フリーライター木村嘉代子のブログです。日々感じたことを綴っています。Copyright(C)2005-2016 Kayoko Kimura
by k_nikoniko
お問い合わせ:
k.kayoko.7☆gmail.com
☆→@に変えてください

最新の記事
南スーダンPKO派遣差止め訴..
at 2017-06-20 11:06
札幌の自主夜間中学が公立化か
at 2017-06-16 08:36
ルモンド紙より「南スーダンの..
at 2017-06-03 14:05
『道新』セクハラ認めずも始末書
at 2017-05-05 17:38
恵庭OL殺人事件の第2次再審..
at 2017-05-01 14:35
通信制中学の記録映画『まなぶ..
at 2017-03-24 11:54
元原発作業員が労災認定を求め..
at 2017-03-10 11:47
南スーダンPKO派遣差し止め..
at 2017-03-03 11:39
札幌の自主夜間中学が公立化か
at 2017-02-24 11:36
約126万人が義務教育未終了
at 2017-02-16 13:11
カテゴリ
全体
掲載記事(2011~)
掲載記事(2000~2010)
掲載記事(1991~1999)
掲載記事(1990以前)
ジェンダー
男と女
ひとりごと
フランス
イギリス
国際ニュース
社会問題
原発・核
デモ日記
戦争
歴史
メディア
カルチャー


サッカー
外部リンク
ライフログ
タグ
検索


カテゴリ:国際ニュース( 15 )

ポスト・アラブの春

モロッコ関係のセミナー「『ポスト・アラブの春』の北アフリカ・中東と日本」に出席。
長らくモロッコから離れてたのでお勉強。
興味深いお話いろいろ。

終了後、西麻布のモロッコ料理レストラン「ルマグレブ」へ。
ラマダン中なので、日が落ちてから軽食。
久しぶりのミントティがおいしかった。

食事の席でアルール駐日モロッコ王国大使が、「毎月2回ほどさまざまな大学で話をしている。ビジネスによる関係より、人的信頼関係を築いたほうが、20年、30年先に両国のつながりが一層強まる」とおっしゃったのが印象的だった。
「女性のエンパワーがアラブの発展のキーファクターになる」とも述べていた。

f0016260_01093475.jpg
f0016260_01094490.jpg


[PR]
by k_nikoniko | 2014-07-05 01:07 | 国際ニュース

北アフリカの政治変動

2011年5月11日に、東京の国際文化会館にて、「北アフリカとサヘル地域の政治変容と地域安全保障」に関する国際セミナーが開催された。主催は、トランスリージョナル&エマージング・エリア・スタディーズ国際研究グループ(ITEAS)、共催は札幌国際連帯研究会、開発と人間の安全保障のためのアフロ・アジアフォーラム、グローバルネットワーク21(GN21)。研究者、NGO関係者、ジャーナリスト、国会議員、官僚、そしてエジプト、チュニジア、モロッコ、バーレーン、ヨルダン、ジブチ、アンゴラ、エチオピア、アメリカ、フランス、スペインなどの大使や外交官など約100名出席し、活発な議論をおこなった。

司会を担当した片岡幸彦氏は、「ITEAS発行の報告書で取り上げられ、同セミナーのテーマでもある問題の重要性」を強調した。片岡氏は、「今、各地で起きている変化は、新たな世界が生まれる可能性を持つほど大きなものであり、新しい理解の仕方、新しい政治的行動、そして新しい形の感情の相互作用を必要とするものである」と述べた。

 羽衣国際大学の中川恵教授は、「北アフリカの政治変動」について発表。エジプト、そしてアラブ世界全体に広がった政治変動に関し、中東・北アフリカ地域の諸国を、軍の介入の点から次の4つに分類。(1)軍が中立を保ち、短期間に政権が崩壊したケース(例:チュニジア、エジプト)、(2) 軍の中での分裂が見られるなど中立を保たず、政府と市民との間の武力衝突に発展しているケース(例:リビア、シリア)、(3)軍の政治的な場でのプレゼンスが大きく、今後の改革のアジェンダが不透明なケース(例:アルジェリア)、(4)逆に軍の政治的な場でのプレゼンスがほとんどなく、抗議運動はあるものの、現体制の枠内での改革を求めており、反体制運動には発展していないケース(例:モロッコ、ヨルダン)。

 そして、「(4)のケースに分類できるモロッコでは、2月末に抗議運動が起こったが、3月9日には、国王が憲法改革案についてスピーチをおこない、自らの権力の制限、すでにモロッコで進められていた地方分権化や人権擁護、アイデンティティーの多様化などをさらに推進する方向性を示した。結果、その後の抗議運動の要求の枠組みを提供することとなった」と説明した。

また中川教授は、「地域としての安定性を考える場合、マグレブ地域では、①モロッコとアルジェリアの関係改善(西サハラ問題、リビアの行方)、②テロリズム(北アフリカやサヘル地域でのアル・カーイダの活動がより活発化する可能性)、③イスラム過激派の動向(特にエジプトとチュニジアでのイスラム運動の動向)が、安定への鍵となるだろう」と指摘した。

モロッコ・タンジェのアブドゥルマリク・サーディ大学のラシード・ブダイギ教授は、「地中海からマグレブ地域、さらに南のサヘル地域にかけての地政学的文脈における、人間の安全保障を妨げる要因、国境横断的および地域的な不安定要因」について発表した。
「前述の広大な地域においては、これらの諸要因が相互に作用しあうため、同地域の経済的統合や安全保障において3つの課題がある」と述べた。
エルフデイギ教授は次のように解説した。「不確実性、不安、確信の3つが課題である。つまり、持続可能な人間の安全保障を国家が保証できるかどうか、非常に不確定である。実際マグレブにおいて、人間の安全保障が保証されない限り、国家や社会の継続的な安定は不可能である。民主化そして人権問題が、これまでもマグレブ諸国の発展の大きな障害となってきた。テロリズム、組織犯罪、不法移民、移動の自由の制限という諸問題が、サヘル・サハラ地域、モロッコとティンドゥフに近いモーリタニアとの国境地帯、さらに封鎖されているモロッコ・アルジェリア国境地帯という3つの地域に存在している。モロッコとアルジェリアの間での信頼関係の構築が、その地域の包括的な安全保障に適した条件を作りだすために必要となる」
それを実現するために、エルフデイギ教授は、「両国は政治的な対話をおこない、戦略的な敵対関係を終わらせ、マグレブ地域が非常に長い間陥っている戦略的にナンセンスな状況から解放する必要がある。サハラ問題は、両国の長年にわたる敵対関係を示している。両国は国境の封鎖を解除する必要がある。またティンドゥフ難民キャンプでの違法な活動を監視すべきである。これはポリサリオ戦線のなかの一部の人々とテロリスト・ネットワークとのつながりを避けるために必要だ」と指摘した。

札幌学院大学の松本祥志教授は、「緊急事態宣言と国際人権B規約の絶対的人権、つまり身体の自由と差別禁止」に焦点を当てた。「ジャスミン革命は緊急事態下でなされた。民主的な国家においてでも、自然災害・人的災害により普遍的人権(人民の権利)や相対的人権(財産権、表現、結社の自由など)を制限することが正当化されうる。その場合でも、公正かつ公開の裁判なしに身体の自由が侵害されてはならない」と語った。

さらに松本教授は、「アルジェリアは19年間、シリアは1963年以来、緊急事態を継続している。国際人権B規約は緊急事態の宣言を認めているが、それは緊急な事態の存在を前提にしている。かかる事態が緩和されたら廃止されなければならないが、実際には継続されることがよくあった。それゆえ緊急事態宣言には、時限を定めるサンセット条項が入れられるべきで、既存の宣言には直ちに時限が追加されるべきである」と指摘した。
[PR]
by k_nikoniko | 2013-11-06 08:08 | 国際ニュース

ソウルでキャンドルデモ

韓国大統領選に不正があったことに抗議して、このところソウル市役所前で10万人規模のキャンドルデモが行われている。
という話を聞いたので、いろいろ検索してみたけど、日本語の情報があまりなく。
7月15日のデモに関するCNNのレポートをみつけました。
http://ireport.cnn.com/docs/DOC-1005863


[PR]
by k_nikoniko | 2013-08-12 01:17 | 国際ニュース

アラブの秋、チュニジアの出発

フランスでは、カダフィ大佐の殺害場面が何度もテレビで放映された。
そのたびに目を背けるか、チャンネルを変えるか。
とても直視などできない、残酷な映像だ。
「知られたくない真実」を葬るために、カダフィ大佐は裁かれることなく殺害されたのではないか。
こうした憶測が飛び交っている。
サルコジ大統領は、カダフィ大佐と原子力に関する会談をしている。
独裁者の死によって、リビアがどうなっていくのか、まったく予測がたたない。

カダフィ大佐が殺害された20日、フランス在住のチュニジア人有権者による制憲議会選挙がはじまった。
新憲法を策定するための議員選出選挙で、217議席のうち、フランス在住チュニジア人から10議席選ばれる。
手元の資料によると、全体的には、政党数は110、候補者11000人で、無党派を加えた1570のリストから選ぶそうだ。
有権者数は約750万人だという。
居候している友人の夫がチュニジア人で、毎晩、選挙の準備をしていた。
フランス国内では、44のリストが候補者を立てている。有権者は6~7万人とのことだ。
数が多すぎて、主張の違いをどう区別するのか、とも思う。
世論調査では、イスラム政党(Ennahda)が20~30%獲得するだろうと予測している。

フランスの投票は3日間、国内数ヶ所で行われた。
最終日22日(土)の夜7時ごろ、投票場のひとつ、16区のチュニジア領事館に行ってみた。
最寄り駅の地下鉄のホームには、投票を終えたチュニジア人がたくさんいた。
領事館の前は長蛇の列。
f0016260_6363199.jpg
3歳ぐらいの娘を連れた男性は、この選挙に「期待している」と満面の笑みで答えた。
パリに数年住んでいる若い男性二人は、「チュニジアの民主主義がはじまる」「たくさんの人が投票に来ていて驚いただろう?」と笑った。

どの顔も喜びにあふれていた。
f0016260_6411991.jpg
自らの手で、ゼロから民主主義の国を作り上げる。
前途多難ではあろうが、可能性に満ちている。
うらやましいと思った。
[PR]
by k_nikoniko | 2011-10-24 06:42 | 国際ニュース

アラブの革命のその後

2011年8月13日にメディアパルトで掲載された、チュニジアやエジプトなどアラブの革命の現状についての記事「アラブの春の現状」です。
*意訳しています。誤訳があると思います。

ベンアリ大統領の失脚から8ヵ月、ムバラク大統領の退陣から9ヶ月、歴史的な手続きがはじまっている。それに続いて多くのアラブ諸国で革命と進展の予感があるが、現在どのような状況なのか?

期待とフラストレーション:チュニジア、エジプト

独裁体制の完全な崩壊は、大きな期待とそれに相対するフラストレーションを生み出した。ベンアリ大統領とムバラク大統領の終焉は、大半のチュニジア人とエジプト人にとって、政治的経済的ルネッサンスのはじまりと同時に、あらゆる挑戦に応え、これまでの習慣を変革でもある。とはいえ、現実はもっと複雑だ。経済的社会的困難が明らかに存在しており、保守的な政治文化はいまでも人々の精神に浸み込み、平穏無事に返り咲くのを政治家はもくろんでいる。ほとんどの市民は当然の期待のなかで曖昧にさせられている感情をすでに抱くようになったが、独裁政権の一掃に成功した誇りとなんら矛盾するものではない。そして、公共の場での熱意と検閲や自己規制からの開放が決定的で逆戻りができないという確信ともなんら矛盾しない。

国民議会議員選挙へ向けた取り組み:チュニジア、エジプト、モロッコ、ヨルダン

革命後初めてのチュニジアとエジプトの大統領選挙および国民議会議員選挙が準備中で、モロッコとヨルダンでは政治的要求の規制中であり、立法計画と改革計画が議事日程にのぼっている。チュニジアとエジプトで採用された選挙法は、すべての政党や政治団体に適合するわけではなく、憲法改正にふさわしいわけでもない。チュニジアの新しい選挙法では女性の割合を50%にするとなっており、女性の割り当てのない混合システム(半分の議席が単記投票、半分は政党リストによる)を予定しているエジプトの法律より可能性が高いとはいえ、対照的な2つの国には政党と社会運動が多く存在する。

さらに、モロッコとヨルダンの立憲君主国家への移行は、長年反対派から要求されており、両国の国王は「革命の」伝染を避けるために必要だと最終的に認め、新しい憲法を要請している。ある程度はそのレベルにいたるようだが、まだ懐疑的なままである。数ヶ月後に実施によってはじめて、政治分野での深刻さの決定がくだされる。

力関係:チュニジア、エジプト

この秋、チュニジアとエジプトでは、対峙した政治派閥間の本当の力関係がついに明らかになるだろう。チュニジアでの「政教分離/イスラム教徒」、エジプトでの「市民/宗教」の分裂が、考慮すべき最も重要で興味深く、介入するもうひとつの重要要素になる。軍の役割、昔のエリートとしばしば結託していた企業家、革命を主導した若者の運動、政治的社会的な地位を獲得するチュニジアと奪われた地位の請求するエジプトの女性たち、左派やリベラル派の政治的勢力、さらに、イスラム勢力範囲の中心をなす派閥(ムスリム同胞団、ムスリム同胞団の若者たち、サラフィスト)もまた、綿密に分析されている。チュニジアとエジプトは、アラブ世界が革命の結果と、専制君主とその政府に長い間自由を抑圧されてきた社会の「現実」を理解するために、どこへ向きを変えるのかを知る実験場そのものといえる。

一時的に成功する圧力:バーレーン

バーレーンが痛切に知っているのは、革命の息苦しさである。そこにはさまざまな理由、(シーア派とスンニ派の絶対的な縦社会による共同体の)国内、国外(地域のあらゆる民主化に敵対するサウジアラビアの役割、そして、イランに有利な湾岸での「不安定さ」のアメリカの懸念)が、唯一の問題として現在まで残っている。

しかし、大半の暴動を鎮圧しているアルカリファ政権の成功は、決定的ではない。この小さな王室はすでに、これまでの間、連続する暴動、独裁政権下の市民の多様な形での抵抗を知っている。過去に何度も繰り返されてきたケースのように、多様な反対党派が、国内外の大規模な発展に賛成して新しく結集している。

調停:イエメン

アラブ諸国のなかで最も貧しく、すでに数ヶ月間、状況は沈滞しているようだ。国民の異議やデモが衰退しておらず、サレハ大統領の追放を求めて毎週金曜日に数万のイエメン人がサナアやアデン、タイズ、その他の町の大広場で集まっているが、負傷してサウジアラビアにいる大統領は辞任を拒んでいる。

サウジアラビアとアメリカは、ここ数週間、過激な変化(サウジアラビアにとって)、そしてジハードのイスラム教徒に有利な混乱(アメリカにとって)への恐ろしい移行を防ぐために、妥協を見出そうとしている。分裂した軍隊、同様に武装した部族(社会構造上の勢力)とともに、あらゆる行き詰まりが紛争の一般化で悪化するかもしれない。その上、アルカイダの危険性を矮小化しつづけているイエメンの傍観者が多い(いくつかの地域での戦闘員の存在を否定できないにもかかわらず)。彼らは、アメリカの支援を得ようとするサレハ体制によってあおられた亡霊の考え方をつねに持ち続けている。

戦争開始によってこの国での民主主義のあらゆる望みに終止符をうつことができるが、その責任を引き受ける恐怖が、弱々しいスタンバイのような状態を生み出している。しかし反対派は、サレハ大統領追放を強制する圧力をつづけている。

軍事的対立:リビア

権力を維持しようとするカダフィ大統領の激しい敵意と、リビア戦争が、アラブの春の期間中の革命的プロセスの最も有害な要素になっていると思われる。

ジャマヒリヤが参加する前のチュニジアやエジプトではじまった平和的な「うねり」が軍事的な対立への変化させられた事実は、多くの体制(バーレーンや特にシリア)にデモ行進に対して軍を準備したり使うことを可能にした。国際社会は「リビアのシナリオ」を他の国でこれ以上繰り返すことができなくなった。国連からの要求でNATOが軍事介入したが、限界を明らかにし、倒錯した結果を生み出した。

シリアの例外

シリアでは例外を引き起こした(イスラエルとアラブの対立に関する立場から、シリア体制は「春」を逃したと言っている)。シリアの例外が存在するとしたら、明らかにこのレベルではなく、むしろ、体制の残虐さと人々の勇気のレベルにある。

3月以来、この体制はあまりにも暴力的で堕落しているのを知った。2300近くのシリア人が弾丸や拷問で命を落とし、数万人がケガをし、逮捕され、追放された。不正操作的な体制も問題である。国内では恐怖と疑惑をまきちらして少数派を集結させようとし、それだけでなく、地域的な計画にも不正操作が行われている。つねに(物質的にも政治的にも)悩ませている戦略的地理学的位置に関して、シリア人だけでなく、パレスチナ人やレバノン人の大多数に効果的にプロパカンダを行っている。

アラブの春の出現は、もちろん、シリアの人々を40年以上におよぶアサド政権を終わりにさせようとの決心にいたらせた。アラブやヨーロッパ政府のうんざりさせるほどの沈黙にもかかわらず、自由を愛する人々は、驚くべき創造力と忍耐力を証明しながら、毎日弾丸に立ち向かい、独裁政権打倒の声を上げている。

9月:挑戦が再び

ラマダンの終了とあわせるかのように、9月になると、革命(もしくは手続き)が新しい段階に入る。たくさんのことに取りかかっているところであり、多くの対立もまだつづいている。選挙準備(チュニジアとエジプト)から、軍事的状況の総括(リビア)、改革計画(モロッコとヨルダン)から調停(イエメン)、反対派の再組織化(バーレーン)から自発的な戦争(シリア)まで。


[PR]
by k_nikoniko | 2011-08-19 00:48 | 国際ニュース

エジプトのニュースに思う

エジプトの抗議デモが大きく取り上げられています。
最初に政権を転覆させたチュニジアは、これまで大きなニュースにはなりませんでした。
なぜか? 考えてみました。

エジプトにはテレビや新聞の特派員がいて、英語での情報が入りやすい。
チュニジアは特派員がいないし、フランス語の情報が多い。

これらは、日本側の理由で、国際的なニュースバリューとは関係がないと思います。
そういう、こちら側の理由で、国際ニュースの重要度が決められていいのでしょうか?

海外のメディアでは、引き続きチュニジアのニュースを流していますが、日本ではほとんど語られません。

もうひとつ。

エジプトは日本人観光が多く、ピラミッドなど日本人にはなじみ深い。
チュニジアはそうではない。
日韓ワールドカップで日本はチュニジアと対戦しているので、そのとき少しは話題になったような気もするけど、ほとんど知られていない。

これも、日本側の落ち度、というか、こちら側の理由。

グローバル化の時代、日本人が関係しているかいないかで、ニュース性を決めていいのかとも思います。
直接関係がなくても、日本人は惑星に住んでいるわけではなく、地球で起きたことは、必ずなんらかの形で跳ね返ってきます。
このアラブの変化で、日本はどのような影響を受けるのか。日本が何ができるのか。
ちゃんと考えるときだと思います。

観光地がひとつ減る、というレベルではあまりにも情けないです。

フランスのネットメディアRue 89に、今回のチュニジアやエジプトでの出来事と、ベルリンの壁崩壊を比較した記事を見つけました。
翻訳はこちらです。
[PR]
by k_nikoniko | 2011-02-02 10:48 | 国際ニュース

チュニジアやエジプトの革命とベルリン壁崩壊

フランスのネットマガジンRue 89に、1月29日に掲載された「アラブ世界とベルリンの壁」の記事です。
現在、アクセス数2万以上、書き込み150以上。賛否両論あり、コメントも興味深い。
誤訳、省略もありますが、翻訳しました。おかしな点がありましたら、訂正よろしくお願いします。

チュニジアのベンアリ元大統領の国外退去と、他のアラブ諸国における「伝染」という事態以後、1989年10月のベルリンの壁崩壊、そして、ヨーロッパ社会主義ブロックの崩壊へと導いたドミノ効果との比較がしばしば行われている。この比較は限界をともなうが、全く無意味というわけではない。

はっきりした大きな違いは、中央および東ヨーロッパ社会主義国が同じ「ブロック」に属していることにある。モスクワ、クレムリンを統制の中心とした連合だった。1952年のベルリンや、1956年のブダペスト、1968年のプラハでは抗議デモを鎮圧する指令が出されたが、ミカエル・ゴルバチョフの指示により、クレムリンは東ドイツの抗議デモをそのまま放置し、歴史的変化により、道が突然解放された。

それから数週間で、東側諸国が壁の崩壊の連鎖で共倒れとなった。武力で「民主的な伝染」を回避できると考えていたチャウシェスク元大統領のルーマニアも含まれる。社会主義ブロックに属さないユーゴスラビアだけが生き延び、2年後に流血の内紛が起こった。

国際的な文脈においても、同様に特異である。西ヨーロッパとアメリカは、敵対する軍事連合コメコンに属する国の体制の変化を好意的に見ていた。そして、ソ連という20世紀における敵国の弱体化も見ていた。その段階では、2年後にソ連も同じように崩壊するなど、わかるはずもなかった。

アラブ世界はひとつのブロックではない

アラブ世界は、このような特徴を全く持っていない。ひとつのブロックではないし、アラブ連盟のようなインフォーマルなもの以外の連合には属していない。抗議デモ鎮圧の指令か、それとも鎮圧の禁止命令かの判断を、「センター」に依存しているわけでもない。

当事国ではない世界の国々は、抗議デモの民主的渇望を支援しつつも、原理主義の手中に落ちていく国々が出現することを恐れ、この2つの感情を同時に抱いている。不安定な故郷、潜在的な「敵」になることを恐れているのである。

チュニジアの出来事は人々を驚かせた。チュニジア人もまた驚いている。本当の勇気、20年もの間居座っていた独裁者を転覆させた可能性に驚かされた。しかし、チュニジアは小国であり、大それた戦略的な賭けに出ることはない。今回の出来事は、外部からの強力な干渉もないまま、順調にことが運んだ。

2011年チュニジア、1989年ベルリン

結果として、ベンアリ元大統領の国外退去は、アラブ世界の人々にとって、ベルリンの壁の効果を持ちうるのである。いずれにせよ、心理的な側面でその効果を示すかのように、多くの国(アルジェリア、ヨルダン、エジプト、イエメン…)において、シディブジィドでの絶望的な自己犠牲、権力に対する抗議デモ、ソーシャルネットワークの妨害のためのネット検閲が記録されている。ソーシャルネットワークは、革命誘因としてのベクトルの役目を果したすことが、チュニジアのケースで明らかになった。

しかし、それぞれの国には、それぞれの体制があり、それぞれの方法で状況を管理している。エジプトは、ここ数日、旋風の中心だ。手荒い行動が起こり、金曜日には60人以上が死亡し、通信が切断された。包囲されたムバラク大統領は、身の危険を逃れるために、内閣の解散を行った。

アルジェリアでは、2月12日に抗議デモが約束されていたにもかかわらず、その兆候は、すぐに制圧された。

それぞれの国がそれぞれの歴史を持ち、それぞれ異なる政治的、経済的、社会的文脈がある。アルジェリアやチュニジアでの出来事が、サウジアラビアと同じように展開するとは、誰も予想していない。今回の伝染は、同じ体制が同じ現象に対抗した1989年のヨーロッパと共通の感覚ではないことは確かだ。アラブ世界におけるインパクトは現実であるが、同じ原因が必ずしも、それぞれの国に同じ結果をもたらすとは限らない。

権力者たちの懸念

とはいえ、世界の権力者たちが、この出来事を心配しながら観察していることは確かである。長期間に及ぶ保守主義、軍事政権もしくは王政の専制君主の凡庸さ、政治と宗教の反啓蒙主義的脅威。こうしたことで批判されている国々で、自由を求める風が吹いているのを、喜んで観ている場合ではないのだ。

ワシントンから、パリ、同じく、「エジプト」の言葉が土曜日に検閲の対象となった北京でも、こうした懸念を感知することができる。民衆運動から何が飛び出すのか、それを誰も予知できない、そういった懸念である。中央および東ヨーロッパのときは、より民主的で、西ヨーロッパ体制と両立可能な体制という予見できたが、それとは対照的に、現在エジプトで起こっている革命が、いったいどこに向かうのか、全くわからない。

イスラムの懸念も明らだ。1世紀にわたる長い歴史を持ち、エジプトやヨルダンにしっかり根づいたムスリム同胞団にとって、ムバラク大統領の転覆は勝利への道を開くことになるのだろうか? それは、アメリカやイスラエル支持者たちにとって望ましいことではない。アラブ世界の「反逆者」民主主義者をいらだたせる立場にあるからだ。

先週、保守的アナリストであるロバート・カプランは、ニューヨークタイムズ紙に次のようなことを書いていた。アラブ世界の出来事に大喜びしていてはいけない。なぜなら、ヨルダンのアブダラ王のように「思慮に富む指導者」や、ムバラク大統領のような「安定」を名残惜しく思うだけで終わってしまうだろう。そして、ガザでのハマス政権の誕生が、民主的な選挙の結果だったことを思い出すだろう。

しかし、アラブの人々は、ロバート・カプランの記事を読んではいないし、何も心配していない。

どうやって脱出するのだろうか? 1989年のように、歴史はアラブ世界で動き出している。安心感を保障してくれた独裁者の崩壊に感涙する人々はまず、がまんならない像をあまりにも長期にわたって支持したために、革命的なこうした過程を不利にしたのではないか、と自問しなければならないだろう。それがどのようなものであろうと、結果を引き受けなければならない。



[PR]
by k_nikoniko | 2011-02-02 10:16 | 国際ニュース

海外メディアが伝える「チュニジア」(1)

大手メディア以外で、チュニジアの情報は収集できる。

とりあえず、ネットメディア
allafrica.com(英語) 
afrik.com(フランス語)
afrik.com(英語)
RFI(Radio France International(英語)

IPS(Inter Press Service)のサイトに掲載された、12月31日付の記事「アラブ世界を揺るがすチュニジアの不穏">アラブ世界を揺るがすチュニジアの不穏」を紹介(ほぼ全文ですが、逐一全訳ではありません)。

Emad Mekay 2010年12月31日 カイロ

西側諸国がクリスマスの祝いで忙しかったり、大雪による飛行機の遅れで年末旅行の調整をしていたとき、北アフリカの静かな国チュニジアは、3週間前に起きた信じがたい事件をきっかけに、ベンアリ大統領の独裁体制に抗議するデモが行われていた。

2009年のイランの大統領選挙に反対して今回と同様の抗議が起こっていた期間、アメリカとヨーロッパではメディアや政治家が癒着に向かい、予想もしなかった出来事が西側メディアから全く無視されてしまった。チュニジアのブロガーたちやツイッター投稿者たちは、動乱の行方を刻一刻と伝える主要な情報源となった。

ベンアリ政権は、中東において、国民に対する厳しい統制を誇りとする“穏健的な”親西欧アラブ体制の手本といえる。

大卒の26歳の失業者モハメド・ブアジジが、果物と野菜の荷台を没収されたことに抗議し、シディブシッドの中心街で焼身自殺を図ったのが、動乱の発端だった。

少なくとも二人の大卒の若者が、アラブ諸国の貧しい経済状況に抗議し、ブアジジの後を追って自殺した。

西欧の後ろ盾をもつ多くのアラブ諸国では以前にも似たような動乱が起こり、警察力で弾圧している。武力での弾圧、活動家を追跡する家宅捜査、大量逮捕、収容者の拷問も報告されている。

シディブシッドへ通じるすべての通信と交通を遮断し、警察は町でのデモをつぶした。

ベンアリ政権は、民衆の抗議行動に直面した全てのアラブ独裁者による典型的な批判と同様に、扇動者たちを「過激分子」「騒動屋」「金銭ずくの少数派」と非難した。

コミュニケーション省の大臣は、チュニジアのカフェやパブリックビューでのアルジャジーラの放送を禁止したという。

あるブロガーは、「インターネットも弾圧している。いくつかのサイトやフェイスブックのアカウントがブロックされた。今後は投稿できないかもしれない。私が突然消えたら、どうか祈ってください」と書いていた。

アラブ諸国からは、チュニジアを支援するコメントが書き込まれた。

ドバイからは、「アラーに感謝する、この地域の民衆がついに目覚め、不正と汚職を広げる暴君に抗議している」との投稿があった。

「アラブ体制の終焉はそこまで近づいた」とエジプトからの投稿もあった。

他のアラブ人たちは、鼓舞されながら、抗議デモを見つめている。チャットのフォーラムやソーシャルメディアでは、アラブ人たちが抗議者に拍手を送り、彼らを”英雄”とさえ呼んでいる。

動乱は物価高騰や失業によってはじまったが、ベンアリ政権を崩壊させるためのデモという政治的な抗議へと転向したと言う。

他の石油産出国ではないアラブ諸国のように、チュニジアもまた、西欧の影響による民営化計画や、別の収入源を提供されないまま主要産物への補助金削減を施行している。

チュニジアが忍耐強く待てなかったように、経済改革は全く効果がなかった。ソーシャルメディアの画像や動画は、飢えと貧困の象徴であるパンを手にした抗議者たちを映し出している。

ショックをやわらげようと、ベンアリ大統領は小規模な内閣改造を行ったが、内務省には手をつけなかった。大統領は抗議者の弾圧を誓った。


[PR]
by k_nikoniko | 2011-01-18 02:06 | 国際ニュース

チュニジアのジャスミン革命

1月も半分終わってしまいました。今年もどうぞよろしくお願いします。

2011年初めの投稿は、チュニジアのジャスミン革命についてです。
突然、日本でも報道されだしたのですが、どうもよくわかりません。

そこで、海外のメディアで調べてみました。

チュニジアの内政については、まったくというほど知りませんでした。
パリに住む友人の夫がチュニジア人で、昨年11月、何度も会って話をしました。
「モロッコに比べてチュニジアは抑圧的な雰囲気」とは聞いていましたが、まさかこうした事態になるとは。
友人の夫に、「日本はどうして自殺者が多いのか? チュニジア人は自殺しない」と言っていたのが心に残っているので、今回のチュニジアの動乱のきっかけが、失業中の青年の焼身自殺だったのには驚きました。
イスラムの教えから自殺には否定的だったようなので、だとしたら、今回の出来事は、チュニジア人に大きな衝撃を与えたのだと思います。

日本のマスコミ報道の中心は、「治安」と「邦人の安全」で、チュニジア人の抗議行動を「暴動」と呼び、「不穏で危険」といった印象を与えています。
海外のネットメディア(アフリカやフランス)が、「民衆の力による独裁政権の崩壊」と一般的には肯定的に伝えているのとは対照的です。

チュニジアで抗議行動に立ち上がったのは、特に若者でした。
大学を出ても職がなく、汚職にまみれた政府を信用できず、自分の国に明るい未来を見出せない若者たち。
どうも対岸の火事とは思えないのです…。


[PR]
by k_nikoniko | 2011-01-17 23:13 | 国際ニュース

12月にチュニジアで起ったこと

チュニジアの民衆が、独裁政権を転覆させた。
日本では(少なくとも私には)、今年に入り、突然飛び込んできたニュースだった。
12月にチュニジアで何が起こっていたのか、日本ではほとんど報道されていない。

12月17日、チュニジア南部のシディブジッド(Sidi Bouzid)で、失業と政治腐敗に抗議して、26歳の青年が焼身自殺を図った。
果物や野菜などの路上販売をしていたモハメド・ブアジジ(Mohamed Bouazizi)は、警察に商売道具を没収される。それが引き金になった。
その青年は大学卒の高学歴だったが、就職ができず、失業中だったという。

この事件に端を発し、若者を中心に、ベンアリ大統領の独裁政権への不満が爆発。
抗議行動は瞬く間にチュニジア全域に広がった。

チュニジアで何が起こっているか。
インターネットのおかげで、それがリアルタイムでわかる。

現地から情報を発信しているブログのひとつA Tunisian Girlの投稿(英語、フランス語、ドイツ語、アラビア語で書かれている)から、現在にいたるまでの動きを抜粋してみた。

12月17日(金) 焼身自殺を図った青年が死亡
12月19日(日) シディブジッドで抗議デモ
12月22日(水) 別の若者が自殺
12月24日(金) シディブジッドで抗議デモ、その最中に数学教師が警察の拳銃に撃たれて死亡
12月25日(土) 抗議デモ
12月27日(日) 抗議デモ
12月28日(月) 弁護士が抗議
12月31日(金) 弁護士が抗議
1月3日(月) 抗議デモ
1月6日(木) 弁護士がストライキ、ブロガーのひとりが逮捕される
1月9日(日) 抗議デモつづく
1月13日(木) 夜間戒厳令

A Tunisian Girlのブロガーはフェイスブックでも情報を発信している。
一時はフェイスブックがハッカーに侵入され、使用できなかったというが再開した。

このブログ以外にも、多くのサイト、フェイスブック、ツイッターが情報発信し、チュニジアの現状を伝えている。

アルジャジーラ・イングリッシュは、1月15日、「チュニジアの政権を交代させたのはソーシャルメディアの力か?」といった内容のニュースを流した。
番組は、allafrica.comのサイトで見ることができる。
解説にはこう書いてある。
「ツイッター、フェイスブック、ウィキリークスがベンアリ政権の崩壊にひと役買い、ここ数週間のチュニジアの抗議行動情報を素早く広めた」とアルジャジーラはレポートした。しかし、同局は、これを「ウィキリークス革命」と呼ぶにふさわしいか?と問うている。


[PR]
by k_nikoniko | 2011-01-17 20:53 | 国際ニュース