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北電のやらせ問題に関連して3年前のシンポを思い出してみる

現在問題になっているシンポジウムではないけれど、2008年6月1日に札幌で開催された「泊発電所のプルサーマル計画に関するご意見を伺う会」(主催:北海道)には参加した。
この日のことはわりと覚えている。

会が開かれることは、前日か当日に知ったような気がする。
誰かに教えてもらったのか、そのあたりは忘れてしまった。でも、とにかく急遽出席した。

開催されたのは、日曜日の夜7時から9時まで。
「ご意見を伺う会」についての説明で、「広く道民の声を聞くため」と言っていたが、日曜日の夜は、一般市民にとって出かけやすい日時ではない。
質疑応答で、そうした意見が出たのを記憶している。
原発事故で一番の犠牲になるのは子どもたちだが、日曜の夜に子どもを抱える母親がシンポジウムに参加するなど、託児所があっても難しい。
日程からして、道民の意見を反映するつもりはなかったのだろうと思う。

会場のホテルのホールに入ったとき、日曜の夜なのに身なりのきちんとした(背広姿)男性が多く、「主催者側の人が多いのかな」との印象を受けた。
反原発を訴えている知り合いにも何人か会ったが、その類の集会とはまったく違う雰囲気だった(当り前か)。

資源エネルギー庁、原子力安全・保安院、北海道電力の代表者から「プルサーマル計画」について説明を受け、有識者検討会議と道民の意見の活用法についての話があった。
今、資料を読み直してみると、ギャグっぽい。

たとえば、「プルサーマル計画の安全審査(原子炉設置変更許可)について」の資料。

原子力安全・保安院とは
国民生活や産業活動に欠かせないエネルギー施設や産業活動の安全確保を使命とする国の組織です。

プルサーマルの安全審査のポイント
①制御棒の原子炉を止める能力は十分か
②ほう素の原子炉を止める能力は十分か
③出力が急激に変動したとき、うまく元に戻ろうとするか
④各々の燃料棒の出力の出方にアンバランスはないか
⑤燃料棒内に気体が異常に充満して燃料棒を傷めないか
⑥原子炉内が異常高温になったとき、燃料が溶けないか
⑦事故を想定した場合の発電所周辺への影響は
⑧MOX燃料の取扱や貯蔵は安全に行われるか

これまでにプルサーマルに関して許可した実績
沸騰水型原子炉(BWR) 東京電力福島第一原子力発電所3号炉
平成10年11月4日設置変更許可申請、平成11年7月2日設置変更許可

その他、資源エネルギー庁の「なぜ原子力を推進するのか?」や、北海道電力の「プルサーマルの必要性・安全性・経済性」といった資料を受け取った。
「有識者検討会議の検討方法とご意見の活用方法」という資料をもとに、プルサーマル計画の是非を問う今後のスケジュールについての説明があった。
資料や話からは、道民の意見が反映される風であったが、実際に2回有識者検討会議を傍聴したところ、すでに結果ありきで、意見などまったく参考にするつもりがないことは明らかだった。

今問題になっているシンポジウムのひとつ、岩内での開催結果が第8回有識者検討会議の資料のなかにあった。
シンポジウムは、有識者検討会議の中間取りまとめから最終取りまとめの間に行われた。
岩内での開催日は2008年10月12日(日)の午後1時から6時。
参加者は、岩内会場が381人、札幌(映像配信)が88人、インターネット中継アクセス数が155件。
アンケート結果として、アンケート回収数が、岩内173(45.4%)、札幌64(72.7%)。
全体的な感想について、良かった46%(良かった26%、まあまあ良かった20%)、普通18%、良くなかった32%(あまり良くなかった10%、良くなかった22%)。
疑問を十分取り上げられたか、そう思う49%(そう感じる22%、だいたいそう感じる29%)、どちらともいえない14%、そう思わない32%(あまりそう感じない11%、感じない21%)。
「プルサーマル計画にかかわる理解は深まったか」の質問に対し、深まったが72%(実数168)!
内訳は、深まった35%(82)、だいたい深まった20%(48)、少しは深まった17%(39)。
深まらなかった人は25%(60)で、あまり深まらなかった6%(15)、深まらなかった19%(45)。

泊原発でプルサーマル計画が浮上したのは、2008年4月。洞爺湖G8サミットの直前にはじまった。
今考えると、おかしなことばかりだ。
なによりも、プルサーマル計画はさほどメディアを騒がせなかった。
原発に関して、一般の人はいまほど関心も示さなかったので、あっという間に決ってしまった。
あらためて議論の機会が与えられたのだから、今度こそ、きちんと道民の声を反映すべきだと思う。
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by k_nikoniko | 2011-08-28 21:22 | 原発・核

「環境意識の高い北海道」とおっしゃる北海道知事

来年2月、札幌ドームで道内初モーターショーが開催されることが決定した。
集客目標10万人。北海道の経済の活性化を期待しているそうだ。
この記者会見で高橋はるみ北海道知事は、次のようにおっしゃったという。
「環境意識の高い北海道ならではのモーターショーにしたい」

北海道(民)が“環境意識が高い”のはご存知なのだ。
その道民の意見を無視して、先週、知事は「泊原発3号機の営業運転移行」を許可した。
原発の安全性は100%ではなく、たった一度の原発事故で、北海道の広い範囲の環境を破壊するのは間違いない。
環境保護との矛盾をどう説明するのだろう?

昨夜、浜岡原発に勤務していた息子を白血病で亡くした嶋崎美智子さんのお話を聞いた。
下請け会社の正社員だった息子さんは、定期検査作業中の被ばくのため発病。
その闘病の様子はすさまじく、29歳で逝ったご本人もご家族も、どれほど無念だったことか。

嶋崎さんはボランティアで、北海道に夏休み期間中滞在する福島の家族と過ごしたそうだ。
福島の子どもたちの将来を案じていらした。そして、こうおっしゃった。
「北海道はたくさんの福島の家族を受け入れる一方で、女性の知事が泊原発の再稼動を受け入れた。電気のほうが大切なのか? 福島の戻る母親は非常に複雑な気持ちで帰っていく。電気のために子どもたちを犠牲になるかと思うと、とても心が痛い」

北海道にはかなりの福島の家族が避難してきている。札幌だけでも1000人はくだらないと思う。
夏休み期間中には、北海道が数千人の福島の家族を招待した。
そのさなかに、泊原発3号機の営業運転移行が決り、2号機も定期点検に入った。

高橋知事はこれまで、女性であること、母親であることを売りにして、知事選の女性票を集めてきた。
選挙中は、赤ちゃんを抱く姿が何度かテレビに映った。
しかし、同じ母親の視点で、福島の母親たちへの温かい言葉をあまり聞いたことがない気がする。
福島から避難してきた、もしくは、夏休み滞在したお母さんたちと面と向って話したのだろうか?
福島から北海道に避難してきた家族のなかには、短期避難ではなく、ここで生活を再建しようと覚悟を決めている人もいる。
夫を説得できず、とりあえず子どもだけ連れてきた母親も多い。
このところの知事の言動は、そうした母親たちの気持ちを逆撫でするようなものでしかない。
結局、やさしい母親像は、選挙のためのパフォーマンスでしかなかったのだろう。

北海道経済のために、子どもたちを、そして豊かな自然を犠牲にしたいなどとは絶対に思わない。
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by k_nikoniko | 2011-08-27 11:49 | 原発・核

イラクに「アラブの春」は来るだろうか

先日会ったイラク人のフサーム医師は、イラクでも小さなデモが行われると言っていました。
「まったく報道されないけど」と。
では、「イラクでもチュニジアやエジプトのような『アラブの春』が起きそう?」と聞いてみました。
「不可能だと思う。戦争前であれば可能だったかもしれない。今は、民衆がひとつにまとまるのは難しい。シーア派やスンニ派、クルド民族など、いくつものグループに分断されてしまったから」
という、悲観的な返答でした。

フサーム医師の報告会(8月7日、広島)のとき、「アラブの春」にからんだ発言が、アメリカ人のシンディ・シーハンさんからの質問を受ける形でなされました。
以下、その質疑応答です。

シンディさん:湾岸戦争のときは、共和党の父親のほうのジョージ・ブッシュが大統領で、経済制裁の時代は民主党のビル・クリントンが大統領でした。その結果、200~300万人のイラク人が命を落としました。ビル・クリントンのときの国務長官マデレーン・オブライトは、経済制裁で50万人の子どもが命を落としたことについて質問され、「それでもやる価値はあった」と答えました。2人目のジョージ・ブッシュが大統領のときにイラクに侵略し、8年経った今でもアメリカはイラクを占領しています。アメリカは、共和党の大統領であろうと、民主党の大統領であろうと、同じことをしています。私の質問したいことは、イラクの人がオバマ大統領をどう思っているか、です。

フサームさん:アメリカ大統領選のとき、私たちは新しい大統領について議論しました。イラク国民はオバマが大統領に大きな期待を抱いていたと思います。オバマ大統領は黒人ですし、イスラム教徒の家庭出身なので、イラクの状況にもっと注目してくれるだろうと期待していました。アメリカの黒人が苦しんでいるのを知っているオバマ大統領なら、イラクのよりよい未来のために援助してくれると思ったのです。大統領に就任したとき、彼はすぐに米軍を撤退すると約束しました。しかし、すべてのイラク国民は後に失望したと思います。イラクの状況は変わっていません。以前とまったく同じです。アメリカはさまざまなプロジェクトをイラクに導入しようとしていますが、そこからは何も生みだされていません。アメリカが考えているだけで、私たちイラクは何も手にすることができないでいます。みなできるだけ多くのお金を持ち帰ろうとしているのです。表面的な変化だけで、基本的なことは何も変わっていません。

シンディさん:識字率が97%から39%に下がったのを知って驚いきました。今日の生活水準とサダム・フセイン時代のそれと比べて、どうですか?

フサームさん:サダム・フセインは独裁者であり、厳しい時代でした。私たちに自由はありませんでした。しかし、あのときは安全が保障されていました。規制が厳しく、人々は海外へ行のも制限されていました。非常に拘束されていました。現在は自由ですが、安全保障がありません。外出できず、子どもの世話もできません。誰もが国境を超えて簡単にイラクに侵入できます。イランが一部をかすめとり、クウェートが一部をかすめとる、といった状況です。イラクは石油が豊富だからです。しかし、人々の暮らしは悲惨で、現在のほうが悪化しています。
問題は、1991年にはイラク国民が容易にサダム・フセインを倒すことができたというところにあります。特に、バスラの人々は、サダム・フセインと政府を倒すために立ち上がっていました。あのとき、イラクの人々は自分たちの手で国を変えることができたのです。しかし、他の国の多くが、サダム・フセインを擁護しました。そして、2003年になって、アメリカがイラクを侵略しました。1991年のとき、イラク軍はサダム・フセイン打倒のために民衆と合流しようとしていました。それをアメリカ軍が阻止したのです。イラク人が自ら状況を変えることができたのに。アメリカは、アメリカ式の民主主義を導入しようと攻撃してきました。しかし、それはまったく無駄に終わりました。イラクは現在、非常に遅れた国になっています。
独裁主義と占領時代を比較するのは不可能です。戦前には安全な暮らしがありました。サダム・フセイン時代は自由はなくても、非常に安全でした。多くの人が今、占領されるより、サダム・フセイン時代のほうがよかったと、思いはじめています。安全に生活できたからです。イラクは独立国家ではなく、政府は多くの国から圧力をかけられています。
以前は、教育や医療サービスが無料でしたが、今は教育も医療サービスもお金がかかります。
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by k_nikoniko | 2011-08-24 21:41 | 戦争

イラク劣化ウラン弾の影響で増加する小児ガン

8月7日、広島でイラク人小児ガン専門医のフサーム・サリッヒ医師の報告会がありました。
フサーム医師はイラク南部バスラで、小児白血病の専門医として働いています。

以下、その報告会のお話。

セイブイラクチルドレン広島の支援で、今回が4度目の来日です。2004年に広島大学病院で研修を受け、日本の大変進歩した医療技術を学んだおかげで、イラクに戻ってから多くの子どもたちを助けることができました。

私が以前働いていた病院のガン専門病棟には、1999年ごろベッドはたった6台しかありませんでした。
2003年に、オーストラリアとアラブの協力で、新しい病棟が増設されました。ここのベッド数は24台です。外来には毎日多くの人が診察にやってきて、入院患者用のベッドは足りず、床で治療をすることもありました。
2010年に新しい病院に移転しました。バスラ子ども専門病院がんセンターです。この病院は、アメリカのホープ・プロジェクトが出資し、ブッシュ前大統領夫人も寄付しています。こうした病院ができるぐらい、イラクではガンが増えているのです。

新しい病院には、多くの医療機器がそろっていますが、それでもまだ十分とはいえません。たとえば、MRIやCTなどはありません。また、放射線治療用機器はすぐ届いたのですが、設置するのに1年かかり、使いこなすための訓練にもう1年かかるので、実際に使うのは2年後ぐらいになるでしょう。
この病院のベッド数は123です。病院のスタッフは、小児科医が7人、研修医が6人、巡回医が4人。

2004年から2010年12月までのガン患者数は755人です。最も多いのが、白血病とリンパ腫ガンです。2010年12月のガン患者は543人で、白血病は369人、リンパ腫ガンは174人でした。
毎月約300人の患者が病院を訪れ、そのうち、12~15人が新たにガンと診断されます。

医療機器は不足しています。検査用の医薬品なども足りません。機械が壊れていたり、医薬品が供給されなかったりするため、建物は5つ星のホテル並みですが、治療の中身は以前と変わらず、同じ機器を使い、同じ治療法を行っています。

イラク戦争中にガンが増加した理由は、1991年と2003年にアメリカ軍が使用した劣化ウラン弾にあると思います。1991年にはバスラ西部で300トン以上の劣化ウラン弾が落とされました。2003年にはその5倍が投下されました。
放射線汚染を示したバスラの地図を見ると、1991年に西部地域で、2003年には中央部分で、バスラだけでなくイラク全土で劣化ウランが使われたのがわかります。
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by k_nikoniko | 2011-08-23 12:59 | 原発

泊原発の報道が北海道から消えてしまった

8月18日に営業運転に移行した後、北海道では泊原発の報道がいっさいなくなってしまった。

地元紙の場合、泊原発3号機の報道は8月9日の朝刊からはじまった。
10日から13日までは記事が掲載され、14日はなし。
15日の夕刊から再開し、18日は切り抜いたら原型がなくなるぐらいのスペースが使われていた。
しかし、18日の夕刊以降、記事は1本もない。
福島の放射能についての記事はあっても、北海道の原発の話題はまったくない。
見逃しているとしたら、それぐらい小さな記事でしかなかったから。

テレビはあまり観ないけど、知っている範囲では報道されていない。

あまりにも見事(あからさま)に、示し合わせたかのようにいっせいに消えた。
自由意志からだろうか? それは考えにくい。
圧力がかかった、と疑わざるをえない。

福島原発事故の後、数人の福島県人とお話をした。
会話のなかに必ずといっていいほど出てくるのが、「情報はネットで調べた」という話。
「どうやって調べたんですか?」と聞いたら、「『チェルノブイリ』とか『放射能』とかの言葉で検索した。そういう活動にたずわっている人のブログを読んだりした」との答えが返ってきた。
「ネットで情報を調べた」というのは、声を上げたり、避難してきている人たちだ。
ある人は、「ネットをやる人とやらない人では、知っている情報量の差がものすごく大きい」と言う。
そしてみんな、「ネットで調べて真実を知ることができてよかった」と言う。
放射能との闘いという命がかかった問題だけに、ネットの情報に踊らされて、パニックになる人などほとんどいない。
みんな真剣に情報を収集し、知り合い同士で情報を交換し、勉強して考えて行動している。

北海道のマスメディアからいっせいに泊原発の報道が消えてしまった今、福島の方々がネットに頼らざるをえなかった状況は他人事ではなくなった。

というわけで、ネットで情報を探してみた。
「検査終了で運転再開を」 原発政策めぐり谷垣氏 (8月21日 産経新聞)
泊原発運転再開  もう「例外」は許されない (8月21日 徳島新聞 社説)
泊原発再開 安全対策は尽くされたか (8月21日 山陽新聞 社説)
泊3号営業運転 脱原発の方向性とは別問題だ (8月20日 愛媛新聞 社説)
泊原発2号機、26日から定期検査開始 (8月19日 読売新聞)
[泊原発再開] 住民の安心を最優先に (8月19日 南日本新聞 社説)
泊原発再開/安全性が保証できるのか (8月19日 神戸新聞 社説)
泊原発再開 安全と胸を張れるのか (8月19日 信濃毎日新聞 社説)
泊原発3号機再稼働~東京でも市民が要請書提出 (8月16日 OurPlanet-tv)
泊原発再稼働問題〜原子力安全委、安全チェックを保安院に丸投げ (8月11日 OurPlanet-tv)
北海道、泊原発の再開:科学的にはNO (8月10日 武田邦彦)


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by k_nikoniko | 2011-08-21 17:23 | 原発・核

アラブ革命のなかでイラクは

イラク南部バスラに住む小児白血病専門医のフサーム医師に会った。
フサーム医師はセイブイラクチルドレン広島の支援で、2004年に広島の病院で研修し、今回は原爆の日にあわせて4回目の来日。
2008年に広島に滞在していたときに一度お会いしていたので、3年ぶりだった。
フサーム医師は以前よりちょっと表情が厳しくなった感じだった。
それもそのはず、イラクはここ3年間、ほとんど何も変わらず、あいかわらず厳しい生活がつづいているという。
「戦争中よりは少しよくなった」そうだが、戦争の傷跡は大きい。
夏場のバスラは、50℃を超えることもある。しかし、1日18時間電気が止まり、エアコンが使えないそうだ。
きれいな飲料水もまだ満足に手に入らない。

バスラは、湾岸戦争と先のアメリカの侵略戦争で劣化ウラン弾が多く使用された地域だ。
小児ガンの数は増加している。
しかし、医療機器や薬品が十分ではなく、治療が満足にできない。
貧困のため、治療を放棄する親も少なくないという。

こうした話は、3年前とほとんど同じだった。
3年間何も変わらなければ、人々は苛立ち、希望を失っていくだろう。

フサーム医師が3年前と明らかに違ったのは、やはり、チュニジアやエジプトなどアラブの革命を目の当たりにしているからでもあったと思う。
イラクでも、まったく報道はされないが、小さなデモや抗議行動が行われているそうだ。
フサーム医師は何度も、「民主主義は押しつけられるものではなく、自ら手に入れるもの」と繰り返した。

8月7日にフサーム医師の報告会が開催され、イラクで兵士の息子が戦死したのをきっかけに反戦運動をはじめたシンディ・シーハンさんも出席していた。
彼女が、「サダム・フセイン時代と今の生活はどちらがいいか?」と質問したのに対し、フサーム医師はこう答えた。
「フセイン時代は独裁政権、戦後は安全保障が完全に崩壊した社会で、両者を比較することはできない。独裁政権時代は、表現の自由などなく、行動の拘束が厳しかった。しかし、安全な生活はできた。今は自由はあっても、まったく安全保障が失われてしまっている。外を安心して出歩くことも、子どもたちが無邪気に遊ぶこともできない。社会保障や教育システムも崩壊してしまった」
シンディさんとしては、息子が命を落とした意味として、せめて「イラクが良くなった」という言葉を聞きたかったのだと思う。
でも、フサーム医師は、「比較できない」という返答でかわした。
そして最後に、「民主主義は自分たちで手に入れる」と述べた。

イラク戦争はいったい、イラクの人に何をもたらしたのだろう。
アラブ世界のいたるところにつづいて、イラクでも民主化の革命が起きるのだろうか。


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by k_nikoniko | 2011-08-19 01:42 | 戦争

アラブの革命のその後

2011年8月13日にメディアパルトで掲載された、チュニジアやエジプトなどアラブの革命の現状についての記事「アラブの春の現状」です。
*意訳しています。誤訳があると思います。

ベンアリ大統領の失脚から8ヵ月、ムバラク大統領の退陣から9ヶ月、歴史的な手続きがはじまっている。それに続いて多くのアラブ諸国で革命と進展の予感があるが、現在どのような状況なのか?

期待とフラストレーション:チュニジア、エジプト

独裁体制の完全な崩壊は、大きな期待とそれに相対するフラストレーションを生み出した。ベンアリ大統領とムバラク大統領の終焉は、大半のチュニジア人とエジプト人にとって、政治的経済的ルネッサンスのはじまりと同時に、あらゆる挑戦に応え、これまでの習慣を変革でもある。とはいえ、現実はもっと複雑だ。経済的社会的困難が明らかに存在しており、保守的な政治文化はいまでも人々の精神に浸み込み、平穏無事に返り咲くのを政治家はもくろんでいる。ほとんどの市民は当然の期待のなかで曖昧にさせられている感情をすでに抱くようになったが、独裁政権の一掃に成功した誇りとなんら矛盾するものではない。そして、公共の場での熱意と検閲や自己規制からの開放が決定的で逆戻りができないという確信ともなんら矛盾しない。

国民議会議員選挙へ向けた取り組み:チュニジア、エジプト、モロッコ、ヨルダン

革命後初めてのチュニジアとエジプトの大統領選挙および国民議会議員選挙が準備中で、モロッコとヨルダンでは政治的要求の規制中であり、立法計画と改革計画が議事日程にのぼっている。チュニジアとエジプトで採用された選挙法は、すべての政党や政治団体に適合するわけではなく、憲法改正にふさわしいわけでもない。チュニジアの新しい選挙法では女性の割合を50%にするとなっており、女性の割り当てのない混合システム(半分の議席が単記投票、半分は政党リストによる)を予定しているエジプトの法律より可能性が高いとはいえ、対照的な2つの国には政党と社会運動が多く存在する。

さらに、モロッコとヨルダンの立憲君主国家への移行は、長年反対派から要求されており、両国の国王は「革命の」伝染を避けるために必要だと最終的に認め、新しい憲法を要請している。ある程度はそのレベルにいたるようだが、まだ懐疑的なままである。数ヶ月後に実施によってはじめて、政治分野での深刻さの決定がくだされる。

力関係:チュニジア、エジプト

この秋、チュニジアとエジプトでは、対峙した政治派閥間の本当の力関係がついに明らかになるだろう。チュニジアでの「政教分離/イスラム教徒」、エジプトでの「市民/宗教」の分裂が、考慮すべき最も重要で興味深く、介入するもうひとつの重要要素になる。軍の役割、昔のエリートとしばしば結託していた企業家、革命を主導した若者の運動、政治的社会的な地位を獲得するチュニジアと奪われた地位の請求するエジプトの女性たち、左派やリベラル派の政治的勢力、さらに、イスラム勢力範囲の中心をなす派閥(ムスリム同胞団、ムスリム同胞団の若者たち、サラフィスト)もまた、綿密に分析されている。チュニジアとエジプトは、アラブ世界が革命の結果と、専制君主とその政府に長い間自由を抑圧されてきた社会の「現実」を理解するために、どこへ向きを変えるのかを知る実験場そのものといえる。

一時的に成功する圧力:バーレーン

バーレーンが痛切に知っているのは、革命の息苦しさである。そこにはさまざまな理由、(シーア派とスンニ派の絶対的な縦社会による共同体の)国内、国外(地域のあらゆる民主化に敵対するサウジアラビアの役割、そして、イランに有利な湾岸での「不安定さ」のアメリカの懸念)が、唯一の問題として現在まで残っている。

しかし、大半の暴動を鎮圧しているアルカリファ政権の成功は、決定的ではない。この小さな王室はすでに、これまでの間、連続する暴動、独裁政権下の市民の多様な形での抵抗を知っている。過去に何度も繰り返されてきたケースのように、多様な反対党派が、国内外の大規模な発展に賛成して新しく結集している。

調停:イエメン

アラブ諸国のなかで最も貧しく、すでに数ヶ月間、状況は沈滞しているようだ。国民の異議やデモが衰退しておらず、サレハ大統領の追放を求めて毎週金曜日に数万のイエメン人がサナアやアデン、タイズ、その他の町の大広場で集まっているが、負傷してサウジアラビアにいる大統領は辞任を拒んでいる。

サウジアラビアとアメリカは、ここ数週間、過激な変化(サウジアラビアにとって)、そしてジハードのイスラム教徒に有利な混乱(アメリカにとって)への恐ろしい移行を防ぐために、妥協を見出そうとしている。分裂した軍隊、同様に武装した部族(社会構造上の勢力)とともに、あらゆる行き詰まりが紛争の一般化で悪化するかもしれない。その上、アルカイダの危険性を矮小化しつづけているイエメンの傍観者が多い(いくつかの地域での戦闘員の存在を否定できないにもかかわらず)。彼らは、アメリカの支援を得ようとするサレハ体制によってあおられた亡霊の考え方をつねに持ち続けている。

戦争開始によってこの国での民主主義のあらゆる望みに終止符をうつことができるが、その責任を引き受ける恐怖が、弱々しいスタンバイのような状態を生み出している。しかし反対派は、サレハ大統領追放を強制する圧力をつづけている。

軍事的対立:リビア

権力を維持しようとするカダフィ大統領の激しい敵意と、リビア戦争が、アラブの春の期間中の革命的プロセスの最も有害な要素になっていると思われる。

ジャマヒリヤが参加する前のチュニジアやエジプトではじまった平和的な「うねり」が軍事的な対立への変化させられた事実は、多くの体制(バーレーンや特にシリア)にデモ行進に対して軍を準備したり使うことを可能にした。国際社会は「リビアのシナリオ」を他の国でこれ以上繰り返すことができなくなった。国連からの要求でNATOが軍事介入したが、限界を明らかにし、倒錯した結果を生み出した。

シリアの例外

シリアでは例外を引き起こした(イスラエルとアラブの対立に関する立場から、シリア体制は「春」を逃したと言っている)。シリアの例外が存在するとしたら、明らかにこのレベルではなく、むしろ、体制の残虐さと人々の勇気のレベルにある。

3月以来、この体制はあまりにも暴力的で堕落しているのを知った。2300近くのシリア人が弾丸や拷問で命を落とし、数万人がケガをし、逮捕され、追放された。不正操作的な体制も問題である。国内では恐怖と疑惑をまきちらして少数派を集結させようとし、それだけでなく、地域的な計画にも不正操作が行われている。つねに(物質的にも政治的にも)悩ませている戦略的地理学的位置に関して、シリア人だけでなく、パレスチナ人やレバノン人の大多数に効果的にプロパカンダを行っている。

アラブの春の出現は、もちろん、シリアの人々を40年以上におよぶアサド政権を終わりにさせようとの決心にいたらせた。アラブやヨーロッパ政府のうんざりさせるほどの沈黙にもかかわらず、自由を愛する人々は、驚くべき創造力と忍耐力を証明しながら、毎日弾丸に立ち向かい、独裁政権打倒の声を上げている。

9月:挑戦が再び

ラマダンの終了とあわせるかのように、9月になると、革命(もしくは手続き)が新しい段階に入る。たくさんのことに取りかかっているところであり、多くの対立もまだつづいている。選挙準備(チュニジアとエジプト)から、軍事的状況の総括(リビア)、改革計画(モロッコとヨルダン)から調停(イエメン)、反対派の再組織化(バーレーン)から自発的な戦争(シリア)まで。


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by k_nikoniko | 2011-08-19 00:48 | 国際ニュース

海外メディアでも報道された泊原発再稼動の恥

泊原発3号機が営業運転に移行した。
あまりにも不名誉な全国初。言葉がない。

フランスのルモンド紙で、泊原発再稼動が報道された。
世界にも恥をさらす、本当に情けない。

日本で福島原発後初の再稼動
ルモンド紙電子版 2011年8月17日10時32分(現地時間、日本時間17時32分)

8月17日水曜日、3月11日の巨大地震および津波で起きた福島第一原発事故以来、はじめて、日本で1つの原子炉の再稼動が許可された。
北海道(北)に建設されている泊原発3号機が、”運転許可を交付され、16時間(フランスでは9時間)の営業運転を再開した”と事業者の北海道電力(Hepco)が発表した。高橋はるみ北海道知事は、4町村との話し合いを行い、原子炉の再稼動に”まったく異議がない”と北電側にたって宣言した。

日本の54原子炉のうち3分の4近くが、現在、メンテナンスか安全検査で停止している。地震や津波の危険性を理由に、より多くの日本人が再稼動の反対を表明している。

再生可能エネルギーへの依存に向けて

菅直人首相は、原発による電力供給を徐々に減らし、再生可能エネルギーに依存することに好意的であると述べている。しかし、経済産業省勢力は、政府による安全検査に合格したら原子炉の営業運転を再開することに賛成である。

北海道電力は、3月7日から3号機の調整運転中だったが、福島第一原発事故のため、営業運転へ公的には移行していなかった。経済産業省管轄の原子力安全・保安院は、最終テストは先週行ったと告げた。
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by k_nikoniko | 2011-08-17 19:54 | 原発・核

ロンドンの暴動:世界的な苛立ち

2011年8月9日のメディアパルトに掲載された、ロンドンで起きた暴動に関する、人類学者でパリ8大学のアラン・ベルト教授のインタビューの一部です。

アラン・ベルト教授は暴動現象研究の専門家。イギリスの暴動のタイプについて、2005年のフランス郊外の動乱との共通点、そして、ロンドンの反乱でも世界各地と同様に用いられた最新テクノロジーの果した役割について話をうかがった。

ロンドンの暴動は、一般的な反乱と同じ文脈か?

深刻さはさまざまだがいくつもの事件が、1月以降、世界各地で起きている。それらは、一般人と警察および国家権力との対立という共通の特徴を持っている。その観点から、ロンドンの暴動は時流に乗っているといえる。イギリスのメディアによると、ロンドンの暴動は、不可解な情況で警官に虐待された若者が死亡した後、突発した。この出来事は、伝統的な政治的ルールのわくでは自己表現できないがために緊張が高まり、それに連続した兆候として起こる対立突発という、典型的な事件である。

若者が死亡した後の暴動は、2011年1月1日以来、世界中で20数件すでに起きている。それらの暴動、それらの状況、それらの怒りの爆発にはそれぞれの特徴がある。伝統的な政治議論では出てこないものを我々に伝えている。

金融市場に強制された国家の厳しい政治が、これらの暴動に影響を与えている。強国であろうとそうでなかろうと、国家は、人々に予算的要求へと関心を向けさせている。世界中で、治安および警察的政策の普及が加えられている。ギリシャ、イタリア、アフリカ諸国など、いたるところでそれを見てとれる。チュニジアのケースも同じである。

チュニジアの革命は、警官に敵視され、ひどい扱いを受けた若者が自殺した後にはじまった。若者が自分にもかかわりがあると感じるのであれば、孤立した現象であるはずがない。人々が金融資本主義を負わされている明らかに腐敗した国では、すべてが爆発にいたって終わる。

治安権力と若者との関係が、イギリスの暴動の原因のひとつか?

イギリスのメディアが報道した証言によると、イギリスでは、フランスの状況に類似しているが、極度の緊張感、庶民階級に対する象徴的で現実的な暴力的な現象のなかにあるようだ。大勢の人が若者の死にかかわっていると感じたら、論争は非常に重大で、日常生活の実際の体験は本当に耐えられないものだ。

この観点からすると、治安の論理は、国家の本質を警察が行使しているのであり、フランス以外のほかの国、特にイギリスでも起こっているようにみえる。これはつねに悪い結果で終わる。中国でも同様で、ここ数週間いくつかの暴動が起きたが、人々と警官の関係は良くないことを証明した。

どのような政治体制でも、国家は現在、厳しい政策へと向わざるを得なくなっている。国民の利益を無視し、正当性を失うだけだ。治安の論理は、「恐怖、対立、緊張のなかでの正当性を模索する」ということだ。

イギリス政府の厳しい政策に対する6月30日の大きなデモは、今回の事件の予兆として解釈できるか?

6月30日のデモの最後の数時間のなかに、今回の前提をみることができた。このデモは対立を残したまま終了し、イギリスではかなり例外的だった。同じ手法で、学生のデモ、特に、春に起きた保守党に抵抗する反乱を予兆とみている。

さまざまな社会的前線において、権力側からの政治的対話を維持するのが不可能だ。たぶん、それをしないで、人々を違った方法で理解させようと誘導する。今のところ、これはかなりヨーロッパ的な現象であり、どこにでも見られるというわけではない。ここには2つに区分される。一方では、イギリスの大学改革に反対して警察と対立する学生たち。もう一方は、ここ3日間の暴動。この2つの出来事は、主観的および政治的に、区別した現象としてイギリスで起こった。これはチュニジアやエジプト、セネガルのケースとは違う。これらの国では、最も貧困な庶民階級の若者とゆとりのある若者の間の接点がある。

イギリスのメディアは、今回の暴動と、1985年11月に同じくトットナム起きた突発的な暴動とを比較している。これは正しいか?

我々は新しい時代にいると思う。事件は同じ地域で起きてはいるが、主役となっている人たちは同じタイプではない。20~25年前ほどの時代と正確に同じ厳しさ状況のところはどこにもない。国内政策の確固とした選択と特にサッチャー首相の結果がこの状況だと考えることができる。政治の行き詰まりがさらに明白になった。2つの暴動現象の間の共通点はあるかもしれあないが、むしろ別の次元にいると私は仮定する。

イギリスの事件と、2005年にフランス郊外で起きた動乱に共通点はあるか?

ロンドンの暴動は、フランスの2005年の暴動よりも計画性がある。主役となった人たちの年齢が高い。イギリスの運動は、参加はしなかったが、特に反対しなかった人々がかなりいて、暗黙の同意を受けていたようだ。

2005年のフランスはもっと分断されていた。車が燃やされた地域では、起こったことを特に大騒ぎをしなかったし、かなり局地的だった。ロンドンでは、現象がより大きいようにみえる。


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by k_nikoniko | 2011-08-16 12:36 | イギリス

なにもないからところ、だから原発という

8月4日、札幌から飛行機で広島へ向った。
新千歳空港がリニューアルしたので、少し早めに空港に行ってみた。
新しくなったフロアは、ほとんどが食べ物屋。
都心の駅ビルとほとんど変わらず、ピカピカごちゃごちゃしていた。

空港の人ごみに疲れてしまい、飛行機の中で爆睡。
目が覚めたら、瀬戸内海の上空だった。
海に浮かぶ緑の島々が目に入った。とても美しい。
でも、広島でお会いした山口県上関町の方から聞いたのだが、日本の海岸線で埋め立てされていない自然海岸は25%しかないそうだ。
上関原発建設予定地の長島は、75%の自然海岸が残っているという。
その大部分が開発されてしまっていても、空から見た瀬戸内海は美しい。
開発される前は、もっともっと素晴らしかったに違いない。

広島からの帰路は、日本海に抜けて、北海道へ向って飛んだ。
お天気が良かったので、ずっと地上が見えた。
緑にあふれの山陰の山々を横切り、日本海側へ出る。
ゆるやかな曲線を描く海岸線が、北に向かってのびている。
空から見る限り、日本は自然豊かで美しい。

このところ原発問題に関心が向いているので、「あの辺にも原発があるはず」と目を凝らしてみる。
もちろん、見えなかった。

福島第一原発事故以降、山口県の上関町、静岡県の浜岡町、北海道の泊村、そして福島県を訪ね、その地域を知っている人と話をしたりしてきた。
共通している言葉がひとつ。
「あそこはなにもないからねぇ」

空から日本を見ていて、ふと思った。
飛行機のファーストクラスに乗る類の人たちは、まさしく上から目線で、こう考えるのだろう。
「あそこは何もない、原発を建てるのにちょうどいい」と。
自然の美しさやそこに住む人々をイメージできない感性に欠ける人たちにとって、集落もなく、道路もない場所は、土地が遊んでいるようにみえるのだろう。
空の上からは、そこにある生きものの暮らしは見えない。

「なにもない」というのであれば、なにがあれば「なにかある」というのだろう?
「なにもない」とはいえ、自然があり、生態系があり、人が住み、ささやかであっても産業がある。
そこでの産業、その多くが第一次産業だと思うけど、それがささやかなのは、そうした産業で豊かな暮らしができる政策をとってこなかったからだ。

なにもないわけではないのに、「なにもない」と表現してしまうように、私たちはいつのまにか洗脳されてしまった。
そこにある価値を見直す必要があると思う。
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by k_nikoniko | 2011-08-15 22:02 | 原発・核