風景です。
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こちらが漁港。マグロ漁船も。
そして、大間崎。
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大間埼灯台の向こう、津軽海峡をはさみ、函館市が見えます。
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大間原発建設差し止め訴訟の第1回口頭弁論で、工藤壽樹市長は次のように意見陳述しています。

福島の原発事故によって、はっきり分かったことは、ひとたび原発の過酷事故が起きると、地方自治体、その地域が事実上半永久的に消え去る事態に陥るということです。……
地震や津波のような自然災害も大きな被害をもたらしますが、まちを再建することはできます。……
戦争もまちに壊滅的な打撃を与えますが、復興は可能です。……
しかし、放射能というどうしようもない代物を広範囲にまき散らす原発の過酷事故は、これまでの歴史にない壊滅的な状況を半永久的に周辺自治体や住民に与えるのです。……
私たち函館市民は、承諾もなく近隣に原発を建設され、いざというときに避難もままならない状況の中に置かれることになります。
自分たちのまちの存続と生命を守るために、この訴訟を起こしたのです。……
世界を震撼させた福島原発事故を起こした我々世代の責任として、最低限立ち止まって考えるべきだということを申し上げたいのです。そのため私が訴えてきたのは、原発建設の無期限凍結なのです。
福島の事故を目の当たりにし、その後の福島の現実を見て、原発に大きな不安を抱く多くの人たちに対し、国や事業者は真摯に向き合い、もっと丁寧な対応をすべきだということを申し上げたいのです。
今はその努力、姿勢が全く欠けていると言わざるを得ません。……


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by k_nikoniko | 2016-10-30 20:50 | 原発・核

「3.11甲状腺がん子ども基金」が設立

9月26日から福島市で、子どもの甲状腺がんをテーマにした国際会議が開かれているそうです。
福島県が福島第一原発事故時に18歳以下だった約38万人に実施している「県民健康調査」では、6月末現在で135人が甲状腺がんだと診断されました。

福島では、子どもが甲状腺がんと告知されても、当事者の子どもも家族も世間の目を恐れて孤立し、患者の家族同士がつながることさえ難しい状況だといいます。
先行検査(2011~2013年)で小児甲状腺がんが確定した福島の子どもは85人、そのうち手術待ちは23人でした。
こうした子どもや家族を支援しようと、「3.11甲状腺がん家族の会」が発足したのは今年3月12日です。

個人的な話ですが、私の身内は3人、がんを告知されています。
当事者でないにしても、生存率が高くても、がんの告知を聞くのは落ち込みます。
何回聞いても慣れるような話ではありません。
誰にも相談できない状況を想像すると、とても胸が痛みます。

小児甲状腺がんと診断された本人や家族は、治療などの経済的負担も大きく、困窮しがちだそうです。
まずは経済的に支援を、と「3.11甲状腺がん子ども基金」が設立され、9月17日に設立記念シンポジウムが開催されました。
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シンポジウムでは、代表理事の崎山比早子さんが、日本甲状腺学会雑誌で放射線被ばくが「甲状腺がんのリスクファクター」の最も高いグレードAであると紹介。

この日本甲状腺学会雑誌(2010年10月)の「甲状腺がんリスクファクター」の部分(特集「甲状腺腫瘍の診療ガイドライン」)は、PDFでネットにアップされています(雑誌の99ページ、PDFの4ページ目)。
Q&A方式で、「甲状腺癌のリスクファクターにはどのようなものが存在するか?」との質問の回答は次の通り。

推奨グレードA:放射線被曝(被爆時年齢19歳以下、大量)は明らかなリスクファクターである。
推奨グレードA:一部の甲状腺癌には遺伝が関係する。
推奨グレードB:体重の増加はリスクファクターである。
これ以外に科学的に立証されたリスクファクターは今のところ存在しない。

このガイドラインによると、科学的に立証されたリスクファクターは、放射線被曝、遺伝、体重増加だけで、これを福島の子どもに適用すると、「放射線被ばく」は最も重要なファクターとしてはずせないということになります。

にもかかわらず、県民健康調査を担当する福島県立医大は「放射線の影響は考えにくい」と主張しています。
しかも、福島県では、甲状腺検査が「過剰診断」との意見も出ており、検査縮小に向けた見直しの動きがでているそうです。


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by k_nikoniko | 2016-09-27 23:51 | 原発・核

「シン・ゴジラ」を観ました

東京に突如出現したゴジラの対応に右往左往する政府。
東日本大震災や福島第一原発事故などでの政府の対応が少しずつ明らかになっている今、その描き方がかなりリアルでした。

”ゴジラ”は実際に現れないだろうけど、災害や有事の際に、この国はこんな対応をするんだろうなぁ、と、フィクションでありながら、現実を突きつけられます。

不測の事態でも、組織のルールにしばられて身動きできない政治家や官僚。
災害にはまったく脆弱な東京という街。
自衛隊の存在のあり方、米軍とのからみ。
アメリカの関与、そして、国際社会における日本の立場。

シン・ゴジラ」では、日本を守ろうと必死に動く優秀な人たちが登場しますが、ノンフィクションでもそういう人たちが活躍するのだろうか…。

この作品、ジェンダーの視点からも興味深いです。

まず、政府など会義のシーンは男性ばかり。政治家も閣僚も男性ばかり。
会議や対策本部の準備でホワイトボードなどを運んでいるのは女性。
そして、お茶を出すのもおばさん(片桐はいり)。

1954年の「ゴジラ」の予告編でも、政府の会議シーンは男性ばかり。
東京の街並みは完全に変わっていますが、60年以上たっても、日本の政治の世界はほとんど変化なしです。

日本側で光っていた女性は2人だけ。

ひとりは防衛大臣。
余貴美子が演じ、自衛隊に出動命令出すときの迫力、やや薄ら笑いするところが怖い。
というか、現防衛大臣と重なります(この作品の製作時には、彼女ではなかったので、もしかしたら、現東京都知事をイメージしていたのかも)。

もうひとりは、環境省の課長補佐(市川実日子)。頭は切れるが、この肩書。

それとは対照的に、アメリカ大統領特使は、石原さとみ演じる女性。
日本人の祖母を持ち、将来の大統領候補という役どころ。

ちらりとしか出てこないけれど、ドイツ人の科学者も女性でした。

意図的なのかはわかりませんが、女性のエンパワーメントがこう描かれています。

最後に、ゴジラは放射能廃棄物を食べて進化し、上陸して放射能をまき散らし、東京を汚染する、という設定です。
脱原発作品、といえなくもありません。
官邸前デモ(「ゴジラをとめろ」とか叫んでました)も一瞬映ります。

これだけのスポンサーで(「協力:電通」ともあった)、こうした作品を上映できるということに、少なからず感動を覚えました。
日本にもまだ、表現の自由があるのだと、安心もしました。


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by k_nikoniko | 2016-09-14 23:05 | カルチャー

福島の現実(週刊女性)

地産地消を奨励の福島県、弁当持参は「復興の妨げ」の声も

前出の森園さんは、いまでもガラスバッチをつけ、線量計を持ち歩き、外出時にはマスクも欠かさない。
「このところ、『自分だけが浮いている』と感じますね」と苦笑する。子どもがいなかったこともあり、夫とともに郡山にとどまった。
20代に化学物質などが原因で体調を崩し、食事療法を取り入れて健康管理に気をつかってきた森園さん。それだけに、放射能による体への負担を心配だ。
「除染がはじまったときは、すごく期待しました。実際、自宅を除染してもらったら、効果があったので」(森園さん、以下同)
屋外の空間線量は0.7μ㏜だったのが、今は0.2μ㏜ぐらいに。放射能汚染物の入ったフレコンパック4個は、庭に埋めてある。
「除染というより、移染ですよね。ホットスポットもあちこちにあるし」
たとえば、公民館横の砂利の上は、昨年10月の測定で11μ㏜。雨どいがなく、雨が直接落ちるからだと推測する。
「ここは、お母さんがバギーで通るところ。”早く除染したほうがいいのでは?”と施設の職員に言ったら、”そういわれても…”と。そんな感覚なんですよ」
行政も政治も、子どもの目線でやるべきだと思っている。
「甲状腺がんの疑いで85人の子どもが手術を受けたのに、”命にかかわらない”と平気で言ってのける大人の、なんて無神経なこと!」
口には出さずとも、母親たちの不安は消えたわけではない。その証拠のひとつに、子どもの室内遊技場はいつも満員だという。
森園さんは、「風評被害と言われることが一番のストレス」と嘆く。
「原発事故がなかったら、実害も風評被害もなかったんです。どんなにとりつくろっても、原発事故で汚染されたのは事実。それを認めたうえで、どういう政治や行政をやっていくか、どう物事をとらえて生きていくか、を考えるべきなのに」
それをいっさいやらずに、復興にひた走る福島。復興バブルで、土木建築や不動産関係は儲かり、収入格差も広がっている。
「除染が公共事業になってますよね」
除染事業を担うのは大手ゼネコンだが、実際に作業をする2次、3次の下請け。作業者の健康被害は顧みられているとはいえない。
「被ばくをないものとして、事業が進められている。それが怖いです」

帰宅困難区域の女性「帰ったら危ない」で町民に叩かれる

脱原発訴訟にたずさわる河合弘之弁護士は、事態は深刻だと指摘する。
「時間が経てばたつほど悪化している。不可逆なコミュニティ崩壊、家庭崩壊が今も進行中です」
福島での分断や対立は複雑だ。逃げ出したい若夫婦と残りたい年老いた親との亀裂。3世代で住んでいたのに、避難先の狭い仮設や借り上げ住宅で分かれて暮らすことになった家族。まとまって移動できなかったため完全に分解された地域。
「4年経ち、家を買った人はもう戻る気はない。物理的にも精神的にも、故郷の復興は難しくなっています」(河合弁護士、以下同)
仮設や借り上げに住む人と、もともとの地域の人たちとの摩擦も生じている。「昔は4時起きして、乳しぼりや畑仕事をしてきたのに、朝起きてもすることがない。毎月10万の賠償金をもらい、パチンコに行ったり、昼間から酒を飲んだり。全員ではないけれど、普通の人は弱いですからね。そうすると、”なんだあいつら”という話になる」
同じ仮設のなかでも、自主避難者は切り詰めて生活しているのに、帰還困難地域から来ている人たちは羽振りがよく見える。そんな日常的な心の行き違いがどんどん積もっていく。
「思いやり、惻隠の情というのをお互い持たないと、ますます分断が深まっていくでしょう」
だが、こうした状況が好都合な人たちもいる。
「国や電力会社は、コミュニティが崩壊してくれたほうがいいんですよ。集団での強い要求が出してこないし、対策も簡単だから」
除染などどうでもいい――、そう住民が言い出すのを待っている。それが、電力会社や政府の本音ではないか、と河合弁護士は見る。
臭いものにはふたをして復興したことにする。そして、〝はい再稼働しましょう!〟というわけだ。
「国や東電を相手に原発事故の損害賠償や刑事責任を追及すること。そして、いちばん大切なのは、再稼働差し止めの裁判を日本全国で展開することです」
近々再稼働が危ぶまれる原発は、川内(鹿児島県)、大飯(福井県)、高浜原発(福井県)。これらすべての原発の差し止め裁判を河合弁護士は担当している。
「原発を2度と稼働させない。それが究極の目標です」
郡山市は2月24日、市議会で『九州電力・川内原子力発電所の再稼働に反対する意見書の提出を求める請願』を採択した。
傍聴した前出・森園さんは、「小さな声でも、”2度とこのような原発事故を起こさない! 再稼働と原発輸出を絶対に許さない!”と言いつづけてきた」とこの4年間を振り返る。
また木幡さんも、「原発を誘致して、稼働したら、原発事故でこうなってしまう。それを世間に知らせなくちゃいけないんだよね」と言い、次のように結んだ。
「もう終わったと思ってるみたいだけど、まだ終わってないんだよ」

『週刊女性』2015年3月24日号


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by k_nikoniko | 2015-07-28 07:58 | 掲載記事(2011~)

原子力の誕生は民主主義の概念と両立していない

ブルーノ・シャレロン(原子力物理技術者、クリラッドの研究部門長)(注1)

6月22日、東京の日仏会館で、シンポジウム「3.11後の原子力社会における政治・知・民主主義」が開催された。最後のラウンドテーブル「原子力と民主主義は両立しうるのか?」では、日仏のパネリストがそれぞれの立場から意見を述べた。放射能汚染を明るみにし、防護策の改善を訴えつづけている独立研究所クリラッドのシャレロン氏が、原子力大国フランスの“非民主的な”問題点を語った。

まず忘れてはいけないのが、原子力は最初、軍事目的でスタートしたという重要な点だ。アメリカ、ロシア、そしてもちろんフランスもそうだった。原子力の誕生は、民主主義の概念と両立していない。原子力の平和利用でさえ、フランスもおそらく日本も、市民が現実に批判的に分析するのは不可能だ。原子力に関する情報すべてにアクセスできるわけではないからである。情報を隠すのは、テロリストへの機密漏えいを防ぐとの理屈からだ。フランスでは2006年に「原子力に関する透明性及び安全性に関する法律(原子力安全・情報開示法)」(注2)が制定された。この法律により、放射性物質、たとえばプルトニウムの加工に関する情報を配信した市民は、罰則を受ける可能がある。平和利用も含め、実際には民主的にならないよう、多くのからくりが作られている。フランスでは、原子力の平和利用計画の決定において、民主的な手続きがとられていない。

改善すべき点をいくつか紹介したい。まず、国家機関の役割である。フランスで原子力の安全を監視する専門機関はASN(原子力安全局)(注3)だ。クリラッドは、この機関が不十分であると指摘している。理由のひとつは、ASNが国防省と産業省を含む5省庁の管理下に置かれているからだ。5省庁に依存している限り、監視するのは難しいと考える。2つ目の要因は、ANSの文書のなかに、「研究者の流動性を促進するのが望ましい」と記されている点だ。つまり、あるときはIRSN(フランス放射線防護・原子力安全研究所)(注4)の研究者、あるときは原子力の監視検察官としてANSの研究者、といった流動性を意味し、ひとりの研究者が、ときには監視する側に、ときには監視される側になるのである。
3つ目は、ASNが、商工業の特色をともなう公社である点だ。原子力推進派の権力機関に面と向かう専門家の役割、つまり市民を守る役割と同時に、EDF(フランス電力公社)やアレバといった原子力事業者側のために専門的な監査も行っている。
このように、ANSには改善すべき面が数多くある。できるだけ根本から独立性のある国家機関の設立の必要があると思う。

市民の管理という役割の重要性も無視できない。たとえば、ウラン鉱山の分野。フランスには200もの古いウラン鉱山があり、これらは現在すべて閉山している。クリラッドは地元市民団体とともに、ウラン汚染に適応した規制の改正を促した。多くの汚染問題が存在していたからだ。ウラン鉱山からの使用済み放射能物質で、学校、レストラン、農場を流れる水が汚染されていた(注5)。
フランスで状況の改善や公正な判断をするのは、国家権力の直接的な行動ではなく、クリラッドのような団体の活動だと思う。測定からはじまり、メディアを使って汚染問題を国民に訴えていく。ウラン鉱山の汚染に対し、我々はドキュメンタリー制作(注6)に加わった。その番組は2009年に国営テレビ(France 3)で放送され、フランスのウラン鉱山の問題を国民に伝えた。その数ヵ月後、政府、原子力当局はウラン鉱山の管理に関する規制を少し修正した。(注7)
放射能防護の方策をさらに向上させるのは、独立した市民団体の役割である。そうした団体は市民に奉仕し、市民の手により市民を管理する。
フランスの国や企業はここ数年、言葉づかいを変える手段を使い、原子力エネルギー分野をわかりやすく理解させようとしている。以前は「汚染(contamination)」と言っていたが、現在は「マーク・印(marquage)」と表現する。こうした言葉を通し、人々の放射能に対する恐怖を減らすことができる。
情報の透明化に関しては、実際にはさほど変わっていない。例を挙げると、地域情報委員会(注8)のケースがある。ほとんどの場合、地域情報委員会が入手する情報は、原子力事業者から与えられている。そのため、独立した管理の遂行は非常に難しい。管理するには原発施設内に入る必要があると考え、クリラッドはその許可を求めた。4ヶ所で要求したが、原子力事業者はいずれも拒否した。真に独立した専門家が分析と監査を実施するには、あらゆる面において自律性を強化しなければならない。フランスは残念ながら、原発運営会社が結果を提示するシステムになっており、いまのところ権力と向き合う監査ではなく、効果的とはいえない。

そのほか改善しなければならないのは、影響調査である。フランス、たぶん日本も同じだと思うが、原子力施設の建設時や施設からの放射能排出許可の修正時に、住民がこうむる影響を調査する。問題は、多くの場合、こうした影響調査がされる前に、施設建設が決まってしまう点にある。2つ目の問題は、原子力事業者自体がこうした影響調査を準備する点だ。国家機関の職員は、あらゆる影響について、事業者を監視する役割を果たしていない。影響調査のしくみがうまくいっているか、項目の原則が規則どおりかを単に調べるだけだ。
影響調査の分析を独立した立場で行う際、我々はしばしば数多くの限界に直面する。まず、お金がかかること。たとえば、ANDRA(フランス放射性廃棄物管理機関)(注9)では、影響調査の資料コピー代が有料だ。さらに、その資料は非常に分厚く、調べるのに通常1ヶ月かかり、最初から最後まで分析するには、数ヶ月かかる。あまりにも技術的で高度なため、市民、地方自治体、独立専門家が徹底的に分析するには、そのぐらいの平均時間がかかる。

民主主義という意味で検討すべき別のポイントは、司法の問題である。フランスの場合、原発事業者、つまり原子力産業を司法の面から制裁するのは非常に難しい。アレバがからむ多くの事例が存在する。ウラン鉱山、たとえば、リムーザンの訴訟(注10)がそのひとつだ。ウラン鉱山からの放射能排出による環境汚染が発覚し、放射能廃棄物の投棄が原因なのは明らかだったが、裁判でアレバは無罪になった。なぜなら、規制がないからだ。汚染は違反ではなく、汚染が明白でも有罪にする手段が公式化されていない。規制を改善させていかなければならない。

国際的に民主化するには、国際原子力機関IAEAと世界保健機構WHOの何十年もつづく関係を断ち切らなければならない。この2機関の専門家は依存しあっている。福島第一原発事故に関して最近調査結果を発表したが、この調査はIAEAとWHOの協働で実施された。市民の健康を最優先に考え、国際的な組織においても、独立性と透明性が求められる。国際放射能防護委員会(ICRP)についても同様だ。日本で議論になった20ミリシーベルトは、ICRPの基準を採用している。この数値を推薦したICRPのメンバーのなかにはフランス人のロシャール氏がいる。彼は、CEPN(放射線影響研究所)(注11)という名の組織の理事長だ。この団体の主なメンバーは、IRSN、CEA(原子力エネルギー庁)、EDF(フランス電力公社)、アレバである。国際放射能防護委員会のメンバーの任命方法、専門家にも、透明性と市民権をさらに高め、市民の利益を守る代表者が任命されるべきだ。公衆衛生管理の規制を改訂するには、市民のより活発な行動が必要になる。
学校での教育や、市民に向けたあらゆる教育も関係している。間違った教育をさせようとしているからだ。フランスも日本も、原子力企業は非常に強力で、広告代理店を大いに利用する。アレバの場合、数年前から「原子力はきれいで、完璧」と説明するコマーシャルを頻繁にテレビで流している。市民は、原子力の巨大グループの資本力だけでなく、メディアの威力にも立ち向かわなければならない。
最後に、最も重要なカギを握るのは、市民である。市民が積極的に学び、適確な教育を受ける。そして、放射能防護のための規制や法律の制定といったあらゆるレベルのプロセスに、市民がかかわっていく。これが、防護レベルを上げていく本質的な方法である。

(1) 1986年、チェルノブイリ事故後に創設されたNGO。放射線に関するモニタリング調査、分析、情報提供を行う独立研究所。会員は7000人。
(2) Loi n°2006-686 du 13 juin 2006 relative à la transparence et à la sécurité en matière nucléaire
(3) 2006年に「原子力安全・情報開示法」の制定をうけて設置された独立行政機関。産業省、環境省、国防省、労働省、教育研究技術省の管理下にある。その使命は、原子力の安全性および放射線防護に関する管理・監督、公衆への情報提供。原子力分野の有識者5人からなり、3人は大統領から任命され、そのうち1人が局長になる。残り2人は、下院および元老院の議長からそれぞれ任命される。任期は6年。政府資金は年間7500万ユーロ。http://www.asn.fr/
(4) 2002年、原子力に関する研究、放射線防護教育、放射線モニタリング、原子力情報の公開、原子力と放射線利用に関する技術支援、非常時支援などの目的で創設。5省(産業省、環境省、教育研究技術省、厚生省、国防省)の管理下にある。原子力の安全、放射線防護、核物質管理、医学、農学、獣医学などの専門家、技術者、研究者が約1700人雇用されている。http://www.irsn.fr/FR/Pages/Home.aspx
(5) ロワール県ボワ・ノワール鉱山のサン=プリエスト=ラ=プリューニュ、オート=ヴィエンヌ県ラ・クルジーユ、ソーヌ=エ=ロワール県グーニョン、カンタル県サン=ピエールダンなどのウラン鉱山周辺地区を調査したところ、水、土地、空気の放射能汚染が発覚。鉱山事業者による放射性廃棄物の管理の杜撰さが明るみに出た。http://www.criirad.org/actualites/dossier_09/communique.pdf
(6) 「ウラン、汚染されたフランスのスキャンダル」”Uranium, le Scandale de la France Contaminé” 
(7) 持続可能開発省: http://www.developpement-durable.gouv.fr/IMG/pdf/2009-132_circulaire_gestion_des_anciennes_mines_d_U.pdf
(8) 1981年に、原子力施設立地地域に設置された。公衆への情報周知、施設の監視、事業者と自治体および政府との情報共有をはかるのが目的。2006年にその機能が強化された。委員会のメンバーは、県議会議員、市町村議会議員、県選出の国会議員のほか、環境保護団体、経済団体、労働組合、医師や専門家の代表者など。
(9) 放射性廃棄物を管理する機関として、1979年にCEA(原子力エネルギー庁)の傘下の独立組織として設立。1991年12月の放射性廃棄物法制定時に、産業省、環境省、教育研究技術省の監督下の公営企業として改組された。
(10) 1999年、市民団体「リムーザンの水源と河川」が、「水の汚染、放射性物質の投棄、生活を危険にさらした」として、コジェマ(現アレバ)を提訴した。2006年の判決でアレバは無罪に。原告の敗訴ではあったが、ウラン鉱山の汚染を訴えた初の裁判は、フランス国内でこの問題を議論するきっかけとなった。
(11) 1976年、放射能の危険から防護するための評価を行う目的で創設された、非営利団体。http://www.cepn.asso.fr/

『アジア記者クラブ通信』2012年7月5日号


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by k_nikoniko | 2015-07-17 07:42 | 掲載記事(2011~)

イタリア国民投票後の脱原発の課題(週刊金曜日)

フクシマの事故が脱原発へ イタリア国民投票後の課題

フィレンツェ大学物理学部のアンジェロ・バラッカ教授は、一九七〇年末から一貫して反原発運動をつづけている。
「国民選挙(二〇一一年六月)で廃炉が決まったのは、フクシマの影響が大きい。次は私たちが、日本に協力する番です。国際的な連帯を強め、世界の脱原発を実現しなくてはなりません」
あまり知られていないが、イタリアは、一九六四~六五年に三基の原子炉が稼動させており、アメリカ、イギリスに次いで世界三番目の原発先進国だった。その後、原発建設は一時停滞し、第一次石油ショックで計画が再開する。
この頃から、イタリアでは科学者や一般市民の原子力への不信感が高まっていった。バラッカ教授もまた、イタリアの脈略のない原発政策に疑問を抱き、原子力に関する研究に傾倒していく。
一九七七年、イタリア政府は、原子炉二〇基を建設する大プロジェクトを提案。この計画に、大規模な反対運動を巻き起こり、国内各地で抗議デモが繰り広げられた。
「イタリアの原発政策はつねにビジネス優先で、国民の利益は二の次」 バラッカ教授もこれを機に、反原発運動に深く関りはじめた。
チェルノブイリ事故の翌年(一九八七年)の国民投票でイタリアは「全原発の停止」の決断を下す。それ以降、原子力問題が取りざたされない時代がしばらくつづいたが、二〇〇八年、ベルルスコーニ政権が原発再稼動に動き出した。
バラッカ教授は、「原発問題に鈍感になり、反原発運動が存在しない」イタリアの状況を危惧し、『L’Italia Torna al Nucleare?』(イタリアは原子力に戻るのか?)を出版するなど、活動を開始。二〇一〇年に原発再稼働の是非を問う国民投票の実施が決定してからは、公開討論や講演会などを活発に繰り広げた。
政府はマスコミを利用し、国民投票阻止のプロパガンダを展開していた。そんな中での「草の根」の運動だった。
街頭活動などもないわけではなかったが、全国規模での抗議デモにはいたらず、焦りも感じたという。七〇~八〇年代の反原発運動の勢いを目にしているバラッカ教授によれば、今回のイタリア人の態度は、実に冷めたものだったそうだ。
「フクシマの事故がなければ……」とバラッカ教授は漏らす。
実際、福島第一原発の事故が決定打となった。三月十一日以降、世論が脱原発へと大きく傾いた。ただ、バラッカ教授は、「すさまじい事故を見て、拒絶反応を示しただけ」と分析する。現に、イタリアでは、国民投票で決着がついたかのごとく、原発への関心が急速に薄れている。経済危機をはじめ、国内には優先されるべき問題が山積みだからだ。
「国内での原発建設は違法ですが、イタリアは間接的に原発稼動に関与しています。イタリアの電力会社ENELは、スロバキア、スペイン、ブルガリアの原発運営企業の株主です。国営であれば国民投票に従う義務がありますが、民間企業には何も言えません」
イタリアでもまだ闘いは終わっていない。国を超えた脱原発に向けて、何をすべきか。
「政策を変えていく挑戦はできます。そのひとつが、再生可能エネルギーに有利な法律の整備です。やるしかないですね。まだまだがんばっています」

Angelo Baracca
ミラノ大学物理学部卒業後、フィレンツェ大学で博士号を取得。1968年よりフィレンツェ大学で統計力学や高エネルギー物理学などを教える。2009年の退職後も同大学で教鞭をとりつづけるかたわら、執筆や講演会、キューバの大学との協働研究など、国内外で活躍中。

『週刊金曜日』(2012年1月13日)「『金曜日』に逢いましょう」に掲載


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by k_nikoniko | 2015-06-23 13:59 | 掲載記事(2011~)

子どもを守る除染作業「朝鮮学校にも補助を」(週刊金曜日)

『週刊金曜日』(2011年7月29日)「金曜アンテナ」に掲載された記事です。
子どもの被害を防ぐため除染作業――「朝鮮学校も平等に補助を」
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by k_nikoniko | 2015-06-07 08:44 | 掲載記事(2011~)

仏・放射能監視団体が測定結果公表(週刊金曜日)

『週刊金曜日』(2011年6月10日)「金曜アンテナ」に掲載された記事です。
「正確な放射線排出量を知るべき」 仏・放射能監視団体が測定結果公表


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by k_nikoniko | 2015-06-05 08:57 | 掲載記事(2011~)

イラク戦争の劣化ウラン弾で白血病に(週刊金曜日)

『週刊金曜日』(2012年11月2日)「『金曜日』で逢いましょう」
「放射能はとても危険」。子どもたちが元気になるよう希望を与えたい
ザイナブ・カマル・モニーさん

白血病を発症したのは十三歳のとき。喉の痛みや手足の赤い斑点がつづき、検診を受けた。「父親が医者に『娘の病名を妻に伝えないでほしい』と言うのが聞こえ、何の病気なのか、とても怖かったです」。受診した病院では、多くの大人たちが亡くなっていた。二〇〇四年一〇月、イラク戦争から一年半が過ぎたころだった。
湾岸戦争直後の一九九一年四月生まれ。この戦争で米軍ははじめて劣化ウラン弾を大規模に用いた。居住地のバスラには三〇〇トン以上が使用され、イラク戦争では国内にその三~五倍が投下されたといわれる。イラクでは一九九三年以降、白血病などのがん、先天性障害などが増加し、劣化ウランの被ばくが原因と推定されている。
扁桃腺炎と告げられ、バスラ子ども専門病院に入院。「子どもたちの髪が抜けるのが不思議でした。でも、家族には質問できませんでした」。骨髄検査の強烈な痛み、抗がん剤注射の苦しい日々。一番のショックは脱毛だった。「病気そのものよりも、髪を失うほうが悲しかったです」。今でこそ、「健康が大切。髪は元に戻るので大丈夫」と言えるようになったが、そのころは泣いてばかり。入浴時に母がいつもなぐさめてくれた。
一年半ほど経ち、自分の病名を知った。「衝撃はなかったです。治療を終えなければ、とだけ考えました」。バスラは医薬品が不足し、医療設備も整っていなかった。治安も著しく悪化していた。「移動はとても危険でしたが、バグダッドまで家族と通院しました」。
医療状況は現在もさほど改善されていない。日本と比べ、イラクは白血病が治る確率も低い。子どもの治療を放棄してしまう親もいる。「治療を継続してあげて」。それが切なる願いだ。二年半におよぶ入院と治療。「でも、希望を失いませんでした」。入院生活にも楽しみがあった。「コンピュータゲームをしたり、年上の患者と遊ぶのは面白かったです」
病気が完治してからは、自分が過ごした院内学級を手伝い、子どもたちに勉強や絵などを教えはじめた。「絵を描くのは大好き」。アーティストになりたい気持ちもあるが、親の望む薬剤師を目指ざして勉強中だ。
二十一歳の今、最後の高校生活を送っている。得意科目は英語と生物。余暇はネットやチャット。サッカー・イラク代表のアクラム選手のファン。化学治療や点滴から解放され、ずっと夢見ていた、ごく普通の生活を満喫している。
この秋、セイブ・ザ・イラクチルドレン広島の招きで来日。広島、名古屋、東京、福島を訪問した。「薬などの支援をしてくださった日本のみなさんに感謝しています」。最新技術の国――イメージしていた近代的な工業都市とは違う日本を発見。「自然豊かで美しい。“庭園”みたいな風景です」。
日本では、自らの経験を伝えた。「戦争が病気の原因だと思っています。放射線はとても危険。でも、市街地には戦車や装甲車が放置されたままです」。市民への放射線に関する啓蒙もなされていない。
小児がんの患者には、「薬をしっかり飲み、辛抱強く耐えて。免疫力を高める食事を」と助言する。「病気に苦しんでいる子どもたちを見ると、とても辛いです。彼らの痛みや苦しみがよくわかるので。子どもたちが元気になるよう、私は希望を与える存在になりたいです」。福島市の聴衆の前でもそう語った。

ザイナム・カマル・モニー
1991年4月10日、バスラ生まれ。両親、兄弟、妹の6人家族。13歳で白血病を発症するが、病気を克服。高校に復学し、現在は最終学年の3年生。JIM-NET(日本)の支援を受け、院内学級の補助スタッフになる。


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by k_nikoniko | 2015-05-15 08:54 | 掲載記事(2011~)