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原発震災離婚(週刊金曜日)

『週刊金曜日』(2011年10月21日)に書いた記事です。

原発事故が引き裂いた男女の絆

当山 原発事故が起きた時、最初は夫も一緒に避難してきました。でも、事故があまりにもダラダラと続くし、政府は「大丈夫だ、大丈夫だ」としか言わないし。そうしたら、夫が「一旦帰る。福島には仕事あるから」って言い出したんです。避難生活では180万円があっという間に消えてしまいましたから。それでみんなで帰ろう、って決めたんです。でも、ちょうどその時に2回目の大地震が起きて……。それで私は、やっぱりまだ様子を見たいと思い、子どもと残りました。それからは福島との二重生活。夫は「オレが福島で働いて、仕送りするから」って。

藍田 私は、地震後すぐに娘と一緒に東京へ避難しました。夫とは電話も通じなかったし、仕事の邪魔もできないと思ったから、告げずに避難したんです。東京にいる1カ月間、夫は一度も来てくれなかったし、「そこ(東京)から危ないと言われても困る」って、話しを全然聞いてくれなかった。でも、私も仕事を中途半端にしたままにしてきたこともあって福島に帰りたくなったんです。それで、4月の終わりに「避難生活やめる」と言ったら、夫は結局それを待っていたみたいですごくうれしそうでした。
当山 やっぱり、別居生活が2カ月、3カ月と続くと精神的に追い詰められていくんですよね。これまで家族で暮らしていた家にポツンと一人。仕事して家に帰っても料理作って待っててくれる人もいないし、子どもの賑やかな声もない。友だちはみんな福島で普通に生活し始めたので、「どうしてうちだけこんな生活しなきゃいけないの。寂しいよ」と夫からは言われました。
藍田 私も一度は福島に戻ったんです。でも、五月下旬に娘が鼻血を出して、それで心配になって、夫に「鼻血出したんだよ、おかしいよ」と言ったら、「医者に行けばいいだろ」って真剣に聞いてくれなかった。外に出たら被ばくしちゃうのにって、涙がボロボロ出てきて……。それで、翌日、また娘と一緒に逃げてきました。夫には、ひじきの煮物作って置いてきたまま……。
立花遥香 私は、被ばくが心配だったから、夫に「仕事やめて」と言いました。「(福島では)子どもも絶対に産まない。耐えられない。安心して子どもを育てられるところに移ったほうがいいんじゃない」って。
立花光男 妻と私は、お互い二男・二女で、アパート暮らしだったから、身軽だったというのはあります。ただ、できれば避難はしたくなかった。地元に愛着や想い出がたくさんありますから。でも、福島でいろいろと気にしながら生活するよりは、違う土地で健康な生活を送れればいいのかな、と。
当山 放射能って見えないからわからないんですよね。夫からは「自分が生まれ育った町が汚れているとは思えない。俺は残りたい」と言われました。でも、客観的に福島を見ると、私にはもう無理なんです。生活していい場所だとは全然思えない。福島のアパートの部屋は、空気清浄機をつけてやっと0.2マイクロシーベルトまで下がるんですよ。夫には「健康が保証されないところに子どもを連れて帰れない」という話をして「仕事も見つけておいたから、こっちへおいでよ。私も働くから」って言ったんですが、彼の踏ん切りがつかなかった。それで夫から「もう耐えられない」と離婚を切り出してきました。

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by k_nikoniko | 2015-06-25 07:46 | 掲載記事(2011~)

イタリア国民投票後の脱原発の課題(週刊金曜日)

フクシマの事故が脱原発へ イタリア国民投票後の課題

フィレンツェ大学物理学部のアンジェロ・バラッカ教授は、一九七〇年末から一貫して反原発運動をつづけている。
「国民選挙(二〇一一年六月)で廃炉が決まったのは、フクシマの影響が大きい。次は私たちが、日本に協力する番です。国際的な連帯を強め、世界の脱原発を実現しなくてはなりません」
あまり知られていないが、イタリアは、一九六四~六五年に三基の原子炉が稼動させており、アメリカ、イギリスに次いで世界三番目の原発先進国だった。その後、原発建設は一時停滞し、第一次石油ショックで計画が再開する。
この頃から、イタリアでは科学者や一般市民の原子力への不信感が高まっていった。バラッカ教授もまた、イタリアの脈略のない原発政策に疑問を抱き、原子力に関する研究に傾倒していく。
一九七七年、イタリア政府は、原子炉二〇基を建設する大プロジェクトを提案。この計画に、大規模な反対運動を巻き起こり、国内各地で抗議デモが繰り広げられた。
「イタリアの原発政策はつねにビジネス優先で、国民の利益は二の次」 バラッカ教授もこれを機に、反原発運動に深く関りはじめた。
チェルノブイリ事故の翌年(一九八七年)の国民投票でイタリアは「全原発の停止」の決断を下す。それ以降、原子力問題が取りざたされない時代がしばらくつづいたが、二〇〇八年、ベルルスコーニ政権が原発再稼動に動き出した。
バラッカ教授は、「原発問題に鈍感になり、反原発運動が存在しない」イタリアの状況を危惧し、『L’Italia Torna al Nucleare?』(イタリアは原子力に戻るのか?)を出版するなど、活動を開始。二〇一〇年に原発再稼働の是非を問う国民投票の実施が決定してからは、公開討論や講演会などを活発に繰り広げた。
政府はマスコミを利用し、国民投票阻止のプロパガンダを展開していた。そんな中での「草の根」の運動だった。
街頭活動などもないわけではなかったが、全国規模での抗議デモにはいたらず、焦りも感じたという。七〇~八〇年代の反原発運動の勢いを目にしているバラッカ教授によれば、今回のイタリア人の態度は、実に冷めたものだったそうだ。
「フクシマの事故がなければ……」とバラッカ教授は漏らす。
実際、福島第一原発の事故が決定打となった。三月十一日以降、世論が脱原発へと大きく傾いた。ただ、バラッカ教授は、「すさまじい事故を見て、拒絶反応を示しただけ」と分析する。現に、イタリアでは、国民投票で決着がついたかのごとく、原発への関心が急速に薄れている。経済危機をはじめ、国内には優先されるべき問題が山積みだからだ。
「国内での原発建設は違法ですが、イタリアは間接的に原発稼動に関与しています。イタリアの電力会社ENELは、スロバキア、スペイン、ブルガリアの原発運営企業の株主です。国営であれば国民投票に従う義務がありますが、民間企業には何も言えません」
イタリアでもまだ闘いは終わっていない。国を超えた脱原発に向けて、何をすべきか。
「政策を変えていく挑戦はできます。そのひとつが、再生可能エネルギーに有利な法律の整備です。やるしかないですね。まだまだがんばっています」

Angelo Baracca
ミラノ大学物理学部卒業後、フィレンツェ大学で博士号を取得。1968年よりフィレンツェ大学で統計力学や高エネルギー物理学などを教える。2009年の退職後も同大学で教鞭をとりつづけるかたわら、執筆や講演会、キューバの大学との協働研究など、国内外で活躍中。

『週刊金曜日』(2012年1月13日)「『金曜日』に逢いましょう」に掲載


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by k_nikoniko | 2015-06-23 13:59 | 掲載記事(2011~)

産科・小児科の過酷労働の解決策は?(月刊自治研)

閉鎖や医師不足に悩む
産科・小児科から見た地域医療

過酷労働による負のスパイラルを断ち切る解決策とは?

周産期医療と小児救急の現場から

産科・小児科の閉鎖や医師不足がいわれて久しい。しかし、実のところ、産科・小児科を希望する医学生や研修医が減っているわけではない。それどころか、女性が医学生の半分を占める昨今、この分野に興味を持つ研修医は相当数いるという。
にもかかわらず、状況が改善しないのには、過酷な勤務体制が影響している。厚生労働省は、診察報酬の改定や産科医療補償制度などの施策を打ち出したが、産科医・小児科医の減少に歯止めはかかっていない。
産科・小児科が直面している課題とは何か? 今回、名古屋市立西部医療センターを訪ね、三〇年以上にわたり小児科として、特に周産期の新生児を担当している鈴木悟副院長にお話をうかがった。
名古屋市立西部医療センターは、市立の城北病院と城西病院が統廃合し、三年前にオープンした。病床数は五〇〇床で、名古屋市北部と西部、隣接する清須市、北名古屋市、春日井市をカバーする。地域の開業医と連携を図り、病診連帯システムを構築。患者がアクセスしやすい医療機関を目指し、医師を集めた勉強会や、市民向けの公開講座も開催している。
ここは愛知県の地域周産期母子医療センターに指定されており、小児医療センター、周産期医療センターを中心に救急や高度専門医療を行う。
名古屋市には一〇〇〇床以上の病院があるなか、当医療センターは産科の年間出産数一四〇〇を誇る。産科病棟は四五床で、看護師は全員助産師の資格所有者。一〇人程度の産科医では手が回らないため、ローリスクのお産は助産師だけで対応し、二四時間いつでも出産できる体制を整える。WHO・ユニセフの「赤ちゃんにやさしい病院」の認定も受けている。
「妊娠、分娩、新生児の成長と、周産期は母子が劇的な変化をする時期であり、生命の誕生にたずさわる仕事という意味で、産科・小児科は医学生や研修医に人気があります。でも、実際に産科・小児科になかなか入ってきませんね」 鈴木副院長はそう切り出した。
現在の臨床研修システムでは、大学医学部を卒業後、二年間の初期研修で、内科、外科、小児科、産科などを回る。産科や小児科を希望していた研修医は、厳しい現場を目の当たりにし、二の足を踏むのだという。そして、三年目のシニアで自分の専攻を決めるときに、別の科を選んでしまうのだ。

当直が多くてオンオフの区別がない仕事

鈴木副院長も「他の科に比べるときつい労働」と認める産科・小児科の勤務。その実態はどうなっているのか?
当医療センターの小児科医はたとえば、次のような日課をこなしている。朝八時半ごろまでに出勤し、入院患者のチェックや採血を行い、九時から外来がはじまる。病棟の回診を昼ごろまでに終えたら食事休憩だが、とれない日もある。昼からは午後診で自分の専門外来をこなし、その間、午前中にでてきた検査結果をチェックするなどして、夕方までにその日やるべき業務をすべてやり終える。
このルーティーンワークに産科・小児科ならではの特殊性が加わる。そのひとつは「オンとオフがはっきりしていない」こと。
赤ちゃんはいつ生まれるかわからない。夕方定時まで仕事をし、帰宅しようとしたときに、早産で未熟児が生まれることもある。そうすると、そこからまた仕事がはじまり、夜中までかかりきりになってしまう。
産科・小児科が敬遠されるもうひとつの理由は、夜間勤務が多い点。「不思議なのですが、子どもは夜に熱を出します。昼間元気に遊んでいたのに、夕ご飯を全然食べないから熱を測ったら三九度あり、お母さんがびっくりして病院に駆け込む。そのパターンが多いのです」
小児救急の場合、内科や外科に比べて夜間の受診患者数が多い。内訳をみると、内科や外科の夜間外来の七~八割が入院するのにひきかえ、小児科の重症患者は二割に満たない。「熱を出しただけで、心配でやって来る。軽症なのですが、数だけは多いですね」
それにともない当然、当直の回数が増える。毎月の当直日数は、小児科医で五回ほど、産科医は月に七、八回。一方、内科は二、三回程度だ。
「病院の当直というのは、みなさんなかなか理解してもらえないのですが、寝ていて何かあったら起きるのではなく、むしろほとんど働きづくめで、患者さんが途切れたら仮眠できる、というのが現状なんですよ。夜間業務というか」
しかも、一回の当直料はどの科も同じ。「比較的ゆっくり寝ていられる科と、ずっと働きつづけなければならない科があっても、金額に差をつけられないのです。本来なら、労働力に見合った当直料が出てもいいのですが…」 こうした賃金体系もまた、医師の現場離れを引き起こす要因になっているという。
当直では、病棟業務と並行して、外来の救急患者を診る。さらに、一〇〇〇gの赤ちゃんが生まれる事態になると、それにつきっきりになり、朝まで休めない。


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by k_nikoniko | 2015-06-18 08:27 | 掲載記事(2011~)

伊那小学校 生きる力をはぐくむ総合学習

朝9時を少し回った伊那小学校。授業中のはずなのに、廊下には子どもたちの元気な声が響いている。
「子どもたちは大騒ぎしてますけど…」と本多俊夫校長は苦笑し、こう続けた。「ここでは『静かにしろ』など一切言いません」
伊那市立伊那小学校には、チャイムがなく、通信簿がなく、固定化された時間割もない。公立でありながら、30年以上も総合学習・総合活動に多くの時間を割いてきた小学校だ。
本多校長が昨年4月に赴任したときの第一印象は、「『はじめに子どもありき』を地で行っている学校。口だけでなく、本当に実践している」だった。では、この学校が大切にしている「内から育つ」とは、どういう授業なのだろう?
この日、3年夏組の子どもたちは、妊娠したブタ“さなちゃん”のエコー写真を見ていた。「子ブタさんがどこにいるか、赤ペンで丸をつけてみよう」と中村琢磨教諭。子どもたちは「耳みたいのがあった」「ブタさんっぽい形になってる~」と思い思いの言葉を発し、周囲の子と見せ合いながら、エコー写真に丸をつけていく。
さなちゃんは、夏組の子どもたちが1年生のときに飼育をはじめたブタだ。昨年9月に出産し、子どもたちは9頭の子ブタを育てたが、話し合いの末、今年5月に子ブタを出荷。その後、さなちゃんにもう一度子ブタを産んでもらおうということになった。文字通り、生命の誕生から、動物を育てる大変さ、自分たちが普段食べている物まで、総合的に学んでいく。出荷の前には、子どもたち同士で何度も議論を重ね、地元の養豚場の方の話を聞いた。
「子どもたち自身が問題を解決していけるように授業を進めますが、反省することもあります」と中村教諭。「自分の中で『出荷の理由』を決めつけてしまい、そこにつなげようとしたんです。でも、子どもたちが思ってもないことを学習させようとしても、生き生きとかかわってこないんですよね。最終的に子どもたちが『出荷の理由はいろいろあっていいんだよ』と言いだし、『あ、そうか』と逆に教えられました」
中村教諭は新任教師として、4年前に伊那小にやってきた。授業の組み立ては先輩の教員に相談したり、教えてもらったりする。「授業は大変ですが、子どもたちと一緒に私も学び、それがすごく楽しいからがんばることができる、という気がしますね。私自身は小学校の思い出がほとんどないんですが、ここの子どもたちは、1年や2年のときの話してくれます。それだけ充実した学校生活が送れているんでしょうね」

風力発電所を見学、風車づくりは専門家のアドバイス

6年勇組は、風力発電に挑戦していた。授業を行う場所は、教室ではなく、渡り廊下。教室で机に向かい、静かに授業を受けるイメージとはまったくかけはなれた風景がそこにあった。「学ぶ材料は外に山積みされているから、雨が降っていないときは屋外に出なさい」。これがこの学校のモットーでもある。
渡り廊下の“アトリエ”では、子どもたちが4~5人のグループに分かれ、それぞれ形も大きさも違う風車作りに取り組んでいた。
糸のこぎりで羽の部分を切ったり、設計図とにらめっこしたり、隣のグループの様子をうかがったり。とにかく、子どもたちは動き回り、しゃべりつづけている。小学校6年生といえどもあなどるなかれ。専門用語が飛び交い、風車を見つめるまなざしはプロっぽい。
「ベアリングや風受けの面積がどうとか、そういう話が通じる小学生はいない、と言われました」と星野忠祐教諭は笑う。
このクラスは4年の5月にかざぐるまを作り、9月ごろから「風車」をめざしはじめた。伊那市近辺には風力発電所がない。そこで、臨海学習で渥美半島の風力発電所を見学。修学旅行では三菱重工横浜製作所を訪ねた。伊那小の修学旅行の2日目は、それぞれが総合学習に結びつく見学場所に行くのが恒例。子どもたちは自分たちの風車を持参し、専門家のアドバイスを受けた。
「全部で8チームあるけど、競争はしてません。競争目的でやるとあれなんで……。ゴールはイルミネーションとおでん!」と男子児童。
星野教諭は「3.11が起こり、原発事故がニュースになり、風力発電が注目を浴びてきました。子どもたちも、『すごいことやってる』という気持ちが自然に出てきましたね」
電圧を測っていた子どもたちは、「針が動かない」と困り顔。「理科の教科書に載ってただろう」と星野教諭に言われ、ひとりがものすごい勢いで走って教科書を取りにいった。
「教科学習も意識します。文科省が定めた学習内容に取り組まず、卒業させるわけにはいかないので。でも、総合学習の発展として扱うことにより、子どもの意識も違ってくる。今は算数の『拡大・縮小』を取り入れて、子どもたちは風車の1/5や1/10の縮図を描いてます」

禁止された網漁、漁業協同組合と交渉、許可をとる

このように、伊那小学校では30年以上もの間、牛や羊、ニワトリといった動物の飼育から、森や川などの自然とかかわる学習、クッキー作り、織物や焼き物まで、多様な総合学習を行ってきた。
たとえば、市内を流れる天竜川に親しんでいる子どもたちは、「魚をとりたい」と活動を開始。郷土資料館で「四つ手網」という方法を発見するが、天竜川では網漁が禁止されている。教師の心配をよそに、子どもたち自ら「天竜川漁業協同組合にお願いしよう」と提案し、交渉して許可をもらう。
また、平均寿命を越す学校の桜を守るために、桜守の活動をはじめた学年もあった。桜の病気をインターネットや本で調べ、桜で有名な高遠町の桜守の方に相談し、治療をはじめ、健康状態を観察した。桜の木に釘が打たれているのを知り、「痛いと思う」と釘を抜く作業もつづけた。こうした専門性の高い活動が評価され、伊那市長谷の美和ダムの「美和ダム桜守」として、ダムを管理する国土交通省からも任命された。
しかし、伊那小学校を卒業すると、中学では教科学習が待っている。子どもたちに戸惑いはないのだろうか?
卒業生へのアンケート調査では、「進学には直接役立たなかったが、やりとげる力は身についたと思う」「大学のときは小学校時代の知識に偏りがあるかな、と振り返ることもあったが、社会人になり、課題解決する能力がついているのは総合学習のおかげだと感じている」といった感想が述べられている。また伊那小の教師たちは、30年以上にわたって総合学習を続けてこられた理由は、授業を通した地域とのつながり、そこから生まれる地元の人々の理解や評価があったからだと話す。
福田弘彦教頭は次のように語った。
「保護者から心配の声がないわけではないのですが、本校では困難に遭遇したときにどうするかなど、人として生きていくうえで大切なものを学んでほしいと思っています。進学や転校をしても、ここで学んだことを生かすことができる。なぜなら子どもたちは『生きる力』を身につけているからです」
風車づくりの手を休めずに、子どもは答えた。「忙しいです。でも、学校は楽しいです!」

『ビッグイシュー日本版』(2012年10月15日)掲載


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by k_nikoniko | 2015-06-12 08:23 | 掲載記事(2011~)

英国、デモに表れたオリンピックへの不満(ビッグイシュー)

来年のオリンピック開幕に向け、会場となるロンドン東部は、急ピッチで開発が進められている。ストラットフォード周辺は巨大ショッピングモール街へと大変身。以前は下町情緒残る地域だったが、多国籍企業ブランドの近代的なビルが立ち並び、昔の面影はない。
繁栄を享受しているようなロンドンだが、世界各地で抗議行動が拡大した10月15日、金融街シティでデモと占拠が行われ、参加者からはオリンピックへの不満も聞かれた。
ロンドン東部出身のニコルさんは、「私たちの税金なのに」と怒りをぶつけた。「立ち退きさせられた住民もいるの。貧困家庭は特にひどい状況においやられたわ。会場建設には、多額の税金が使われている。オリンピック終了後、あの場所を地元住民のためにどう使うの? そのまま残るだけじゃないかしら」「私たちはチケットを手に入らないのよ。企業が大量のチケットを買い占めてしまったから!」
抗議行動の集合地点となったセントポール寺院前広場では、デモの日以来、市民がテントに寝泊りし、「ロンドン証券取引所占拠」をつづけている。「納税者が何の恩恵も受けないのは不公平」との声にどう応えるかが、オリンピック成功のカギになりそうだ。

『ビッグイシュー日本版』(2011年12月15日)「世界短信」に掲載

ロンドンのシティ占拠とオリンピック

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by k_nikoniko | 2015-06-09 09:16 | 掲載記事(2011~)

子どもを守る除染作業「朝鮮学校にも補助を」(週刊金曜日)

『週刊金曜日』(2011年7月29日)「金曜アンテナ」に掲載された記事です。
子どもの被害を防ぐため除染作業――「朝鮮学校も平等に補助を」
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by k_nikoniko | 2015-06-07 08:44 | 掲載記事(2011~)

仏・放射能監視団体が測定結果公表(週刊金曜日)

『週刊金曜日』(2011年6月10日)「金曜アンテナ」に掲載された記事です。
「正確な放射線排出量を知るべき」 仏・放射能監視団体が測定結果公表


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by k_nikoniko | 2015-06-05 08:57 | 掲載記事(2011~)

集団的自衛権が命を守れない理由(週刊女性)

戦う前にパワハラで悲鳴の現場

「自衛官の反応はゼロですよ」
集団的自衛権が閣議決定して1か月半。自衛官の相談機関「米兵・自衛官人権ホットライン」事務局長で軍事評論家の小西誠氏のところには、これといった問い合わせはないという。
「大半の自衛官は新聞やテレビの報道に無関心で、政治的教育もされません。危機感を抱くのは、実際に訓練が始まってからでしょう」
イラク戦争のときも同様で、派兵が現実味を帯びるまで、家族や隊員からの相談はほとんどなかった。
「それよりも……」と、小西氏は語気を強める。
「毎日寄せられるのは、辞めたい、死にたいというメールです。自衛隊は深刻な状態に陥っているのです」
ホットラインを立ち上げて10年たつが、パワハラや自殺の相談は年々増加しているという。多いときに1日2回、少なくても週3~4回は、新しい自衛官からの悲痛な声が届く。
最近の特徴は、幹部自衛官からの相談が目立つこと。一般隊員より待遇がよく、命令する立場の幹部自衛官が、さらに上級の幹部から嫌がらせや暴行を受ける。
「過剰任務に、海外派兵や災害派遣などが加わり、パンク状態なのです。私もびっくりしましたが、幹部隊員は、平日は夜中の1時2時まで働き、土日も出勤しているんです」
こうしたストレスフルな環境のなか、いじめが陰湿化していく。一般企業でみられる現象が、自衛隊内でも起きているのだ。
自衛官のストレスの激化は、「トランスフォーメーションがきっかけ」と小西氏は分析する。ソ連の崩壊で仮想敵国が中国に移り、00年ごろに自衛隊は北方重視から南西重視に再編した。部隊の配置や任務が大きく変わり、訓練も、装甲車で敵を狙う作戦から、近距離のゲリラ戦へと転換。それまで戦車に乗っていた隊員が、小銃を持たされ、相手の目を見て撃ち、「トドメを刺す」射撃まで要求されるようになった。
この訓練は大きなストレスとなり、異常な戦場心理状態を生みやすくする。
ほぼ同時期に海外派兵もはじまり、とたんに自殺者が急増した。極限まで精神的に追い詰められた結果、暴力や恫喝という形で、自分より弱者へと向かう。
「集団的自衛権はさらなる追い打ちになりますよ。パワハラや自殺はエスカレートするでしょう」と小西氏。
集団的自衛権で安部首相は「国民の命」を守るというが、実際は「日本と密接な関係にある他国」を守るために行使される。だが、人権が奪われ、自分の命さえ危うい自衛官に任務の遂行は土台無理な話だろう。
自衛隊の上層部や政府は、自衛隊の実態をある程度知りながらも、怖くて見ようとしないのだという。
「自殺者は統計上約100人ですが、未遂を合わせたらものすごい数です。自殺理由の半分は”不明”となっていますが、パワハラですよ。遺書があるので、わかっているはずです。刑事責任が問われるのが嫌で、ごまかしているんですよ」
こうなると徴兵制導入も心配だが、「国家総動員型の世界戦争はまだ想定外。地域紛争ぐらいなら志願で十分です。高報酬を提示すれば、志願者は集まるでしょう。残念ながら」
ここまで強引に「壊れた軍隊で戦争をさせようとしている」のは、ひとえに、軍事大国家復活の夢をかなるため。安倍首相が打ち出している一連の政策で着々と、そして巧妙に”戦争ができる国”に仕上がりつつある。
女性活用もしかり。
「女性自衛官を3倍、5倍に増強する手段も考えられます。現在は約1万3000人しかいませんから」
「女性が輝く社会」と謳う陰に、女性を積極的に戦争で活躍させたいという目論みが透けて見える。
「最終的には、石破茂幹事長の言うように、軍事法廷で懲役300年や死刑にして、派兵を強制するしかない。母親たちに反対されては困るので、特定秘密保護法などで周りを固め、社会全体に軍国主義の雰囲気を盛り上げているわけです」

『週刊女性』2014年9月2日号


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by k_nikoniko | 2015-06-01 07:47 | 掲載記事(2011~)

フランス脱原発めざし6万人の「人間の鎖」(ビッグイシュー)

福島第一原発事故から1年の3月11日の午後、フランス南部で大規模な「人間の鎖」が実施され、約6万人が参加した。フランス各地から貸し切りバスが運行し、ドイツ、スイス、ベルギーからも多くの人が集まった。
手と手で、もしくは「人間の鎖」と書かれたオリジナルのリボンでつないだ距離は、リヨンとアヴィニョンを走る国道7号線の230キロメートル。ここは原子力施設集中地帯で、子の地域を流れるローヌ川沿いには、14基の原子炉が存在する。MOX燃料製造工場を有するマルクール原子力施設から30キロ圏内のアヴィニョンでは、南仏特有のミストラルが吹くなか、11時半から「人間の鎖」の準備が始まった。
「アヴィニョンでは福島事故の直後から、月1回、『人間の鎖』を行ってきました。150人だった参加者がやるごとに増え、1000人に。そこで、アヴィニョンからリヨンまでつなげてみよう、と考えたのです」とジャン=ピエール・セルヴァンテスさん。この日、アヴィニョン地区の参加者は主催者発表で5600人。脱原発の世論がなかなか高まらないフランスだが、史上最大の脱原発デモとなり、その様子は各メディアで報道された。

『ビッグイシュー日本版』(2012年4月15日)「世界短信」に掲載

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by k_nikoniko | 2015-05-31 08:06 | 掲載記事(2011~)

使用済み燃料処分は再処理から乾式貯蔵へ(ビッグイシュー)

『ビッグイシュー』(2013年7月15日)掲載

再処理継続は”ルーズ・ルーズ”(負け)の戦略

高木仁三郎市民科学基金が4月15日に原子力市民委員会を立ち上げた。
市民グループや幅広い分野にわたる科学者、技術者、弁護士などとともに、脱原発社会を構築するための課題を把握・分析し、政策をつくる場として、その公開研究会を取材。

再処理費用は年間2800億円、貯蔵なら200億円

5月20日、原子力市民委員会の核廃棄物部会・公開研究会が開催され、フランク・フォンヒッペルさん(プリンストン大学教授)とマイケル・シュナイダーさん(エネルギー・原子力政策国際コンサルタント)が、「再処理と核不拡散」について講演した。
「日本は再処理の“くびき”にはまってしまっています」。フォンヒッペルさんはまず、こう切り出す。「『使用済み核燃料は六ヶ所再処理工場へ搬出するので、別の方法はない』という考えが、まさに“くびき”なのです。そこから抜け出す方法として、再処理から貯蔵への変換が必要です」
そして、政策を変更すべき理由として、「再処理にかかる費用は年間約2800億円だが、貯蔵は約200億円。再処理は労働者の汚染をもたらし、そこから得られるものはほとんどない。プルトニウム保有量の増加、テロの危険性を増大させるだけ」などを挙げた。さらに、世界的視野からも「いまだに再処理政策を続行しようとしているのは、フランス、インド、ロシア、中国、日本の5カ国のみ。ほとんどの国は貯蔵を決めている」と説明した。
フォンヒッペルさんが提案するのは、使用済み燃料を敷地内で保存する「敷地内乾式中間貯蔵」。使用済み燃料は数年間は水で冷却しなければならないが、5年経てば、空気で冷やすだけで十分となる。そこで、使用済み燃料を5年後にプールから取り出し、専用のキャスク(容器)に入れ、原発敷地内に貯蔵するのが乾式貯蔵だ。ドイツのネッカーベストハイム原発では、事務棟の下に作られたトンネルにキャスクを貯蔵しているという。
日本ではほとんどの自治体が敷地内の貯蔵に合意しておらず、使用済み燃料の半分は13年以上もプールの稠密(ちゅうみつ)貯蔵ラックで保管されたままだ。「こうした状態で長期間プールに入れておくと、水がなくなった際、燃料発火の可能性もある」と警告。そして、「敷地内乾式貯蔵は低コストで安全な代替措置。多くの国が採用している」と助言した。

どうする!? 英仏に預けた日本の余剰プルトニウム35トン

フォンヒッペルさんは、「国際核分裂性物質パネル(IPFM)の共同議長でもあり、核不拡散の観点からも、余剰プルトニウム処理政策の提言をしている。プルトニウム処分法としてのMOX燃料使用については、「米国でもMOX燃料工場が建設中だが、見積もり額が10倍近くも高騰したため、オバマ大統領は軍事用余剰プルトニウム処分戦略を再検討している」と言う。
同じくIPFMのメンバーでもあるマイケル・シュナイダーさんは、唯一MOX燃料を使用しているフランスの余剰プルトニウム問題について解説。
昨年5月に就任したオランド大統領は、原発依存度を75%から50%に低減し、老朽化した原子炉を閉鎖すると決定した。しかしその一方、「再処理で取り出されたプルトニウムは、MOX燃料の形で再使用する」方針で、シュナイダーさんは「政策に一貫性がない」とその矛盾点を指摘した。
各国が再処理から貯蔵に転換するなか、フランスのラ・アーグ再処理工場では、海外の使用済み核燃料の再処理を引き受けている。フランスが保管するプルトニウムの総量は約80トンとここ10年横ばいだが、海外のものは減少しつつも、フランス保有のプルトニウムは増加の傾向にある。蓄積されたプルトニウムの処分はまったく追いついていない状況で、その解決策として、MOX燃料の加工・使用を継続するという。シュナイダーさんはこれを、「プルトニウム蓄積とリスクの両方の増加をもたらす、ルーズ・ルーズ(負け)の戦略」と批判。安全性や経済性、核不拡散の面から、再処理政策の転換の必要性を強調した。
また、「フランスの政策は日本にも大きな影響を与える」とも示唆。2011年末現在、フランスに保管されている日本のプルトニウム量は18トン。英国には17トンあり、合わせると35トンにおよぶ。「フランスの法律では、海外の核廃棄物を国内で処理できない。英国は自国での処理も可能と言っているが、フランスにある日本のプルトニウムは送り返すことになるだろう」。今後、大量のプルトニウムが日本に戻される事態も否定できないようだ。しかも、国内にはすでに9.3トンのプルトニウムがある。
二人は日本滞在中、政治家や原子力関係者と核廃棄物処理の方法などについて意見交換し、それに基づき、外務大臣と経済産業省宛に文書で提案した。


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by k_nikoniko | 2015-05-28 07:37 | 掲載記事(2011~)