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フランスDV夫殺害の女性の減刑が大々的な支援で不利に

フランスで、DV夫を殺害した女性の仮出所をめぐり、大きな話題になっている。

ジャクリーヌ・ソヴァージュさん(68歳)は、47年の結婚生活で暴力をふるいつづけた夫を殺害し、2015年に禁固10年の刑が確定した。
彼女の境遇に同情を寄せ、情状酌量を訴える支援運動が広がり、仮出所を求める署名は43万筆集まった。
2016年1月にはフランソワ・オランド大統領が「恩赦」を発表し、すでに3年以上を服役しているソヴァージュさんは、4月中旬に釈放される見込みだった。
しかし、8月12日、刑罰適用裁判所は、ソヴァージュさんの仮出所請求を却下。

その理由は、「メディアでの大々的な支援キャンペーンでソヴァージュさんの被害者意識が高まり、加害者としての反省に欠ける」といったものだった。
「ソヴァージュ事件のメディアでの報道」は弁護士や支援者たちが画策でもあり、それによって大統領の恩赦を引きだしたが、皮肉にも受刑者の出所に不利に働いたというのだ。

”人権”、そして”愛”の国といわれているフランスだが、この国でもDVは深刻な問題だ。
それ自体への関心もさることながら、今回の事件で私が最も驚いたのは、メディアを使った支援運動が、女性の減刑の妨げになったという点。

日本でもDV夫が原因の殺害事件は日々起こっているが、暴力に耐えつづけた末に夫を殺害した女性を支援する動きが、大きくメディアで報じられることはほとんどない。
ましてや、そうした支援運動に心を動かされ、首相が恩赦を与えるなど、たぶんありえない。

ソヴァージュさんは、15歳で結婚して以来、夫から殴られつづけ、娘たちも強姦され、息子も虐待されていた。
2012年9月、息子が自殺した翌日に、彼女は夫の背中をライフル銃で3発撃ちこんで殺害した。

2014年10月に禁固10年の刑を言い渡され、2015年12月の 控訴院でも「正当防衛」の主張が棄却された。
この12月の判決の後、ジャクリーヌさんの娘は、フランソワ・オランド大統領に母親の恩赦を陳情。
「10年の禁固刑は不当」と訴え、著名人らが支援会を立ち上げ、約150人の賛同人を集めた。政治家も右派左派にかかわらず、ソヴァージュさんを支援。
仮出所を求めて、43万筆の署名が集まった。

オランド大統領は、1月29日にジャクリーヌさんの娘と会談し、1月31日に恩赦を発表。
大統領の恩赦は、釈放後の「危険性」について心理学の専門家などからの審査を経て、条件付き(たぶんGPS監視のもと)仮出所を即時請求できるというもの。

ソヴァージュさんは2月初旬に、「危険性」の審査を受けるために、別の刑務所に移動させられていた。
この審査で、彼女に”不利な意見”が出たといわれ、「彼女にはいまだ精神的なサポートが必要」と判断された。

そして、「この事件がメディア化され支援さたことで、ソヴァージュさんは犯罪者という状況から一気に被害者として有利な立場になり、罪の意識を忘れてしまっている」との理由で、仮出所が却下された。

この決定に、弁護士や専門家、そして多くの支援者たちは騒然となった。
ソヴァージュさんの弁護士や刑務所管理者、多くの専門家は、「彼女は何の危険性もなく、常習犯の恐れもない」と主張している。

この決定を受け、ソヴァージュさんは、「自分への司法の嫌がらせに疲れ果てた」と弁護士に述べ、再請求をあきらめる意向を示した。
しかし、8月21日(日)に仮出所の再要請を行ったという。8月22日が要求手続きの期限だった。

「メディアの過剰報道が不利に働いた」との指摘から、ソヴァージュさんの支援会は、公開活動を縮小することを決めたという。

ソヴァージュさん自身はこれまでメディアで何の発言もしておらず、支援者たちはインタビューやテレビ出演を自粛することを発表した。
9月10日にパリで予定されていた集会も中止する。

ただ、仮出所却下が決まった翌日の8月13日にはじまった署名だけは継続するという。
署名は、8月22日19時現在で242000筆以上集まっている。

今回の事件がきっかけで、正当防衛の適用範囲を見直す議論も巻き起こった。
ソバージュさんのように、長年繰り返された暴力に対して相手を殺害した場合は、フランスの法律上の正当防衛に適合しないため、家庭内暴力の被害者へも拡大するよう、女性の人権団体などが訴えている。

ジャクリーヌ・ソバージュ事件について、日本語の記事はこちら。
暴力夫を殺害した女性受刑者に恩赦、仏大統領(AFP)
47年間の忍耐の末に…。(オヴニー・パリの新聞)


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by k_nikoniko | 2016-09-01 23:06 | ジェンダー

パリの惨劇

11月13日、東京のとあるハラルレストランで、旧知の中東出身の友人と久しぶりに会い、共通のシリア人やイラク人の友人のこと、難民のこと、ISのことを話しながら食事をしました。
その翌日、13日にパリで惨劇が起きたのを知り、とてもショックでした。
幸い、パリに暮らす知り合いとその関係者はみな無事でしたが、送られてきたメールからは、沈痛な思いが伝わってきました。
ここ3日間、パリから来日している友人と一緒だったので、ネットでフランスのニュースを観たり、いろいろ話して、現地の悲しみを共有した気がします。
この件について、何か書きたいのですが、いまはまだ整理がつきません。

1995年7月、パリの地下鉄で爆弾テロが起きたとき、事件現場の徒歩10分圏内に住んでいました。
しばらくはその近くを歩けませんでした。
どこもかしこも警備が厳しく、町中が緊張した雰囲気だったのをいまでも覚えています。

2010年10月、今回爆発があったサンドニのスタジアム近くで、引ったくりに遭いました。
変な話ですが、この出来事は、フランス社会を考えるうえで貴重な経験になっています。

このブログで、いくつか関連するものを書いているので、リンクします。

シェルリーエドブの銃殺と日本の報道(2015年1月8日)
マリ人が語ったフランスのマリ介入(2013年1月26日)
アラブの秋、チュニジアの出発(2011年10月24日)
イラクに「アラブの春」は来るだろうか(2011年8月24日)
アラブ革命のなかでイラクは(2011年8月19日)
フランスのイスラム文化メディア(2010年10月インタビュー)
移民取り巻く状況悪化の中で変わったフランス社会とW杯風景(2006年7月)
暴力ではなく投票を・フランスの試み(2006年1月25日)
フランスの暴動、その後は?(2005年12月26日)



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by k_nikoniko | 2015-11-22 23:46 | フランス

フランスの独立系メディアがクラウドファンディング

フランスの非営利団体系メディア『Altermondes』が、存続のためのクラウドファンディングをしています。

国際問題、人権問題などを扱うメディアで、創刊は10年前。
フランスの新聞『リベラシオン紙』とコラボで特集号を発行したり、タイムリーでユニークな企画で、読者を増やしてきました。

クラウドファンディングの締め切りまであと5日。
現在、目標の81%でもう少しです。
ご興味ある方は、こちらへ。

フランスの非営利団体系メディア『Altermondes』
フランスのオルタナティブ・メディア

『Altermondes』は原発についても書いています。

ウラン採掘に苦しむニジェールの人々
原子力と民主主義



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by k_nikoniko | 2015-11-15 12:48 | メディア

古本とジャズ、パリの場合(カイ)

書物と音楽が息衝く街パリ
日常風景としてのブキニストそしてジャズ

パリの名物のひとつに、セーヌ川河岸通りで書物を売るブキニストがある。古本も扱う彼らは、歴史的建造物を背景に、野外で客の相手をする。
ブキニストは、書物の露天商という職業であると同時に、パリの風景、そして観光資源にもなっている。本の青空市は、約三キロメートルにわたる。セーヌ川河岸は世界遺産に登録されており、午前十一時ごろから日暮れまでそこに居るブキニストは、彼ら自身が“パリの遺産”の一部だと自覚している。
一八五九年以来、ブキニストは市に税金を払い、許可証を更新して営業している。新規の申請者は、場所が空くまで待たなければならない。本を並べる深緑色の箱は、大きさが規制されている。壁に固定された箱は、夜になると蓋に鍵がかけられ、置きっぱなしにされる。
パリ市によると、二百十七のブキニストが、九〇〇の箱を並べ、古本から新刊本まで三〇万冊を販売しているという(二〇〇九年二月二六日現在)。
ブキニストの歴史は古い。「ブキニスト」という言葉は、一七八九年刊行のアカデミー・フランセーズの辞書で確認できるそうだ。
パリに書物の露天商が現れたのは、大学が創立された十三世紀ごろだという。架台や地面に並べたり、木箱を革バンドで首から下げてブラブラ歩き、通行人に本を販売していた。
現存する最古の橋ポン・ヌフが完成した一六〇一年以降、ここが格好の稼ぎ場となる。商売は大繁盛。書籍商・印刷業ギルドとの対立や、「よからぬ思想を撒き散らす」と王権や教会からの度重なる取り締まりを受けながらも、露天売りはつづけられた。一七世紀半ばのブキニストの数は二四人だったという。
ルイ十五世は、風刺本、宗教や政治的パンフレットの流布を危惧し、ブキニストを厳しく弾圧したが、穏健派のルイ十六世時代、ポン・ヌフ一帯は再び社交と文学の場となった。フランス革命時、路上は危険きわまりなかったにもかかわらず、徴集・略奪された書物がブキニストのもとにもたらされ、商売は盛況だったらしい。
一九世紀、フランス文壇華やかな時期には、著名な作家たちがいたるところで文学講義を催し、そのおかげもあり、ブキニストは飛躍的な発展をとげた。
一九二〇年に二〇四名だったブキニストは、二つの大戦による影響をさほど受けることなく、一九五六年には二三〇名に達し、大きな変動のないまま、いまに至っている。
二年前に発行されたブキニストの冊子には、一九九三年に行われた実態調査の結果が紹介されている。十四年たった現在もほとんど状況は変わっていないとのこと。
ブキニストの七割が男性。年齢は、二〇歳から三五歳が四割で、三六歳から五〇歳が三割。親や配偶者の後を継いでいる人が多いという。
ブキニストになるための資質は、本好きで、自由を愛し、人と接するのを好み、さらに、独創的で独立精神旺盛なこと。
寒空の下で椅子に腰掛けている姿は、“堅物”に見えなくもないが、パリのど真ん中で、常に通行人の目にさらされる仕事なのだから、ブキニストが「人嫌い」なわけがない。
ブキニストは、ともすれば閉鎖的になりがちな書物を“野外”に持ち出すことで、通りすがりの人と文化とを媒介しているともいえる。誰もが容易にアクセスできてこそ、文化は本来の意味をなすのである。
音楽もしかり。フランスは、革新的な試みで、近寄りがたい音楽の“殻”破っていった。たとえばジャズ。フェスティバルという形で、フランスはジャズを大衆に広めたのである。
一九四八年二月に南仏のニースで開催されたのが、世界初のジャズ・フェスティバルだといわれている。翌年の五月には、パリで国際的なジャズ・フェスティバルが催された。当時、ジャズに限らず、こうした音楽祭は画期的なイベントだった。各国の演奏家が集まったジャズの祭典は成功をおさめ、その後、各地でも行われるようになったという。
フランスにジャズの愛好家が現れたのは、三〇年代ごろからである。一部の熱狂的ファンに支持されていたジャズは、フェスティバルをひとつのきっかけにして、一般市民の手の届く音楽となった。
五〇年代と六〇年代に、パリではジャズの隆盛期を迎える。サン・ジェルマン・デ・プレやサン・ミッシェル界隈のジャズ・クラブに、多くの若者が詰めかけた。この頃の様子は、映画「ラウンド・ミッドナイト」に描かれている。また、「勝手にしやがれ」「死刑台のエレベーター」といった、この年代を代表するフランス映画は、ジャズが用いられていることでも話題になった。
“流行遅れ”といった観念が希薄なフランスでは、現在でも、ジャズが広く親しまれている。老若男女に問わず、ジャズは自然体で聴かれているのだ。本場フランスのジャズに触れたければ、インターネット・ラジオで視聴可能だ。
フランスにおけるジャズのイメージは、日本のそれとは違うかもしれない。五月から数ヶ月、ピクニック気分でジャズが楽しめるからだろうか。夜一〇時ごろまで太陽が沈まない夏、ジャズ・フェスティバルは、まさに季節の風物詩となっている。
ちなみに、今年五〇回目を迎えるニースのジャズ・フェスティバルは、七月一八日から二五日。パリは、ヴァンセンヌの森にある植物園で六月と七月の土日にコンサートが開かれる。
文化は、生産・普及・受容を脈々と繰り返し、暮らしを豊かにしていく。その主体は、特権階級の人間ではなく、一般の人々だ。エリート主義と難解さからの変容。書物であれ、音楽であれ、こうして、フランスの文化は日常生活と密接に結びつき、浸み込んでいくのだ。

『カイ』2009年夏号


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by k_nikoniko | 2015-07-25 08:19 | 掲載記事(2000~2010)

原子力の誕生は民主主義の概念と両立していない

ブルーノ・シャレロン(原子力物理技術者、クリラッドの研究部門長)(注1)

6月22日、東京の日仏会館で、シンポジウム「3.11後の原子力社会における政治・知・民主主義」が開催された。最後のラウンドテーブル「原子力と民主主義は両立しうるのか?」では、日仏のパネリストがそれぞれの立場から意見を述べた。放射能汚染を明るみにし、防護策の改善を訴えつづけている独立研究所クリラッドのシャレロン氏が、原子力大国フランスの“非民主的な”問題点を語った。

まず忘れてはいけないのが、原子力は最初、軍事目的でスタートしたという重要な点だ。アメリカ、ロシア、そしてもちろんフランスもそうだった。原子力の誕生は、民主主義の概念と両立していない。原子力の平和利用でさえ、フランスもおそらく日本も、市民が現実に批判的に分析するのは不可能だ。原子力に関する情報すべてにアクセスできるわけではないからである。情報を隠すのは、テロリストへの機密漏えいを防ぐとの理屈からだ。フランスでは2006年に「原子力に関する透明性及び安全性に関する法律(原子力安全・情報開示法)」(注2)が制定された。この法律により、放射性物質、たとえばプルトニウムの加工に関する情報を配信した市民は、罰則を受ける可能がある。平和利用も含め、実際には民主的にならないよう、多くのからくりが作られている。フランスでは、原子力の平和利用計画の決定において、民主的な手続きがとられていない。

改善すべき点をいくつか紹介したい。まず、国家機関の役割である。フランスで原子力の安全を監視する専門機関はASN(原子力安全局)(注3)だ。クリラッドは、この機関が不十分であると指摘している。理由のひとつは、ASNが国防省と産業省を含む5省庁の管理下に置かれているからだ。5省庁に依存している限り、監視するのは難しいと考える。2つ目の要因は、ANSの文書のなかに、「研究者の流動性を促進するのが望ましい」と記されている点だ。つまり、あるときはIRSN(フランス放射線防護・原子力安全研究所)(注4)の研究者、あるときは原子力の監視検察官としてANSの研究者、といった流動性を意味し、ひとりの研究者が、ときには監視する側に、ときには監視される側になるのである。
3つ目は、ASNが、商工業の特色をともなう公社である点だ。原子力推進派の権力機関に面と向かう専門家の役割、つまり市民を守る役割と同時に、EDF(フランス電力公社)やアレバといった原子力事業者側のために専門的な監査も行っている。
このように、ANSには改善すべき面が数多くある。できるだけ根本から独立性のある国家機関の設立の必要があると思う。

市民の管理という役割の重要性も無視できない。たとえば、ウラン鉱山の分野。フランスには200もの古いウラン鉱山があり、これらは現在すべて閉山している。クリラッドは地元市民団体とともに、ウラン汚染に適応した規制の改正を促した。多くの汚染問題が存在していたからだ。ウラン鉱山からの使用済み放射能物質で、学校、レストラン、農場を流れる水が汚染されていた(注5)。
フランスで状況の改善や公正な判断をするのは、国家権力の直接的な行動ではなく、クリラッドのような団体の活動だと思う。測定からはじまり、メディアを使って汚染問題を国民に訴えていく。ウラン鉱山の汚染に対し、我々はドキュメンタリー制作(注6)に加わった。その番組は2009年に国営テレビ(France 3)で放送され、フランスのウラン鉱山の問題を国民に伝えた。その数ヵ月後、政府、原子力当局はウラン鉱山の管理に関する規制を少し修正した。(注7)
放射能防護の方策をさらに向上させるのは、独立した市民団体の役割である。そうした団体は市民に奉仕し、市民の手により市民を管理する。
フランスの国や企業はここ数年、言葉づかいを変える手段を使い、原子力エネルギー分野をわかりやすく理解させようとしている。以前は「汚染(contamination)」と言っていたが、現在は「マーク・印(marquage)」と表現する。こうした言葉を通し、人々の放射能に対する恐怖を減らすことができる。
情報の透明化に関しては、実際にはさほど変わっていない。例を挙げると、地域情報委員会(注8)のケースがある。ほとんどの場合、地域情報委員会が入手する情報は、原子力事業者から与えられている。そのため、独立した管理の遂行は非常に難しい。管理するには原発施設内に入る必要があると考え、クリラッドはその許可を求めた。4ヶ所で要求したが、原子力事業者はいずれも拒否した。真に独立した専門家が分析と監査を実施するには、あらゆる面において自律性を強化しなければならない。フランスは残念ながら、原発運営会社が結果を提示するシステムになっており、いまのところ権力と向き合う監査ではなく、効果的とはいえない。

そのほか改善しなければならないのは、影響調査である。フランス、たぶん日本も同じだと思うが、原子力施設の建設時や施設からの放射能排出許可の修正時に、住民がこうむる影響を調査する。問題は、多くの場合、こうした影響調査がされる前に、施設建設が決まってしまう点にある。2つ目の問題は、原子力事業者自体がこうした影響調査を準備する点だ。国家機関の職員は、あらゆる影響について、事業者を監視する役割を果たしていない。影響調査のしくみがうまくいっているか、項目の原則が規則どおりかを単に調べるだけだ。
影響調査の分析を独立した立場で行う際、我々はしばしば数多くの限界に直面する。まず、お金がかかること。たとえば、ANDRA(フランス放射性廃棄物管理機関)(注9)では、影響調査の資料コピー代が有料だ。さらに、その資料は非常に分厚く、調べるのに通常1ヶ月かかり、最初から最後まで分析するには、数ヶ月かかる。あまりにも技術的で高度なため、市民、地方自治体、独立専門家が徹底的に分析するには、そのぐらいの平均時間がかかる。

民主主義という意味で検討すべき別のポイントは、司法の問題である。フランスの場合、原発事業者、つまり原子力産業を司法の面から制裁するのは非常に難しい。アレバがからむ多くの事例が存在する。ウラン鉱山、たとえば、リムーザンの訴訟(注10)がそのひとつだ。ウラン鉱山からの放射能排出による環境汚染が発覚し、放射能廃棄物の投棄が原因なのは明らかだったが、裁判でアレバは無罪になった。なぜなら、規制がないからだ。汚染は違反ではなく、汚染が明白でも有罪にする手段が公式化されていない。規制を改善させていかなければならない。

国際的に民主化するには、国際原子力機関IAEAと世界保健機構WHOの何十年もつづく関係を断ち切らなければならない。この2機関の専門家は依存しあっている。福島第一原発事故に関して最近調査結果を発表したが、この調査はIAEAとWHOの協働で実施された。市民の健康を最優先に考え、国際的な組織においても、独立性と透明性が求められる。国際放射能防護委員会(ICRP)についても同様だ。日本で議論になった20ミリシーベルトは、ICRPの基準を採用している。この数値を推薦したICRPのメンバーのなかにはフランス人のロシャール氏がいる。彼は、CEPN(放射線影響研究所)(注11)という名の組織の理事長だ。この団体の主なメンバーは、IRSN、CEA(原子力エネルギー庁)、EDF(フランス電力公社)、アレバである。国際放射能防護委員会のメンバーの任命方法、専門家にも、透明性と市民権をさらに高め、市民の利益を守る代表者が任命されるべきだ。公衆衛生管理の規制を改訂するには、市民のより活発な行動が必要になる。
学校での教育や、市民に向けたあらゆる教育も関係している。間違った教育をさせようとしているからだ。フランスも日本も、原子力企業は非常に強力で、広告代理店を大いに利用する。アレバの場合、数年前から「原子力はきれいで、完璧」と説明するコマーシャルを頻繁にテレビで流している。市民は、原子力の巨大グループの資本力だけでなく、メディアの威力にも立ち向かわなければならない。
最後に、最も重要なカギを握るのは、市民である。市民が積極的に学び、適確な教育を受ける。そして、放射能防護のための規制や法律の制定といったあらゆるレベルのプロセスに、市民がかかわっていく。これが、防護レベルを上げていく本質的な方法である。

(1) 1986年、チェルノブイリ事故後に創設されたNGO。放射線に関するモニタリング調査、分析、情報提供を行う独立研究所。会員は7000人。
(2) Loi n°2006-686 du 13 juin 2006 relative à la transparence et à la sécurité en matière nucléaire
(3) 2006年に「原子力安全・情報開示法」の制定をうけて設置された独立行政機関。産業省、環境省、国防省、労働省、教育研究技術省の管理下にある。その使命は、原子力の安全性および放射線防護に関する管理・監督、公衆への情報提供。原子力分野の有識者5人からなり、3人は大統領から任命され、そのうち1人が局長になる。残り2人は、下院および元老院の議長からそれぞれ任命される。任期は6年。政府資金は年間7500万ユーロ。http://www.asn.fr/
(4) 2002年、原子力に関する研究、放射線防護教育、放射線モニタリング、原子力情報の公開、原子力と放射線利用に関する技術支援、非常時支援などの目的で創設。5省(産業省、環境省、教育研究技術省、厚生省、国防省)の管理下にある。原子力の安全、放射線防護、核物質管理、医学、農学、獣医学などの専門家、技術者、研究者が約1700人雇用されている。http://www.irsn.fr/FR/Pages/Home.aspx
(5) ロワール県ボワ・ノワール鉱山のサン=プリエスト=ラ=プリューニュ、オート=ヴィエンヌ県ラ・クルジーユ、ソーヌ=エ=ロワール県グーニョン、カンタル県サン=ピエールダンなどのウラン鉱山周辺地区を調査したところ、水、土地、空気の放射能汚染が発覚。鉱山事業者による放射性廃棄物の管理の杜撰さが明るみに出た。http://www.criirad.org/actualites/dossier_09/communique.pdf
(6) 「ウラン、汚染されたフランスのスキャンダル」”Uranium, le Scandale de la France Contaminé” 
(7) 持続可能開発省: http://www.developpement-durable.gouv.fr/IMG/pdf/2009-132_circulaire_gestion_des_anciennes_mines_d_U.pdf
(8) 1981年に、原子力施設立地地域に設置された。公衆への情報周知、施設の監視、事業者と自治体および政府との情報共有をはかるのが目的。2006年にその機能が強化された。委員会のメンバーは、県議会議員、市町村議会議員、県選出の国会議員のほか、環境保護団体、経済団体、労働組合、医師や専門家の代表者など。
(9) 放射性廃棄物を管理する機関として、1979年にCEA(原子力エネルギー庁)の傘下の独立組織として設立。1991年12月の放射性廃棄物法制定時に、産業省、環境省、教育研究技術省の監督下の公営企業として改組された。
(10) 1999年、市民団体「リムーザンの水源と河川」が、「水の汚染、放射性物質の投棄、生活を危険にさらした」として、コジェマ(現アレバ)を提訴した。2006年の判決でアレバは無罪に。原告の敗訴ではあったが、ウラン鉱山の汚染を訴えた初の裁判は、フランス国内でこの問題を議論するきっかけとなった。
(11) 1976年、放射能の危険から防護するための評価を行う目的で創設された、非営利団体。http://www.cepn.asso.fr/

『アジア記者クラブ通信』2012年7月5日号


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by k_nikoniko | 2015-07-17 07:42 | 掲載記事(2011~)

Zen(禅)パリを飛びかう流行語!?

パリを飛びかう流行語!? 禅Zenブームの謎に迫る

バスタイムは日本の名湯の入浴剤入りお風呂でくつろぎ、お線香をたいた部屋で、Futonを敷いた畳ベッドでぐっすり。ジャポニズムを超越したZen生活が、パリジェンヌに人気の今日このごろ。
さて、このZenという言葉、日本人が考える”禅”からひとり歩きし、ファッションからインテリア、食べ物までさまざまな使い方をするのがフランス風だ。禅思想そのものはさておき、日本的、東洋的、精神的な雰囲気がポイントになっている。なにかと煩悩の多い世紀末の”禅”の「静寂な心」「清浄感」が今の気分にマッチしたらしい。
彼女たちにかかると、資生堂のコスメ、うどんやそば、盆栽や指圧マッサージも”Zen”でステキ、ということになる。ファッションだったらミニマリズムを意識したものがZenでお洒落、らしい。
C'est Zen!(ゼンって感じでステキね)なんてホメ言葉さえ使われているのだ。Zen=カッコイイというわけで、ポジティブな流行語となりつつある。問「Zenとは何か?」答「……」。座禅を組んで修業したって、このZenを悟ることはできないかも!?

写真キャプション(上から)
・雨の雫に似たデザインが”禅”ちっくなオーデコロン
・日本的な「なごみ」の香りでフランスで発売以来爆発的な人気のフレグランスとボディローション
・石の形のZen石けん
・お香のように使うお線香は日本製が手に入る
・昨年秋にオープンした日仏会館屋上の本格的な茶室。ここで開催されるお茶会はフランス人に人気のイベントになっている。
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『VoCE』1998年11月号

フランスでZen(禅)がブーム(『フランス式美人道A to Z』)
フランス式美人道A to Z


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by k_nikoniko | 2015-06-13 08:21 | 掲載記事(1991~1999)

5月のバラが咲く香水の街グラース(FRaU)

世界の香りと「鼻(nez)」を16世紀から育んできた南仏・グラース

青くカラリと晴れ上がった空、明るくふりそそぐ太陽。南仏コート・ダジュールのニースから40キロほどのところにあるグラースは香料となるもう一つのバラ、ローザ・センチフォリア「ローズ・ド・メ」の産地だ。
豊かな水、温暖な気候、水はけのいい地質と、花の栽培に必要な条件がすべてそろう街グラース。早春のスミレ、ミモザ、オレンジの花、初夏から秋にかけては、ジャスミンやラベンダーと、一年中やさしい花の香りで満ち溢れている。なかでも、5月のバラ「ローズ・ド・メ」は、この街で最も愛されている花。花が咲くのは5月初旬から約1か月。開花期間が短いため、昔から高価なバラとして珍重されてきた。
丘の斜面のバラ畑にたたずむと、甘いソフトな香りが鼻をくすぐる。プロヴァンスの娘のように、あどけない淡いピンクの小さな花ローズ・ド・メが、一人前の洗練された香水へと成長するのだ。
朝摘まれたローズ・ド・メを追って、グラースにある香料会社へ。これらの工場では、近郊の花はもちろん、世界各地から香料植物が集められ、香りのエッセンスに加工される。
ロベルテ社に足を踏み入れると、花の匂いとともに、人工的な香りともいえぬ奇妙な匂いが機械の合間を漂っている。香りの完成品とはほど遠い匂いだ。ここに運ばれたローズ・ド・メは、溶剤抽出法でアブソリュートオイルに加工される。香りのオイルをアルコールを主成分とする薬にとかし、そこから不純物を除去し、純粋なオイルを採取。複雑な製造過程を経て生まれた高級品のオイルは、華々しいデビューを待つことになる。

半世紀の歴史を持つ優雅な香りの伝統

標高350メートルのなだらかな丘の中腹にあるグラースには、南仏特有の薄い桃色の壁を持つ家が並び、イチジクやオリーブの木のグリーンと美しい調和をなしている。古い石畳の坂道が迷路のようにめぐり、中世の面影を残す街は、500年以上もの間、香り産業の中心地として注目されてきた。
斜面を利用して牧畜を行っていたグラースは、12世紀頃から革工業が発達していた。ここに、イタリア、スペインから香りつき革手袋の製造法が伝わったのは16世紀のこと。香りをたっぷりつけたグラース産のキッド革手袋は、貴族の間で大流行となった。
17世紀に入り、香りに敏感なルイ14世が香料産業を積極的に育成し、グラースが脚光を浴びることになる。その後、フランス革命で革製品の製造が下り坂になるが、反対に香水の生産が増えたこともあり、この地方の人々は、ますます香料産業に力を注いでいった。
1850年には、国から香料用花の独占栽培権を与えられ、香料や香水の開発に携わる会社、科学者や技術者、調香師が集中する「香水の街」として世界中に名を知られるようになっていった。
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by k_nikoniko | 2015-06-10 08:40 | 掲載記事(1991~1999)

フランス脱原発めざし6万人の「人間の鎖」(ビッグイシュー)

福島第一原発事故から1年の3月11日の午後、フランス南部で大規模な「人間の鎖」が実施され、約6万人が参加した。フランス各地から貸し切りバスが運行し、ドイツ、スイス、ベルギーからも多くの人が集まった。
手と手で、もしくは「人間の鎖」と書かれたオリジナルのリボンでつないだ距離は、リヨンとアヴィニョンを走る国道7号線の230キロメートル。ここは原子力施設集中地帯で、子の地域を流れるローヌ川沿いには、14基の原子炉が存在する。MOX燃料製造工場を有するマルクール原子力施設から30キロ圏内のアヴィニョンでは、南仏特有のミストラルが吹くなか、11時半から「人間の鎖」の準備が始まった。
「アヴィニョンでは福島事故の直後から、月1回、『人間の鎖』を行ってきました。150人だった参加者がやるごとに増え、1000人に。そこで、アヴィニョンからリヨンまでつなげてみよう、と考えたのです」とジャン=ピエール・セルヴァンテスさん。この日、アヴィニョン地区の参加者は主催者発表で5600人。脱原発の世論がなかなか高まらないフランスだが、史上最大の脱原発デモとなり、その様子は各メディアで報道された。

『ビッグイシュー日本版』(2012年4月15日)「世界短信」に掲載

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by k_nikoniko | 2015-05-31 08:06 | 掲載記事(2011~)

パリのシャンゼリゼ大通りが突如「農場」に!

『ビッグイシュー日本版』(2010年8月1日)に掲載された記事です。

5月23日・24日、パリのシャンゼリゼ大通りで大規模な農業祭が行われ、パリジャン・パリジェンヌたちが「農」に親しむ2日間となった。

排気ガスではなく、草木の香りが漂うシャンゼリゼ通り

5月23日と24日の2日間、パリのシャンゼリゼ大通りが突如「農場」に一変した。「ナチュール・キャピタル(首都の自然)」と題されたイベントで、車道は全面通行止めになり、凱旋門からの1.2キロメートルが、一夜にして緑の風景に様変わり。
石畳には赤い木屑を敷いて地面の雰囲気を出し、植物を植えた1.20四方のコンテナ8千個をパッチワーク状に配置。杉や松の森林、トマトやジャガイモなどの野菜畑、菜の花やラベンダー畑、そして、牛や羊の酪農場、牡蠣などの漁場がずらりと並び、フランス各地の農産物約150種がここに集結した。
「暑くて混雑していたけど、排気ガスではなく、草木の香りが漂うシャンゼリゼ通りを歩くのは悪くなかったわ。子どもたちは、動物と遊ぶのに夢中で動こうとしないの」。参加したエヴリン・パプリエさんは、その様子をカメラで撮影しながら、愉快そうに笑う。
山の幸、海の幸といった各地の特産品を販売する市場も大盛況。24日(月)は祝日ということもあり、見学者の数は通算で190万人に上ったという。
さながら物産展や田舎体験のようではあるが、このイベントの最大の狙いは、都会人にフランス農業に親しんでもらうとともに、農家の窮状を訴えることだった。主催したのは、35歳以下の若手農業事業者で作る青年農業者組合(JA)だ。
フランス農業は、ここ数十年、農作物の価格下落や補助金削減などで深刻な危機に陥っている。特に、若者の将来への不安は大きい。今年に入り、国内の農水産業近代化法の制定やEUの共通農業政策2013年改革に向けた議論がはじまった。そこで、人々の農業への関心を高めようと、社会ムーブメント的な大掛かりなイベントに踏み切ったのだ。

独特の“エスプリ”を効かせ、社会的メッセージを訴える

農業国フランスといえども、消費者と生産者が顔の見える関係にあるわけではない。青年農業者組合代表のウィリアム・ヴィルヌーヴさんは、「フランス農業の歴史が変わろうとしている今、農業従業者は都市生活者や消費者との相互理解が求められています」と述べる。
イベントでは、若手農業従業者たちが、日ごろ会う機会の少ない消費者に向けて、農業の魅力や生産物について直接説明。また、講演会などで意見交換なども行われた。ブルーノ・ルメール食糧・農業・漁業大臣やパリ市長が開会式に出席し、サルコジ大統領夫妻が見学に訪れるなど、政治家を巻き込む目的も果たしたといえる。
社会的メッセージを訴える際も、独特の〝エスプリ〝を効かせるのがフランス流。「美しい農園」を演出したのは、ストリート・デザイナーのガッド・ヴェイユ氏だ。
「自然を神聖化して崇めるのではなく、人間と関わらせながら芸術的に表現したかったんです。600人もの若い農業従業者の手で作り上げたこと、そこに意味があると思います。そして、ここでの散歩を体感することによって、緑あふれる世界こそ望ましいと人々は五感で気づくでしょう」。ヴェイユ氏はレクスプレス誌の取材でこう語っている。
イベントの費用は420ユーロ(約5億円)で、3分の2は農業金融機関や企業が負担し、残りは展示した植物や農作物の売り上げで補うという。
ただ、派手な活動だけに、批判もないわけではない。国連の生物多様性年にちなみ、環境と農業の重要性を強調する主催者側に対し、環境系のサイトでは、「化学肥料を使用して生態系を壊しているのが農業者だ」との書き込みも多数みられる。
とはいえ、「農業こそ将来の中心(キャピタル)」のスローガンを掲げ、都市および新自由主義の象徴ともいえるシャンゼリゼ通りを舞台に「農」をアピールした意義は大きい。第一次産業の衰退を嘆くのではなく、大胆かつ奇抜な仕掛けを打ち出す勇気はあっぱれだ。


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by k_nikoniko | 2015-05-24 08:47 | 掲載記事(2000~2010)

フランスの非営利団体系メディアAltermondes

アルテルモンド(Altermondes)のダヴィッド・エロワ編集長のインタビュー(2010年11月)

アルテルモンドは、2005年3月創刊の季刊誌。基本的には4,000部発行で定期購読者数は2,200人。

 今年の12月号が24号目で、その他特別編集で10号分発行しています。特集号は部数を増やし、たとえば、リベラシオンとのコラボで発行した「ミレニアム開発目標」の特集号は、例外的ですが、12万部発行しました。
 この手のメディアとしては発行部数も購読者数も悪くはないと思います。もちろん、安定した経営には、定期購読者を増やす必要があります。ただ、一般紙のリベラシオンでも、10万部以上の発行に対し、定期購読者数は22,000人とさほど多くはありません。リベラシオンはキヨスクでも販売していますが、定期的に読むのは2万人にすぎないのです。桁は違いますが、割合的からすると、この雑誌は悪くはありません。
 既存メディアの現状は厳しく、最も深刻なのは、リベラシオンやルモンドなど、情報全般を扱う一般紙です。新聞の情報は質が低下し、読者が減っています。
 そうしたなか、新しいタイプのメディアが出現しています。専門を絞った、しっかり地に足のついたメディアです。なぜなら、人々はより正確な情報、自分の興味のある情報を求めているからです。
 こうした状況がいつごろはじまったのか、正確にはわかりませんが、フランスのマスメディアの危機は、80年代の末ごろからだったと思います。インターネットの普及で、ますます悪化していきました。人はネットで情報を入手するようになったからです。マスコミのスキャンダルがあったりしたため、メディアへの信用も落ちました。
 新しいタイプのメディアが増えたのは、インターネットが出現した1990年代ごろだと記憶しています。1980年代にコミュニティラジオが発達し、1981年にラジオ・リーブルの設立が可能になり、オルタナティブラジオのブームが起きました。ネットメディアの発達とともに、2000年ごろから既存メディアとは違う雑誌や新聞が次々に創刊されました。
 「マスメディアの情報は正しくない」と人々は思いはじめ、本来あるべきメディアへの回帰しだしたのが、2000年代の初期の現象です。紙媒体は消える、といわれた時期です。オルタナティブメディアが発達したのは、既存メディアの信頼度の低下を反映した結果といえます。オルタナティブメディアには質のいいもと悪いものがありますが、正確な情報を提供しているものの信頼は高まっています。
 もちろん、オルタナティブメディアを信用してもらうのも容易ではありません。メディアそのものが信用されていないからです。私たちの雑誌はNGOや労働組合とかかわりがあるため、疑わしいとみなされることもあります。私たちは、ルモンドやリベラシオンでは見つけられない情報を提供しています。他の雑誌とは完全に違う情報です。
オルタナティブメディアを立ち上げるのは、普通の媒体に比べて、さほどお金がかかりません。ただ、部数や読者数を増やす難しさがあります。なかなか方法が見出せません。我々も、定期購読者を増やすのに苦労しています。
 アルテールモンドの収入の50%は購読料です。2つめの収入源は助成金で、予算のうち30%を占めます。特集によって助成先は変わります。国連やEU、自治体、県や市などから助成を受けます。残りの5%ほどは、市民団体からのわずかな広告料、それから、会費です。収入モデルはバランスがとれています。広告に依存しているわけではなく、定期購読者が増えたら、助成金を減らすことができます。
2010年の財政は悪くはなく、2011年はさらに少し良くなる予定です。いずれにせよ、定期購読者を増やすことがカギになります。経済的にはまあ大丈夫の状態ですが、快適とまではいきません。特に、このところ金融危機が響いています。
 行政からの助成金を受けられるのは、非営利団体だからです。私たちは出版社ではなく、営利企業でもありません。私たちが非営利団体にしたのは、助成金を受けることができるという理由からです。ただ、フランスの非営利団体はどこも資金繰りに苦労しています。財政難で自治体は助成金を削る傾向にあり、助成を受けるのが難しくなっています。
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by k_nikoniko | 2015-05-22 07:40 | メディア