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<   2007年 05月 ( 13 )   > この月の画像一覧

つっぱりと高齢者介護

高校時代の同級生から久々に電話があった。
女性ひとり、男性ふたりで飲んでいるという。
特別仲が良かったわけではないのに、女性が経営するグループホームを、男性ふたりが手伝う、という関係になったそうだ。
悪いけれど、爆笑してしまった。
というのも、この3人、昔は“つっぱり”の類に属していたから。
彼らがお年寄りを介護している姿を想像すると、吹き出してしまいそう。
女友だちは、「介護は義理人情を心得てないとできないの。いろいろ苦労して人生経験が豊富な人じゃないとダメなのよ」と冗談交じりに言う。
笑い転げながらも、この言葉には妙に納得。
エリートコースまっしぐらの優等生には理解できない心の痛みを、失敗を重ねた人たちならわかってくれそうだ。
私も面倒をみてもらうのなら、ずっこけた人生を送った人のほうがいいなぁ、と思う。

当時の“悪”は意外と情に厚く、カワイイ存在だったのかもしれない。
「普通の子」が犯罪者になる今、そんな“つっぱり”少年少女は、“不良”という言葉が死語になったように、時代遅れ、なのだろうか。
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by k_nikoniko | 2007-05-22 23:58 | ひとりごと

水俣と北海道とイラクと

第8回水俣記念講演会が札幌で開催された。
水俣病事件が公式認定されて51年。私が生きている年月より長い。

子どもの頃、「ヘドロ」という言葉が流行っていた。
見たこともないのに、みんなで“ヘドロ、ヘドロ”と騒いだ。

水俣病と聞くと、木内千鶴子さんの漫画をすぐに思い出す。
少女マンガ雑誌の付録で、胎児性水俣病の少女が主人公。
いまでも、いくつかのコマの絵が浮かぶぐらいだ。
今日、杉本栄子さんが、「母親の発症によって差別され、辛い日々だった」と涙ながらにおっしゃった。
漫画のなかにも、虐めや差別の場面があったのを覚えている。

何の罪もない人々が病気にさせられ、自分が悪いのではないのに白い目で見られる。
不条理以外のなにものでもない。
講演でステージに上がった胎児性患者は、年老いた親を心配する成人になっていた。

年月の長さに、そして、その間自分が無関心だったことに愕然とした。
漫画はいつのまにか捨てられ、“ヘドロ”という言葉は死語になり、水俣問題は終わったと思っていた。
子どもの頃の鮮明な記憶はいつの日かぷっつり途切れ、今日この日まで、水俣病について考えることはなかった。

北海道は水俣から遠いが、水銀は北海道の銀床で採掘されていたそうだ。
しかも、採掘していたのは、朝鮮半島などから強制連行された労働者だという。

すべてが線でつながっていく。それも、ネガティブな線で。

有機水銀の環境汚染は、イラクの劣化ウランのそれと類似している。
食物連鎖といわれている胎児の先天性異常もそっくりだ。

苦しむのは、いつも罪のない弱者たち。
そうした状況にもかかわらず、力強く生きている点も、水俣の人とイラクの人は似ている。
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by k_nikoniko | 2007-05-19 23:15 | 社会問題

おんな子どもの事件だから?

先日の裁判、検事は若い女性二人だった。
事件が軽く扱われているような気がしつつも、“若い女性”というだけで“軽く扱う”と思ってしまうのだから、私も固定観念に縛られているみたい。
とはいえ、おんな子どもの事件だから軽く扱ったのかも、とうがった見方もできなくもなく。
毎日のように虐待された幼児が殺害され、10代の少年が犯罪者になっている。
出産率の増加作戦よりも、子どもの命が奪われない方法、少年少女が道をはずさないで生きる方法を真剣に考えたほうが、少子化対策としては効率が良いかもしれないのに。
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by k_nikoniko | 2007-05-18 00:59 | ひとりごと

DVと児童虐待の裁判から

札幌で起きた2児虐待事件の2回目の裁判を傍聴した。
被告の母親は、同居中(といっても1ヶ月間)の男が自分の子を虐待するのを助けられず。
2児とも男の虐待が原因で死亡し、その遺体を遺棄した容疑で母親も逮捕された。
夫の収入が不安定だったため、彼女はやりくりに困って風俗のバイトをはじめ、そこで男と知り合う。
「家に帰っても楽しくないから」という軽い気持ちで、その日男についていったのが最後。
1ヶ月間、ほとんど監禁状態に。
同居の翌日から暴力がはじまり、自分だけでなく子どもにも暴行がおよんだ。
彼女は逃げることも助けを求めることもしないまま、二人の子どもは命を落した。

子供への暴行がエスカレートしても、母親は止めることができなかった。
抵抗すればするほど、子どもが虐待されると思ったから。
彼女は「逃げたかった」し、「助けを求めたかった」が、「失敗したらどうしよう」「子どもが殺されるかもしれない」と震えて動けなかったそうだ。
恐怖心から、彼女は行動を起こすより、男に従うことを選んだという。
「なぜ逃げなかったのか?」 
DVの経験のない人は疑問に感じるが、被害者にはこうした行動がよく見られるそうだ。
彼女の場合、男が“警察”の名を出し、逃げても居場所を突き止めることができると脅されていた。彼女の家族にも報復すると言われていたそうだ。
彼女はそのウソをすっかり信じ、逃げ場がないと思い込んでいた。

この男は、妻と子どもに暴力をふるい、札幌地裁からDV防止法による保護命令を受けて、母子に近づくのを禁止されていた。
そうした人間がカウンセリングも受けることもなく野放しにされ、容易に次なる餌食を手に入れることができる社会はおかしい。

法廷では、「助けを求めることができたのではないか?」という質問が繰り返されたが、電車内でのレイプを見てみぬふりをする人がいるこの国で、この言葉は空しいだけだ。
助けを求めても助けてもらえないのではないか?
日常生活でこんな不安がよぎる人もいるだろう。
彼女がそう思ったかはわからない。
でも、気軽に助けを求めたり求められたりする環境ではないとき、“助けを求める”のに慣れていないとき、「助けて」と言うのは、かなり勇気のいることのような気がする。

「男のウソを信じたのか? 普通ならおかしいと思うはずだ」
男は、「警察関係の知り合いがいるので、携帯電話から居場所がわかる」というものだった。
明らかなウソなのだが、それがウソか本当かを見破るのは難しい。
オレオレ詐欺にだまされる人だっている。
社会の仕組みに疎いといわれてしまえばそれまでだが、情報があふれているわりには、どれが真実でどれが虚偽なのか、非常にわかりにくい。

DVと児童虐待の裁判から透けて見えるのは、社会の歪みだ。

もちろん、子どもを救えなかった母親に何の責任もないとは言わない。
服従を選ぶ女性は少なくなく、また、甘えにも問題があるともいえる。

重苦しい裁判の後なので、だんだん論点がずれてきてしまいました。

最後に、彼女の刑を軽減するために、900以上の嘆願書が提出された。
この事件は氷山の一角で、DVに苦しむ女性はたくさんいる。
家庭内暴力は、家庭内だけでは解決できず、社会全体で取り組まなければならないと思う。
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by k_nikoniko | 2007-05-17 00:47 | 男と女

高松塚壁画と中空土偶の運命

高松塚壁画が発見されたときのことは、なんとなく覚えている。
色彩が美しく、子どもながら、「キレイだなぁ」と思った。
それがボロボロになって解体されたのは、残念だ。
だいたい、35年近くなんのお手入れもしなかったなんて、信じられない。
自分の顔を鏡に映せば、35年の月日がどれだけのものか一目瞭然。
子どもの頃の面影は乏しく、シミ、シワ、タルミに「どひゃー」なのだから。
日々のお手入れを怠ると、こういうことになるのです。
高松塚壁画を保護する方々は、ボディケアなどに関心がないのでしょうね。
メンバーに女性がもっといたら違ったかもしれない。そんなことはないか。
ところで、昨日、中空土偶が北海道に戻ってきたのだが、責任者は“素手”で国宝をつかんでいた。
人間の手はバイ菌でいっぱい、じゃないのかな。
日差しや照明の気遣いはしているそうだけど、中空土偶の今後がちょっぴり心配になった。
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by k_nikoniko | 2007-05-15 10:49 | 社会問題

アラブの女性は地位が低い?

実際はよく知らないにもかかわらず、アラブ(イスラム教)社会では“女性は虐げられている”“男女不平等”といったイメージがあります。
日本で研修をしていたイラク女性医師は、「そんなことはない」と否定しました。
欧米社会とは違う形で、男性は女性を尊重しているというのです。
ところが、サナ・エルカットの著書「アラブの女 イラク女性の素顔」を読むと、“女性の人権は無視されている”印象を受けます。
子どものときから「女らしさ」を教え込まされ、「従わせるための圧力」のもとで教育される。
家事は「毎日の長くて辛い単調な仕事」「義理の親との関係に苦しむ」「離婚は簡単ではない」
イギリスに住む著者による、イラクの女性たちのレポートは、少し息苦しくなる内容でした。
でも、読み進めていくうちに、昔の(今も?)日本の状況に似ているのではないかと思えてきました。
こうした女性の不満は、日本でもよくあった(る)ことです。
西欧から見て、「女性の地位が低い」のは、イスラム教だけが原因ではないようです。
日本人が、「アラブ(イスラム教)社会の女性はかわいそう」と同情するのは、ちょっと滑稽な気がします。
というのは、欧米から見ると、日本社会も十分「男女不平等」だからです。
以前、アメリカ人かイギリス人の男性に、こんなことを言われたことがあります。
「日本の女性は女中みたでかわいそうだ。僕が見た夫婦は、夫がいばっていて、妻が言われるがままに従っていた」
数年前のことなので、現在の若いカップルを見たら違う考えを持つかもしれませんが、どうでしょう。
西欧型の男女関係を、そっくりそのまま日本やアラブ(イスラム教)社会に適応できるのか、それが正しいのか、よくわからなくなってきました。
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by k_nikoniko | 2007-05-14 10:51 | ジェンダー

整然とした街の陰と陽

パリ近郊に住む友人は、以前、サルコジが大統領になったら「セネガルに移民する」と言っていた。
選挙後のメールでは、「セネガルじゃなくてウルグアイのほうがいい。でも、今重要なのは、この反乱をなんとかすることだと思う」と書いてあった。
フランスはかなり混乱しているらしい。
しかし、このところ暴動など直接目にしていないので、それがどんなものかを忘れつつある。
昨年、ワールドカップの準決勝をパリのスタジアムで観戦したが、試合後は“暴動”に近い騒ぎだった。
ガラス瓶が飛び、道路で火が燃え、憲兵隊のバリケードに押しつぶされそうになり、地下鉄では若者が走り回って喧嘩していた。
ちょっと怖かったが、旅行者の私にとっては数時間の出来事で、今ではそれが現実ではなかったようにさえ思える。
札幌は整然とした街で、ワサワサした乱雑さがあまりない。
ここに滞在していたイラク人は、帰国時に名古屋に立ち寄ったとき、「札幌のほうが秩序正しい」と耳打ちした。
外国人がたった1日で見抜けるぐらい、両都市は“ワサワサ感”が違う。
それはそれで大変すばらしいことだけど、無菌室のようでもあり、スッキリしすぎていて、そうではない部分が見えづらい。
“人々の多様な暮らし”に触れるチャンスは少ないともいえる。
先日、南アフリカのスラム街を描いた映画「ツォツィ」を観た後、若者たちと「“スラム街”をイメージするのは難しい」という話になった。
美しい街・札幌には、スラム街と呼ばれるようなエリアはないし、地下鉄の危ない路線もないし、湿気が少ないので汗のすえた臭いもあまりない。
飢えた目をした少年たちが道端でケンカしているシーンにも出くわすことはめったいにない。
うつろな目の少年少女はうろうろしているけれど。
何度も書くが、キレイな街であることは大変良いことだ。
でも、世界中の大多数の国にはスラム化した地域があり、満たされない感情を暴力で発散する若者たちがたくさんいる。
そこから見えてくるのは、社会の歪みや心の痛み。
平穏な街で生活しているからこそ、そうした暮らしができることを感謝するとともに、社会の暗部にも目を向ける(見るだけでは十分ではないかな)姿勢が求められると思う。
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by k_nikoniko | 2007-05-13 13:29 | ひとりごと

ロワイヤル元大統領候補の暴露本

フランス大統領選に出馬したロワイヤルさんとパートナーのオランドさんカップルの暴露本が出版され、騒動になっています。
ロワイヤルさんたちは出版禁止を要求したのですが、5月11日に3万部ほど発売されました。
著者と出版社を相手に起訴する構えだそうです。
「femme fatal」(魔性の女)と題されたこの本は、ルモンド紙の女性ジャーナリスト二人が執筆。
女の敵は女、といったところでしょうか。
総合雑誌の電子版nouvel obsで、一部引用を読むことができます。
女性週刊誌ネタとしては面白いかもしれないけれど、時間をかけて訳す価値はない。

興味深いのは、この記事が11日の15:50(フランス時間)に投稿され、1日で500のレスがあったことです。
この雑誌は左寄りなので、ロワイヤルさんを擁護する内容が多いです。
それよりも多数なのは、メディア批判。
・2人の偽ジャーナリストは、悪口を言っているだけで、大統領選の直後、総選挙直前に左派政党をつぶすこと以外には関心がない。マリアンヌ(政治経済雑誌)がサルコジに反対するパンフレットを発行した日に、この暴露本が出たのだ。ロワイヤルの成果を考えてみて!
・これは新聞を売るために仕組まれたのであり、暴露された本人たちは傷つき、メディアの哀れな餌食になった。メディアは、やりたい放題、拷問し、さんざん痛めつける。
・メディアは今、右か左に分かれている。サルコジの言いなりになるメディア。共犯者の捜索はやめよう。魔女狩りはごめんだ。利益になるメディアを持とう。メディアは、反対意見を攻撃することだけを目的とし、賛成意見さえ傷つけて腐り果てていく。サルコジが左寄りのジャーナリストに圧力をかけるのを目撃したし、そのジャーナリストは同様に報復した。メディアと公正に向き合おう。あらゆる職業において、危険分子は存在している。しかし、そういう人たちは少数派だ。メディアといえないものを読む義務はないのだ。

大統領選の日、TF1の番組をインターネットで観ていたのですが、追っかけぶりは全く“お”フランスの上品さなどありませんでした。
レポーターがバイクに乗り、サルコジの車と並走し、危なっかしいのなんの。交通ルールなど完全無視でした。
故ダイアナ妃の事故もパパラッチが原因といわれていましたが、それもわからなくもないほどのしつこさ。
そこまでやる必要があるのか、と呆れてしまいました。

とはいえ、フランス人はマスコミをあまり信用していないし、メディアに厳しく物申す市民が多いので、日本とちょっと違うかもしれません。
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by k_nikoniko | 2007-05-12 20:51 | フランス

歴史を体感した中学生

先日、はじめて傍聴した裁判を批判しましたが、良いこともありました。
その法廷は、中国人強制連行・労働の最終弁論で、連行・労働させられた中国人の男性と、父親が連行・労働させられたという女性が原告でした。
彼らの話は悲しみに充ちていました。
テレビなどで傍観するのとは違い、目の前にいる方が辛い日々について語っているのを見ると、心にズサリと突き刺さります。
嫌な記憶ばかりの日本にやってきて、思い出したくもない事柄を話すのです。
私にはできるだろうか、と自信がありません。
中国人の体験を自分の耳で聞くことができ、貴重な機会でした。
たぶん、3人の中学生も同じ気持ちになったと思います。
この日、男子中学生が傍聴しました。
社会見学といったものだったようで、たまたまこの法廷に入ってしまったとのこと。
中学生たちは、法廷後の集会にも参加しました。
自ら参加したというより、大人に連れてこられたらしいのですが。
途中、参加者のひとりが、中学生に意見を求めました。
大人ばかりの集まりで、突然意見を求められた男の子たちは、ちょっと戸惑いながらも、堂々と自分の考えを述べました。
「今日まで、日本が加害者であることは知らなかった。戦争で日本は被害者だと思っていた」
「戦争は過去のことではなく、現在でも多くの人を苦しめているとわかった」
「戦争はいまでも終わっていないのだと思った」
などなど。
あまりにも的を射た発言だったので、うれしくなりました。
若者たちは、実際に見て聞いて知れば、ちゃんとわかるのだと思います。
子どもたちの知る権利を奪っているのは、大人たちですね。
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by k_nikoniko | 2007-05-11 23:44 | 歴史

本物の人体の標本だとしたら…

人間の体を紹介する展示会が開催されています。
人体をプレート状にスライスしたものや、実際に内臓などを触るコーナーまであるそうです。
これらは本物の人体を樹脂加工したものだと聞きました。
遺体を標本化し、展示しているというのです。
前回この展示会に行った人にそれを教えたら、「ウソだ!」と絶句しました。
2年ほど前、身内が手術をして、摘出した内臓を見ました。
私は見たくなかったのですが、「写真を撮ってほしい」と頼まれたので、しかたなく引き受けました。
医師が手にしていた内臓は、解剖図にあるのと同じ形で、気が乗らなかったわりには、まじまじと見てしまいました。
さまざまな角度から見ているうちに、そんな自分がちょっと怖くなったものです。
目の前の内臓は人間のもので、本来は神聖な人体の一部であるはずなのに、単なるモノを観察しているような感覚に陥ったからです。
人体の標本を観賞するのは、人間をモノとしてとらえる危険性をはらんでいます。
命が宿っていたことなど、忘れてしまうのです。
それに、私は身内の内臓を展示したくないし、多くの人に見せたいとも思いません。
展示されている人体が誰であれ、親や兄弟、友人といった人たちがいたはずです。
そういう人たちが展示されていることを知ったら、悲しい気持ちになるに違いありません。
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by k_nikoniko | 2007-05-08 01:06 | 社会問題