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放射能から子どもを守るための保養の紹介記事

3月15日発売の『ビッグイシュー日本版』の特集「いま、福島の子どもを守るには? ― 未来を生きる権利を考える」で、全国の受け入れ団体に関する記事を書きました。先月福島市で開催された「放射能からいのちを守る全国サミット」を取材したものです。
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by k_nikoniko | 2012-03-19 12:55 | 掲載記事(2011~)

「環境意識の高い北海道」とおっしゃる北海道知事

来年2月、札幌ドームで道内初モーターショーが開催されることが決定した。
集客目標10万人。北海道の経済の活性化を期待しているそうだ。
この記者会見で高橋はるみ北海道知事は、次のようにおっしゃったという。
「環境意識の高い北海道ならではのモーターショーにしたい」

北海道(民)が“環境意識が高い”のはご存知なのだ。
その道民の意見を無視して、先週、知事は「泊原発3号機の営業運転移行」を許可した。
原発の安全性は100%ではなく、たった一度の原発事故で、北海道の広い範囲の環境を破壊するのは間違いない。
環境保護との矛盾をどう説明するのだろう?

昨夜、浜岡原発に勤務していた息子を白血病で亡くした嶋崎美智子さんのお話を聞いた。
下請け会社の正社員だった息子さんは、定期検査作業中の被ばくのため発病。
その闘病の様子はすさまじく、29歳で逝ったご本人もご家族も、どれほど無念だったことか。

嶋崎さんはボランティアで、北海道に夏休み期間中滞在する福島の家族と過ごしたそうだ。
福島の子どもたちの将来を案じていらした。そして、こうおっしゃった。
「北海道はたくさんの福島の家族を受け入れる一方で、女性の知事が泊原発の再稼動を受け入れた。電気のほうが大切なのか? 福島の戻る母親は非常に複雑な気持ちで帰っていく。電気のために子どもたちを犠牲になるかと思うと、とても心が痛い」

北海道にはかなりの福島の家族が避難してきている。札幌だけでも1000人はくだらないと思う。
夏休み期間中には、北海道が数千人の福島の家族を招待した。
そのさなかに、泊原発3号機の営業運転移行が決り、2号機も定期点検に入った。

高橋知事はこれまで、女性であること、母親であることを売りにして、知事選の女性票を集めてきた。
選挙中は、赤ちゃんを抱く姿が何度かテレビに映った。
しかし、同じ母親の視点で、福島の母親たちへの温かい言葉をあまり聞いたことがない気がする。
福島から避難してきた、もしくは、夏休み滞在したお母さんたちと面と向って話したのだろうか?
福島から北海道に避難してきた家族のなかには、短期避難ではなく、ここで生活を再建しようと覚悟を決めている人もいる。
夫を説得できず、とりあえず子どもだけ連れてきた母親も多い。
このところの知事の言動は、そうした母親たちの気持ちを逆撫でするようなものでしかない。
結局、やさしい母親像は、選挙のためのパフォーマンスでしかなかったのだろう。

北海道経済のために、子どもたちを、そして豊かな自然を犠牲にしたいなどとは絶対に思わない。
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by k_nikoniko | 2011-08-27 11:49 | 原発・核

放射能の危険にさらされている高校球児や体育会系部員

高校野球のシーズン、複雑な気持ちで試合を見ている。
6月24日、宿泊していた福島市のホテルで配布していた新聞に、「3.8マイクロシーベルトで試合中止 高校野球福島大会 球場で測定」という記事を読んだ。
3.8マイクロシーベルトで試合中止なので、3.79マイクロシーベルトでは中止にならない。
3.79マイクロシーベルトの球場で1時間半の試合をおこなった場合、約5.68マイクロシーベルトになる。
ベンチにいる時間もあるので、多少数値は下がるだろうが、それにしても、と思った。

この日、午後から福島市に住む母親たちとお会いすることになっていた。
当然、高校生の部活についても話題に上った。

「野球部の子どもを持つ母親が、『もう20ミリぐらい被ばくしていると思うよ』と言って心配してました」とひとりが教えてくれた。練習前にグランドに水を撒くらしいが、スライディングをすれば砂塵も吸う可能性は高い。高校野球選手権福島大会に向けて、練習時間も通常(夜7時ぐらいまで)より少し延ばしているとの話も聞いた。
原発事故後、最初に部活を再開したのは野球部だったそうだ。「野球部がはじめたのなら…」と他の運動部もつづいたという。野球部のなかには、「放射線を吸えば強くなる」と言って鼓舞する大人もいるらしい。
「プロ野球(巨人vsヤクルト戦)の試合前には表土を削って除染したのですが、子どもの練習ではやっていません。子どもはないがしろにされているのです」

日本では18歳以下は“子ども”だ。しかし、放射線の影響の話になると、小さい子どもに集中しがちで、「高校生は大人」扱いされているようだという。「『子どもは感受性が強い』と言っているが、最初の頃、何歳までが子どもなのかわからなくて…」「高校生の情報があまりにも少ない。高校生のお母さんたちはみんなどうしているのか」と母親たちは言う。
なかでも、体育会系の部活に励む子どもを見守る親は深刻だ。
野球、サッカー、陸上、テニスなど、スポ根の部活の場合、放射能に対する親の温度差は大きいという。
高校の体育会系の部活、特にスポーツエリート高校であればなおさら、勝つのが目標だ。部活をやりたくて高校を選ぶのも珍しくない。
「4月の新学期と同時に部活もはじまったので、『部活をみあわせることはないんですか?』と聞いたら、『ないですね』と言われました。最初の頃、練習時間はさすがに1時間ほど短めだったのですが、どんどんなし崩しになりました」とある母親は話す。
5月末に開催された陸上競技の県大会は、2日間雨だったが、予定通り実施された。「誰も何も言わなかったですね。主催者たちは、スケジュールを効率よく消化することしか頭になく、延期などは考えてなかったみたいです」と別の母親は言う。一部の親が雨の心配をしても、「雨が降っているから何なの?」と逆に疑問をもたれかねない雰囲気なのだそうだ。
子どもたちは努力して努力して、大会に臨む。「勝つために大会を目指している」という暗黙の了解があり、大会をやらないってわけにはいかない。「今は特別な状況。その時期に当たってしまった子どもたちは、かわいそうです」
大会での勝利は、学校のカンバンにもなる。「高校生をそういうことに使ってほしくない。これにつけこんで子どもの命を縮めていいのか、と頭にくるけれど、声が上がらない」

「子どもの夢もつぶしたくない、でも助けたい」 高校生を持つ親の苦しみは大きい。ある母親は語る。「子どもを尊重するのが何か美徳のようなところがありますが、そうではないと思います。将来のことをやってあげるのが、親の責任。何を言われても、反抗されても、首に縄をつけても…」

子どもの健やかな育成を願うのか、大人のエゴと金儲けか。 
この国のスポーツの位置づけは、どこかおかしい。

高校野球に関する新聞記事の全文引用は以下の通り。朝日新聞(福島市で入手)2011年6月24日。

3.8マイクロシーベルトで試合中止 高校野球福島大会 球場で測定
第93回全国高校野球選手権福島大会(県高校野球連盟、朝日新聞社主催)の運営委員会が23日、郡山市内で開かれた。7月13日に開幕する大会期間中、各球場で試合当日朝に放射線量を測定し、毎時3.8マイクロシーベルト以上の数字が出た球場では、その日の試合を中止とすることを決めた。
学校の校舎や校庭を利用できるかどうかを判断する目安として、文部科学省が4月に示した暫定基準に沿った。放射線量の測定は各球場とも毎朝、本塁、外野、ベンチ、バックネット裏、応援席の5ヵ所で行う。1ヵ所でも基準値を超えた球場はその日の全試合を中止し、翌日以降に順延する。
雨で中断した試合を再開する際も本塁、外野の2ヵ所で再測定し、基準値を超えたら、そのまま中止、もしくはコールドゲームを適用する。再開にあたってグランドの水とり作業などに高校生があたる場合は、ゴム手袋を着用させることも決めた。
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by k_nikoniko | 2011-08-10 19:05 | 原発・核

生むならフランス

私の周りは出産ブームです。
先月、従妹が二人目の子どもを出産し、知り合いの日英カップルの間にも赤ちゃんが誕生。
今月もひとり、来月もひとり、新しい命が生まれます。
ブラジルに住む友人からも、妊娠2ヶ月という便りが2日前に届きました。
10月出産の友人は、来週、住み慣れたパリへ旅立ちます。
パンパンのお腹で、2歳半になる娘を連れて。夫は仕事があるので日本においたまま。
彼女は、第1子もパリで生んでいます。
二人目は当初、札幌で出産の予定でしたが、「日本の産婦人科には、もー、うんざり」と、パリ行きを急遽決心したそうです。
理由を聞いて思い出したのが、以前(1995年)、パリで雑誌の編集をしていたときに、ジャーナリストの長坂道子さんに書いていただいた「フランス出産事情」。
副題は、「出産も軽やかに美しく、リラックス妊婦生活 ~気軽な妊娠生活、無痛分娩、出産祝いのジュエリー……、生みの苦しみを尊ぶ日本人とは対照的な素晴らしきフランス式出産とは!?~」。
その号をゴソゴソと引っ張り出して、読み返したら、友人の言っていることと実にマッチしているのです。
長坂さんは、「私は『フランスびいき』とか『フランスかぶれ』というタイプではないばかりか、ときには評価が辛めな方である」と前置きしながらも、「なぜ、フランスという国はそんなに素晴らしいのか」について触れています。
「第1に、『妊娠は病気ではない』という思想が、広く一般に定着している点」
体重管理に関して日本は非常に厳しいのですが、フランスではさほどうるさく言われないそうです。タバコやアルコールでさえ、ボーダーラインがゆるいといいます。
「第2に、フランスに広く行き渡っている無痛分娩(脊髄麻酔を使った出産)」
95年時点で9割の女性が無痛分娩を行っており、友人の話によると、現在はこちらから何も言わなければ無条件で無痛分娩になるとか。
札幌で無痛分娩をしている病院は一ヶ所、医師はひとりだけだそうです。
「日本では、『無痛を選ぶ』という選択がまず皆無に等しく、『出産イコール痛み』というのが常識で、それを疑ったりする者はまずいない」 
確かに。なぜか。
「ひとつには、無痛分娩を受け入れにくい精神的な土壌というものがあること。……『生みの苦しみを味わった者にしかわからない極致』というような哲学が根づいている。つまり、痛みもなしで子を生むなど、けしからんというわけだ。激痛を経た日本の母たちは、だから勝利感に顔をほころばせる……」
ニヤリとしてしまったのは、次の文章。
「もっとうがった見方としては、日本に無痛が定着しにくいのは、女たちを社会の一線から遠ざけておこうという男たちの陰謀のためであるというものがある。つまり、出産がそんなに簡単になってしまったのでは、ただでさえ有能な女たちのこと、余力を生かして何をしでかすかわかったもんじゃない、とうことだ」

政府が少子化問題に積極的でないのは、結局、女性たちに最良の環境を提供することに躊躇し、ひいては、女性に活躍の場を与えることを拒んでいるから、ともいえますね。
痛いのは誰でもイヤです。
自分がその痛みを経験する必要がないので、男性たちは女性の痛みをやわらげようなどとは考えないのでしょう。立場が逆だったら、すぐに対策がとられたはず。
などと、私でさえ、うがった見方をしてしまいます。
なぜ女性が産まないのか。
約10ヶ月の妊娠期間が重苦しく憂鬱なイメージとして植えつけられている、という点も要因にあるでしょう。
そう考えたら、少子化問題は、子育て支援だけでは解決しないことは明らかです。

ちなみに、同じ号で、私はこんなことを書いていました。ついでに載せておきます。

子供はどの国で生まれるのが幸せか? 本人には選択の余地がないわりに、その後の人生に多少なりとも影響する問題といえる。
以前、妊娠した友人が興味深い手紙を送ってきたことがある。日本では妊婦がお産について学ぶ教室が開かれており、そこに通う”将来の母”たちは、えらく気合いが入っているという。お腹の中にいるうちから、我が子の人生設計を立ててしまっている親がいるというのだ。子どもが誕生したら、次はどこの幼稚園、小学校と、特に東京など首都に住む親は忙しい。子供の意思など考える余裕もないように見える。
もちろん、子供も塾やお稽古事で毎日大変。こちらもまた、自分が何をしたいのか考える時間などなさそうだ。この世に生れ落ちた瞬間から受験戦争に巻き込まれてしまうのは、日本人に生まれた宿命なのだろうか。
それでは、フランスはどうだろう。子供を持ったからといって、”母”としての役割だけを果たす女性は少ない。あくまでも”女”であることを忘れないフランス女性は、そこまで子供の人生を独り占めしたりしない。父親もしかり。ただし、男、女を捨てないということは、ヘタをすれば子供を犠牲にする場合もあるのだが…。
受験勉強で暗記したことは、忘れるのも早い。日本人は、考えること、意見を述べることに慣れていないために、外国生活で苦労した人も多いはずだ。まだ経験がないので大きなことは言えないが、未来の子供のために、何が彼らにとって幸せかを考えたいと思う。
パリの美術館、博物館では、親子連れの子供をよく見かける。幼児期からアートに触れる機会が多い彼らは幸せだ。緑が豊富で自然にも恵まれている。このような環境が、大人や子供たちに心の余裕を与えているのだろう。
子育てはとてもクリエイティブな仕事だと思う。まずは我々大人が”センス”を磨かなければならないのかもしれない。
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by k_nikoniko | 2008-09-24 22:13 | 男と女

愛の形はいろいろ

昨夜、パリから来た友人の息子C、彼の日本人の彼女と5歳の息子の4人で夕食をともにした。
彼ら3人は北海道を旅行中。

Cくんは3年前にはじめて日本を旅し、そこで彼女と知り合った。
パリと日本の遠距離恋愛。
友人からCくんの相手が「10代で出産した医学部の学生」と聞いたとき、てっきり騙されていると思い心配した。
「日本でそういう女の子はいわゆる一般的ではない」とまで言ってしまった。

Cくんのことは14歳から知っているが、それまで彼女がいなかった(ようだ)。
日本の漫画が大好きで、控えめでやさしい男の子。
なので、ヘンな日本女性に引っかかった、と思ったのだ。

で、今回も会うまで、ちょっとドキドキした。
ところが、彼女はとてもしっかりした、礼儀正しい、いまどき珍しい女性だった。
調子のいいもので、「さすがCくん、目が高い」と自慢したい気持ちになった。

5歳の男の子がまたかわいい。
やんちゃなのだが、ちゃんと育てているんだな、というのが見てとれる。
母親と子どもの様子を見ると、その関係がなんとなくわかるものだ。

Cくんとの仲もいい。
そもそも、Cくん自身が複雑な親子関係のなかで成長したのだから、男の子の心も理解できるのかもしれない。
私の友人は、Cくんの父親と離婚後、何人かの男性と同居した。
そのたびにCくんとその弟の部屋がいつも用意されていて、彼らはママの恋人と仲良く過ごしていた。

フランスにいたら、出産もしていないのに母親になるのは珍しくもなんともない。
恋した相手が子持ち、というケースが多いからだ。
子どもたちは両方の親と過ごすことになっているため、男でも女でも、明日から父親や母親のような役をこなす可能性が高い。

日本にいるときは考えられなかったけれど、パリに住んでいれば、こういうことが現実味を帯びてくるのだ。
突然お母さんになれるような、うぬぼれもあったりして。
血のつながっていなくても、愛情の注ぎ方にはいろいろあっていい。
子どもが本来の親と決別する必要もなく、それとは違う愛で結ばれればいいと思う。
愛し方はひとつじゃないし、時間とともに変化するものだ。

Cくんと彼女は、子どもがいるからか、若者のギラギラした愛というより、もっと穏やだった。
二人を見てたら、ちょっと人生やり直したくなった。
こんな風に思うことはめったいないのだが。
愛する人がいるというのは、とてもいいことである。
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by k_nikoniko | 2008-08-20 23:19 | 男と女

2児虐待死のぬる~い法廷

2児虐待死の3回目の法廷を傍聴。
今回は、DV問題の専門家でもある東北大学大学院教授・沼崎一郎さんの証人喚問でした。
その内容は後ほどまとめて紹介しますが、それよりなにより、この裁判に漂う、ダラ~っとした空気が気になってしょうがない。
前回の法廷で驚いたのは、若い女性検察官のタメ口ともいえる口調。
「だからね、あなたね、ってわけでしょ?」といった調子は、優等生の生徒会長がヤンキー系同級生を責めているようでもある。

今日は、裁判長の口の利き方に憤りを感じた。
質問の主旨は、「すべての女性がDV被害者になりうるのか?」で、私自身も気になる点だった。
しかし、その聞き方が、「だからサ…」といったぐあいにはじまり、「みんながみんなDVの被害者になるわけじゃないでしょ!」とややキレ気味に言い切り、何か言いかけて、「まぁいいや」とやめてしまった。
前回も、「まぁいいや」と途中でやめた。

全体的に流れるだらけたムードは性にからむ事件に対する蔑視と関係している気がする。
被告人が“DV男に翻弄されて2児を失ったナイーブな若い女性”というレッテル。
命を奪われた2児を軽く扱っているようで、腹立たしくなってくる。
虐待され、殺害されたのに、裁判所でも大人たちに“どうでもいいように”扱われ、なんてかわいそうなんだろうと思う。

DV被害者が社会的に理解されていないことも、この裁判からは見えてくる。
DV加害者と被害者、そして子どもの事件は、“取るに足らない”程度にしかとらえられていないようだ。
でも、本当に“どうでもいい”事件なのだろうか。
毎日、シェルターに逃げ込んでくる被害者はいるし、逃げることもできずに耐えている人もいるはずだ。
DV被害者は将来、加害者になる可能性が高く、服従に何の疑問も抱かない女性が延々と育てられている。
この連鎖を断ち切るための仕組みはほとんど機能していない。

人を食ったような裁判自体が、精神的な苦痛を与えるDVのように思えてきた。


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by k_nikoniko | 2007-06-02 00:01 | 社会問題

おんな子どもの事件だから?

先日の裁判、検事は若い女性二人だった。
事件が軽く扱われているような気がしつつも、“若い女性”というだけで“軽く扱う”と思ってしまうのだから、私も固定観念に縛られているみたい。
とはいえ、おんな子どもの事件だから軽く扱ったのかも、とうがった見方もできなくもなく。
毎日のように虐待された幼児が殺害され、10代の少年が犯罪者になっている。
出産率の増加作戦よりも、子どもの命が奪われない方法、少年少女が道をはずさないで生きる方法を真剣に考えたほうが、少子化対策としては効率が良いかもしれないのに。
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by k_nikoniko | 2007-05-18 00:59 | ひとりごと

歴史を体感した中学生

先日、はじめて傍聴した裁判を批判しましたが、良いこともありました。
その法廷は、中国人強制連行・労働の最終弁論で、連行・労働させられた中国人の男性と、父親が連行・労働させられたという女性が原告でした。
彼らの話は悲しみに充ちていました。
テレビなどで傍観するのとは違い、目の前にいる方が辛い日々について語っているのを見ると、心にズサリと突き刺さります。
嫌な記憶ばかりの日本にやってきて、思い出したくもない事柄を話すのです。
私にはできるだろうか、と自信がありません。
中国人の体験を自分の耳で聞くことができ、貴重な機会でした。
たぶん、3人の中学生も同じ気持ちになったと思います。
この日、男子中学生が傍聴しました。
社会見学といったものだったようで、たまたまこの法廷に入ってしまったとのこと。
中学生たちは、法廷後の集会にも参加しました。
自ら参加したというより、大人に連れてこられたらしいのですが。
途中、参加者のひとりが、中学生に意見を求めました。
大人ばかりの集まりで、突然意見を求められた男の子たちは、ちょっと戸惑いながらも、堂々と自分の考えを述べました。
「今日まで、日本が加害者であることは知らなかった。戦争で日本は被害者だと思っていた」
「戦争は過去のことではなく、現在でも多くの人を苦しめているとわかった」
「戦争はいまでも終わっていないのだと思った」
などなど。
あまりにも的を射た発言だったので、うれしくなりました。
若者たちは、実際に見て聞いて知れば、ちゃんとわかるのだと思います。
子どもたちの知る権利を奪っているのは、大人たちですね。
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by k_nikoniko | 2007-05-11 23:44 | 歴史

イラクの子どもとイギリス兵

知り合いのイラク人が、自分の故郷であるイラク南部バスラで見た光景を伝えてくれました。
切ない気持ちになるメールです。

イラクの状況はいずれ良くなるだろうし、近いうちにイラクで会えるだろう。きっとイラクを好きになると思うよ。イラクでは、たくさんの子どもたちが喜んで迎えてくれるだろう。
僕は今でも、英軍が自分の住む地域に進入してきたときの、イギリス兵の顔を覚えている。そこは、川の流れる美しい地域なんだ。イギリス兵は、あちこちからやって来た大勢の子どもたちを見て驚き、怯えた。子どもたちが基地に向かって石を投げ続けた。英軍は、子どもたちの学校のひとつを基地にしようとしたのだ。兵士はとても怒り、地元の人々に助けを求め、威嚇発砲をしたけれど、誰も子どもたちの攻撃をとめることはできなかった。とうとう、イギリス兵はそこに長く留まることができず、より安全な軍事基地へ場所を移さざるをえなかった。

日本では、米軍についての情報は少し流れても、他の国の軍隊が何をしているのか、ほとんどわかりません。
知り合いのイギリス人のいとこは、バスラで治安関係の仕事をしているといいます。
いとこの父親は、「ニュースを見るのが怖い」と言っているそうです。
歓迎されざるイギリス人と、安否を気づかうイギリス人。
矛盾だらけです。
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by k_nikoniko | 2007-04-25 12:43 | 戦争

フランスの人権教育を少しだけ

「日本では権利について学んでいるのかなぁ? 社会教育って、日本にあるの?」
あるフランス人に、こんな質問をされました。
フランスの社会教育がどのようなものか、日本ではどの科目を指すのか、私にはよくわかりません。
もしかしたら、日本にはない科目なのかもしれません。
ちょうど”自由”についての話が出たので、フランスでは”自由”をどうとらえているのか聞いてみました。
「フランスでは、”自分の自由は他人の自由から始まっている”と学ぶ。”自由とは他人との対立を引き起こすものであり、その対立から自分の自由が始まる”ってよく言われている」
つまり、「たとえ自分が自由だと思っていても、それが相手を不快にさせるものなら、自由とは呼ばない」ということ。
自由と自分勝手は全く違います。
日本では、その区別がはっきりしていないけれど。
対人関係のあり方を学ぶのが社会教育だとしたら、日本にはありませんね。
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by k_nikoniko | 2006-12-25 03:09 | フランス