フリーライター木村嘉代子のブログです。日々感じたことを綴っています。Copyright(C)2005-2016 Kayoko Kimura
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「安保法制反対の若者デモ」記事掲載のお知らせ

昨日(9月1日)発売の『ビッグイシュー日本版』の「2015年夏、ストリートデモクラシー」特集で、札幌の「戦争したくなくてふるえる」の若者たちの記事を書きました。
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「札幌には国会ないけど、ここで声を上げることが大切」「ギャルに政治的関心を持ってもらいたい」と発起人の高島愛鳥さん。

8月15日、札幌の大通公園で、このグループが「平和したくてふるえる」の集会とデモを開催し、500人が参加しました。
大通公園に遊びにきていた小学校2年生ぐらいの男の子が、デモの呼びかけに合わせて、小さな声で「戦争反対」と言っていたのが印象的でした。
街ゆく人たちの視線が、いつもより好意的だったように思います。
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by k_nikoniko | 2015-09-02 20:27 | 掲載記事(2011~)

ガザの友人が来日

9年ぶりにパレスチナのマジダさんと再会しました。
昨夜、一緒に来日したラシャさんと3人で、東京の街へ。

59階のスカイレストランで夕食。
うまく映っていませんが、窓の外は光輝く都会の夜景。
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東京のネオンに驚く二人。
福島第一原子力発電所の電気が東京で消費されていたことは知らなかったマジダさん。
「あんな事故があったのに、なんて残酷な」と…。

今日14日、マジダさんとラシャさんの講演会があります。
マジダ・エルサッカさん来日講演会「ガザの私たちが世界に伝えたいこと」

2009年のガザ侵攻のとき、送られてきた手記の翻訳はこちらです。
ガザからのメール(1/3)
ガザからのメール(2/3)
ガザからのメール(3/3)

昨年の攻撃はこれよりひどかったそうです。
紛争のたびに悪化する、ともらしていました。


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by k_nikoniko | 2015-06-14 10:39 | ひとりごと

イラク戦争の劣化ウラン弾で白血病に(週刊金曜日)

『週刊金曜日』(2012年11月2日)「『金曜日』で逢いましょう」
「放射能はとても危険」。子どもたちが元気になるよう希望を与えたい
ザイナブ・カマル・モニーさん

白血病を発症したのは十三歳のとき。喉の痛みや手足の赤い斑点がつづき、検診を受けた。「父親が医者に『娘の病名を妻に伝えないでほしい』と言うのが聞こえ、何の病気なのか、とても怖かったです」。受診した病院では、多くの大人たちが亡くなっていた。二〇〇四年一〇月、イラク戦争から一年半が過ぎたころだった。
湾岸戦争直後の一九九一年四月生まれ。この戦争で米軍ははじめて劣化ウラン弾を大規模に用いた。居住地のバスラには三〇〇トン以上が使用され、イラク戦争では国内にその三~五倍が投下されたといわれる。イラクでは一九九三年以降、白血病などのがん、先天性障害などが増加し、劣化ウランの被ばくが原因と推定されている。
扁桃腺炎と告げられ、バスラ子ども専門病院に入院。「子どもたちの髪が抜けるのが不思議でした。でも、家族には質問できませんでした」。骨髄検査の強烈な痛み、抗がん剤注射の苦しい日々。一番のショックは脱毛だった。「病気そのものよりも、髪を失うほうが悲しかったです」。今でこそ、「健康が大切。髪は元に戻るので大丈夫」と言えるようになったが、そのころは泣いてばかり。入浴時に母がいつもなぐさめてくれた。
一年半ほど経ち、自分の病名を知った。「衝撃はなかったです。治療を終えなければ、とだけ考えました」。バスラは医薬品が不足し、医療設備も整っていなかった。治安も著しく悪化していた。「移動はとても危険でしたが、バグダッドまで家族と通院しました」。
医療状況は現在もさほど改善されていない。日本と比べ、イラクは白血病が治る確率も低い。子どもの治療を放棄してしまう親もいる。「治療を継続してあげて」。それが切なる願いだ。二年半におよぶ入院と治療。「でも、希望を失いませんでした」。入院生活にも楽しみがあった。「コンピュータゲームをしたり、年上の患者と遊ぶのは面白かったです」
病気が完治してからは、自分が過ごした院内学級を手伝い、子どもたちに勉強や絵などを教えはじめた。「絵を描くのは大好き」。アーティストになりたい気持ちもあるが、親の望む薬剤師を目指ざして勉強中だ。
二十一歳の今、最後の高校生活を送っている。得意科目は英語と生物。余暇はネットやチャット。サッカー・イラク代表のアクラム選手のファン。化学治療や点滴から解放され、ずっと夢見ていた、ごく普通の生活を満喫している。
この秋、セイブ・ザ・イラクチルドレン広島の招きで来日。広島、名古屋、東京、福島を訪問した。「薬などの支援をしてくださった日本のみなさんに感謝しています」。最新技術の国――イメージしていた近代的な工業都市とは違う日本を発見。「自然豊かで美しい。“庭園”みたいな風景です」。
日本では、自らの経験を伝えた。「戦争が病気の原因だと思っています。放射線はとても危険。でも、市街地には戦車や装甲車が放置されたままです」。市民への放射線に関する啓蒙もなされていない。
小児がんの患者には、「薬をしっかり飲み、辛抱強く耐えて。免疫力を高める食事を」と助言する。「病気に苦しんでいる子どもたちを見ると、とても辛いです。彼らの痛みや苦しみがよくわかるので。子どもたちが元気になるよう、私は希望を与える存在になりたいです」。福島市の聴衆の前でもそう語った。

ザイナム・カマル・モニー
1991年4月10日、バスラ生まれ。両親、兄弟、妹の6人家族。13歳で白血病を発症するが、病気を克服。高校に復学し、現在は最終学年の3年生。JIM-NET(日本)の支援を受け、院内学級の補助スタッフになる。


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by k_nikoniko | 2015-05-15 08:54 | 掲載記事(2011~)

強制連行の真実を明らかに

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 アジア太平洋戦争時、日本政府や軍の命令で、多くの朝鮮人が労務や軍務などに動員された。これまでの調査や研究によると、炭鉱や軍需工場、軍事基地建設に動員された労働者は70万人以上、軍人軍属は30万人以上とみられる。
「生存者に話を聞くと、日本語がわからないまま、何の説明も受けずに連れて行かれた、というのが圧倒的です。募集だから本人の意思、といいますが、その内容は騙しです。甘言による動員は違法なのですよ」 そう語るのは、強制動員真相究明ネットワークの事務局長・小林久公さんだ。
 こうした実態を究明するために、2004年、韓国で強制動員関係の特別法が成立し、政府内に真相を究明する委員会が設立された。それに呼応し、全国各地で活動していた人たちが、韓国と連携しようと発足したのが、強制動員真相究明ネットワークだ。
 韓国の委員会は、申告者の被害認定を行っている。その際に必要な資料や名簿のほとんどは日本側にあるため、「真相究明ネットワーク」は情報収集を手助けしてきた。これまで、企業が所持する朝鮮人労働者の賃金名簿や自治体が保管している埋火葬許可証などを探し出し、韓国の委員会に提供した。
 強制連行の重要な証拠のひとつが、給与や厚生年金などの名簿だ。金融機関に勤めていた小林さんは、“仕事で培った勘”を頼りに、名簿探しに奔走する。
「業務経験が功を奏していますね。どこにどんな台帳があって、それが行政にどういう風に集められるか、職業上の常識として知っていますから」
 ここ数年は、未払いになっている賃金の行方を追っている。朝鮮人労働者には一般的に給料は支払われていたが、そのほとんどを郵便貯金に回され、本人たちにはおこずかい程度しか渡されなかった。終戦後、貯金通帳は会社などが預かったままで、朝鮮人労働者の多くは賃金を手にしないまま帰国した。
「昭和22年に政府は、『郵便貯金通帳は指示があるまで会社で保管』と通達しました。その指示の文書が見つかったのは、つい3年前です。それまで、『こういう処理をしました』と政府は一度も説明していません。本来それは個人財産。本人たちに通知、または渡されるべきものです」
 全国から集まった朝鮮人労働者の貯金通帳は、福岡の郵便貯金センターにあるのはわかった。追跡は現在も続行中だ。保管している通帳のリストを韓国に提出するよう要求したが、まだ行われていない。
 これらの公文書は、事実認定には欠かせない貴重な資料だ。強制動員問題の解決のカギは、日本政府と日本企業の情報公開にかかっている。しかし、日本側はそれを拒みつづける。韓国の申請者25万人に対し、被害認定できたのは3割程度でしかない。「韓国側は、全体の人数さえ把握できないのです。それを知るには、日本が権限のある調査を行わなくてはなりません」と小林さんは言う。
「研究論文や資料も含め、政府に突きつけて認めさせるべきなのですが、強制労働の調査を担当するセクションがないのです。韓国側と協議するときは、関係省庁から出てくるわけですよ。外務省、過去に動員を担当した厚生省、未払い金を担当した労働省、地方自治体を管轄している総務省、以前は郵政省も。でも、それを一本にまとめるところがありません。」
 小林さんたちは、過去の問題を専門に調査する部署創設も求めている。「国会図書館内に調査室を設置できるよう、図書館法の改正案を以前から超党派で提出しているのですが、宙に浮いたままです。鳩山さんが会長だったので、本人が首相になったときに当然実現するだろうと期待したのですが…」
 韓国側が政府機関であるのに対し、日本には相応するものが存在しない。「真相究明ネットワーク」は市民団体だ。小林さんは、「市民としては一生懸命やったが、反省点もある」と認める。「韓国政府が要求し、日本政府を通して公文書などを取り寄せる仕組みにすればよかったのですが、それができず、結局、日本政府は知らなくてもいい、という状況を作ってしまいました。韓国に委員会ができたことで成果を挙げましたが、韓国側も日本の市民も未熟だったわけです」
 その弱点が裏目に出たのは、戦時中に日本で亡くなった朝鮮人の遺骨返還問題だ。この件に関する最初の日韓協議では、「人道的な立場」「未来志向」「現実主義」で遺骨問題を扱うという3原則をお互い確認しあった。
「協議に参加したのは、日本側から外務省、韓国側からは善良な市民と研究者。日本政府の思惑は、『わが国の直接的な責任ではないが、韓国から求められている遺骨問題を、人道的な立場で扱う。それによって、日韓の未来に役立つ』と都合のいいもの。でも、韓国側は善意に解釈したのだと思います。その結果、遺骨返還の際の「公式な謝罪」がずっとネックになっているのです。結果論ですが、『日本の歴史問題の解決のために遺骨問題を扱う』としていたら、違ったでしょう」
 遺骨問題を担当する人道調査室は設置されたが、「『なぜ死にいたったか』『その責任が日本政府にあったのか』は、自分たちの調べる課題ではない」というスタンスを崩さない。
 札幌在住の小林さんは、北海道の朝鮮人遺骨問題に取り組む市民団体「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」でも活動している。当団体が結成されたのは、2002年に本願寺札幌別院が101体の朝鮮人、中国人の遺骨の存在を発表したのがきっかけだ。その後、赤平と室蘭の寺院に納められていた遺骨の返還、日本軍浅茅野飛行場建設時の死亡者が埋葬された共同墓地の発掘などを行ったが、解決の糸口は見つからず、前途多難でもある。
「調べてみたら、返せない遺骨のほうが多い。約2600体の遺骨情報のうち、遺族が判明しているのは50体ほどだけです」 遺族は国と企業の責任を問うが、日本側は拒否しているため、現政権下において返還は難しい。そこで、北海道フォーラムでは、「市民の手で返還」という方向に動きつつあるという。ただし、国と関係企業にも関与させるのが条件。「室蘭の遺骨返還のときは、外務副大臣が弔辞をよこしました。せめてそれぐらいはさせなくては」
 小林さんらは先ごろ、人道調査室に宛てて、「北海道の遺骨状況を把握しているか」との質問書を提出した。返答は、「お答えできません」だったそうだ。
実のところ、この史実を知る日本人はさほど多くないのが現状だ。
「教科書に記述はあっても、教える能力を有する教員は少なく、ほとんど教えられていないと思います。河野談話や村山談話では、歴史教育を約束していますが、実際には行われていません。国家公務員および地方公務員研修、教員研修など行政が管轄する研修制度のなかで、きちんとした歴史教育を定着させることが必要ですね。安倍首相は、談話を継承すると言ってしまったわけですから、それをやる義務があります」

『ヴィタル』 2013年夏号(第16号)

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by k_nikoniko | 2015-05-04 09:22 | 掲載記事(2011~)

敗戦70年の年に本多立太郎さんの投書から

敗戦の日の今日、本多立太郎さんの投稿をまとめた『本多立太郎 投書集 1976~2010』より、4つの投書から抜粋して紹介します。
おすすめの著書です。

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「戦争」答えられるのはあなた
……やがてわれわれ戦争体験者が死に絶えた後、知らぬが故に、男は一生に一度、軍服を着て銃を執らなければ男にならねえ、などと言い出さないと限らない。現にわれわれの見えないあたりでそのための法的手続きが用意され、国家の名による平和教育もその中身が変質されつつある。「過去を変えたり怒らなかったことにするため」の、いわゆる自由主義史観が日本近現代史をゆがめようとしている。
(「戦争の出前話」語り部 和歌山県在住=投稿) 1998年12月8日 朝日新聞「論壇」 全国4社同時掲載

天皇の責任を忘れ去れない
戦時中、日本人は皆、死に物狂いだった。当時植民地だった朝鮮、台湾の人々もそれに巻き込まれた。
私も軍服を着せられ、友を失った。しかし戦友は靖国にはいないと思っている。戦争に駆り出されて殺された者が、殺したやつらと同じ屋根の下にいられるはずはない。彼らは皆、故郷の自分の家の墓に戻っている。会いたければそこに詣でればよい。私は3人の亡き戦友の墓を詣でた。
2006年7月28日 朝日新聞「声」

今日の日本は愛し得る国か
愛国心を問う前に、まず、愛し得る国家とは、を問わねばならないのではないか。国家とは山でも海でもなく、人間が人間のために作った一つの組織、機構に過ぎないのに、これを故郷の山や海とごっちゃにするから、戦前のように国家に対する無条件の愛着と奉仕を強要されることになる。
1983年1月28日 朝日新聞「声」

戦争ばなしの出前1年
……反戦は決して理屈ではない。
しかし、私は声高に反戦を語らない。ただ事実を正直に語ればそれが直ちに戦争批判となるという特質を戦争は持っているからだ。
戦争噺は高い演壇からでなく、円座の中で互いに瞳を見合いながらするものなのだ。
決して難しいものではない。
1987年3月18日 朝日新聞「声」



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by k_nikoniko | 2015-05-01 21:57 |

「新しい自由な世界へ」平塚らいちょう

1951年11月に平塚らいちょうが書いた短い新聞記事を見つけました。

わたしたち一人ひとりが、どれほど平和を強く望んでいても、それが個人的な立場にのみとどまるかぎり、この世界から戦争をなくするコトはできません。わたしたちの平和への熱意と努力が、新しい世界機構の創造に向けられなければ、云いかえれば、世界政府をつくるというコトに集結されねば真の平和の実現は期待されません。世界政府こそ恒久平和への門であり、入口であるからです。
今日の世界??は??の政治家や軍人、また男子ばかりの手に任せておいたのでは、もはや?われません。彼らにばかり任せていたら、世界はそして日本はいったいドコへ行くコトでしょう。
今、日本の母たちは一人残らず戦争を心の底から憎み、子どもたちや孫たちが再び戦争しなければならない様なコトのないようひたすらに平和を望んでおります。
この母たちこそ、過酷な戦争のギセイにおいて得た唯一の収穫である日本の平和憲法を守りぬくと共に、これを世界的なモノにおしひろめなければならない切なる?と決意をもってこの世界政府運動の旗の下に?せ?まるべきでありましょう。
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by k_nikoniko | 2015-04-30 11:43 | 戦争

ぜいたく夫婦よさようなら

戦時中の1938年2月から1945年7月まで、内閣府内閣情報部(のち情報局)が編集・刊行していた国策グラフ雑誌『写真週報』は、恐ろしい内容をソフトに伝えようとしていて、けっこううまい編集。
こういう工夫を凝らした広報誌を作ってたんだ、と変に感心してしまいました。

その企画のひとつが、「ぜいたく夫婦よさようなら」。
派手なNG夫婦(左)と模範的夫婦(右)が紹介されています。

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NG夫とは…
フランス製のコスメチックで男のくせに香料の匂いがプンプンする。だいたい舶来の整髪料は鉱物性で、われわれの頭皮には向かないのだ。
英国製ダンヒルはストレイトグレーンのパイプである。高い関税を払ってまでこんなものを買い入れるのを誇りとしていた。
仔山羊の皮でバックスキンのキザな仕立ての白靴などぜいたく以外の何ものでもない。

NG妻とは…
アールデンの白粉、ドラレの頬紅、コティの口紅。欧米依存主義はここにもあった。
毒々しい真紅のマニキュア、プラチナ台に真珠の指輪。
金糸銀糸の訪問着。これ一つで普段着なら五つも出来る。ごくたまにしか着ない着物に無駄な金をかけていたのだ。

模範夫とは…
ネクタイやカラーは柄や色よりも清潔に心を用いよう。新時代の美学は変貌して来た。
重いの軽いのといふ気持ちがすでにゼイタクなのだ。帽子は日よけが第一使命。
服地はドイツだってイタリアだってスフ混織だ。伸びて行く国は身を屈して戦っている。

模範妻とは…
お化粧も出来るだけ素顔を生かす。化粧品は国産品を信頼し、健康美を生かす薄化粧。顔に色を塗って遊ぶのはもう古い。
清潔にさえしえあれば、女の手は美しいもの。体さえ健康なら、爪は自然にバラ色になって来る。
履物の寿命も手入れ一つ。〇〇下駄屋さんに嫌われてもよいから今度こそは耐えのレコード目指して。

NG妻の「アールデンの白粉」は、エリザベス・アーデンのフェイスパウダーのことかしら?
コティは知っていますが、ドラレがわからない…。

戦争になったら、プチ贅沢なんて言っていられませんね。
日本がもし戦争をはじめたら、勝ち組といわれている男性・女性が非難されそう。
勝ち組とまでいかなくても、我慢を強いられ、息苦しさを感じるでしょう。
私は美容もファッションも好きなので、そういう楽しみを一切奪われるのがイヤという意味でも、戦争は反対です。

その一方で、模範的なカップルの吹き出しを読んで、「今の健康ブームって、もしかしたら戦争の準備?」と思ってしまいました。

この他、以下のような企画ページもありました。
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『写真週報』についてのウィキペディアはこちら
昨年2014年8月24日に、国立公文書館の「『写真週報』 広報誌にみる戦時のくらし」展にて。


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by k_nikoniko | 2015-04-29 10:04 | 戦争

少なくとも二人のフランス人女性が旧日本軍「慰安婦」に

フランスのネットマガジン『Slarte fr』に、BC級戦争犯罪裁判・サイゴン裁判(フランス)で判決が下った「フランス女性に対する強姦事件」についての記事が掲載されました。

第二次世界大戦:少なくとも二人のフランス人女性が日本軍「慰安婦」に


2014年12月4日 14:36(日本時間 6:00)
Julie Hamaïde

戦時中、主に朝鮮人と中国人の20万人もの女性が、組織的に、日本軍の性奴隷状態に強いられていた。

朝鮮半島と中国の一部を侵略した後、1945年に日本軍は、治安と監視の口実で、フランスが統治していたインドシナに侵攻した。そのなかに、フランス人の姉妹を捕らえ、7週間もの間、監禁・強姦した軍人がいる。

この事実は、関東学院大学の林博史教授の最近の研究で明らかになった。サイゴン常設軍事裁判所(現・ベトナムのホーチミン市)の1947年の起訴状によると、日本陸軍大尉が姉妹を捕らえた。妹は14歳だったといい、まず姉を強姦し、二人を“連行”した。同大尉は、1945315日から53日まで、「部下である中隊の兵隊らが、数週間にわたり毎日強姦するのを知りながら、それを組織もしくは黙認していた」と起訴状には書いてある。

194553日、大尉と部下である軍曹は、二人の女性を射殺した。裁判所は、この大尉に、殺戮、強姦、強姦共犯、詐欺の罪で死刑の判決を下し、1947812日に死刑が執行された。

インドシナに居住していたフランス人女性への強姦に関する記述および証明の公文書が見つかったのは、今回が初めてだ。「慰安婦」は性奴隷を歪曲した表現であり、その時期に同様な境遇にあった女性が非常にたくさんいたという隠された事実を示している。

当時、日本軍のインドシナでの使命は、治安と監視だけに限られていた。しかし、林教授が見つけた記録によると、194539日、日本軍司令部は、「数知れない残酷さと違法な犯罪」による武力行使を予謀したという。最高司令部の人道的主張とは反対の行動だった。「日本軍の目的は、フランス軍との中立にとどめる。…略… 市民は敵とはみなさない」 それから数日後、さまざまな暴虐を伴い、人間狩りがフランス人に対しても行われた。

1日に10人以上

林教授はこの夏、公文書が日本法務省から国立公文書館へ移管された後に、この裁判記録を見つけた。それまで、林教授も、彼が運営する日本の戦争責任資料センターも、フランス女性に対するこうした裁判について知られていなかった。林教授によると、その他のこうしたケースを証言できる証人尋問報告書をフランス軍が所有しているかもしれないという。インドネシアのオランダ人女性に関しても、似たような実態がすでに明らかになっている。

林博史教授は、1128日にパリで開催された記者会見でこの情報を発表したが、フランスのメディアはほとんど注目しなかった。この記者会見は、韓国挺身隊問題対策協議会が主催し、韓国人の元「慰安婦」サバイバーのキル・ウォノクさんも出席した。サバイバーの数は減ってきており、韓国で生存している元「慰安婦」は50人ほどだという。

何万人もの女性たちが、戦地の駐屯所付近に作られた日本兵のための「慰安所」に強制的に連行された。女性たちは、1日に10人以上の男性の相手をさせられたこともあった。キル・ウォノクさんのように13歳にもならない少女もいた。「1940年、私は『慰安婦』として満州のハルピンに連行されました。そこで性病を患い、兵士の相手ができなくなりました」 キル・ウォノクさんは朝鮮に送り返された。

慰安所制度は体系的である。女性が性病に感染しないよう検査するために、軍医が定期的に訪問していた。数年前にシベリアで、地元の女性を強姦した日本兵の一部が性病で死亡しているからだ。金銭を受け取った女性もいたが、彼女たちはそのお金をお酒やタバコ代として使っていた。

責任を否定する日本

戦争が終わった後も、性奴隷の被害者たちは羞恥心と拒絶の恐怖を抱えて生き、自分の体験を話そうとはしなかった。初めて声を上げたのは、90年代に入ってからだ。

それ以来、日本政府は、責任を認めなければならないこと、教科書に「慰安婦」の歴史を入れるべきであることを恐れ、調査を拒否している。戦争被害者すべてに対し、1965年の日韓協定で賠償済みだとの見解である。それゆえ、20年以上前から毎週水曜日に、挺対協、元「慰安婦」サバイバー、その支援者たちは、ソウルの日本大使館の前でデモをつづけている。デモの参加者たちは、亡くなった被害者の名誉を象徴する像を作った。日本大使館をじっと見つめる、椅子に座った少女の像だ。その横には、サバイバーと抗議活動する人たちのために、空席の椅子がおいてある。「人権、女性の権利、そして正義は、一度踏みにじられると、回復するのは難しい。平和のために、このような戦争犯罪が二度と繰り返さないために、がんばらなくてはならない」とフランスを訪問したキル・ウォノクさんは訴えた。

ここ数年、世論を変えるために、そして外国政府の支援を求め、「各国訪問」を敢行している。戦後70年を来年に控え、「人権の国」に値する支援がもたらされることを期待し、挺対協はフランスで多くの政治家たちと面会した。


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by k_nikoniko | 2014-12-05 23:44 | 戦争

満蒙開拓団を描いた映画『望郷の鐘』

山田火砂子監督の最新作『望郷の鐘』を観ました。

満蒙開拓団として満州に渡った住職で教師の山本慈昭が、敗戦で妻と子と離れ離れになり、帰国後、残留孤児捜しをはじめる、というお話。
泣けました。
自分がかかわっていることとの共通点が多く。
私の祖父も国民学校の教師で大連に渡っています。
引き揚げてくるとき、10歳の末の息子を現地に残す、という話も出たそうです。
映画は、長野県伊那郡阿智村からの開拓団。
中学校まで住んでいた地域とけっこう近く、方言が似ていて、満州行きのシーンに飯田線もちらり。
天竜川の平岡ダムの中国人強制連行労働者の遺骨発掘も取り上げていました。

山田監督は、「深刻になりすぎない」よう、子どもにも受け入れられるように、この作品を制作したそうです。

多くの人に観てほしい映画です。

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by k_nikoniko | 2014-12-04 09:52 | カルチャー

『週刊女性』に集団的自衛権について書きました

昨日8月19日発売の『週刊女性』の「戦争を知らない安倍首相へ」特集で、集団的自衛権について書きました。
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文字数の関係で記事に入れることができなかったので、以下をつけ加えたいです。

集団的自衛権は「日本を守る」のを趣旨に、「日本と密接な関係にある国」が攻撃されたときに武力を行使するのを認めるものです。
憲法9条に違反するのではないか、との意見に対しては、憲法前文「国民の平和的生存権」と13条「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を持ち出し、これらの権利を守るために、例外的に許されるとの解釈で切り抜けようとしています。
この国には、憲法前文「国民の平和的生存権」と13条「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を奪われている人がたくさんいます。
戦争で日本を守るのではなく、優先されるべき課題は、日常生活における「国民の平和的生存権」と「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を保障することにあると思います。

関連記事:自衛力の増強と「戦犯」

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by k_nikoniko | 2014-08-20 08:40 | 掲載記事(2011~)