フリーライター木村嘉代子のブログです。日々感じたことを綴っています。Copyright(C)2005-2016 Kayoko Kimura
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地方創生といっても…育った町を思う

2013年5月、子どものころ住んでいた、静岡県の佐久間に行ってきました。
平成の大合併で浜松市天竜区になった町。
空き家が目立ったけれど、町並みはそのまま残っています。

ここを走る飯田線は、 鉄ちゃんに人気らしい。
この鉄橋の脇に歩道があり、そこが通学路でした。

この飯田線の測量を担当したのは、アイヌ民族の方々です。
旭川の川村カ子トアイヌ記念館には、飯田線グッズが展示されています。

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戦後の電力確保の目的で1956年に完成した佐久間ダムと水力発電所。
当時は日本一高いダムで、累計発電力量は800億kWhを超え、現在も日本最大級の水力発電所だそうです。
観光名所としてもとりあえずおさまっている感じ。
建設で村が水没するという過去と、堆砂率38%という現在進行形の問題を抱えるダムでもあります。

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ここの水力発電所で生産された電気は、電力会社に卸しています。
送電線の左から、川根方面(中部電力)、東京方面(東京電力)、名古屋方面(中部電力)で、それぞれ電気を送っています。
今回初めて知りました。

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佐久間町にもうひとつある電力関係施設が、50Hzと60Hzの周波数変換所。
東日本の50Hzと西日本の60Hzという異なる周波数をつなぎ、地域間の送電を可能にしています。
福島第一原発事故後、50Hzの供給を増やしたそうです。

子どものころは門が開いていて、なかで遊ぶことができました。
当時流行っていたローラーゲームには格好の場所。
池の周りをトラックにして、ローラースケートでグルグル。
東京ボンバーズの佐々木陽子さんがみんなのあこがれでした。

が、現在は門が固く閉ざされていました。
英語の看板があるのに、今回初めて気づきました。

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私が住んでいた地区の全景です。
この小さな町が、電力の面で、日本の高度経済成長を支え、現在も経済に寄与しているのは、ちょっと不思議な気がします。
翻って、国や都会は、この町の経済発展や、高齢化・過疎化を食い止めるために、何をしてくれているのでしょう?
こうした地域は、日本中にたくさん存在しています。

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山の絵を描くとき、木々の緑がそれぞれ違うので、 緑色の絵の具に黄色や青色を混ぜて、いろいろな緑色を作ったっけ。
青葉が茂る山々は40年たっても変わらず。美しい。

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山に咲く山藤。終わりかけてはいますが、やさしい薄紫色に心が和みます。

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by k_nikoniko | 2014-12-28 12:52 | ひとりごと

大間原発建設差し止め訴訟の第3回口頭弁論

12月25日、函館市が国と電源開発に大間原発の建設差し止めなどを求めた訴訟の第3回口頭弁論。
傍聴の抽選に160人近く並び、またしてもハズれた。
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しかたがないので、弁護団の集合場所に立ち寄りました。
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函館市を含む北海道8区で復帰を果たした逢坂誠二さんのお姿も。
脱原発派議員が選出されたのは、函館市としても良いですね。

「今日の裁判はたいしたことなさそうです」と弁護団のおひとりがもらしてましたが、一歩前進があったようです。

函館市が訴えたことに対し、国や電源開発は「自治体には訴える資格はない」と却下を求めていますが、増田稔裁判長は、「門前払い」したりせず、「判断は留保」と述べながらも、「実質審理に入るつもりでいる」との方針を示したそうです。


福島原発事故後に原発を建設しようなど、わけがわらない。傲慢である。



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by k_nikoniko | 2014-12-26 23:11 | 原発

東京駅開業100周年の日に丸の内界隈まちあるき

東京駅開業からちょうど100年の12月20日、「ゆう・えん」主催の「お江戸まちあるき <東京駅〜丸の内〜有楽町>」に参加しました。

待ち合わせは、東京駅丸の内南口。着いたら、周辺はパニック状態。
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AKBでも来るのかと思ったら、100周年スイカ発売が中止になったとのこと。近くにいたカップルは、「始発で来て並んだのに、買えなかったんですよ」と不満をもらしてました。

予定通り、講談作家でもある山口則彦さんのガイドで、東京駅から、「まちあるき」をスタート。
まず、ステーションホテルの2階から、駅構内を見学。ホテルの方によると、記念スイカを手に入れようと、前日から大勢の人が並んでいたそうです。そりゃ、怒るよね。
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この丸の内南口は、原敬首相が暗殺された場でもあります。


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by k_nikoniko | 2014-12-22 09:49 | ひとりごと

劇団一の会「とんでもない女」を観ました

劇団一の会の「とんでもない女」を観ました。

東京出身の男・実明は脱サラし、妻・日和の故郷でペンション経営していたが、突然、妻が蒸発。実明は若い恋人・紗耶香と暮らしはじめるが、そこへ5年ぶりに、妻が戻ってきた。
別れないと言い張る日和と、素直で純真な紗耶香の狭間でオタオタする情けない男…。
と、ラブコメディーではあるのですが、選挙にまつわる賄賂、人間関係の複雑さなど地方にありがちな問題を織り込んだ社会派ドラマ。
特に、難しい被差別問題を、深刻過ぎず、それでいてホロリとさせ、うまく描いていました。

3人の役者さんの演技、とても良かったです。

今日が千秋楽でしたが、再演あるかな?
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by k_nikoniko | 2014-12-21 19:27 | カルチャー

「国際結婚」の実態を調査しない日本

12月5日に日仏会館で開催されたセミナー「日本における国際結婚の動向:ハーグ条約の視点から」に参加しました(Youtubeで公開中)。
講師は、「国際結婚」の著書も出版されている京都女子大学の嘉本伊都子教授。

日本政府は国際結婚の調査をほとんどしておらず、分析・データなど資料も少ないそうです。
私が海外にいた90年代、すでに離婚率は高く、国際結婚は圧倒的に悲劇が多かった。
外国人との結婚や恋愛は増加しているのは明らかですが、その実態はよくわかりません。
うまくいっているカップルだけが取り上げられ、まるで「国際結婚」すれば幸せになれるようなイメージが作られていますが。

嘉本さんにお聞きしたところ、 韓国のほうが、国際結婚の調査や法律に関して、ずっと進んでいるそうです。

そもそも、日本では「国際」などという言葉を使うから、まぎらわしいのです。
外国人との結婚を、イギリスでは「inter marriage(別の言い方としてはmixed marriage)、フランス語でinter mariage)」と表現します。
異民族との結婚であり、インターナショナル(国際的な)ではないと思うが。

イギリス政府が2001年4月に行った「inter marriage」調査はこちらです。




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by k_nikoniko | 2014-12-16 23:12 | 男と女

「被爆者の最高の姿を撮りたかった」と写真家の森下一徹さん

昨日は、「世界ヒバクシャ展」主催の「写真家・森下一徹 半世紀の軌跡 ~広島、長崎から世界ヒバクシャ展へ~」トーク&記念パーティーに参加しました。

40年以上にわたって、広島、長崎の被爆者を撮りつづけてきた森下さん。被爆者と初めて出合いを振り返り、次のようなお話をされました。

初めて被爆者を撮ったのは、写真学校を卒業してアシスタントをしていたとき。
原水爆世界大会がはじまって10年目に、原水禁と原水協に分裂したため、カメラマンが足りなくなり、1964年の京都大会に呼ばれたのが最初だった。
そこで、長崎の被爆者・渡辺千恵子さんに初めて会った。彼女が確信に満ち溢れた態度で演説する姿を見て、驚いた。たくましく、美しく、きれいな声で話したからだ。
それまで、被爆者は弱く、みじめな人と思っていた。
千恵子さんが壇上に上がると、ざわざわしていた会場がしんと静まり返った。
それ以来、被爆者をどうとらえたらいいか、考えるようになった。
惨めでかわいそうだから助けなければならない、などと言うのはおこがましい。
自分の写真には、惨めさを出さないで、強さを表現しようと思った。
被爆者の写真を撮りはじめて14年経ち、写真集を出そうと出版社にかけあったが、出版してもらえなかった。
ケロイドや傷をもつ惨めでかわいそうな被爆者の写真でなければ、本にはできないと言われた。
でも、それではだめだ。それでは、被爆者は喜ばないし、観る人に会われ実を求めてはいけない。
結果的に、そう決意して良かった。
写真集が出版されて一番喜んでくれたのは、被爆者だった。

突然、渡辺千恵子さんの髪の毛が抜けてしまったことがあった。お見舞いに行きたかったが、「強そうにしてるけど、女性だから、髪のない姿を写真家に見せたくないだろう」と言って、周囲の人が入院先の病院を教えてくれなかった。
後に千恵子さんにその話をしたら、「どうして来てくれなかったの?」と責められた。
「あれが原爆でしょう。原爆が原因で髪の毛が抜けたのです」と。
それを聞いて、びっくりしてしまった。自分が弱かったと…。
女性だからいやだろう、と思ったが、被爆者はそうではなかった。その姿を撮ってほしかったのだ。とても残念だった。
被爆者にはそういう強さがある。
それから、自分の思い通りに被爆者を撮ってきた。
被爆者は積極的に撮らせてくれた。だから偽りがない。
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by k_nikoniko | 2014-12-15 23:03 | 原発・核

横浜から富士山

今日は横浜に用事があり。
横浜市のとある場所から、くっきり富士山が見えました。
雲ひとつない青空に、雪を頂く富士山。
ため息ついてないで、がんばろうっと!
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by k_nikoniko | 2014-12-15 21:38 | ひとりごと

タルトタタンを焼きながらアベノミクスを恨む

恒例のタルトタタンを焼きました。
それにしても、リンゴ(紅玉)が高い! バターも品切れだし、高い!
庶民的なおやつのはずが、ものすごい高級お菓子になってしまいました。

最近は、ちょっと食品を買ったつもりが、レジで合計金額に驚きっぱなし。
原稿料は下がるいっぽうで、ちっとも報われない。

今日は選挙です。
アベノミクスには騙されないで、ちゃんと投票しましょうね!
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by k_nikoniko | 2014-12-14 14:45 | ひとりごと

ミナモザの『みえない雲』を観ました

原発事故をテーマにした舞台『みえない雲』を観てきました。

原作は、グードルン・パウゼヴァングの青少年向け小説。
チェルノブイリ事故がきっかけで書かれた作品で、1987年に日本語版が出版されました。

西ドイツで原発事故が起き、家族を失い、自分も被ばくした14歳の少女と、彼女を取り巻く人々、そして、彼女が事故後の社会で生き抜く姿を描いています。
この小説に出てくる原発は架空のもので、少女の身に起こったことも、社会の反応も、すべてフィクション。
ですが、福島原発事故後にこの小説を読んだとき、まるで今の日本社会を見て書いたのではないかと思ったほどのリアル感を抱きました。

今日は、この本を翻訳した髙田ゆみ子さんのトークショーもあり、どんなふうに舞台化されるのか、楽しみに出かけました。

舞台の『みえない雲』は、小説に忠実な演出。
主演の上白石萌音さんが、とにかくすばらしかったです。
体は小さいけれど、ステージでは凛とした存在感。
ラストシーンが、やはり圧巻です。

個人的には、独白シーンは too much でした。時間的にもセリフ的にも。

そして、この舞台を福島の知人に「観てね」とは言えないなぁ、と思いながら観ていました。
10月、11月と、飯館村や楢葉町に行ってきたばかりなので、私には生々しくもあり…。

東京(都会)の人たちによる、東京(都会)の人のための舞台、という印象を持ちましたが、東京の人たちが、福島で何が起こっているかを伝えるには、こうした舞台の力が大きいと思います。
ぜひ多くの人に観てもらいたいです。

世田谷・三軒茶屋のシアタートラムにて、12月16日まで、です!
14日(日)14:00/18:00
15日(月)19:00
16日(火)14:00/18:00

ミナモザ『みない雲』



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by k_nikoniko | 2014-12-13 22:19 | カルチャー

少なくとも二人のフランス人女性が旧日本軍「慰安婦」に

フランスのネットマガジン『Slarte fr』に、BC級戦争犯罪裁判・サイゴン裁判(フランス)で判決が下った「フランス女性に対する強姦事件」についての記事が掲載されました。

第二次世界大戦:少なくとも二人のフランス人女性が日本軍「慰安婦」に


2014年12月4日 14:36(日本時間 6:00)
Julie Hamaïde

戦時中、主に朝鮮人と中国人の20万人もの女性が、組織的に、日本軍の性奴隷状態に強いられていた。

朝鮮半島と中国の一部を侵略した後、1945年に日本軍は、治安と監視の口実で、フランスが統治していたインドシナに侵攻した。そのなかに、フランス人の姉妹を捕らえ、7週間もの間、監禁・強姦した軍人がいる。

この事実は、関東学院大学の林博史教授の最近の研究で明らかになった。サイゴン常設軍事裁判所(現・ベトナムのホーチミン市)の1947年の起訴状によると、日本陸軍大尉が姉妹を捕らえた。妹は14歳だったといい、まず姉を強姦し、二人を“連行”した。同大尉は、1945315日から53日まで、「部下である中隊の兵隊らが、数週間にわたり毎日強姦するのを知りながら、それを組織もしくは黙認していた」と起訴状には書いてある。

194553日、大尉と部下である軍曹は、二人の女性を射殺した。裁判所は、この大尉に、殺戮、強姦、強姦共犯、詐欺の罪で死刑の判決を下し、1947812日に死刑が執行された。

インドシナに居住していたフランス人女性への強姦に関する記述および証明の公文書が見つかったのは、今回が初めてだ。「慰安婦」は性奴隷を歪曲した表現であり、その時期に同様な境遇にあった女性が非常にたくさんいたという隠された事実を示している。

当時、日本軍のインドシナでの使命は、治安と監視だけに限られていた。しかし、林教授が見つけた記録によると、194539日、日本軍司令部は、「数知れない残酷さと違法な犯罪」による武力行使を予謀したという。最高司令部の人道的主張とは反対の行動だった。「日本軍の目的は、フランス軍との中立にとどめる。…略… 市民は敵とはみなさない」 それから数日後、さまざまな暴虐を伴い、人間狩りがフランス人に対しても行われた。

1日に10人以上

林教授はこの夏、公文書が日本法務省から国立公文書館へ移管された後に、この裁判記録を見つけた。それまで、林教授も、彼が運営する日本の戦争責任資料センターも、フランス女性に対するこうした裁判について知られていなかった。林教授によると、その他のこうしたケースを証言できる証人尋問報告書をフランス軍が所有しているかもしれないという。インドネシアのオランダ人女性に関しても、似たような実態がすでに明らかになっている。

林博史教授は、1128日にパリで開催された記者会見でこの情報を発表したが、フランスのメディアはほとんど注目しなかった。この記者会見は、韓国挺身隊問題対策協議会が主催し、韓国人の元「慰安婦」サバイバーのキル・ウォノクさんも出席した。サバイバーの数は減ってきており、韓国で生存している元「慰安婦」は50人ほどだという。

何万人もの女性たちが、戦地の駐屯所付近に作られた日本兵のための「慰安所」に強制的に連行された。女性たちは、1日に10人以上の男性の相手をさせられたこともあった。キル・ウォノクさんのように13歳にもならない少女もいた。「1940年、私は『慰安婦』として満州のハルピンに連行されました。そこで性病を患い、兵士の相手ができなくなりました」 キル・ウォノクさんは朝鮮に送り返された。

慰安所制度は体系的である。女性が性病に感染しないよう検査するために、軍医が定期的に訪問していた。数年前にシベリアで、地元の女性を強姦した日本兵の一部が性病で死亡しているからだ。金銭を受け取った女性もいたが、彼女たちはそのお金をお酒やタバコ代として使っていた。

責任を否定する日本

戦争が終わった後も、性奴隷の被害者たちは羞恥心と拒絶の恐怖を抱えて生き、自分の体験を話そうとはしなかった。初めて声を上げたのは、90年代に入ってからだ。

それ以来、日本政府は、責任を認めなければならないこと、教科書に「慰安婦」の歴史を入れるべきであることを恐れ、調査を拒否している。戦争被害者すべてに対し、1965年の日韓協定で賠償済みだとの見解である。それゆえ、20年以上前から毎週水曜日に、挺対協、元「慰安婦」サバイバー、その支援者たちは、ソウルの日本大使館の前でデモをつづけている。デモの参加者たちは、亡くなった被害者の名誉を象徴する像を作った。日本大使館をじっと見つめる、椅子に座った少女の像だ。その横には、サバイバーと抗議活動する人たちのために、空席の椅子がおいてある。「人権、女性の権利、そして正義は、一度踏みにじられると、回復するのは難しい。平和のために、このような戦争犯罪が二度と繰り返さないために、がんばらなくてはならない」とフランスを訪問したキル・ウォノクさんは訴えた。

ここ数年、世論を変えるために、そして外国政府の支援を求め、「各国訪問」を敢行している。戦後70年を来年に控え、「人権の国」に値する支援がもたらされることを期待し、挺対協はフランスで多くの政治家たちと面会した。


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by k_nikoniko | 2014-12-05 23:44 | 戦争