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カテゴリ:掲載記事(1991~1999)( 26 )

1991年ワーキングウーマンのセクハラ談義

1991年に雑誌で20代ワーキングウーマンの座談会をした記事の抜粋です。

M そんなにイヤな上司はいない、うちの会社は
R それは恵まれてるよね。私の友達なんてもっと悲惨。去年の暮れにみんなで飲みに行くことになったんだって。彼女、ちょっと具合悪かったんだけど、行ったの
A 会社のつきあいね
R うん。それで、だんだん場が盛り上がってきたんだけど、上司が彼女に当たるんだって。もともと彼女もその上司があまり好きじゃなかったんだけどね
M どんな風に?
R 八つ当たりみたい。そのいじめ方っていうのが「だかrおまえはその歳になっても嫁にいけないんだ」とかさ
A ありがちだね
M ほっといてよって感じだよね
A ホント
M やだよね、早く結婚しろ、とか言うのって
A そうそう
M こっちは結婚できなくてしないんだなくて、いま結婚したくなくてしないのに。よけいなお世話って思っちゃう
R なんかカリカリしてるんだって、彼女に対しては。お酒をつぐのがおくれたりすると、それだけで「まったく気がきかねェ」って言われちゃったり
A なにそれ!
R それで、もっとすごいのが、鍋をやったんだってそのときに。女は彼女しかいなかったんで、よそったりしようと思うんだけど、たまたまオタマの位置が遠いときってあるじゃない? それで、また気がきかないってことになっちゃうわけよ
A やろうと思っているのにってとき、あるわよね
R それで、彼女が上司のためによそったのね。そしたら、そのオヤジが春菊が嫌いだったの。だけど、わかんないじゃん、人の好みなんか。それで、入っちゃったのよ、春菊が。それで、また怒られるわけよ、春菊が入ってるっていって
M エ~、信じられない。
A 他の人たちは何してるわけ?
R 周りの人たちがまたひどいの。彼女が上司に「嫁にいけない」とかインネンつけられて泣きそうになっていたのに、「がまんして、がまんして」って、ひたすらがまんするように言うんだって。その上司のほうが悪いって、みんなもわかっているくせに、止めないのよ
M 誰もかばってくれないの?
A うったえていいよォ
R みんなイヤみたいなんだよね、波風たてるのが

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by k_nikoniko | 2017-01-31 09:57 | 掲載記事(1991~1999)

チャールズ・ディケンズのクリスマス・カロル

名作の世界 クリスマス・カロル チャールズ・ディケンズ

「とにかくクリスマスはめでたいと思うんですよ。親切な気持ちになって人を赦してやり、情けぶかくなる楽しい季節ですよ」(新潮文庫・花岡花子訳)
 クリスマス・イブの夜、ケチで冷酷なスクルージに、甥フレッドはそう言い残し、クリスマス・パーティーの開かれる自宅へと帰っていった。英国の文豪ディケンズが『クリスマス・カロル』を書いた19世紀ヴィクトリア時代のクリスマス。その習慣の多くは、20世紀の英国のクリスマスにも受け継がれている。英国人にクリスマスの予定を聞けば、ほとんどの人が「家族とパーティー」と答えるように、クリスマスは家族と過ごす年に一度の最大の祭りなのである。
 現在のクリスマスの基礎を作り上げたといわれるディケンズ。12月のロンドンはグレーの空が低くたれこめ、夜が駆け足でやってくる。19世紀のロンドンでディケンズはどのように暮らしていたのだろう。
 英国は18世紀の産業革命により人々の生活が大きく変化していた。地方の労働者が集中し、急激な発展を遂げていたロンドンは、まさにエキサイティングな町だった。だがその反面、階級制度による貧富の差や失業などの社会問題が表面化しはじめた時代でもあった。
 ディケンズが家族とともにロンドンにやってきたのは10歳のとき。しかし、事業の失敗で父親は刑務所へ送られ、靴墨クリーム工場で働くはめになってしまう。幼いディケンズが見たものは、貧しく不公平に満ちたロンドンであった。刑期を終えた父の援助で学校を卒業したディケンズは、15歳で弁護士事務所で働きはじめるが、仕事に対する興味を失い退職。その後、18歳で新聞記者となり、文才を認められ作家へと転身することになる。1836年、24歳のときにエッセイ『ボブのスケッチ』、翌年には『ピクウィック・ペッパーズ』を発行。独特なキャラクター設定と鋭い観察眼で、たちまち人気の作家として成功を遂げた。
 ディケンズのさまざまな足跡が残るロンドン。1837年~39年の2年間、ディケンズ一家が暮らした家ダウティ通り48番地は、現在ディケンズ・ハウス博物館として一般公開されている。友人らを招いてパーティーを開いた居間、小説を書くための小さな書斎、ピアノの置かれた客間、そしてクリスマスの料理作りに活躍したであろう台所。この家で書き上げた『ピクウィック・ペッパーズ』『オリバー・ツイスト』『ニコラス・ニックベリー』が、ディケンズを成功へと導いたのは言うまでもない。
 ディケンズは1843年~48年の5年間に『クリスマス・カロル』をはじめ5つのクリスマスの物語を書いている。クリスマスのごちそう、家族舞踏会、ゲーム……。貧しくても愛情に満ちた、心温まるクリスマス。人々は、クリスマスという神聖な日を利用して、古き良き時代を回顧し、近代化によって失われつつある人間同士の絆を取り戻そうとしていたともいえる。クリスマス・ツリー、クリスマス・カード、プレゼント交換、クリスマス料理など、“伝統的な英国のクリスマス”が確立したのは、まさにディケンズの生きたヴィクトリア時代であった。
 ヨーロッパでは、キリスト誕生以前から、行く年を惜しみ、来る年を祝い、真冬に祭りが行われてきた。それは食べて飲んで、厳しい寒さのなかでの生活をお互い励ましあうというものだった。実はキリスト誕生の日は定かではなく、初期のキリスト教者の間では誕生を祝うという習慣はなかったのである。12月25日をキリスト誕生の祝日クリスマスと設定したのは、ローマ・カトリック司教ジュリアス一世。しかし、教会がこの日をキリスト誕生の厳粛な日に仕立てようとしたにもかかわらず、一般には飲んで騒ぐ、古来の行事が行われていた。
 1213年、英国で最初に盛大なクリスマス晩餐会を開いたのはジョン王で、ヘンリー二世、リチャード二世が豪勢な宴会を開催した記録が残っている。14世紀になるとクリスマスの宴会を仕切る担当者の選出が行われた。クリスマスは、日ごろの身分階級をひっくり返すという重要な意味も含んでいたため、この宴会担当者には、身分の低い人や道化師などが選ばれたという。華やかなクリスマスも、15世紀にはチューダー“冬の時代”に入る。新教徒の勢力拡大により、ローマ・カトリックの儀式が弾圧され、伝統的なクリスマスの行事はすべて禁止されてしまったのだ。クリスマスの復活は19世紀まで待たなければならない。
 クリスマスをよみがえらせた自分として、ディケンズは英国史に重要な役割を果たした。もちろん、クリスマスの普及には産業革命による交通・メディアの発達などの要因もあるが、メンタルな部分でのディケンズの影響はかなり大きい。なかでも『クリスマス・カロル』はヴィクトリア・クリスマスの手本ともいわれている。
 鵞鳥のローストとプディングは、スクルージの書記ボブ一家のクリスマス・ディナー。貧しい生活をやりくりし、人々はこの日のためにクリスマス・ディナーを用意したのである。現在のメニューは当時とほとんど変わらない。詰め物をした鵞鳥、もしくはより高価な七面鳥。英国のおふくろの味ともいえるこげ茶色の重量感のあるプラム・プディングは1ヶ月ほど前に準備しておいたもの。そして、ドライフルーツがたっぷり入ったパイ、ミンスミート。
 クリスマス・ツリーを飾る習慣も、この時代にドイツから紹介された。1840年、ヴィクトリア女王とアルバート王子が初めてウィンザー城にツリーを飾ったといわれる。また、クリスマス・カードは、1846年にヴィクトリア&アルバート博物館の初代館長によって考案され、郵便制度の施行により庶民に普及していった。このように19世紀後半までに、現在のクリスマスの習慣が確立されていったのだ。
 英国では10月に入るとクリスマスの準備が始まる。クリスマス・カードやギフト商品が店頭をにぎわせ、パーティーに関する記事が新聞や雑誌にあふれ、ロンドンのストリートはそれぞれ競い合ってクリスマスのデコレーションを始める。なかでも、メインのショッピング通りであるリージェント・ストリートは美しいイルミネーションで有名。今年はディズニーの協力でより彩り鮮やかだ。
 金の亡者スクルージは、優しくほのぼのしたクリスマスと自分の将来の悲惨な姿をみて、心を入れ替えた。『クリスマス・カロル』で取り上げられた社会問題と将来への危惧は、そのまま現在に通じるものがある。英国だけでなく、世界各国で深刻な諸問題を抱えている20世紀。“家族”の価値さえも失われつつあるのは非常に嘆かわしいことである。
「クリスマスの家族パーティー! この世に存在する最高の喜び」(『ボズのスケッチ』)
 それは木枯らしの音だったのか、それとも街角で叫ぶディケンズの声だったのか……。ロンドンに今年もまたクリスマスがやってくる。

『VISA』 1993年12月号
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by k_nikoniko | 2015-07-27 07:52 | 掲載記事(1991~1999)

スウィンギングロンドン(VoCE 1998)

ロンドンがバブルで活気づきはじめたころの書いたものです。
1ページ目を紛失してしまったので、2ページ目から。

②FoodとFashionのレベルは比例する!?
”ロンドン=不味い”の定式が崩れた。'90年代初めのロンドンのレストランは、雰囲気、質、サービスと三拍子そろって最悪だった。しかし、ここ数年の景気のよさを反映し、続々と新しいレストランが誕生している。フランスほど料理にプライドがないため、味にも冒険的な新感覚のレストランは、20~30代のロンドン・ヤッピーたちでにぎわっている。それにともなってモード度も上昇。モデルのトリシア曰く、「外食の日はワンピース。着飾って行くレストランが増えてうれしいわ」
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③アフタヌーンティーの習慣、すでにない!?
お茶をする喫茶店らしきものがなかったロンドンに、大陸からカフェが上陸。パリ風カフェのチェーン店をはじめ、ものすごい勢いで増加している。「土曜日はカフェでランチするのが最近の日課」とデザイナーのイヤ・イヤラさんも語るように、カフェのテラスで過ごす楽しみが、やっと定着したようだ。かなり前から、本格的なアフタヌーンティーは一部の階級だけの習慣となっていたが、”紅茶好きのイギリス人”はもやは過去のものになりつつある。コーヒーの味も向上、エスプレッソやカフェオレの人気は伝統的ミルクティより優勢。


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by k_nikoniko | 2015-06-24 08:29 | 掲載記事(1991~1999)

次なるパリを着る!(VoCE 1999)

フランス人は服10着…というのはややオーバーな気もしますが、着回し上手なのは確か。
昔書いた記事です。

Paris Confidential 次なるパリを着る!
お嬢さんBCBGは完全に過去のものになって
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ファッションに全力投球! モードの都のエリート
ブランシェ(流行最先端)
常に流行の最先端を突っ走るファッション・ヴィクテム。ファッション業界に精通しているため、最新の情報はすぐ手に入る。ただし、ミーハーに飛びつくのはダサいとみなし、あくまでもクールに、カッコよく流行を取り入れるのが通。A.F.ヴァンデルヴォルスト、ヴェロニク・ブランスキーノ、マーク・ジェイコブス、ヨージ・ヤマモト……。セレクトショップで、これらの期待の新進デザイナーを目ざとく発見するのが最大の喜び。目標は、次なるデザイナーをいち早くキャッチすること。マレ、バスティーユ、オベルカンフあたりでは、良く知り合いに出会う。コレットの地下で待ち合わせをし、回転寿司ロー・スシで打ち合わせてがてら食事をすることも。普段の生活では、日本から輸入のZENがテーマとなっている。風水に凝り、健康のために植木の位置を変えたりして過ごす。注目されることに疲れ、睡眠前にハーブティーでストレス解消。


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by k_nikoniko | 2015-06-19 10:40 | 掲載記事(1991~1999)

Zen(禅)パリを飛びかう流行語!?

パリを飛びかう流行語!? 禅Zenブームの謎に迫る

バスタイムは日本の名湯の入浴剤入りお風呂でくつろぎ、お線香をたいた部屋で、Futonを敷いた畳ベッドでぐっすり。ジャポニズムを超越したZen生活が、パリジェンヌに人気の今日このごろ。
さて、このZenという言葉、日本人が考える”禅”からひとり歩きし、ファッションからインテリア、食べ物までさまざまな使い方をするのがフランス風だ。禅思想そのものはさておき、日本的、東洋的、精神的な雰囲気がポイントになっている。なにかと煩悩の多い世紀末の”禅”の「静寂な心」「清浄感」が今の気分にマッチしたらしい。
彼女たちにかかると、資生堂のコスメ、うどんやそば、盆栽や指圧マッサージも”Zen”でステキ、ということになる。ファッションだったらミニマリズムを意識したものがZenでお洒落、らしい。
C'est Zen!(ゼンって感じでステキね)なんてホメ言葉さえ使われているのだ。Zen=カッコイイというわけで、ポジティブな流行語となりつつある。問「Zenとは何か?」答「……」。座禅を組んで修業したって、このZenを悟ることはできないかも!?

写真キャプション(上から)
・雨の雫に似たデザインが”禅”ちっくなオーデコロン
・日本的な「なごみ」の香りでフランスで発売以来爆発的な人気のフレグランスとボディローション
・石の形のZen石けん
・お香のように使うお線香は日本製が手に入る
・昨年秋にオープンした日仏会館屋上の本格的な茶室。ここで開催されるお茶会はフランス人に人気のイベントになっている。
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『VoCE』1998年11月号

フランスでZen(禅)がブーム(『フランス式美人道A to Z』)
フランス式美人道A to Z


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by k_nikoniko | 2015-06-13 08:21 | 掲載記事(1991~1999)

5月のバラが咲く香水の街グラース(FRaU)

世界の香りと「鼻(nez)」を16世紀から育んできた南仏・グラース

青くカラリと晴れ上がった空、明るくふりそそぐ太陽。南仏コート・ダジュールのニースから40キロほどのところにあるグラースは香料となるもう一つのバラ、ローザ・センチフォリア「ローズ・ド・メ」の産地だ。
豊かな水、温暖な気候、水はけのいい地質と、花の栽培に必要な条件がすべてそろう街グラース。早春のスミレ、ミモザ、オレンジの花、初夏から秋にかけては、ジャスミンやラベンダーと、一年中やさしい花の香りで満ち溢れている。なかでも、5月のバラ「ローズ・ド・メ」は、この街で最も愛されている花。花が咲くのは5月初旬から約1か月。開花期間が短いため、昔から高価なバラとして珍重されてきた。
丘の斜面のバラ畑にたたずむと、甘いソフトな香りが鼻をくすぐる。プロヴァンスの娘のように、あどけない淡いピンクの小さな花ローズ・ド・メが、一人前の洗練された香水へと成長するのだ。
朝摘まれたローズ・ド・メを追って、グラースにある香料会社へ。これらの工場では、近郊の花はもちろん、世界各地から香料植物が集められ、香りのエッセンスに加工される。
ロベルテ社に足を踏み入れると、花の匂いとともに、人工的な香りともいえぬ奇妙な匂いが機械の合間を漂っている。香りの完成品とはほど遠い匂いだ。ここに運ばれたローズ・ド・メは、溶剤抽出法でアブソリュートオイルに加工される。香りのオイルをアルコールを主成分とする薬にとかし、そこから不純物を除去し、純粋なオイルを採取。複雑な製造過程を経て生まれた高級品のオイルは、華々しいデビューを待つことになる。

半世紀の歴史を持つ優雅な香りの伝統

標高350メートルのなだらかな丘の中腹にあるグラースには、南仏特有の薄い桃色の壁を持つ家が並び、イチジクやオリーブの木のグリーンと美しい調和をなしている。古い石畳の坂道が迷路のようにめぐり、中世の面影を残す街は、500年以上もの間、香り産業の中心地として注目されてきた。
斜面を利用して牧畜を行っていたグラースは、12世紀頃から革工業が発達していた。ここに、イタリア、スペインから香りつき革手袋の製造法が伝わったのは16世紀のこと。香りをたっぷりつけたグラース産のキッド革手袋は、貴族の間で大流行となった。
17世紀に入り、香りに敏感なルイ14世が香料産業を積極的に育成し、グラースが脚光を浴びることになる。その後、フランス革命で革製品の製造が下り坂になるが、反対に香水の生産が増えたこともあり、この地方の人々は、ますます香料産業に力を注いでいった。
1850年には、国から香料用花の独占栽培権を与えられ、香料や香水の開発に携わる会社、科学者や技術者、調香師が集中する「香水の街」として世界中に名を知られるようになっていった。
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by k_nikoniko | 2015-06-10 08:40 | 掲載記事(1991~1999)

ウィスキー蒸留所を巡るスコットランドの旅

『マッサン』の舞台が、今週から余市に移った。
北海道はスコットランドに似ているそう。かもね。

もう20年以上前になるけれど、スコットランドの北部スペイサイドのスコッチ・ウイスキー蒸留所を取材したことがある。
スペイサイドは、「ウイスキーの聖地」。何軒もウィスキー蒸留所が存在している。
ウィスキー作りに情熱を注ぐ人々のお話は面白かったし、ウィスキー作りに欠かせない自然が大変美しかった。
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この取材中、とんだハプニング。
スタッフは、コーディネーター兼運転手のOさん、カメラマン、そして私の3人。
気持ちよくドライブしながら仕事をしていたのだが、裏道のようなところで、タイヤが側溝に落輪してしまった。
携帯電話のない時代。周辺に人家はなく。
Oさんは、かなり離れたところにあったガソリンスタンドへ助けを求めに歩いていった。
そこへ1台の車が近づいてきた。
スコットランド人の若者2人。
「どうしたの?」と声をかけてきたので、「タイヤが…」と事情を説明。助けてくれるのかと思ったら、「そうかぁ~」とそのまま走り去った。
「それだけ~?」とがっかり。世の中そんなに甘くない。
ところが、10分ほどして、今度は軽トラックがやって来た。
乗っていたのは、先ほどの若者。加えて、数人の頑丈そうな男性たち。
彼らはトラックから降りて、私たちの車を持ち上げはじめた。素手で!
スコットランドの国民的スポーツといえば、ラグビー。
というのがわかるような、さすがのチームワークと剛力で、車はみごと溝から引き上げられた。
最初に来た若者が、仲間を集めて、助けにきてくれたのだ。
大感激!
「ありがとう」と叫んだら、「We are Scotiich!」とガッツポーズをし、笑って帰って行った。

スコットランドもスコットランド人も、私は好きである。
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スコッチウイスキーロードを行く
スコットランドのウイスキー造りの名人たち
スコットランドで「スランジーバ(乾杯)・パブ!」




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by k_nikoniko | 2015-01-06 10:38 | 掲載記事(1991~1999)

スコッチウイスキーロードを行く(スコットランド)

 スコットランド。雄大な自然に囲まれたこの地は、長い歴史を通してさまざまなものを生み出してきた。

 世界中で愛飲されているウイスキーも、豊かな大地とここに暮らす素朴で温かい人々が生み出した究極の一品である。数百年もの間、伝統の味を受け継いできたスコッチ・ウイスキー。その魅力を探る鍵は、豊かな自然とスコットランド人気質にあるといえよう。

 スコッチ・ウイスキーには、モルト・ウイスキーと、主にブレンド用に使用されるグレーン・ウイスキーの2種類がある。地理的条件に左右されにくいグレーン・ウイスキーと違い、モルト・ウイスキーの風味は、風土、蒸留所によりそれぞれ異なる。そして、ひとつの蒸留所が、発芽した大麦を使って、スコットランド内で造ったモルト・ウイスキーだけが、シングル・モルト・スコッチの名を冠せられる。

 スコットランドには、100か所以上の蒸留所がある。ワイン同様、モルト・ウイスキーも産地によって特徴があり、スコットランドでは、南部のローランド、北部のハイランド、西部の島アイレイ、そしてスペイ川流域のスペイサイドと大きく4つに分けられる。なかでも、「この土地を語らずしてスコッチ・ウイスキーは知りえない」といわれるのが、50か所ほどの蒸留所が存在するスペイサイドだ。

 ロンドンから飛行機で北へ約1時間半。ネス湖で知られるインバネスからさらに東へ1時間ほど車を走らせたところに、清らかなスペイ川が流れるウイスキーの聖地「スペイサイド地方」がある。ここには、ウイスキー造りに欠かせないすべての条件が備わっている。

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by k_nikoniko | 2014-01-14 08:05 | 掲載記事(1991~1999)

スコットランドで「スランジーバ(乾杯)・パブ!」

 英国人ほどパブ好きの国民はいまい。ロンドンだけでも実に8000軒以上のパブがある。彼らにとってパブは、酒を飲む場であり、また社交場である。仕事帰り、夕飯の後、彼らはグラスを片手にいつ尽きるともしれない談笑に興じる。
 パブの総称は「パブリック・ハウス」。その起源については定かではないが、すでに12世紀にはパブらしきものが存在すていたようだ。その昔は、宿泊施設をもつイン、食事を提供するタヴァン、おもに酒を供するエールハウスと宿泊兼レストラン兼酒場があった。やがてインはホテルに、タヴァンはレストランに、エールハウスはパブの前身になる。
 18世紀に入るとパブは町の寄り合い所的機能をもちはじめ、やがて集会や会議などにも利用されるようになった。そこから上流階級だけの部屋「クラブ」が生まれ、一般人を対象としたスペースが、パブとして残ったといわれている。そして19世紀前後、アルコール好きのウィリアム4世時代、ロンドンを中心にパブは急増を遂げる。現在でも、当時開業したパブが全国に数多く残っている。
 イギリスのパブはスタンディング・スタイルである。なかは薄暗く、しかも煙草の煙が充満し、ちょっとヨソ者には近寄りがたい雰囲気がある。だが、数回通い常連客(レギュラー)とみなされれば、これほど居心地の良い空間はないことに気づくだろう。
 正直言って、ロンドン周辺のパブはどこかヨソヨソしい。特に女性同士や旅行者が入るにはちょっとした勇気が必要である。それに比べスコットランドのパブは気さくこのうえない。ドアを開けて一歩そこに足を踏み入れれば、こちらが恐縮してしまうほどの歓迎を受ける。
 スペイサイドにあるダフタウンは、時計塔のある小さな町。そこに100年ほど前から開業しているコマーシャル・ホテルに併設された、かつての宿屋(イン)を彷彿させる雰囲気のパブがあった。カウンターのまわりにはいくつかの椅子が置かれているだけで、あとは何もない。夜の8時に行っても客すらいない。10時半を過ぎなければ人が集まらないという。
 このパブに集う男たちは、ほとんどがウイスキーの製造に携わっている。たとえ違う蒸留所で働いていても、ここではよき仲間だ。自分たちが手がけたウイスキーをチビリチビリやりながら、とりとめのない話に時を忘れる。
 同じスペイサイドにあるロイヤル・オーク・インは、地元の男たちばかりでなく、女性のグループや旅行者たちに人気のパブ。バーテンダーのイアンが客の注文に応じ、忙しく立ち回る。口のほうも客との談笑で止まることをしらない。旅行者も例外ではない。地元の人々にとって旅行者はダフタウンという家に招かれた大切なゲストなのだ。だから一度でもともに酒を酌み交わせば、旧知の仲になってしまう。
 地元の女性もまた威勢がいい。夫と一緒に、または女性同士でパブに出かけては、ウイスキーやビール片手に世間話に花を咲かせる。ハシゴなども当たり前。
「これからコマーシャル・インに行くのよ」とグラスに残ったウイスキーを一気に飲み干し、勢いよく出ていく女傑もいた。
 ちなみにロイヤル・オーク・インのスコッチはシングル1杯が95ペンス(約150円)。人気の銘柄はフェイマス・グラウス。
 蒸留所の仕事は朝が早い。“生命の水”を堪能した男たちが、ほろ酔い加減で「お先に」の言葉を残してパブを後にする。
 スランジー・バ(乾杯)・パブ!

『VISA』 1994年9月

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by k_nikoniko | 2014-01-09 08:56 | 掲載記事(1991~1999)

ルー・ドワイヨンがメイクを語る

フランスの女優・歌手のルー・ドワイヨンさんのインタビュー記事(2001年)です。

 ルーは、人を変貌させ、魅了させるメイクの魔力に夢中だという。
「メイクだけでどんな人間にでも変身できるの。変わるチャンスと可能性を与えてくれるのがメイクなんです。たとえば、チークをどこにつけるかで、まったく違う印象になるでしょう? 楽しかったり、退屈だったり、ドラマティックだったり、とても滑稽だったり、セクシーだったり、ボーイッシュだったり…。メイクは、変化する自分を楽しむ手段。私にとってメイクは、“遊び”のようなものですね」
 ルーは、メイクすることで、女性としての意識を高めていくとも言う。「メイクは、女性に与えられた特権。女に生まれた喜びを感じますね。私がメイクをする理由? それは幸せな気分になるから。メイクには、精神的な効果も高いんです。女性のメイクを見ると、そこからいろいろなことが読み取れますよね。その人が、今どんな気分でいるとか…。メイクをすることで、うれしくなることがあるでしょう?」
 仕事以外でも、ルーはメイクが大好きだという。他人を不快にさせないためにも、毎日メイクを欠かさないそうだ。「メイクは、自分だけでなく、周りの人を心地よくさせえるもの。人に迷惑をかけないというのが私のモットーなので、きちんとお化粧をした人に会うときは、私もしっかりメイクをします」
 7歳のとき、母親であるジェーン・バーキンの口紅をつけて遊んだときから、ルーの好奇心は止まらなくなったようだ。「真っ赤な口紅で唇を大きく描いたの。とても面白かったわ。ママのルージュでいたずらするのは、女の子の本能ではないかしら」 今では親子でメイクの情報交換を楽しんでいるそうだ。「どんな化粧をしているのか、試してみたり、化粧品を借りたり貸したり。ママとはよくメイクの話題で盛り上がりますね。お化粧は、女性の永遠のテーマで、母から娘へ伝わっていくものだと思います」

『FRaU』(講談社) 2001年10月
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by k_nikoniko | 2013-12-29 19:15 | 掲載記事(1991~1999)