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パレスチナ問題は人権侵害、国際社会が担う責任です

敗戦そして広島・長崎の原爆を乗り越えた日本のように、パレスチナは必ず復興する
未来の平和を担う子どもたちに、アートを通して世論に訴え、社会を変える力を養う

「紛争のたびに激化しています」
 パレスチナ・ガザ自治区南部ハンユニスに住むマジダ・エルサッカさんは、子どもや女性を支援する「CFTA(文化的で自由な思考を目指す協会)」のスタッフ。この6月、9年ぶりに来日した。
 この間、2008~09年、12年、14年とイスラエルによる大規模な軍事侵攻が3回あった。昨年の犠牲者はこれまででもっとも多く、死者は2131人。人口の4分の1が避難民になり、停戦後も11万人が避難生活を続けている。
 子どもたちの心理的影響も大きい。戦争のトラウマが、暴力的行為、うつ、頭痛や夜尿症などの心身の症状となって現れる。
 戦争で傷ついた子どもたちには心のケアが必要だ。しかし、家や学校が崩壊し、家族を失った多くの子どもたちには居場所がない。
「第一次インティファーダ(反占領闘争)をきっかけに、〝子どもの居場所作り〟をはじめました」
 91年、4人の女性たちとCFTAを立ち上げた。放課後や休暇などに利用する児童館などを運営し、演劇や音楽といったアート活動を提供している。
 子どもたちは好きな活動を自由に選び、グループで話し合い決めていく。紙芝居や演劇では、周りで起きた出来事を題材に、台本作りからはじめる。イスラエル軍による父親の逮捕や、近所の家の崩壊など、悲劇を語り合い、その会話の中から指導員が課題を拾いあげ、それを基に子どもたちは物語を作っていく。
「重要なのは、子どもが自ら主張すること。演劇では、役になりきり、自分の意見を発言できます」
 いずれもほかの子どもたちに見せ、演じる側と観る側が意見交換する。発言の機会を与えるのも忘れない。
「自ら参加し、自分の考えを表現することで、無力感や絶望感が解消されていくのです」
 また、政治や社会問題への主体的なかかわりも大切にしている。
 最近では、ガザで深刻化している危険地帯での”児童労働”の撤廃に向けて取り組んだ。
 児童労働を自分の問題としてとらえるために三つのグループで調査を行った。一つはNGO(非政府組織)で子どもの権利や人権について学ぶ、一つは現場に行って働く子どもたちを撮影する、そして働かせている家族や雇用主にインタビューする。これらの情報を持ち寄り、「社会を変えるにはどうしたらいいか?」を話し合う。この段階で大人が助言し、自動労働廃絶運動を開始。
 子どもたちは自らの力で、労働省の役人や労働組合を会合に出席させ、労働に従事する児童の話を聞くワークショップを開いた。こうした活動も反映され、危険なトンネル内やバッファー・ゾーン(緩衡地帯)での18歳未満の子どもの労働が禁止になった。
 しかし、その後も児童労働は絶えない。子どもたちは今、「次に何をしよう?」と考えている。
「子どもたちに『変える力がある、できる』と伝えていきたい」。戦後見事に復興した日本を見習、未来の平和に希望をつなぐ。「パレスチナも復興できる、と夢見て」

Majeda Al-Saqqa パレスチナ・ガザ自治区ハンユニス生まれ。1991年、CFTAを女性5人で創設。CFTAが母体のナハール児童館を支援する「パレスチナ子どものキャンペーン」(東京)の招きで来日。今回が二度目の日本訪問。

『週刊金曜日』2015年9月4日号


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by k_nikoniko | 2016-12-20 11:05 | 掲載記事(2011~)

「歌声にのった少年」を観ました

歌声にのった少年」(原題「The Idol」)は、パレスチナのガザで暮らす少年が、オーディション番組「アラブ・アイドル」に出場し、スーパースターとなったサクセスストーリー。
2013年に優勝者となったムハンマド・アッサーフの実話をもとに作られた作品です。

ムハンマド・アッサーフは、ガザのハンユニス出身。
昨年、やはりハンユニス出身のマジダさんが来日したときに、彼の話を聞き、ネットにアップされているビデオを一緒に観ました。
マジダさんは、戦争で傷ついた子どもたちの居場所となる児童館などを運営しているスタッフ。
ムハンマド・アッサーフは教え子のひとりだったそうで、「同じ街の出身なの!」と大興奮でした(それについては、こちらにアップしてます)。

この映画には、紛争も爆弾も出てきません。
ガザで暮らす人々、特に子どもたちが生き生きと描かれ、暗くはなく、全体的に深刻すぎもしません。

それでも、爆弾で崩壊した建物、危険な仕事に巻き込まれる子ども、ガザから外に出る難しさ、などについて、映画を通して知ることができます。

印象的だったのは、少年の「スター歌手になって世界を変える」夢が破れ、大人になってタクシー運転手で学費を稼ぐムハンマドの眼つき。
若くエネルギーはありあまっているのに、それをぶつける場がなく、怒りと焦りが混じった彼の目は、危険な匂いが漂っていました。

ガザに限らず、シリアやイラクやその他多くの国に、こうした若者がたくさんいるのだと思います。
スターになるなど、ごくごく稀。国外に出て、仕事を得ることさえ難しい。
フラストレーションをためた若者が、過激な行動に走ることもありうるという現実が、この映画から伝わってきます。

ひとりの若者が国民の、さらには中東の期待を一身に背負うのではなく、それぞれの若者が自分の夢に向かって進めるように、パレスチナや中東に平和が訪れることを願わずにいられません。

ところで、パレスチナの映画はこれが2本目です。
最初に観たのは、「ガザを飛ぶ豚」(原題「Le Cochon de Gaza」)。
ガザに住む漁師が豚(イスラム教では不浄のもの)を釣り上げてしまう、というお話。
笑えます、が、悲しくも…。おすすめです。


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by k_nikoniko | 2016-09-28 23:10 | カルチャー

ガザから来日した女性の記事掲載

9月4日発売の『週刊金曜日』「金曜日であいましょう」で、パレスチナ・ガザから来日したマジダ・エルサッカさんについて書きました。
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このブログでも何回かご紹介しています。

戦争で傷ついた子どもたちの”居場所”となる児童館などを運営し、心のケアに取り組んでいる団体CFTAのメンバーです。

9年ぶりに会った日、彼女はこう尋ねました。
「どうして日本は海外に自衛隊(軍隊)を派遣しようとしているのか」
安保法制が審議されているまっさなかの6月のことです。
「日本は、アメリカでも、ヨーロッパでも、アラブでもない、独自のアイデンティティーを持つ国。自律した立場で、国際社会に『ノー』と言えないのはなぜですか?」と。

マジダさんは、ガザ自治区で唯一、ヒジャブ(スカーフ)をしない女性として知られているそうです。
「子どものときの親の助言は、『何をしてもいい。ただし、後で泣かないこと』でした。そう生きてきたから、私はタフなのです」
ロンドン大学でメディア人類学を専攻し、インドに一年滞在した経験も。
ヨーロッパのNGOなどから仕事のオファーもありますが、「ガザで生まれ、ガザで育ち、ガザを愛している。ガザで暮らしつづけたい」ときっぱり。

マジダさんが日本を離れる前日、キャーキャー話したのが、アラブ諸国の人気オーデション番組で優勝したムハンマド・アッサーフのこと。
彼は、マジダさんらの教え子のひとり。「彼はハンユニス出身なの!」とうれしそう。
このスター誕生はパレスチナ国中が歓喜に沸いた出来事だったそうです。

番組のビデオはこちら

  

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by k_nikoniko | 2015-09-08 08:35 | 戦争

パレスチナの現状

聞いた話しによると、ヨルダン国民の60%ほどがのパレスチナ難民だそうです。
ヨルダンの難民は比較的恵まれているほうで、最悪の状況で暮らしているのはガザのパレスチナ人だろうとのことでした。

昨年末(2006年)にお会いしたパレスチナ人のマジダさんは、次のようなことを言っていました。


中東は大変美しい地域です。
私はときどき、さまざまな宗教の人が同じ権利を持つ国境のない世界を夢想します。
パレスチナやイスラエルといった名前にとらわれず、どのような人でも人間としての尊厳と自由を持っている社会が誕生してほしいと心から願っています。
日本人は北海道でも東京でも似たような生活ができますが、私たちパレスチナ人は違います。
私の夢はいつも破られてしまいます。
現実に目を向けると、イラクで戦争がはじまり、レバノンが侵攻されています。
なぜ世界の人々は黙って傍観しているのか、私はその理由を知りたい。
パレスチナ問題はアラブの問題でも、イスラムの問題でもなく、国際的な人権問題だと考えています。そして、パレスチナ問題を別の目的に利用されたくはありません。
ガザをはじめ、パレスチナの3領域は封鎖されていて、刑務所や強制収容所と同じです。
こうした状況に置かれていては、パレスチナ人の力だけではどうすることもできません。
世界の人々の手を借りなければ、平和を実現できないのです。
パレスチナで起きていることを人権問題として考え、私たちに力を貸して欲しい。


以下、彼女の話をまとめました。



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by k_nikoniko | 2015-06-20 08:54 | 戦争

子どもたちに笑顔を パレスチナでの取り組み3

マジダさんのセンターについて、今回が最終回です。
彼女は100円ショップで、子どもたちのために、イラスト入りのメモ帳や面白い形の消しゴムなどを選んでいました。文房具だけでなく、知恵の輪といったゲーム類もいくつか購入していたのが印象的です。

子どもたちをいかに楽しませるか。
そのためには、大人が大人としての役目を果たさなくてはなりません。
マジダさんのセンターでは、指導員やボランティア、母親の育成、そして地域の人々の意識改革にも力を注いでいるそうです。

以下、彼女の話を紹介します。

指導員やボランティアを育成するにあたり、2つの大きな障害が存在します。
ひとつは、大人も精神的な問題を抱えていることです。
スタッフのトラウマについて、ガザにある唯一の精神ケア専門施設に相談したところ、「うちのスタッフも同じ問題を抱えているので、そちらのケアはできない」と言われました。
もうひとつは、外部との接触が難しいことです。
外国のボランティアや専門家を呼びたいのですが、イスラエルの許可がおりません。
迷路の中のウサギのように、ただ走り回っているように感じることもありますが、できる範囲で、指導員やボランティアの能力開発のための特別プログラムも実施しています。
年度初めに、指導員とボランティアは2ヶ月の研修を受けます。テーマは、人権、子どもの権利、教育方法、芸術などです。教育に関しては、学校教育とは異なる“学び”の考え方、従来とは違う教育について学習します。
週の最終日にフリーディスカッションと評価を行い、指導員やボランティアが意見を述べます。その結果により、さらに別の研修を行います。
また、3ヶ月に3日ほどリフレッシュデーを設け、外部から講師を呼んで、指導員たちに新しい教育法やワークショップの方法を学びます。子どもたちの成長は非常に早いため、指導員はそれに対応できなければなりません。
母親たちへの教育も大切です。
月に2回ほど母親たちを集め、センターでどのようなことをしているか説明します。
それと同時に、子どもたちが家でどのように過ごしているか教えてもらいます。
こうした取り組みは、パレスチナでは斬新です。
センターの活動を継続させるには、親や地域社会の理解が不可欠なのです。

センターの建築には、フランス政府が補助金を出したのですが、建設に関わるのは地元の人に限定することを条件にしました。備品なども地元のものを優先しています。
ガザで購入できる物品は少ないのですが、地元経済に貢献したいと考えています。
ハマスが政権を獲得した2006年は、非常に厳しい年でした。
国際社会の批判を受け、その結果、子どもの教育に打撃を受けました。
無償で配布されていた教科書さえ不足し、私たちの活動予算の大部分が、義務教育の学費、靴や通学服といった緊急支援に向けられました。
食糧が不足しているときに、私たちの活動だけにエネルギーを注ぐことはできないので、社会状況を考慮してはいます。
とはいえ、私たちの活動は、緊急支援を主旨としているわけではなく、コミュニティー開発というか、子どもたちを通じて地域社会に力をつけ、地域を底上げし、建設していくことにあります。

2007年4月26日15時20分投稿


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by k_nikoniko | 2015-06-17 08:57 | 戦争

子どもたちに笑顔を パレスチナでの取り組み2

マジダさんのセンターでは、多様な活動を行い、失敗したケースもいろいろあったそうです。
そのなかで、「子ども議会」は成功している良い例だといいます。
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子ども議会は1993年にはじまりました。
そのきっかけとなったのは、子供たちのケンカだったそうです。
ケンカした子どもたちが自分たちで解決法を見出すにはどうしたらいいか?
マジダさんはじめ大人たちもどうすべきかわからず、手探りで「子ども議会」を作ったといいます。
子どもたち自身が、「子ども議会」を生み出し、維持しているのです。

センターの「子ども議会」はとても民主的です。
この話しを聞いていて感じたのは、「子ども議会」は民主主義の西側諸国から見習った制度なのかどうか、ということです。
西欧諸国は「イスラムの民主化」を謳っていますが、イスラム社会には民主主義的な側面が全くないのでしょうか?
西欧文化の民主主義を押し付けても成功しないのではないか?
そんな疑問をマジダさんにぶつけてみました。
すると、次のような答えが返ってきました。
子ども議会は、イスラムの伝統や文化に基づいています。
議会に最も近いイスラムの伝統的なやり方に、シューラという仕組みがあります。
シューラとは、みんなが一致したリーダーを選び、リーダーがものごとを決めていく方法で、子ども議会も全員でリーダーを決めます。
ただ、シューラはコーランに基づいており、女性の参加を限定していますが、センターでは自分たちの決めたルールにより決定し、女の子も積極的に参加できます。
西欧諸国はイスラムの民主化を目指していますが、私たちにしてみれば、西欧がシューラのアイデアを参考にしたのではないかと思っています。
英国議会の歴史は長いのですが、英国議員には階級があり、ある議員が演説している間、下級の議員も立たなければなりません。
でも、子ども議会は平等で、ひとりが立って話し、座ってから次の人が立って発言します。

西欧がシューラのアイデアを参考にしたのではないか。
その例として、マジダさんは、米国からのある申し出について教えてくれました。
2003年に米国の支援団体から、子ども議会の向上のために16万ドル(約2000万円)援助すると提案されたといいます。
子ども議会にかかる費用は年間500~700ドル(10万円以下)ほどなので、資金の一部をセンターの増築、備品や教材の購入といった別の目的に使いたいと伝えたところ、“援助資金は子ども議会だけに限る”と言われたそうです。
子ども議会に携わっているボランティアの月給を600ドルにし、交通費や携帯電話などの経費を支払えばいい、と米国側は交渉してきたのです。
センターでは、指導員でさえ月給は450ドルほど。あまりにも法外な金額なので、申し出を断ったといいます。
「子ども議会」はパレスチナ人が考えてはじめたのですが、米国がそれに便乗し、お金の力を借りて、「イスラムの民主化」を推進しているともいえます。
何だかいやらしいです。

さて、子ども議会について、マジダさんの話を紹介します。



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by k_nikoniko | 2015-06-16 09:01 | 戦争

子どもたちに笑顔を パレスチナでの取り組み1

紛争がつづくパレスチナでは、子どもたちが希望をなくし、学校にもいけず、遊び場もない状態で暮らしています。
子どもたちの心の傷をどう癒すか。
昨年(2006年)来日したマジダさんが所属するCFTAの取り組みは、大変興味深いものでした。

マジダさんの住むハンユニスはガザの南部に位置し、人口は15万ほど。ガザに比べて発展に遅れた地区です。
教育システムの整備が不十分で、義務教育を終えた子どもたちは進学先がありません。
行き場のない子どもたちは、幅1メートルほどの狭い道で遊んでいます。
子どもの数は増加しており、人口の過半数が15歳以下です。
一世帯の子どもの数は平均5~7人で、ほとんどが2間ほどの住居に暮らしているそうです。

子どもたちは自由に走り回る場所がありません。
そこで、子どもたちに安全に遊ぶ空間を提供する施設ナワールセンターが作られました。
ガザでも貧しい地域にある唯一の子どものための施設で、6~12歳の子どもを受け入れています。
スタッフは、マジダさんを含めて4人で、残りはボランティア。資金も備品も十分とはいえません。
当初の計画では定員80~120人だったのですが、600人の子どもを受け入れています。

以下は、マジダさんのお話。



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by k_nikoniko | 2015-06-15 07:38 | 戦争

ガザの友人が来日

9年ぶりにパレスチナのマジダさんと再会しました。
昨夜、一緒に来日したラシャさんと3人で、東京の街へ。

59階のスカイレストランで夕食。
うまく映っていませんが、窓の外は光輝く都会の夜景。
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東京のネオンに驚く二人。
福島第一原子力発電所の電気が東京で消費されていたことは知らなかったマジダさん。
「あんな事故があったのに、なんて残酷な」と…。

今日14日、マジダさんとラシャさんの講演会があります。
マジダ・エルサッカさん来日講演会「ガザの私たちが世界に伝えたいこと」

2009年のガザ侵攻のとき、送られてきた手記の翻訳はこちらです。
ガザからのメール(1/3)
ガザからのメール(2/3)
ガザからのメール(3/3)

昨年の攻撃はこれよりひどかったそうです。
紛争のたびに悪化する、ともらしていました。


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by k_nikoniko | 2015-06-14 10:39 | ひとりごと

ガザからのメール(2/3)

母は、イスラエルがアスダア・メディア・シティを爆撃したと言った。ここは、ハンユニスの端に位置する、旧イスラエル入植地に新しくできた娯楽エリアだ。5歳の甥アルスラン(Arslan)はとてもおびえていた。他の子供同様アルスランは、この場所が気に入っている。なぜなら、釣堀、小さな動物園、小さな遊び場、レストランがあるからだ。彼は激しく泣いた。私は彼に何の約束もしてあげることができない。「もっと美しいほかの場所を見つけてあげるよ」なんて。

子供たちが眠ったのを確認し、彼らを2階のベッドに連れて行った。すこしは安心することができるだろう。

一晩中、私は眠ることができなかった。爆撃の音を聞きながら、友人や家族に電話をし、彼らが無事であることを確認し、テレビを観る電気がないのでラジオを聴き、子供たちを外に連れて行った自分の愚かさをのろっていた。自分が鈍感なのかわからない。もしくはイスラエルが、世界が鈍感なのか!!! 子供たちを外に連れて行くなんて賢いとはいえないのか。もちろん、そうだろう。でも、ガザでなかったら。この時期でなかったら。他のときであっても。

2008年12月28日
朝、ワエルが起きてきて、腫れている指を私に見せた。「見て。爆撃と空爆でこんなになっちゃった!」
「いつ?」私は聞いた。
「昨日の夜、僕が寝ているときに、攻撃されたんだ」
「ウソつき」私は言った。
彼は笑いながら言った。「おばさんもウソつき」!!!

2008年12月31日
昨夜、ガザのTel Al-Hawaに住んでいる友人ワファ(Wafa)の安否を尋ねようと電話をした。彼女は元気で“ラッキー”な家族である。彼女はそう自分で言った。というのも、ガザで最初の爆撃がはじまった土曜日、彼女はアパートの掃除と模様替えをしようと、すべてのドアと窓を開けていた。それで、窓もドアも何一つ壊れなかった。近所の人たちは窓もドアも壊れ、今は彼女のアパートの2階に避難している。

ワファは、午後7時過ぎ、近所の人全員が彼女のアパートに集まり、一部屋に男性、別の部屋に女性といったぐあいにいる。電話を通して、子供のなき声と不安そうな音が聞こえた。

「娘のミラが怖がっているの」ワファは言った。「娘を覚えてるでしょ?」

「娘を外に連れて行ってガザの現実を見せたら、恐怖が少しおさまるかと思ったの。だって、私たちはみんな同じ状況で生きているのだし、他の人たちより自分たちのほうがましだと思ってたから。だから、娘を近所に散歩に連れて行ったの。そうしなければよかったのに」

「私は自分が目にしたものを見たとき、恐怖が襲ってきたのを感じたわ」 ワファは説明した。「娘を目隠しして、走って家に戻ったの。彼女をアパートの外に連れて行ったことをのろったわ。でも、1日もしないうちに、ガザがゴーストシティになるなんて、想像もしていなかった。この近辺は跡形もなく、あなたが見てもどこだかわからないでしょう」

ワファはヒステリックに付け加えた。「マジダ、わかる? 私たちはみんな無事よ。本当に。ただひとつの問題は、爆撃のあった日から電気がまったく使えなくなったこと。それ以来、パン生地を作り、近所のビルに住む人のところに持っていって焼いてもらうの。彼らは自家発電気をもっているのよ。幸いなことに!」

「正直言って、パンや寒さや、建物とかすべてのことは、今の私たちにとってさほど問題ではないのよ」 ワファは言った。「本当の問題は、ビルのまん前に不発弾ロケットがころがっていることなの」
「なんのロケット?」
「F16のロケット。私たちは何人かの人を呼んだんだけど、誰も何もできないの。そこに近づいたら爆発するんじゃないかって、みんな恐れているの」
「ということは、それはまだビルのまん前にあるの?」
「いいえ。今はまん前にはないわ。シヴィル・ディフェンスがやってきて、その周りにロープを巻いて、道路のほうに動かしたの」
「子供や誰かが怪我をしないようにって、ロケットの上にに砂をかけていたわ」
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by k_nikoniko | 2013-08-12 08:38 | 掲載記事(2000~2010)

1ヶ月前のパレスチナ・キャンドル行進

f0016260_14503230.jpg遅くなりましたが、1月10日(土)に札幌で行われた、ガザ攻撃に対する抗議デモについて。
湿った雪が降りしきるなか、留学生を含む180名(主催者発表)が参加。キャンドルやパレスチナ国旗を手に、大通り公園をスタートし、すすきのを経由してテレビ塔にいたるルートを1時間半ほどかけて静かに行進しました。
この日一緒に歩いた留学生に、パレスチナ問題について聞いてみました。

Fさん(ブラジル)「イスラエル軍の攻撃は非常に悲しむべきこと。国際機関がもっと声を上げるべきだ」

Oさん(ボリビア)「この問題は、パレスチナとイスラエルの人だけではなく、世界中の全ての人が考えるべきものだと思う」

f0016260_14401846.jpgAさん(スーダン)「掲げていた子どもたちの写真を見たでしょう。あれが今のパレスチナの状態だと思う。遠い国からでも、苦しんでいる彼らに向かって、支援の意思を示すことが大切だ」

Tさん(シリア)「ここに集まったのは、あまりにも心が痛いからだ。子どもたちが犠牲になるのをみるのはしのびない。国連が何か手を打つべきだ」

Bさん(スーダン)「日本人がこうして行進をしているのを知ったら、パレスチナの人たちの心の支えになるだろう」
f0016260_14403970.jpgBさん(インド)「特に子どもたちが犠牲になっており、病院でさえ爆撃を受けている。国際的な医療機関は、治療がしたくても、ガザに入ることもできないでいる。こんな事態はすぐにでもとめなければならない」
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by k_nikoniko | 2009-02-06 14:53 | 戦争