フリーライター木村嘉代子のブログです。日々感じたことを綴っています。Copyright(C)2005-2016 Kayoko Kimura
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3月20日は「この国の危機」を考える1日でした

12時10分から「国連報告者アナンドグローバー氏院内勉強会」。福島第一原発事故による住民の健康管理に関する勧告に対し、関係省庁(外務省、環境省、復興庁、原子力規制員会)から発言。
一部ネット配信されているので、どのようなやりとりがあったかご覧いただけるとわかりますが、「このような官僚にこの国の政策をまかせていていいのか?」というのが率直な感想。
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16時からは、「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」主催の「元イラク派遣空自隊員と問う、集団的自衛権 -『有事』に蔑ろにされる人権」。イラクに派遣され、負傷した元自衛隊員・池田頼将さんのお話は、痛々しかった。
ネット配信してます。
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夜は「戦争をさせない1000人委員会」の出発集会。雨にもかかわらず、4000人が参加(主催者発表)。
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by k_nikoniko | 2014-03-21 18:52 | 戦争

「朝鮮人強制労働者の未払金とGHQ口座」記事掲載のお知らせ

本日(11月15日)発売の『週刊金曜日』に、「GHQ口座に保管されていた北海道の朝鮮人労働者の未払金」について書きました。
記事中にある、室蘭の輪西製鉄所で働いていた朝鮮人労働者の遺骨返還に関する投稿はこちらです。
強制連行韓国人の遺骨が62年ぶりに祖国へ

このブログにアップしてある、戦時中の朝鮮人および中国人強制労働者の記事を集めました。
この関心を持っていただけましたら幸いです。

北海道で実施された朝鮮人強制労働犠牲者遺骨発掘
"歴史を掘る"日韓の若者交流ー浅茅野遺骨発掘調査
強制労働された地で忌まわしい過去を語った韓国人
朝鮮人強制連行犠牲者の遺骨返還へ
日本がアジアで信頼されない理由
歴史を体感した中学生
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by k_nikoniko | 2013-11-15 08:04 | メディア掲載記事(2010~)

北海道で実施された朝鮮人強制労働犠牲者遺骨発掘

2013年8月19日と20日、北海道の旧忠別共同墓地で行われた、「江卸発電所・東川遊水地工事 朝鮮人強制労働・動員犠牲者遺骨発掘」に参加しました。
旧忠別共同墓地は、旭川空港から車で20分ほどの東川町を抜け、天人峡に向かって進み、忠別ダムを越えた先の山側に位置します。
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途中、東川町あたりで、北海道では珍しいゲリラ豪雨にあい、お天気はいまひとつ。
道に迷ったりして思っていたより時間がかかり、夕方4時ごろ現場に到着。ちょうど発掘作業が終わったところでした。ぬかるみの坂道を登っていくと、狭い現場には、日本人、韓国から来た韓国人、在日など、大勢の人が集まり、後片づけをしていました。
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今回の発掘は、忠別に暮らしていた住民の証言をもとに行われました。証言によると、「終戦の年1945年の2月、墓地の入り口に穴を掘り、朝鮮人の遺体を埋めた。棺桶はニシン箱を再利用したもので坐棺だった」そうです。この旧墓地の遺骨は、1980年代末に新しい墓地に移されました。
戦時中、江卸発電所および東川遊水地の建設のために、朝鮮半島から朝鮮人が強制動員されました。遊水地は水田用の水温を上昇させる目的で、東川に3か所、東神楽に1か所、東旭川に2か所の計6か所造られました。

宿泊は、東川町のキトウシ森林公園内ケビン・キャンプ場。かわいらしい(ケビン)ログハウスが並ぶキャンプ場です。私が1泊させてもらったケビンは、韓国人4人と日本人4人。日本語が上手な韓国人が2人、韓国で暮らす日本人が1人いて、通訳してもらいながら、夕食時間まで、自己紹介したり、女子会っぽいノリでおしゃべりに花が咲きました。

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by k_nikoniko | 2013-08-27 08:04 | 歴史

8月14日は日本軍「慰安婦」メモリアルデー

22年前の今日8月14日は、金学順さんが日本軍「慰安婦」だったと名乗りでた日。
この日をメモリアルデーにしようと、第1回目のアクションが新宿の柏木公園で18時から行われる。
これに先立ち、8月11日(日)に東京ウィメンズプラザ・ホールで、国際シンポジウムが開催された。
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午前中の第1部ではまず、フィリピンの被害者エステリーダ・ディさん(83歳)のお話。
1944年ごろ、フィリピンでは、米軍の上陸を警戒し、日本軍はますます残酷になり、ゲリラ掃討作戦を展開していた。
14歳のエステリーダさんは、市場で家の作物を売っていたとき、ゲリラと疑われたフィリピン人たちが日本兵に殺されるのを目撃。
逃げる途中に運悪くつまずいて転び、日本兵に無理やり連れていかれたという。
彼女は涙声で、こう語った。
「日本軍駐屯地のある部屋に押し込められ、日本兵にレイプされました。次の人が入ってきて、またレイプされまた。3人目が入ってきたので、抵抗すると、壁に頭をぶつけられ、意識を失ってしまいました。
意識を取り戻すと、日本兵はいませんでしたが、リンダというフィリピン人から、『抵抗すると痛めつけられるから、抵抗しないように』と忠告されました。
翌日、4人の日本兵がやってきましたが、リンダが『この子はまだ傷が癒えていないから』とかけあってくれました。
3日目、3人にレイプされ、さらに2人にレイプされました。
こうして、3週間、駐屯地に監禁され、毎日レイプされました」
米軍に解放されたエステリーダさんは、実家に戻ることができた。
エステリーダさんは、1954年に求愛され、その男性と暮らし、6人の子どもに恵まれた。
しかし、結婚は1996年。1993年に日本軍「慰安婦」だったと公表し、夫と子どもたちと話しあった後だった。
「『性奴隷被害者は名乗り出るように』という放送をラジオで聞き、最初は恥ずかしくて躊躇しましたが、奪われた尊厳を回復するために、名乗り出る決心をしました。
日本政府には、被害者のひとりとして、謝罪、歴史教科書への記載、法律に基づく補償を要求します。
この3つが実現してはじめて、尊厳が回復するのです。
戦争を起こしてほしくありません。戦争で最も被害を受けるのは、私たちのような女性や子たちです」
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by k_nikoniko | 2013-08-14 08:10 | 歴史

ガザからのメール(3/3)

2009年1月4日
昨日は人生で最も恐ろしい日だったと思う。母は、1967年のときより怖かったといっていた。戦争はそれほどはひどくない。電気が使えないこと、水がほとんどないこと、凍りつく寒さ、そして最も恐ろしいのは、生活の戦争のオーケストラを伴う寒さである。

陸上の侵攻による戦車での爆撃、F16の空爆、昼も夜も繰り返しつづく轟音。それは耳元で蜂がぶんぶんいっているかのような鬱陶しい音なのだ。それに加え、海からの攻撃の音もある。

戦争のメロディー。私はそう名づけたい。

このように、ワエルの質問に私は答えることができる。彼は質問しつづけた:戦争って何? どうして戦争なの? 誰が戦争をはじめたの? どうして戦争なの?

たぶん、私がメロディーという言葉を加えたら、彼は「どんなメロディ…」と質問してきただろう。

残念ながら、ワエルはメロディーについて質問してこない。彼は聞き続ける。「バイロットはどうして鳥を殺したがるの? どうしてパイロットは鳥を憎んでるの? たぶんパイロットは鳥が僕たちのように命があることを知らないんだ…」

私は彼の質問にショックを覚えた。「たぶん、鳥に命があることをパイロットは知らないんだ」

外が冷え込んできたので、私はワエルに家の中に入るよう言った。彼の鳥はもはや空に飛んではいない。「おいで、アラスカゲームをしよう!」

「アラスカって何?」
「おばあちゃんとも一緒にできる新しいゲーム。頭からつま先まですっぽり身体を隠せるよう、みんな自分の毛布を持って」

これで体が温まるのか、爆撃から隠れることができるのか、私にはわからない。電気がなく、私たちを心地よくさせてくれる空の鳥がいないので、どんなことをしたって、いい気分にさせてくれた。

「OK。ワエルがアラスカ州の一番偉い人だよ。私たちはアラスカの住民。ワエルは私たちが何をするように命令する?」 私はゲームをはじめた。

「店に行って、僕のために飛行機とカゴと種を買ってくるように命令する」と、親指をしゃぶりながら彼は言った。

「どうして?」 私は尋ねた。「説明しなければならないよ」

「僕は上へ、上へ、上へ行きたい。神に届くまで。
そして、鳥たちを全部連れてくるんだ。
鳥をかごに入れて。
僕はまた飛ぶ。
そして、パイロットを捕まえて、
彼をここに連れてきて、
鳥に餌を与えるようにパイロットに種をあげるんだ」

爆撃がつづくなか、私はワエルを見た。彼はかなり不安そうだった。

…そして、アラスカゲームはこの爆撃がつづく状況下で、体と生活にある程度の温かさをもたらすクリエイティブなある種の考えをもたらすだろうと思っていたので。

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by k_nikoniko | 2013-08-13 08:11 | 雑誌などに掲載された記事

ガザからのメール(1/3)

2008年末から、パレスチナのガザ地区はイスラエル軍に激しく攻撃されつづけました。
南部最大の都市ハンユニスに住む、NGOスタッフの女性マジダ・エルサッカさんと何度かメールのやりとりをしていたところ、2009年1月9日に、彼女からPDFで手記が届きました。
幼い甥っ子とかわした会話が中心です。
本人に公表の許可を得て、『北海道新聞』夕刊で、2009年1月19日~21日と3回にわたってこの手記の翻訳を掲載してもらいました。
以下は、マジダさんから届いた手記の全訳です。

2008年12月27日
イスラエルはあえてクリスマス休暇に攻撃を開始したという確信がある。この時期であれば、EUも米国もさほど反応を示さないだろうことを、私は知っているのだ。それだけではなく、イスラエルは時間がたっぷりあるときに虐殺をする計算だったこともわかっている。

それにしても、このようなことになろうとは、少しも想像していなかった。11時か11時半ごろだった。ハンユニスに地震が起きたのかと感じた。しかも、これまで聴いたこともないほどの轟音をともなっていた。数年前にイスラエル占領軍がソニックブームを使ったときでさえ、あれほどの音ではなかった。私の頭にすぐに浮かんだのは、母親、姉妹たち、そして、学校や幼稚園に通う子供たちのことだった。私は熱いシャワーを浴びようと2階に駆け上がった。ここ1週間以上は冷たい水のシャワーだった。というのも、水を温めるほどの晴天には恵まれず、5分間の贅沢なシャワータイムを楽しむための水を温めるほどの十分な時間とパワーの電気が使えなかったからだ。

聞こえてくる音よりも速く、私は階段を急いで駆け下りた。姉の目を見つめ、母親の目を見つめ、すぐ、幼稚園と学校にいる子供たちを迎えに行くために、庭に向かって階段を走った。6歳の甥は試験だったので、いつもより早く学校から戻ってきた。他の二人はドアのところに立っていた。幸いなことに、うちの隣の人が町に出かけていたので、彼が自分の子供と一緒に、私の甥たちも連れて帰ってきてくれたのだ。

子供たちは怖がっていて、自分でも理解できないまま大声で話していた。4歳の甥ワエル(Wael)はなんだか理解できないでいた。彼は、イスラエルが存在していることさえ知らなかった。

今、彼はそれを知ったのである。子供たちみんなが、それを知ったのである。

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by k_nikoniko | 2013-08-11 09:03 | 雑誌などに掲載された記事

日本でもドイツ徴兵拒否青年の奉仕活動

以下は2008年の記事です。


 徴兵制度が残るドイツだが、徴兵を拒否することもでき、その場合は兵役のかわりに奉仕活動に従事する仕組みになっている。最近は日本でのボランティアを希望する若者が多く、全国各地で彼らを受け入れている。こうした取り組みは、作家の故小田実さんが立ち上げた「日独平和フォーラム」の活動のひとつであり、札幌市の「日独平和フォーラム北海道」(代表 山口たか)でも、4人のドイツ青年にボランティアの場を提供している。このほど当地を訪れた、「独日平和フォーラム・ベルリン」とボランティア派遣NGOの代表者に、市民レベルでの交流について話をうかがった。 
 
 「日独平和フォーラム北海道」では、2004年からドイツの良心的な徴兵拒否の青年を受け入れ、これまでに15人の若者が、札幌市や地方の養護施設などで約1年間のボランティア活動に従事した。 
 また彼らは、今年夏のG8サミットでは、ドイツの和解のためのNGO「行動・償いの印・平和奉仕」代表、クリスチャン・シュタッファさんらを招聘して開催される「国際シンポジュウム・市民がつくる和解と平和」(2008年7月9日)にも参加する。 
 
 札幌を訪れたのは、小田実さんと20年前から交流があったオイゲン・アインホルンさん(独日平和フォーラム・ベルリン)と、ボランティアの派遣事業を行っているijgd(国際青少年公益勤務派遣団体)のアンネ・イェグリンスキーさん。二人は、ドイツの若者の社会奉仕に対する意識、市民運動の問題点と可能性、さらにはG8サミットや日独が抱える共通の問題などについて意見を述べた。 
 
▽世界を変えるのは市民の力 
 
オイゲン・アインホルンさんの話 
 
 「日独平和フォーラム」は、ドイツと日本の隣国に対する重大な戦争犯罪を反省しようと、小田実さんが立ち上げた。 
 両国は戦争で多くの体験をしたが、いまでも数々の問題を抱えている。日本政府は、中国や韓国などとの和解を実現していない。それを若い世代に伝える必要がある。 
 両国に共通しているのは、戦後、米国との関係を強め、そのおかげもあって敗戦国から経済大国に成長した点だ。これは非常に危険な側面ともいえる。 
 
 われわれの団体は、市民運動の力に期待し、日本全国の平和運動団体と協力し合っている。政府や大企業が動くのを待つのではなく、私とあなたが一緒にすぐ動くことが大切である。「すぐに動こう、自分自身で。誰かがやるのを待っていてはいけない、私とあなたがやらなければならない」。これこそ、小田実さんが残してくれた形見である。 
 
 ドイツでは、地方ごとに小さなグループがたくさん存在し、反原発や環境破壊など具体的な課題に取り組んでいる。残念なことに、ひとつにまとまることはめったにない。 
 市民運動はツナミのようなもので、反ベトナム戦争運動といったときには大きな波になるが、その後、潮が引いたようにそれぞれの場に戻っていく。市民運動を安定したものにするにはどうしたらいいか、と私はいつも考えている。私の解決策はとてもシンプルだ。運動が盛り上がっていないときは、具体的で長期的な目標に取り組むのである。私たちの事業のひとつ、徴兵拒否の青年たちのボランティアがそれだ。徴兵拒否の青年たちを日本に送る活動をつづけることで、この団体の安定化を図り、発展を促している。 
 
 ドイツ青年たちは大使としての役割を担い、ドイツのことを日本人に伝え、日本で学んだことをドイツに持ち帰る。ドイツと日本の若者が交流し、ネットワークが構築されていく。誰もコントロールできない、国際的なネットワークができると思う。 
 
 ドイツでも日本でも、市民運動にたずさわっている人は少数派といえる。しかし、社会学者マーガレット・ミードは、「世界を変えるのは、いつも小さなグループであり、大きな集団ではない」と言っている。多数派や政府、科学者ではなく、つねに小さな集団、市民が世界を動かすのだ。 
 私とあなたは無力であり、米国がイラク攻撃するのを阻止するのは不可能だろう。しかし、地道にひとつの問題に取り組み、市民運動を組織していけば、いずれ大きな力となる。 
 
 平和のために一緒に活動したら、その瞬間、われわれは平和の一部となるのだ。そう実感することは、とても希望に満ちていて、楽観的な気持ちになるだろう。市民が世界平和を願えば、必ず実現するはずだ。 
 
▽他人の苦しみが理解できる若者に 
 
アンネ・イェグリンスキーさんの話 
 
 このNGOは、1949年に、第二次世界大戦で敵同士だった人々と理解を深めるためのキャンプからスタートした。違う国籍の人がキャンプを通して出会い、ともに活動し、コミュニティーを築いていく。戦争で失われたコミュニティーを再構築していくのだ。 
 3週間の小規模なキャンプからはじまり、次第に業務が拡張して、ボランティア派遣も行うようになった。欧州では多くの活動がボランティアでまかなわれている。われわれは、世界中の団体と協力しており、3週間から24ヶ月までの期間、環境問題などさまざまなプロジェクトにボランティアを派遣している。 
 
 もうひとつの目的は、若者に社会的責任を学んでもらうことにある。生きていくうえで必要な知恵や、お互いを理解しあう大切さを教えるのだ。 
 率先してボランティア活動をするドイツ若者は5%ほどしかいない。だから、若者たちが参加しやすいアプローチ法を工夫し、多様な分野のNGOの活動を紹介している。 
 ボランティア活動の社会学習も企画している。さらに、ボランティア終了後の進路オリエンテーションも行う。ボランティア期間が過ぎ、進むべき方向を見出せずに悩む若者も少なくないからだ。 
 
 ボランティアを経験した若者は精神的に成長する。他人の苦しみを理解できるようになり、自分で何かしなければならない、分かち合わなければならない、という気持ちが芽生える。これが一番大きな変化だ。 

『日刊ベリタ』 2008年05月03日15時19分掲載
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by k_nikoniko | 2013-08-01 20:46 | 雑誌などに掲載された記事

兵役ではなくボランティアを選択したドイツ青年の話

1997年ごろにパリで会ったドイツ青年マティアス(27歳)のインタビューです(未掲載)。

「住み込みのベビーシッターをしながら、6ケ月ぐらいフランス語を勉強するつもりが、6年もパリに住むことになってしまったんだ」
ケルンの南西、ドイツの小さな町で育ったマティアスは、高校卒業後、兵役の代わりにソーシャルワーカーを選び、2年の任務を終えた21才の時、“外の世界を見るため”、パリへやって来た。
同じ家庭でベビーシッターとして5年働いた間に、滞在延長のため大学進学を決意。
何を学ぶか悩んだ末、美術史を専攻することにした。
「ドイツの若者は、移動したがる人が多いようです。フランスの若者は、どちらかというと留まる方が好きなようだけど。ベルリンなどの大都市に住んでいれば別だけど、ドイツの田舎の若者は、外に出たいという気持ちが強いんじゃないかな。僕の意見としては、いろいろな国に行ってみるのは、いいことだと思うよ。人生経験が豊富になるしね」
昨年、交換留学生としてローマの大学に行く予定だったが、ガールフレンドと離れるのが辛く、パリに留まることにした。
「ほとんどのドイツ人は、考え方がオープンだよ。フランス人は少しシビアな見方をするけどね。もちろん僕はドイツ人だけど、ドイツ人ということより、“マティアス”という人間であることを意識しているんだ」
最初は、フランスではなくトルコへ行こうと思っていたという。
ドイツには、たくさんのトルコ人が移住しており、彼らの国に興味があったそうだ。
こういう若者とは反対に、ネオナチやスキンヘッドによる移民トルコ人の迫害事件が、ドイツでは問題になっている。
「失業中の若者は、ドイツ人よりいい仕事をしている知的なトルコ人に嫉妬しているんだ。くだらない嫉妬だと思うな。ナチズムは時代遅れで、ただの幻想でしかないよ」
過去の戦争経験から、フランス人はドイツ人にときどき厳しい批判をする。
過去は忘れてはいけないし、事実を認めるべきだが、そこから何かを学ばなければならない。
そのことにプライドを持ったり、怒ったりすべきではない。
マティアスはそう考えているそうだ。
「2年前にシャンゼリゼ大通りでドイツ軍が行進した時、多くのフランス人が反対した。これは、新しいフレンドシップのための、歓迎すべきサインだと思う。僕たちは現代を生きているのだから。ヨーロッパ社会の隣同士で戦争するなんてバカげているよ」
今のところ、将来のビジョンは未定だというマティアス。
今年6月に学位を修得したら、就職活動をする予定だ。
言葉のいらない自己表現アートで、世界を相手に働くのが希望なのだそう。
人生を旅にたとえる彼。
スタート地点はフランスのパリだったが、今後の旅程はまだ定まっていない。
奇想天外なプランを立ているのか、ニヤリとほくそ笑んだ。


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by k_nikoniko | 2013-07-31 23:37 | 歴史

フランス革命記念日の軍事パレード

昨日7月14日はフランス革命の日。
フランス革命は小学生のときに知りました。
『ベルばら』で。
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フランス革命記念日には、パリのシャンゼリゼ大通で軍事パレードが行われます。
1度だけ行きました。
軍隊は人を興奮させ、軍人は英雄視される。
それを目の当たりにし、気持ち悪くなりました。
でも、これが現実。

サルコジと革命記念日
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by k_nikoniko | 2013-07-15 20:05 | フランス

「死を待つ少女たちと彼女たちを救う男性」イヴ・エンスラー

戦争の性暴力は日本に限ったことではない。
というのは、ウソではないでしょう。
世界中の紛争地で、多くの少女や女性たちが性暴力の犠牲になっています。
だからといって、日本もやっていいわけがありません。
日本がその慣例を容認するなんてもってのほか。
そんな悪癖は徹底的に撲滅すべきです。
日本が「慰安婦」問題と真摯に向き合い、犯した過ちを謝罪することは、同時に、世界中の戦争による性暴力の被害者の救済にもつながります。
日本が深く反省し、二度とこのような被害者を生まないように訴えるのもまた、価値ある国際貢献だと思います。
経済援助だけが国際貢献ではありません。
残忍な性暴力をなくすために、なによりも戦争をなくすために行動する日本だとしたら、それほど誇らしいことはないでしょう。

「死を待つ少女たちと彼女たちを救う男性」イヴ・エンスラー

毎年数えきれないほどの女性たちがひどい性暴力を受けているコンゴでは、デニス・ムクウェジ産婦人科医が彼女たちの傷ついた体と心を癒している。イヴ・エンスラーはその医師を訪ね、恐怖に震えながらも希望を見出した。

私は地獄から戻ってきたばかりだ。なんとかして、コンゴ民主共和国で目にし、耳にしたことを伝える方法がないか頭を悩ませている。あなたに途中でさえぎられることなく、ページをとばさせることなく、過剰に動揺させることなく、これらの残虐な話を伝える方法はあるのだろうか?

兵士のグループにレイプされた9歳の少女の話や、ライフルの一撃で内部が吹きとんで排泄のコントロールができなくなってしまった女性の話を、どのようにあなたに語ったらいいのだろう?

この旅は私にとっての始まりだった。2006年12月にニューヨークでデニス・ムクウェジ医師と知り合って話す機会があり、そのとき彼は、ブカヴのパンジィ病院で女性を救済する仕事について話してくれた。私の耳障りなフランス語と彼のつたない英語でのやりとりのはじまり。彼の充血した目には静かなる苦悶が見え、その目の充血の原因は、彼が目撃した残虐なシーンであるかのように思えた。

話をしているとき、この医師に会うために世界を半周しようという強い気持ちがわきおこった。この素晴らしい男性は、狂った民兵が裂いた女性の体を縫い合わせているのだ。

彼が救った患者の話しからはじめよう。顔のない、一般的な、戦争でレイプされた女性たちは、名前と想い出と夢を持つ女性の名前、アルフォンシーヌかナディーヌと名のる。

私のそばで話を聞き、心を開き、私が遠いブカヴのパンジィ病院で座っていたときのような怒りと吐き気を感じてもらえるか、あなたに聞いてみたい。

コンゴに行く前の10年間、私は女性や少女に対する暴力を撲滅する世界的な運動V-day(訳注:http://v10.vday.org/)で働いていた。ボスニア、アフガニスタン、ハイチといった、戦争の武器として性暴力が用いられている国々の、世界中の性暴力センターを訪問した。しかし、コンゴで行われているほど、惨く、恐ろしく、完璧な性的拷問、女性をズタズタにしているところはいまだかつて経験したことはない。これを女性抹殺と呼んでも言い過ぎではないだろう。コンゴの女性の将来は深刻な危機状態にあるといえる。

この旅で学んだのは、悲しみとやるせなさを抱え、女性の体をズタズタにする男性がいること、その一方で、同じく悲しみとやるせなさを抱え、自分の人生を癒しと救いにささげる男性がいるということだった。どのような理由で、女性をズタズタにする男性になるのか、癒し救う男性になるのか、私にはわからない。ただ、わかっているのは、立派な男性はより多くのことを創り出していくということである。立派な男性は、女性の痛みに共感し、彼女たちのために闘い、彼女たちを守るよう、他の男性たちに示唆することができる。立派な男性は、レイプされた女性たちのコミュニティーで信頼を得ることができ、そうすることで、人間としての誠実さを保ち続けることができる。

ムクウェジ医師は私を6時30分に迎えに来た。青々とした清らかな朝である。パンジィ病院のあるコンゴ東部は、広大な肥沃の地である。まるで野菜が育つ音が聞こえるかのようだ。バナナの木、そして漫画のようなカラーの鳥たち。メタンを十分に含んだ水をたたえるキヴ湖は、サブサハラに電力を供給するのに良い位置にあるのだが、その河岸にあるブカヴ市は、常時電気が使えるわけではない。これがコンゴの問題である。地球上のどこよりも豊富な天然資源を有しているのに、人口の8割は1日1ドル以下の生活をしている。思ったより雨がたくさん降るが、何百万もの人がきれいな飲み水にありつけない。この土地は地理的に肥沃であっても、人口の約1/3が飢えている。

道路らしき道をドライブしている間、医師は、子どもの頃と比べてどれだけここが変化したかを話してくれた。60年代、ブカヴの住民は5万人だった。平穏な場所だった。湖でスピードボートを楽しむ裕福な人もいた。山にはゴリラがいた。現在、少なくとも100万人のコンゴ難民がいて、1996年に発生した紛争以来、郊外を略奪している多くの武装グループから逃れるために、難民のほとんどが都市部に住んでいる。独裁者モブツ・セセ・セコを打倒しようと内戦がはじまり、すぐに“アフリカ”の第一次大戦となった。オブザーバーはそう呼んでいる。この混乱に乗じて、隣国から兵士が参戦した。軍隊のアジェンダはさまざまだ。多くは、あふれるほどの鉱物に恵まれた地域を支配下に入れるために戦っている。手に入るものはなんでも略奪しようというのもいる。

しかし、現在のコンゴで何が起こっているかを理解するには、1996年以前にまでさかのぼらなければならない。この国は、120年以上も拷問されつづけている。1885~1908年にコンゴを統治したベルギー王国のレオポルド2世の時代にはじまり、人口の約半分である1000万人もの人が惨殺された。虐殺と植民地主義の暴力的な結果により、コンゴの人々の精神状態は深刻なインパクトを与えられたのである。2003年の和平合意および近年の選挙にもかかわらず、武装グループはコンゴの東半分を脅かしつづけている。紛争を通し、第二次世界大戦後のいずれの紛争での死者よりも多い400万人近くの人が命を失っている。そして、数え切れないほどの女性や少女がレイプされている。

ブカヴでは、朝早くから夜遅くまで、紛争から逃れようとする人々が歩いている。彼らは、トマトを売ったり買ったりするために、もしくは、赤ん坊のためのバナナを手に入れるために、ひたすら歩く。それは不安を抱え飢えている人間の残忍な川である。「人々は1日3度の食事をしたものだ」とムクウェジ医師は言う。「今は1日1回でも食事ができたらラッキーだよ」

(原文は英語ですが、出典は不明。2008年夏以前に書かれたものです)
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by k_nikoniko | 2013-07-04 23:46 | 社会問題