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<   2013年 11月 ( 40 )   > この月の画像一覧

フランス脱原発派の声:核廃棄物処理場建設に抗議する活動家

マキシム・ルモニエ (「Bure Zone Libre」のメンバー)
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ビュールの抗議行動で難しいのは、ANDRAが原子力施設建設を計画している地域が問題を抱えているということです。一番厄介なのは、原子力産業が地域経済の活性化といい、1億ユーロものお金を出すところにあります。極度の財政難という口実で。
農業で生活するのは難しく、他の産業が参入してくると、最終的に農業が消滅してしまいます。農家はほとんどなくなり、住民は高齢化しているので、経済効果と雇用創出ということで、原子力に賛成するのです。
立地地域に進出するために、数々の原子力産業が1億ユーロものお金を用意します。現実には、3000万ユーロをビュールの属する県に出し、3000万ユーロをビュールから100キロ圏内の近隣の県に出しています。
私たちは、原子力で土地を犠牲にしないよう、政策を変える決断を促す提案を地域の人々にしています。原子力産業で土地を犠牲にするより、他の方法でお金を手に入れたほうがいいからです。
原子力に反対するときには、もうひとつの圧力にも立ち向かわなければなりません。原子力産業に対する攻撃は、フランスの国家戦略を攻撃でもあり、国がそれをわからせようとします。特に警察の力がすごく、私たちの活動や家の周りを監視しています。憲兵が毎日やってきて、何をやっているのか調べるために家の周りをうろつきます。
私たちの活動目的は、原子力を公然と批判し、それを地元住民に示すことです。なのに、警察がつねに周辺をうろついています。たぶん、ビュール地域の地元住民が私たちと連帯するのを邪魔するやり方でもあるのでしょう。
例を挙げると、ある日、公共の場で集会をしたとき、平穏な集まりを脅かされました。憲兵隊がやってきて、そこにいたすべての人の身元確認をしたのです。公共の場での集会なので、何の危険性も何のトラブルもないのに。
他の例では、ビュールの家に電話をしてきた人が、電話をしたことを憲兵につきとめられました。フランスでは原子力に反対する人たちの会話を盗聴しているのだと考えられます。
フランスという国は、原子力産業に80%頼っています。これを攻撃すれば、これに反対すれば、すぐにこのような弾圧を受けるのです。

2012年3月10日、アビニョン、「フクシマデー」にて

ビデオ「フランスの原子力から考える<放射性物質の輸送・放射性廃棄物>


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by k_nikoniko | 2013-11-30 08:59 | 原発・核

フランス脱原発派の声:核廃棄物処理場建設に反対する活動家

ジュスティーヌ・メルズィザン (核廃棄物処理場に反対する団体「Bure Zone Libre」のメンバー)
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ビュールは人口がたった92人の小さな町です。ムーズ県に属し、ムーズ県とオート・マルヌの県境に位置しています。
1994年から核廃棄物地下埋蔵施設建設計画が開始しました。この施設は、8800㎥の長期半減期高放射能廃棄物を、500メートルの地下埋めるというものです。
施設の正面には、周辺への放射性物質排出を許可された2つの原子力施設が設置されます。ひとつは、容器詰めをする工場で、アレバで第一次容器詰めしたものを、ここでさらに新しく包装します。地下に埋めるためにより強力な容器に入れなければならないからです。
もうひとつの原子力施設は換気用で、ここから周辺への放射能漏れが予想されます。
ここに核廃棄物施設を建設する口実は、過疎地域の小さな村で、財政的にも非常に困窮しているからです。
社会学的な条件においても、理想的です。というのは、都会から少し離れたところにあり、過疎化が進み、村を去る人が多く、観光地としても遅れていて、周辺部にあるからです。
この地域で反対運動をする人はあまりいません。ここが重要なポイントです。
放射性廃棄物管理公社(ANDRA)は、地下貯蔵施設の建設が使命です。最初はフランスのほかの場所に建設しようとしましたが、住民が非常にすばやく、非常に激しく反対しました。そして突然、ビュールが核廃棄物地下貯蔵の場所に決まったのです。
私はビュールル出身ではありません。この建設に反対するためだけに、ビュールに移り住みました。外からの人が、この建設計画に反対する地元の人たちを支援しています。少数ではありますが、地元の人が1994年から反対運動をつづけています。
私たちはビュールに、「核のゴミ箱に抗議する家」と呼ぶ家を持っています。この家は、地方から来る人々を歓待する目的で作りました。闘いに参加するために来る人、学ぶために来る人など、この家を使う目的はさまざまです。
ANDRAは核廃棄物処理場の建設だけでなく、とても素晴らしいプロパガンダを展開しています。ビュール周辺の地域で、とても積極的に、とてもばかげた広報活動を行っているのです。「放射能は自然界に存在する」などと説明するために、フリーペーパーを配達したりしているのです。それはまさにプロパガンダで、誇張した言葉を使っています。
ANDRAはまた、中学生や高校生向けに展覧会を企画したり、いろいろなことをしています。つねに同じ議論を展開し、放射性廃棄物を一般化させようとしています。
ですから、私たちは自分たちで学ぶ機会を提供しているのです。放射能に関する、偏重のない、客観的な教育です。本の貸し出し、資料の公開、展覧会、集会、フェスティバルなども開催します。
もうひとつ、この家の存在として重要なのは、私たちが当事者であることを示していることです。ここは、人の住めない状況だった廃墟を購入し、改築しました。そして、風車を建設し、エネルギーも生産しています。

2012年3月10日、アビニョン、「フクシマデー」にて

ビデオ「フランスの原子力から考える<放射性物質の輸送・放射性廃棄物>


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by k_nikoniko | 2013-11-29 09:45 | 原発・核

社会問題をアートで表現するコンゴの画家シェリ・サンバ

コンゴのアーティスト、シェリ・サンバ(Cheri Samba)の作品を観ました。
エキゾチックなタッチと、独特のカラーによる絵。
とにかく、色がすごい。アフリカの天然色。
ラメ入りの部分もあり、派手。でも、かなしい色。
描かれたアフリカ人の表情がまたなんともいえないのです、これが…。
絵には、黒人社会の悲しさを訴える文章が添えられている。
白人に対するコンプレックス、怒りなどなど。
黄色人種の日本人にも通じるものがあるかな…。いや、日本は豊かだものね。
色(肌の)は、お金でなんとかケリがつけるって、ちょっとキタないやり方だけど…。
でも、コンゴなどは貧困はひどい。
いいように利用されて、傷つけられてる…。
日本だって同じようにアフリカなどの国々を利用し、傷つけている。
日本の豊かさって、いったい何なのか、わからないよね。
何かが間違っているよね。
「私の夢」(だと思った)というタイトルの絵は、めいっぱい最新機器に囲まれて、楽しい生活を送ることを描いていた。
エイズに関する絵は、「近代技術をもたらしたのは西側諸国だが、エイズを生み出したのはアフリカ!?」というような内容だってた。
これだけの強烈な色と、人物の表情を見れば、このアーティストのの心の中の怒りが伝わってくる。
日本でも公開してほしい。
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1990年ごろ、ロンドンにて。

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by k_nikoniko | 2013-11-27 08:59 | カルチャー

さようなら原発1000万人署名提出行動

さようなら原発1000万人署名提出行動、院内集会中。11月20日現在8,378,701筆。

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by k_nikoniko | 2013-11-26 15:30 | 原発・核

秘密保護法反対で国会議事堂前

国会議事堂前。500人集まってます。

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by k_nikoniko | 2013-11-26 15:28 | 社会問題

BBCラジオのレポート「第一次大戦の戦場イーペル」

イーペル(Ypres)は、ベルギー西部、フランデレン地域のウェスト=フランデレン州にある都市。第一次世界大戦中に、ドイツ軍と連合国軍の最前線として、第一次および第二次イーペルの戦いなどの長期戦闘が繰り返された。
街はほとんど壊滅したが、戦後再建され、「平和都市」となった。

イギリスBBCのインターネットラジオで放送された、イーペルのレポートです。
放送はいつだったか、忘れてしまいました。たぶん2009年ごろです。
ちょうど「浅茅野飛行場建設跡をどうするか」といった問題を考えたりしていたころなので、日本語に訳してみました。

以下、レポートです。

第一次世界大戦の間、ベルギー北部の小さな中世の街イーペル周辺で、50万人が殺された。
北ヨーロッパの暗くかなり冷え込んだ夜の中世の歴史的街。このあたりは、私のように広場のコーナーに向かって歩いている人はいない。
90年前、イーペルはフランス西部の一部だった。フランスの前線は、土地を横断して広がっていた。この街での4年間の戦闘で、50万人が殺されたと見積もられている。何千何百という人が消息を絶った。
それから、大英帝国がイーペルに侵攻した。

私は、イギリス軍の兵士だった祖父がドイツと戦った場所を歩いてみようと思い、このレポートを計画した。
イーペル周辺の広範囲で、いったい何が起こったのか。
まずは、戦争について展示しているフランドルフィールズ博物館を訪ねた。

「なぜドイツ軍はイーペルを攻撃したのですか?」
「前線に到達するためです。イーペルの周辺地域は、フランス西部全域の前線でした。ですから、ここを進撃しなければならなかったのです。イーペルはドイツ軍がそのルートに侵攻するのを止めました。ここは、イギリス軍のライフラインとなる重要なルートでした。これが概略です」
「人々は、最後の侵攻を防ぎ、海上を通させるために、ドイツ軍を止めなければならなかった。そして現在は、戦争に関するツアーがビジネスになっています。もしこのように大勢の人々を引き寄せることがなかったら、この街はどのようになっていたと思いますか?」
「フランドル西部のとても静かな伝統的な農業の街だったでしょう。いまでは、毎年30万人以上がこの街を訪れます」
「人口3万人のとても小さな街ですが、静寂さと多くの訪問者をどうとらえていますか?」
「この街では多くの死とともに暮らしています。平穏な生活はとてもいいのですが、それとはまったく対照的なものを目しなければなりません。静けさと死の重みを感じることができるこの土地をどう扱うか。それははっきりしています。生き延びるために、このコントラストが必要だと思います」

たしかにそうだろう。イーペルの戦闘の地は決して終わりがない。ここでは戦時中の塹壕を残そうとさえ考えている。現在、博物館だけがイーペルの戦争を展示した場所ではない。
やっと探していたものにたどりついた。「パラダイス」という店だ。ここには、本が何冊も何冊も積み上げてある。ショーケースには戦場の品。見事だ。パラダイスの店長に話を聞く。

「商売はどうですか?」
「おかげさまでうまくいっています」
「この店で売っているのは、本だけじゃないですよね。どんなものがありますか?」
「戦場の品です。ドイツ軍のものとか」
「それを売っているんですね?」
「そうです。観光客は土産にほしがるのです」

ショーケースを見る。ここにはヘルメットがつるしてある。刀剣もある。

「これらの品はどこから手に入れたのですか?」
「戦場跡を歩くと、数日でほしいだけのものが見つかります。いくつかは土のなかに埋まっています」
「このようなものを手に入れることができますか?」
「これぐらいのものなら、たぶんできるでしょう」

店長と戦場を調査することもできる。この街では毎日、たくさんのオプションツアーが用意されている。まず、イーペルの郊外の道路にあるイギリス人戦没者墓地に立ち寄った。ツアーガイドは、戦争に導いてくれる。

「ここに来た人たちは、何を探していると思いますか?」
「それはとても難しいです。ある人は、身内の足跡をたどるためにやって来ます。ここでその人に何が起こったのか。それがここにはあるからです。どこで彼は息を引きとったのか? どこでけがをしたのか? それを知るために。別の人は、歴史を知るためにやって来ます」

ここに来た人たちは、どのように歴史を感じるのだろう。「見て触れる」ために、みんなここにやって来るのではないか、と私は思う。

戦場を歩いていた私の祖父は幸運だった。彼は故国に戻ることができた。祖父は懸命に働いた。そして、フランス西部について語ったが、十分な貯蓄がありながらも、二度とその街に行こうとはしなかった。

ここは小さな英国教会だ。ここに入ってみる。戦場について、観光客にある種のことを教えてくれる時間を見出せそうだ。ここはかわいらしい教会である。

「なぜイギリス人はここを訪れると思いますか?」
「イラクやアフガニスタンの戦争があり、ここを訪れる人が増えています。人々は、苦しみに気づいたのだと思います。人々はこの場所から、第一次世界大戦中に祖父に何が起きたのか、自分の家族史に立ち返ろうとしています。それはとても興味深いことです」
「ここを訪れるイギリス人が増えているといいましたが、どのぐらいですか?」
「いい例があります。1963年、この教会は閉鎖されようとしていました。でも、復活したのです。教会にやって来る人は、年15,000人から50,000人に増えました」
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by k_nikoniko | 2013-11-26 09:39 | 戦争

市民による浅茅野飛行場・遺骨発掘調査(2010年)

北海道宗谷郡猿払村の「飛行場前」というバス停前には、北海道らしいのどかな牧草地が広がっている。この一帯が旧日本帝国陸軍の浅茅野飛行場だったことを知る人は多くない。浅茅野飛行場は終戦の2~3年前に着工し、建設には朝鮮人も動員されたという。
 猿払村では4年前から、過酷な労働で犠牲になった朝鮮人犠牲者の遺骨発掘調査が行われている。きっかけをつくったのは、札幌を拠点に活動する市民団体「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」(以下、北海道フォーラム)だ。
 北海道フォーラムは、本願寺札幌別院の納骨堂に101体の朝鮮人、中国人労働者の遺骨が存在することが公表された2002年から、遺骨問題の解決に取り組んでいる。結成以降、道内で強制労働の歴史が掘り起こされ、韓国に住む遺族への遺骨返還も行った。 猿払村の浅茅野旧共同墓地にも「遺骨が眠っている」との証言があり、2005年、半信半疑のまま試掘を行い、遺骨一体を発掘した。これを機に、村民に発掘調査の協力を申し出た。
 猿払村では、このときまで、朝鮮人労働者どころか、飛行場さえ話題に上ることはほとんどなかった。旧共同墓地は、戦後に改葬し、その土地は植林されたまま放置状態だった。 小山内浩一さん(46歳)も、「ここで育ったが、あまり知らなかった」と言う。協力の依頼がきっかけで村の歴史に関心を抱き、「子どもたちが、東アジアの平和や戦争を考えるきっかけになれば」と、町おこしに取り組む仲間たちと地元実行委員会を立ち上げた。
 こうして、北海道フォーラム、地元住民、市民らによって実行委員会が結成され、2006年に1週間の第1回発掘調査が行われた。  このときの参加者は、日韓の考古学大学関係者や学生、一般市民など約350人。受け入れ側の地元実行委員会は、初めてのことばかりで、準備段階から苦労の連続だったという。人口約2900人の村にとって、許容範囲を越える規模の大イベントだったからだ。 地元の反発も実行委員を愕然とさせたそうだ。
 村としてはあまり触れられたくない「過去」だけに、人々の戸惑いも大きく、「何かあったら困る」「村に騒動を持ち込むな」と不安が強まった。実行委員は、各方面に事情を伝え、理解を得るために日夜奔走したという。やがて、「歴史」の事実が明らかになるにつれて、支援の輪が広がっていった。 村も最初、「地方の自治体が担うには重過ぎる問題」として協力に難色を示した。
 小山内さんらは「1ヶ月間、毎日役場に足を運んだ」といい、粘り強い交渉の末、「村民の応援」のかたちで、宿泊場所や備品などの提供の承諾をとりつけた。こうした活動に自治体が関わるのは画期的で、それ以後の浅茅野発掘でも、村は市民団体と大学との連携を継続している。
 2009年に引きつづき、3回目の今年は、国籍や民族を超えて約75人の専門家や学生、一般市民が参加。北海道大学と韓国の漢陽大学の考古学チームが日韓共同調査を行った。5月1日から9日までに、一体の遺骨がほぼ完全な形で見つかり、墓穴14基と、少なくとも19体が確認された。鑑定によると、5体は朝鮮人の遺骨とみられるそうだ。
 遺骨はまだ眠っていると予想されるが、発掘は本年で終止符を打ち、今後は、旧墓地や戦争遺跡の保存活用に取り組む。地域づくりと戦跡の保存活用に向けて、今年、猿払村役場の産業課商工観光係に専門部署が設けられ、村と北海道大学などの協働が決まった。
 全国的に、次世代に戦争の記憶を継承する方法として、戦跡の保存活用が見直されつつあるが、政府や自治体からの財政支援の可能性は低く、資金や人材など課題は山積みだ。 小山内さんは、「一過性のお祭りで終わらせるわけにはいかない」と語る。「村の歴史を通して東アジアの平和を!」。地域の活性化も視野に入れた新たな挑戦がはじまった。

『ビッグイシュー日本版』 2010年8月1日号
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by k_nikoniko | 2013-11-25 08:50 | 掲載記事(2000~2010)

フランスの脱原発派の声:アビニョンでの「人間の鎖」の発起人

ジャン=ピエール・セルヴァンテス (CRE Avignon代表、2012年3月11日のリヨン~アビニョンの「人間の鎖」発起人のひとり)
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アビニョンでは、福島第一事故の数日後、一週間後ぐらいに、「人間の鎖をしよう」と思いつきました。日本との連帯するために、さらにはフランス人とも連帯するために、毎月、事故が起きた3月から脱原発するまで、人間の鎖をやろうと決めました。
1年間、アビニョンで人間の鎖をやってきました。最初は150人でしたが、400人、600人、800人、ついには1000人が参加するようになりました。
ヴァランスで脱原発の運動をしている人たちとの出会いがあり、「アビニョンからリヨンまでの人間の鎖」を企画しました。
この鎖は、本質と形態を表しています。本質というのは、脱原発であり、再生可能エネルギーへの変換であり、エネルギー経済です。形態としては、立ち上がることであり、手を取り合うことです。
人間の鎖は、たくさんの意味を象徴しています。
脱原発のアクション、連鎖的なアクション、そして人間が鎖でつながるというアクション。鎖は束縛のシンボルでもあります。鎖は人間の自由を束縛します。
人々はいつも反原発の闘いの外にいるので、人間の鎖に加わることで、そこに参加することになります。この人間の鎖のアクションをすることで、少しずつ、雪だるま式に大きくなり、フランスのあちこちに人間の鎖が作られ、アビニョンからリヨンまでの巨大な人間の鎖へと成長しました。
3月11日には、世界中のあちこちで人間の鎖が作られ、日本でも再稼動への反対運動のために、人間の鎖が行われると聞いています。
福島事故以前は、私たちの団体は反原発運動をしていませんでした。多くの環境団体にとって、反原発の優先順位は高くはなかったのです。毎年定期的にチェルノブイリ・デーを催してきましたが、50人ほどの小さな集会でしかありませんでした。福島事故は、すべてをひっくり返しました。まぎれもなくスタート地点になりました。福島事故が本当に、意識を高めるきっかけになりました。

2012年3月9日、アビニョン市役所、フランス脱原発全国集会にて

ビデオ「フランスの原子力から考える<脱原発デモ>


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by k_nikoniko | 2013-11-24 08:53 | 原発・核

「慰安婦強制」で新資料6点

都知事のニュースで葬られては困るので。

「慰安婦強制」で新資料 6点、河野談話に含まれず


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by k_nikoniko | 2013-11-23 15:24 | 歴史

NUCLEAR SOS

これ面白い。英語です。
NUCLEAR SOS

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by k_nikoniko | 2013-11-23 15:21 | 原発・核