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戦争反対!国会包囲に行ってきました

「国会10万人・全国100万人大行動」に参加。
国会前ではなく、日比谷公園の霞門のステージ近くにいました。
雨の中、すごい熱気。
主催者発表で12万人集まったそうです。
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戦争は絶対イヤです!
こんなにみんなが反対しているのに~。


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by k_nikoniko | 2015-08-30 19:25 | 戦争

オートミール料理を紹介

8月22日発売の『美的』(小学館)の「食べる人ほど秋美人!」で、オートミール料理を紹介しています。
本当に、オートミール、実はおいしいんです。
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by k_nikoniko | 2015-08-27 13:13 |

強制労働された地で忌まわしい過去を語った韓国人

 2009年5月、北海道宗谷郡猿払村浅茅野の旧共同墓地で、朝鮮人労働者の遺骨発掘調査が行われた。この発掘にあわせ、当時ここで働いた韓国人の池玉童(チ・オクトン)さん(当時83歳・2010年他界)が現地を訪れ、忌まわしい過去を振り返った。

 「板敷き滑走路の端に掩体壕(飛行機格納庫)があり、その近くに飯場が建っていた。飯場から現場までは歩いて2~3分ほどだった…」
 池さんは、当時の痕跡を探すかのように固い表情で周囲を見つめる。その先は牧草地。旧日本帝国陸軍の浅茅野飛行場の面影は残っていない。
 浅茅野飛行場は、宗谷海峡の防衛と対米作戦の目的で、終戦の2~3年前に突貫工事で建設された。人員不足を補うために、多くの朝鮮人も動員されたといわれている。
 池さんは、1943年の夏、18歳のときに強制動員され、飛行場の建設現場で、板敷き滑走路や掩体壕の工事を強いられた。
 「本当に苦痛だったし、この世が嫌になるぐらいだった」 
 ここで過ごした4カ月は、筆舌に尽くしがたいほど過酷な日々だったという。
 思い出したくもない土地。ずっと北海道を避けてきた池さんだったが、今年、聞き取り調査に協力するため、66年ぶりに浅茅野の地を訪れた。

 この飛行場の実態については、解明されていない点が多い。政府や工事を担当した企業は情報開示を拒んでおり、体験者からの聞き取りに頼らざるを得ない状況だ。
 池さんの招聘は、浅茅野旧共同墓地の遺骨発掘調査にあわせて実現した。発掘は、市民団体「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」や猿払村、北海道および韓国の大学の考古学の専門家らにより、5月3日から5日にかけて行われた。
 初日早々、大腿骨をはじめ骨片が次々に発見された。掘り出される骨をじっと見つめ、ときおり目頭を押さえる池さん。「同胞の死を思い出した」からだ。

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発掘をじっと見つめる池さん(右)。

 午後からの聞き取りは、池さんにとっては試練ともいえるものだった。寝泊りしていたタコ部屋の位置が確定できず、強風のなか、広大な浅茅野をさまよう形になってしまったのだ。辺りの風景はすっかり変わり果て、方角さえ定かではない。
 地元住民も立ち会って検証するのだが、記憶が噛み合わず、場所の特定は困難だった。
「この辺りに藁葺き屋根の農家が一軒なかったか? その家でジャガイモをごちそうになったことがある」
「澱粉工場はあった。そこには韓国人が泊まったようだが…」
「ケガ人や病人がいた病舎はどこか? 飯場と現場の間に、病舎があったはずだが」
「……」
 途方もなく行ったり来たりしているうちに、家ひとつない野原は、牧歌的な風景どころか、恨めしい存在に思えてくる。池さんの鮮明な記憶力も、環境の変化には太刀打ちできない。
 車での移動とはいえ、高齢ゆえ、池さんは疲労の色が隠せない。結局、一日目は何もわからずに終わってしまった。
 翌日は、池さんが遺体を埋めた場所を突き止めるべく、再び探索を開始した。「共同墓地へ行く道の途中、大きな木の側に埋めた」 池さんの証言だけが頼りだ。
 当時、発疹チフスが流行し、多くの朝鮮人が命を落とした。池さんもチフスにかかり、一旦は霊安室に移された。運よく生き返った池さんは、十分な食事を条件に、遺体処理の作業を手伝ったという。3人の遺体を運搬し、そのうちの一人を途中で埋めたそうだ。
 共同墓地で発掘を目の当たりにした池さんは、「自分が埋めた人の遺骨を探し、できれば返還したい」との願いが強まったという。
 しかし、無常にも、戦後の植林で景色は様変わりしていた。伐採された大木の切り株は残っているのかもしれないが、深い笹薮に覆われて見つけるのは難しい。

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池さんが遺体を運んだと思われる場所。

 2日間歩いて、何も見出せない。池さんはこの地で再び失望させられるのか。一緒にいた誰もがそう思っていたに違いない、そのときだった。
 熊笹に覆われた物体の前をステッキで指し示し、「これは私が造った掩体壕だ」と、池さんはやや興奮した声で言った。目にはうっすら涙を浮かべている。
「非常に辛い体験だったので、涙が出るなど思いもしなかった。でも、こうして立ってみると…」
 池さんの表情は心なしか穏やに変わっていた(実際のところ、この掩体壕は池さんが造った実物ではなかったのだが)。

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浅茅野飛行場が建設された土地には掩体壕跡がいくつか残っている。

 この後、池さんを待ち受けていたのは、頭蓋骨から足の先までほぼ全身の形で発見された遺骨だった。今回、7体の遺骨が見つかり、そのうち一体は全身で発掘された。遺骨に対面した池さんは、さすがにショックを隠せない様子だった。
 これらの遺骨が朝鮮人労働者のものであるかは、まだ断定できない。しかし、池さんが遺体を埋めたのは事実であり、この地のどこかに、当選人労働者の遺骨は残っているのだ。
 浅茅野を去る日、池さんは力強く訴えた。
「最後の遺骨を見て、当時の状況を生々しく思い出した。一日も早く、日韓協力して遺体を発掘してほしい。家族はいまだに生きていると信じて待っているのだから」
 浅茅野飛行場の工事では、生存者より亡くなった労働者のほうが多かったといわれている。忽然と消えた父や兄弟、夫の帰りを、家族は故郷で待ちつづけているのだ。
 池さんは、自分を雇った丹野組に対して、「個人的な恨みはない。国の政策で動いたのだろう。政府の命令ゆえ、我々にこのようなひどい扱いをしたのだから」と言う。
 祖国に帰れずにここで犠牲になり、遺骨を置き去りにされている人はどれだけいるのか。そして、彼らの消息を案じている家族はどれだけいるのか。朝鮮人を雇い入れた企業、そして日本政府が情報を開示しないことには、その事実は明らかにされない。
 芽吹きはじめた草木は、浅茅野の暗い過去を覆い隠すかのごとく、青々と美しかった。そして、多くの朝鮮人がここに強制動員され、過酷な労働の末に命を落としたという過去は、忘れ去られようとしている。
 しかし、たとえ風景が変わったとしても、人の記憶まで塗り替えることはできない。何の情報もないまま待ちわびる人たちにとって、まだ戦争は終わっていない。


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by k_nikoniko | 2015-08-02 08:20 | 歴史