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パレスチナ問題は人権侵害、国際社会が担う責任です

敗戦そして広島・長崎の原爆を乗り越えた日本のように、パレスチナは必ず復興する
未来の平和を担う子どもたちに、アートを通して世論に訴え、社会を変える力を養う

「紛争のたびに激化しています」
 パレスチナ・ガザ自治区南部ハンユニスに住むマジダ・エルサッカさんは、子どもや女性を支援する「CFTA(文化的で自由な思考を目指す協会)」のスタッフ。この6月、9年ぶりに来日した。
 この間、2008~09年、12年、14年とイスラエルによる大規模な軍事侵攻が3回あった。昨年の犠牲者はこれまででもっとも多く、死者は2131人。人口の4分の1が避難民になり、停戦後も11万人が避難生活を続けている。
 子どもたちの心理的影響も大きい。戦争のトラウマが、暴力的行為、うつ、頭痛や夜尿症などの心身の症状となって現れる。
 戦争で傷ついた子どもたちには心のケアが必要だ。しかし、家や学校が崩壊し、家族を失った多くの子どもたちには居場所がない。
「第一次インティファーダ(反占領闘争)をきっかけに、〝子どもの居場所作り〟をはじめました」
 91年、4人の女性たちとCFTAを立ち上げた。放課後や休暇などに利用する児童館などを運営し、演劇や音楽といったアート活動を提供している。
 子どもたちは好きな活動を自由に選び、グループで話し合い決めていく。紙芝居や演劇では、周りで起きた出来事を題材に、台本作りからはじめる。イスラエル軍による父親の逮捕や、近所の家の崩壊など、悲劇を語り合い、その会話の中から指導員が課題を拾いあげ、それを基に子どもたちは物語を作っていく。
「重要なのは、子どもが自ら主張すること。演劇では、役になりきり、自分の意見を発言できます」
 いずれもほかの子どもたちに見せ、演じる側と観る側が意見交換する。発言の機会を与えるのも忘れない。
「自ら参加し、自分の考えを表現することで、無力感や絶望感が解消されていくのです」
 また、政治や社会問題への主体的なかかわりも大切にしている。
 最近では、ガザで深刻化している危険地帯での”児童労働”の撤廃に向けて取り組んだ。
 児童労働を自分の問題としてとらえるために三つのグループで調査を行った。一つはNGO(非政府組織)で子どもの権利や人権について学ぶ、一つは現場に行って働く子どもたちを撮影する、そして働かせている家族や雇用主にインタビューする。これらの情報を持ち寄り、「社会を変えるにはどうしたらいいか?」を話し合う。この段階で大人が助言し、自動労働廃絶運動を開始。
 子どもたちは自らの力で、労働省の役人や労働組合を会合に出席させ、労働に従事する児童の話を聞くワークショップを開いた。こうした活動も反映され、危険なトンネル内やバッファー・ゾーン(緩衡地帯)での18歳未満の子どもの労働が禁止になった。
 しかし、その後も児童労働は絶えない。子どもたちは今、「次に何をしよう?」と考えている。
「子どもたちに『変える力がある、できる』と伝えていきたい」。戦後見事に復興した日本を見習、未来の平和に希望をつなぐ。「パレスチナも復興できる、と夢見て」

Majeda Al-Saqqa パレスチナ・ガザ自治区ハンユニス生まれ。1991年、CFTAを女性5人で創設。CFTAが母体のナハール児童館を支援する「パレスチナ子どものキャンペーン」(東京)の招きで来日。今回が二度目の日本訪問。

『週刊金曜日』2015年9月4日号


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by k_nikoniko | 2016-12-20 11:05 | 掲載記事(2011~)

「歌声にのった少年」を観ました

歌声にのった少年」(原題「The Idol」)は、パレスチナのガザで暮らす少年が、オーディション番組「アラブ・アイドル」に出場し、スーパースターとなったサクセスストーリー。
2013年に優勝者となったムハンマド・アッサーフの実話をもとに作られた作品です。

ムハンマド・アッサーフは、ガザのハンユニス出身。
昨年、やはりハンユニス出身のマジダさんが来日したときに、彼の話を聞き、ネットにアップされているビデオを一緒に観ました。
マジダさんは、戦争で傷ついた子どもたちの居場所となる児童館などを運営しているスタッフ。
ムハンマド・アッサーフは教え子のひとりだったそうで、「同じ街の出身なの!」と大興奮でした(それについては、こちらにアップしてます)。

この映画には、紛争も爆弾も出てきません。
ガザで暮らす人々、特に子どもたちが生き生きと描かれ、暗くはなく、全体的に深刻すぎもしません。

それでも、爆弾で崩壊した建物、危険な仕事に巻き込まれる子ども、ガザから外に出る難しさ、などについて、映画を通して知ることができます。

印象的だったのは、少年の「スター歌手になって世界を変える」夢が破れ、大人になってタクシー運転手で学費を稼ぐムハンマドの眼つき。
若くエネルギーはありあまっているのに、それをぶつける場がなく、怒りと焦りが混じった彼の目は、危険な匂いが漂っていました。

ガザに限らず、シリアやイラクやその他多くの国に、こうした若者がたくさんいるのだと思います。
スターになるなど、ごくごく稀。国外に出て、仕事を得ることさえ難しい。
フラストレーションをためた若者が、過激な行動に走ることもありうるという現実が、この映画から伝わってきます。

ひとりの若者が国民の、さらには中東の期待を一身に背負うのではなく、それぞれの若者が自分の夢に向かって進めるように、パレスチナや中東に平和が訪れることを願わずにいられません。

ところで、パレスチナの映画はこれが2本目です。
最初に観たのは、「ガザを飛ぶ豚」(原題「Le Cochon de Gaza」)。
ガザに住む漁師が豚(イスラム教では不浄のもの)を釣り上げてしまう、というお話。
笑えます、が、悲しくも…。おすすめです。


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by k_nikoniko | 2016-09-28 23:10 | カルチャー

ガザから来日した女性の記事掲載

9月4日発売の『週刊金曜日』「金曜日であいましょう」で、パレスチナ・ガザから来日したマジダ・エルサッカさんについて書きました。
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このブログでも何回かご紹介しています。

戦争で傷ついた子どもたちの”居場所”となる児童館などを運営し、心のケアに取り組んでいる団体CFTAのメンバーです。

9年ぶりに会った日、彼女はこう尋ねました。
「どうして日本は海外に自衛隊(軍隊)を派遣しようとしているのか」
安保法制が審議されているまっさなかの6月のことです。
「日本は、アメリカでも、ヨーロッパでも、アラブでもない、独自のアイデンティティーを持つ国。自律した立場で、国際社会に『ノー』と言えないのはなぜですか?」と。

マジダさんは、ガザ自治区で唯一、ヒジャブ(スカーフ)をしない女性として知られているそうです。
「子どものときの親の助言は、『何をしてもいい。ただし、後で泣かないこと』でした。そう生きてきたから、私はタフなのです」
ロンドン大学でメディア人類学を専攻し、インドに一年滞在した経験も。
ヨーロッパのNGOなどから仕事のオファーもありますが、「ガザで生まれ、ガザで育ち、ガザを愛している。ガザで暮らしつづけたい」ときっぱり。

マジダさんが日本を離れる前日、キャーキャー話したのが、アラブ諸国の人気オーデション番組で優勝したムハンマド・アッサーフのこと。
彼は、マジダさんらの教え子のひとり。「彼はハンユニス出身なの!」とうれしそう。
このスター誕生はパレスチナ国中が歓喜に沸いた出来事だったそうです。

番組のビデオはこちら

  

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by k_nikoniko | 2015-09-08 08:35 | 戦争

子どもたちに笑顔を パレスチナでの取り組み3

マジダさんのセンターについて、今回が最終回です。
彼女は100円ショップで、子どもたちのために、イラスト入りのメモ帳や面白い形の消しゴムなどを選んでいました。文房具だけでなく、知恵の輪といったゲーム類もいくつか購入していたのが印象的です。

子どもたちをいかに楽しませるか。
そのためには、大人が大人としての役目を果たさなくてはなりません。
マジダさんのセンターでは、指導員やボランティア、母親の育成、そして地域の人々の意識改革にも力を注いでいるそうです。

以下、彼女の話を紹介します。

指導員やボランティアを育成するにあたり、2つの大きな障害が存在します。
ひとつは、大人も精神的な問題を抱えていることです。
スタッフのトラウマについて、ガザにある唯一の精神ケア専門施設に相談したところ、「うちのスタッフも同じ問題を抱えているので、そちらのケアはできない」と言われました。
もうひとつは、外部との接触が難しいことです。
外国のボランティアや専門家を呼びたいのですが、イスラエルの許可がおりません。
迷路の中のウサギのように、ただ走り回っているように感じることもありますが、できる範囲で、指導員やボランティアの能力開発のための特別プログラムも実施しています。
年度初めに、指導員とボランティアは2ヶ月の研修を受けます。テーマは、人権、子どもの権利、教育方法、芸術などです。教育に関しては、学校教育とは異なる“学び”の考え方、従来とは違う教育について学習します。
週の最終日にフリーディスカッションと評価を行い、指導員やボランティアが意見を述べます。その結果により、さらに別の研修を行います。
また、3ヶ月に3日ほどリフレッシュデーを設け、外部から講師を呼んで、指導員たちに新しい教育法やワークショップの方法を学びます。子どもたちの成長は非常に早いため、指導員はそれに対応できなければなりません。
母親たちへの教育も大切です。
月に2回ほど母親たちを集め、センターでどのようなことをしているか説明します。
それと同時に、子どもたちが家でどのように過ごしているか教えてもらいます。
こうした取り組みは、パレスチナでは斬新です。
センターの活動を継続させるには、親や地域社会の理解が不可欠なのです。

センターの建築には、フランス政府が補助金を出したのですが、建設に関わるのは地元の人に限定することを条件にしました。備品なども地元のものを優先しています。
ガザで購入できる物品は少ないのですが、地元経済に貢献したいと考えています。
ハマスが政権を獲得した2006年は、非常に厳しい年でした。
国際社会の批判を受け、その結果、子どもの教育に打撃を受けました。
無償で配布されていた教科書さえ不足し、私たちの活動予算の大部分が、義務教育の学費、靴や通学服といった緊急支援に向けられました。
食糧が不足しているときに、私たちの活動だけにエネルギーを注ぐことはできないので、社会状況を考慮してはいます。
とはいえ、私たちの活動は、緊急支援を主旨としているわけではなく、コミュニティー開発というか、子どもたちを通じて地域社会に力をつけ、地域を底上げし、建設していくことにあります。

2007年4月26日15時20分投稿


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by k_nikoniko | 2015-06-17 08:57 | 戦争

子どもたちに笑顔を パレスチナでの取り組み2

マジダさんのセンターでは、多様な活動を行い、失敗したケースもいろいろあったそうです。
そのなかで、「子ども議会」は成功している良い例だといいます。
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子ども議会は1993年にはじまりました。
そのきっかけとなったのは、子供たちのケンカだったそうです。
ケンカした子どもたちが自分たちで解決法を見出すにはどうしたらいいか?
マジダさんはじめ大人たちもどうすべきかわからず、手探りで「子ども議会」を作ったといいます。
子どもたち自身が、「子ども議会」を生み出し、維持しているのです。

センターの「子ども議会」はとても民主的です。
この話しを聞いていて感じたのは、「子ども議会」は民主主義の西側諸国から見習った制度なのかどうか、ということです。
西欧諸国は「イスラムの民主化」を謳っていますが、イスラム社会には民主主義的な側面が全くないのでしょうか?
西欧文化の民主主義を押し付けても成功しないのではないか?
そんな疑問をマジダさんにぶつけてみました。
すると、次のような答えが返ってきました。
子ども議会は、イスラムの伝統や文化に基づいています。
議会に最も近いイスラムの伝統的なやり方に、シューラという仕組みがあります。
シューラとは、みんなが一致したリーダーを選び、リーダーがものごとを決めていく方法で、子ども議会も全員でリーダーを決めます。
ただ、シューラはコーランに基づいており、女性の参加を限定していますが、センターでは自分たちの決めたルールにより決定し、女の子も積極的に参加できます。
西欧諸国はイスラムの民主化を目指していますが、私たちにしてみれば、西欧がシューラのアイデアを参考にしたのではないかと思っています。
英国議会の歴史は長いのですが、英国議員には階級があり、ある議員が演説している間、下級の議員も立たなければなりません。
でも、子ども議会は平等で、ひとりが立って話し、座ってから次の人が立って発言します。

西欧がシューラのアイデアを参考にしたのではないか。
その例として、マジダさんは、米国からのある申し出について教えてくれました。
2003年に米国の支援団体から、子ども議会の向上のために16万ドル(約2000万円)援助すると提案されたといいます。
子ども議会にかかる費用は年間500~700ドル(10万円以下)ほどなので、資金の一部をセンターの増築、備品や教材の購入といった別の目的に使いたいと伝えたところ、“援助資金は子ども議会だけに限る”と言われたそうです。
子ども議会に携わっているボランティアの月給を600ドルにし、交通費や携帯電話などの経費を支払えばいい、と米国側は交渉してきたのです。
センターでは、指導員でさえ月給は450ドルほど。あまりにも法外な金額なので、申し出を断ったといいます。
「子ども議会」はパレスチナ人が考えてはじめたのですが、米国がそれに便乗し、お金の力を借りて、「イスラムの民主化」を推進しているともいえます。
何だかいやらしいです。

さて、子ども議会について、マジダさんの話を紹介します。



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by k_nikoniko | 2015-06-16 09:01 | 戦争

占領だけでなく社会規範とも闘うパレスチナ女性たち

映画監督ホーリーさんインタビュー

 パレスチナ出身の女性ドキュメンタリー映画監督ブサイナ・ホーリーさんが来日し、6月25日の札幌を皮切りに、初作品「Women in Struggle ―視線―」の上映&トークツアーで日本を縦断した。イスラエルの刑務所に拘留された経験を持つ、元政治犯の4人の女性たちを描いた作品は、女性たちが釈放後も社会復帰ができず、果てしなく苦しみ続ける姿を浮き彫りにする。パレスチナ女性は、占領だけでなく、伝統や宗教、慣習とも闘わなければならないというホーリー監督に、パレスチナ女性の抱える問題について語ってもらった。 
 

▽まずパレスチナ人に見てほしい 
 
 この映画はまず、パレスチナ人に見てもらおうと製作しました。女性が投獄されている事実は知っていても、どれほどひどい拷問を受けるのかは明らかになっていません。それだけでなく、刑務所での経験が、彼女たちのその後の人生に多大な影響を与えているという現実も知られていません。 
 
 想像することと、実際に人から話を聞くことは全く違います。本人が自分の言葉で語り、それを耳にすることによって、実体験できるというか、刑務所で過ごした女性と、普通の生活を送っている女性をお互いに近づけたかったのです。 
 
 刑務所での経験は耐え難いものですが、それがすべてではなく、社会に戻ってからの女性たちの苦しみもすさまじいのです。社会復帰は困難を極め、彼女たちを支援する制度や施設も存在しません。 
 
 パレスチナ社会では、文化、伝統、宗教、政治的および社会的制限などがひとまとまりとなって、女性の障害として襲いかかります。とにかく制約が多く、女性の行動は限定されがちです。これらはアラブの伝統やイスラム教と密接な関係があり、特に、アラブの伝統が女性の自由を制限しているといえます。 
 
 女性を縛る制約のひとつが、母・妻・姉妹といった役割の押しつけです。それとは違う生き方をするパレスチナ女性は、世間になかなか認められません。これはパレスチナ女性に限ったことではなく、すべてのアラブ諸国の女性にいえることですが、現在はパレスチナでより顕著に現れています。というのも、パレスチナは原理主義的思想が強まっているからです。 
 
 70年代にはスカーフをする女性をめったに見かけなかったのですが、このところ増加しています。スカーフどころか、目以外全身を覆っている女性さえいます。以前はこのような格好をした女性はいませんでした。 
 

▽制約の多い女性団体の活動 
 
 もちろん、パレスチナにもかなりの数の女性団体が存在し、女性の権利を守るための活動をしています。 
 
 ただ、これらの団体は容認されてはいますが、ボーダーラインを超えない安全圏内で慎重に運動しています。あまりにもオープンに動くと、非難されるからです。 
 
 彼女たちが恐れているのは、政府というより、世間の目です。社会から受け入れられなければ、効果的な活動ができません。最も脅威なのは、普通に暮らす女性たちから拒否されることです。 
 
 主張はさまざまですが、なかには、「女性は働かなければならない」「女性は男性と同じ権利を持たなければならない」「すべてを自分でしなければならない」というフェミニストもいます。私としては、これは現実と矛盾している気がします。 
 
 なにもかもヨーロッパや国際社会の基準に合わせようとする人もいます。パレスチナの女性は非常に活発でパワフルですが、伝統や文化、宗教も維持していかなければなりません。アメリカナイズされたり、ヨーロッパナイズされることは求めていないのです。 
 
 西欧の女性に追随するのではなく、自国の伝統、文化、社会とバランスをとりながら、女性の権利を手に入れていく。難しい目標ではありますが、不可能ではないでしょう。 
 
 パレスチナの経済が発展すれば、教育システムが向上し、女性たちの社会進出も進み、伝統や文化と、女性の権利の両立が可能になるのではないかと思います。 
 
 西欧の女性の多くは、自分たちが良い模範だとは考えていないのではないでしょうか。彼女たちでさえ、守られるべき権利が侵害されています。たとえば、DV(ドメスティック・バイオレンス)は、米国にも欧州にも、世界中に存在します。 
 
 パレスチナも例外ではないのですが、誰もそれについて話そうとしません。とてもプライベートな問題で、隠しがたがります。それでも、ここ数年で支援団体が設立され、昔よりはよくなってきましたが。 
 

▽次作のテーマは「名誉殺人」 
 
 占領された現在の状況では、女性を守る法どころか、パレスチナの法律の制定もできないのです。パレスチナでは、イスラエルかエジプトの法を適用しているのですが、そこにはDVといった犯罪に対する罰則はありません。 
 
 法律のないパレスチナでは、男性が集まって重要な事柄を決定していきます。人々は古いしきたり、男性が作り出した掟に従うしかありません。たくさんの間違いや失敗が生じていても、それが検証されることはないのです。若い世代は、ただ慣例に従うだけです。 
 
 男たちの独断によって引き起こされる悲劇のひとつが、パレスチナの名誉殺人 (結婚前に男性と関係を持った罪で、女性が家族に殺害されること)です。 
 
 現在製作中の新作は、まさにこの名誉殺人を題材にしています。この行為が殺人であり、犯罪であると訴えたいのです。 
 
 原理主義の高まりにより、こうした事件は以前より増加しています。貧しさ、教育の欠如、不安定な生活といった負の要素が重なると、社会は男性支配が強まり、弱者が抑圧されます。弱い立場にある女性はターゲットになりやすく、抑圧の連鎖として、このような事件は増えるのです。 
 
 名誉殺人はイスラム教だけに見られるのではなく、キリスト教にも存在していました。宗教以前の伝統で、パレスチナではそれがいまでも続いています。 
 
 私は次作で、「社会のプレッシャーは犠牲者を生み出す」ということを伝えたいのです。名誉殺人は、手を加える男性も殺害される女性も、どちらも社会の抑圧による犠牲者です。 
 
 人は誰でも家族やコミュニティー、グループに所属していたいと考えています。それは人間の抱く自然な感情です。そして、社会の一員として認められたいがために、人は暴力や殺人さえも犯してしまうことがあるのです。 
 
 このテーマを扱った映画は世に出ていないので、議論を巻き起こすきっかけになればいいと期待しています。さらに、法律の制定に一歩近づくことを願っています。いまこそ、女性の地位を向上させる、パレスチナの独自の法を作るべきときだからです。 
 
 

*ブサイナ・ホーリー Buthina Khoury 
 ボストンで映画製作の学士号、写真の修士号を修得。欧州のテレビ番組向けに、パレスチナ女性としてはじめて中東をテーマにした作品を多数制作。2000年にMajd制作会社を設立し、パレスチナの視点からドキュメンタリー映画を撮りつづける。 
「Women in Struggle」は、自らが製作・監督・撮影を担当した初の長編ドキュメンタリー映画。 

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『日刊ベリタ』 2007年07月08日11時56分掲載
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by k_nikoniko | 2013-08-30 08:20 | 掲載記事(2000~2010)

ガザからのメール(1/3)

2008年末から、パレスチナのガザ地区はイスラエル軍に激しく攻撃されつづけました。
南部最大の都市ハンユニスに住む、NGOスタッフの女性マジダ・エルサッカさんと何度かメールのやりとりをしていたところ、2009年1月9日に、彼女からPDFで手記が届きました。
幼い甥っ子とかわした会話が中心です。
本人に公表の許可を得て、『北海道新聞』夕刊で、2009年1月19日~21日と3回にわたってこの手記の翻訳を掲載してもらいました。
以下は、マジダさんから届いた手記の全訳です。

2008年12月27日
イスラエルはあえてクリスマス休暇に攻撃を開始したという確信がある。この時期であれば、EUも米国もさほど反応を示さないだろうことを、私は知っているのだ。それだけではなく、イスラエルは時間がたっぷりあるときに虐殺をする計算だったこともわかっている。

それにしても、このようなことになろうとは、少しも想像していなかった。11時か11時半ごろだった。ハンユニスに地震が起きたのかと感じた。しかも、これまで聴いたこともないほどの轟音をともなっていた。数年前にイスラエル占領軍がソニックブームを使ったときでさえ、あれほどの音ではなかった。私の頭にすぐに浮かんだのは、母親、姉妹たち、そして、学校や幼稚園に通う子供たちのことだった。私は熱いシャワーを浴びようと2階に駆け上がった。ここ1週間以上は冷たい水のシャワーだった。というのも、水を温めるほどの晴天には恵まれず、5分間の贅沢なシャワータイムを楽しむための水を温めるほどの十分な時間とパワーの電気が使えなかったからだ。

聞こえてくる音よりも速く、私は階段を急いで駆け下りた。姉の目を見つめ、母親の目を見つめ、すぐ、幼稚園と学校にいる子供たちを迎えに行くために、庭に向かって階段を走った。6歳の甥は試験だったので、いつもより早く学校から戻ってきた。他の二人はドアのところに立っていた。幸いなことに、うちの隣の人が町に出かけていたので、彼が自分の子供と一緒に、私の甥たちも連れて帰ってきてくれたのだ。

子供たちは怖がっていて、自分でも理解できないまま大声で話していた。4歳の甥ワエル(Wael)はなんだか理解できないでいた。彼は、イスラエルが存在していることさえ知らなかった。

今、彼はそれを知ったのである。子供たちみんなが、それを知ったのである。

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by k_nikoniko | 2013-08-11 09:03 | 掲載記事(2000~2010)

1ヶ月前のパレスチナ・キャンドル行進

f0016260_14503230.jpg遅くなりましたが、1月10日(土)に札幌で行われた、ガザ攻撃に対する抗議デモについて。
湿った雪が降りしきるなか、留学生を含む180名(主催者発表)が参加。キャンドルやパレスチナ国旗を手に、大通り公園をスタートし、すすきのを経由してテレビ塔にいたるルートを1時間半ほどかけて静かに行進しました。
この日一緒に歩いた留学生に、パレスチナ問題について聞いてみました。

Fさん(ブラジル)「イスラエル軍の攻撃は非常に悲しむべきこと。国際機関がもっと声を上げるべきだ」

Oさん(ボリビア)「この問題は、パレスチナとイスラエルの人だけではなく、世界中の全ての人が考えるべきものだと思う」

f0016260_14401846.jpgAさん(スーダン)「掲げていた子どもたちの写真を見たでしょう。あれが今のパレスチナの状態だと思う。遠い国からでも、苦しんでいる彼らに向かって、支援の意思を示すことが大切だ」

Tさん(シリア)「ここに集まったのは、あまりにも心が痛いからだ。子どもたちが犠牲になるのをみるのはしのびない。国連が何か手を打つべきだ」

Bさん(スーダン)「日本人がこうして行進をしているのを知ったら、パレスチナの人たちの心の支えになるだろう」
f0016260_14403970.jpgBさん(インド)「特に子どもたちが犠牲になっており、病院でさえ爆撃を受けている。国際的な医療機関は、治療がしたくても、ガザに入ることもできないでいる。こんな事態はすぐにでもとめなければならない」
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by k_nikoniko | 2009-02-06 14:53 | 戦争

ガザは巨大な刑務所、という話

先日、ヨルダン国籍のパレスチナ人と話していて、「ガザは巨大な刑務所のようなもの」と表現していました。
この言葉で、年末に会ったマジダさんの講演を思い出しました。
そこで暮らすということはどういうことか、彼女が語った話を紹介します。

パレスチナは、ガザ、ヨルダン川西岸、東エルサレムと3つに分断されていて、それぞれの行き来がままならない。
150万人が暮らすガザの広さは、南北に47キロ、東西に11キロほどである。
ここには働く場所がなく、大学も、映画館も劇場もない。
ガンの治療ができる病院も存在しない。
ガザ内でできることは限られているにもかかわらず、四方が閉鎖されていて、外へ出るのは容易ではない。
沿岸部の東側はフェンスで囲まれ、地中海にイスラエル海軍が停泊する。
イスラエル入植地と隣接している北側は往来ができず、南側のエジプト国境もイスラエル空軍が管理している。ガザの上空は、つねにイスラエル空軍が監視している。
ガザとヨルダン川西岸自治区の距離は車で1時間ほどだが、パレスチナ人は行き来ができず、私も7年間訪れたことがない。
ヨルダン川西岸自治区の大学に進学したガザの学生はなかなか戻れず、家族も近づけない。

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by k_nikoniko | 2007-06-03 14:20 | 戦争