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首相官邸前で集団的自衛権抗議

首相官邸前、集団的自衛権抗議、すごい人。

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by k_nikoniko | 2014-06-30 10:16 | デモ日記

雨の「さようなら原発」集会

さようなら原発、雨のなか、明治公園はいっぱいの人!

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by k_nikoniko | 2014-06-28 10:11 | デモ日記

やじる前に産める環境を(フランスの育児可能な企業)

フランスの出生率は、2001年が1.90%。手元にある資料によると、3年連続で上昇している。
20年前ほどの雑誌の記事で、各企業の育児対策が紹介された。
当時、育児や家事を犠牲にしないで働く環境作りについて多く語られていた。
そのなかのひとつ。

パリの某病院
早朝勤務の看護士(女性)のために臨時託児所を設置。預かる時間は朝6時30から8時30の間で、子供たちは朝食を食べ、宿題をしてから、病院のバスで学校まで送ってもらう。

航空関係者の託児所
航空関係の仕事は時間が不規則で、託児所探しも容易ではない。パリ空港公団の4万人の社員は個人で問題を解決していたが、エールフランスの労働組合の働きで、家政婦やベビーシッターのネットワークが構築された。パリ空港公団は、誰でも自由に使える、電話と電気を付設した部屋を提供している。
1年後には、ロワシー空港に150人の子供が利用できる託児所がスタートする予定。さまざまな企業から資金が提供される。

新聞社の託児所
夜遅くなりがちのジャーナリストたちは、ベビーシッターへの出費がかさむ。そこで、リベラシオン紙は、1991年に新聞社の近くに託児所を作った。利用時間は、朝9時から21時まで。この託児所は、地域の子供たちにも開放している。

2006年1月5日
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by k_nikoniko | 2014-06-23 19:15 | ジェンダー

オランダ人が撮ったインドネシア人「慰安婦」

フランスの雑誌『XXI』のサイトに掲載されていた記事(2012年5月29日)です。

Comfort Women(「慰安婦」)

第二次世界大戦中、10万から20万のアジアの女性が、日本占領軍の性奴隷にさせられた。80代になった今、何人かが初めて写真撮影に応じてくれた。ヤン・バニングが撮った彼女たちのポートレートが、フランスのセットで開催中の写真フェスティバル(festival Images Singulières)で6月3日まで展示されている。

インドネシアのエンプラワスで、彼らはサバイバーを見つけることができると期待していた。太平洋の真ん中にあるインドネシアの島に面した小さな集落にたどりつくまでに、オランダ人カメラマンのヤン・バニングとジャーナリストのヒルダ・ヤンセンは2機の飛行機をチャーターし、酔った船長が操縦するモーターボートに乗って突き進むまでに、ボートを8日間も待った。世界の果てのそこには、人から聞いていたように、数十年も前から「慰安婦」が身を隠して生活していた。

1930年代から第二次世界大戦の終戦まで、中国、朝鮮、フィリピン、ヴェトナム、インドネシアで、10万から20万の若い女性が日本占領軍の性奴隷にさせられた。暴力的に誘拐されたり、仕事があるとだまされ、彼女たちは、軍隊が部分的もしくは直接運営する隔離された施設「慰安所」に閉じ込められた。数か月、ときには数年にわたって毎日、彼女たちはそこで数10人の兵士たちが次々に現れるのを見た。参謀部の目的としては、一般市民へのレイプ、反日感情の盛り上がり、性病の感染を防ぐことにあった。

エンプラワスで、オランダ人たちは最初何も見つけることができなかった。南西アジアのどこでも同じように、「日本人に関わったこと」を隠している。村長が妨げる。辛抱の末、ヤン・バニングとヒルダ・ヤンセンは住民に受け入れられ、80歳を超える2人の女性にやっと会うことができた。「私たちが外国人であり、死ぬ前に話すという緊急性に直面していたので、彼女たちは打ち明けてくれたのだと思います」とカメラマンは言う。

アントネッタとドミンガスという2人の女性は、1944年に起きた村人の虐殺、「戦利品」として日本軍に連行された集落の12人の娘たちのかたわらで生き延びたこと、平和が戻った後の数回の流産……。彼女たちは最後の生存者である。

2年間で、ヤン・バニングとヒルダ・ヤンセンはインドネシア中を回って未公開の50もの証言を集めることができた。家族や夫が真実を知らないこともしばしばあった。2010年、彼らは、18人の写真と話をまとめた「慰安婦」を出版した。この本は、長い間タブーだったスキャンダルを露わにしている。

1991年に初めて、ひとりの韓国人が日本政府に被害を訴えた。そして、日本兵の証言が増えていった。彼らは、軍がどのように慰安所に入るために避妊具とチケットを供給したかを語った。いくつかの公文書が再浮上した。日本は「慰安所」の存在と若い女性を強制的に集めたことを認めた。

日本政府は調査をはじめた。その1年後、官房長官の談話(河野談話)で口先だけの謝罪を述べた。直接被害者に補償することなく、民間寄付を資金とするアジア基金という基金の創設に同意した。インドネシアでは特に、「慰安婦」たちは一銭も受け取らなかった。そのお金は、「女性と家族の名誉を守る」ための高齢者施設の建設資金に使われた。

14年後、売春婦組織の本質が、日本ではまだ論争になっている。2007年に安倍首相は、被害者を強制的に連行したことを証明する「証拠」の存在を否定した。彼は発言を撤回する騒動になったが、日本の多くの学者が彼の立場に賛成し、一方では、被害者は2万人に過ぎないと見積もる人たちがいる。

カメラマンのヤン・バニングにとって、「慰安婦」問題は家族の問題でもある。彼の両親は、オランダの植民地インドネシアに定住し、日本の国際捕虜キャンプに入れられていた。2005年、カメラマンはすでに、ビルマとスマトラの鉄道建設工事の現場の男性生存者のポートレートのシリーズを発表している。この本で最初に証言しているアジア女性は、父が若いころの恋人である。

ドミンガス:1928年、インドネシア・ババル島のエンプラワス村生まれ。1944年10月、日本軍が村を襲撃。虐殺の生存者であるドミンガスは、軍隊に連行され、16歳で強制的に「慰安婦」にさせられる。戦後、出産したが乳児で亡くし、二度と母親にはなれなかった。

アントネッタ:1929年、インドネシア・ババル島のエンプラワス村生まれ。ドミンガスとともに、エンプラワス虐殺で生き残った12人の若い女性たちのひとりで、強制的に「慰安婦」にさせられる。日本帝国軍に村人800人が虐殺された。

パイニ:1930年、インドネシア・ジャワ島のゲタサン生まれ。13歳のとき、日本軍に動員され、昼間は兵士の宿舎の世話をし、夜はレイプされた。

ワイナム:1925年、インドネシア・ジャワ島のMojogedang生まれ。自宅で日本兵に連行され、戦時中、「慰安婦」を強いられた。


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by k_nikoniko | 2014-06-22 23:48 | 歴史

東アジアの平和について考える集会

昨日から、歴史NGO大会「1965年日韓協定体制の克服と東アジアの平和」に参加。
植民地支配について議論されなかった1965年体制は、国際社会の流れに逆行し、もはや崩壊している。あらたに2015年体制を構築しなければ…。
という内容での講演とシンポジウム、勉強になりました。

「日本は憲法9条をどう考えているんだ! この集会の参加者は、いかにも韓国を思っているように見えるけど、また軍事国家になりそうなのに何も言わず、日本人は何を考えているのかわからない。植民地時代みたいに、そうやって上からものを言って」と会場で怒りの声を上げた年配の韓国人女性がいた。
胸に突き刺さる発言だった。
周辺国の人たちの気持ちを代弁しているのだろう。...

ヘラヘラ笑って、何やってるんだ、私たち。
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今日も、歴史NGO大会「1965年日韓協定体制の克服と東アジアの平和」でたくさん学ばせていただきました。
一番気になったのは、前田朗さんの「“『慰安婦』はなかった”と言うのはヘイトスピーチ」というお話。
これまでヘイトスピーチとは距離を置いていたのですが、そういうとらえ方があるのを知り、目からウロコでした。
恥ずかしながら。



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by k_nikoniko | 2014-06-22 22:56 | 歴史

「慰安婦」は国策セクハラだと思う

いま騒ぎになっているセクハラより、この問題にももっと関心をもってほしいです。
セクハラ野次の犯人捜しはいいよ、連帯責任でしょう。
その場で野次った人も、ネグレクトした人も。
そして、一般社会でセクハラする男も、ネグレクトしている男も、それを許している女も。

まず、元「慰安婦」たちの声に耳をかたむてください。
河野談話が検証されようが「慰安婦」の過去は消えない

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by k_nikoniko | 2014-06-22 01:14 | ジェンダー

都議会のセクハラ野次はダメで日常生活ではどうよ

都議会のセクハラ野次、もちろん由々しきことだけど、一般人の会社や飲み会の席でのセクハラはここまで大騒ぎにならない。
でも、圧倒的に多いのは、日常生活でのセクハラ。
日々の暮らしで浴びせられるセクハラ発言は、マスコミに取り上げられないし、さほど問題にもされない。
だいたい、セクハラを放置している土壌があるから、都議会でもこんな発言が出ちゃうのでしょう。
こういうことを言う議員は、生活の場においても、同じような態度なのだと思う。
公の場というのを忘れて、つい口が滑っちゃっただけで。
「女性の味方」として、このセクハラ野次を批判する男性も多い。
だったら、日常のセクハラ撲滅にももっと協力してね。
それが、こうした公人によるセクハラをなくす一番の方法だと思います。

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by k_nikoniko | 2014-06-21 09:34 | ジェンダー

イラクは今

今朝、イラクの知人にメールしたら、今返事が来た。「いまのところ大丈夫だけど、数日後にはどうなっているかわからない」と。FBなどは止められているらしい。

別のイラク人から今返信。「私たちは無事だけど、将来何が起こるかわからない。たくさんの、たくさんの人が死んでいる」 こうしたイラクから声は、サッカーの歓声に完全にかき消される。そしているうちに、集団的自衛権が採択されるの? ありえない。




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by k_nikoniko | 2014-06-15 15:42 | ひとりごと

戦争中に美容などとは…

戦争が起きれば、美容もなにもないのにね。
日本の女性って、オメデタイ。
今のこの国の状況を憂いつつ、アラブ美容を書きながら、思う。


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by k_nikoniko | 2014-06-15 00:39 | ひとりごと

パリで開催の国際武器見本市

昨夜は、東京・恵比寿の日仏会館で「福島原子力災害のあとさき」というイベントがあった。
フランス人なりに、“福島に心を寄せている”のだろうけど、おととい福島の知人から「パリで開催の国際武器見本市」のメールが届いたので、釈然としない気持ち。
原発と核兵器を持ち続けるフランスは、間接的ではあっても、福島の加害者であることを自覚しているのだろうか。
フランスもまた、原子力で人権を侵害しているという、その責任について、どう感じてるのだろう。
何も考えてなさそうで、腹が立つ。


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by k_nikoniko | 2014-06-14 00:35 | フランス