フリーライター木村嘉代子のブログです。日々感じたことを綴っています。Copyright(C)2005-2016 Kayoko Kimura
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カテゴリ:戦争( 47 )

ガザは巨大な刑務所、という話

先日、ヨルダン国籍のパレスチナ人と話していて、「ガザは巨大な刑務所のようなもの」と表現していました。
この言葉で、年末に会ったマジダさんの講演を思い出しました。
そこで暮らすということはどういうことか、彼女が語った話を紹介します。

パレスチナは、ガザ、ヨルダン川西岸、東エルサレムと3つに分断されていて、それぞれの行き来がままならない。
150万人が暮らすガザの広さは、南北に47キロ、東西に11キロほどである。
ここには働く場所がなく、大学も、映画館も劇場もない。
ガンの治療ができる病院も存在しない。
ガザ内でできることは限られているにもかかわらず、四方が閉鎖されていて、外へ出るのは容易ではない。
沿岸部の東側はフェンスで囲まれ、地中海にイスラエル海軍が停泊する。
イスラエル入植地と隣接している北側は往来ができず、南側のエジプト国境もイスラエル空軍が管理している。ガザの上空は、つねにイスラエル空軍が監視している。
ガザとヨルダン川西岸自治区の距離は車で1時間ほどだが、パレスチナ人は行き来ができず、私も7年間訪れたことがない。
ヨルダン川西岸自治区の大学に進学したガザの学生はなかなか戻れず、家族も近づけない。

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by k_nikoniko | 2007-06-03 14:20 | 戦争

イラクの子どもとイギリス兵

知り合いのイラク人が、自分の故郷であるイラク南部バスラで見た光景を伝えてくれました。
切ない気持ちになるメールです。

イラクの状況はいずれ良くなるだろうし、近いうちにイラクで会えるだろう。きっとイラクを好きになると思うよ。イラクでは、たくさんの子どもたちが喜んで迎えてくれるだろう。
僕は今でも、英軍が自分の住む地域に進入してきたときの、イギリス兵の顔を覚えている。そこは、川の流れる美しい地域なんだ。イギリス兵は、あちこちからやって来た大勢の子どもたちを見て驚き、怯えた。子どもたちが基地に向かって石を投げ続けた。英軍は、子どもたちの学校のひとつを基地にしようとしたのだ。兵士はとても怒り、地元の人々に助けを求め、威嚇発砲をしたけれど、誰も子どもたちの攻撃をとめることはできなかった。とうとう、イギリス兵はそこに長く留まることができず、より安全な軍事基地へ場所を移さざるをえなかった。

日本では、米軍についての情報は少し流れても、他の国の軍隊が何をしているのか、ほとんどわかりません。
知り合いのイギリス人のいとこは、バスラで治安関係の仕事をしているといいます。
いとこの父親は、「ニュースを見るのが怖い」と言っているそうです。
歓迎されざるイギリス人と、安否を気づかうイギリス人。
矛盾だらけです。
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by k_nikoniko | 2007-04-25 12:43 | 戦争

イラク人の向上心を信じて

f0016260_22572172.jpg帰国を2日後に控え、イラク女性医師は2度目のスキーに挑戦しました。
雪を見るのもはじめてだった二人ですが、なんとか斜滑降をマスター。
インストラクターの指導を真剣なまなざしで聞き、果敢に挑戦する姿に感動しました。
ころんでもころんでも立ち上がり、なかなか「やめる」と言いません。
f0016260_22573549.jpgフランス女性だったら、「もううんざり」と途中で放り出すでしょう。
でも、イラクの女性たちはなにごとにも真剣に取り組み、“根性”があります。
吸収できるものはすべて吸収しようと向上心旺盛で、着実にそれを身につけていくように見受けられました。
彼女たちを見ている限り、イラクはイラク人の力で復興できるのではないかと思います。
賢く、気高く、真面目な彼らを、無能で、卑しく、怠惰な人間として扱っている人こそ、無知で下劣で自堕落な人間ではないでしょうか。

札幌で6ヶ月新生児集中治療の研修をした彼女たちは、戦乱の国に戻ります。
「日本で学んだことを生かすのが私たちの使命」と断言して。
二人が戦争をしている国に帰っていくなど、信じられません。
やるせないけれど、それが現実です。
「来年の冬もスキーをしようね」という言葉通り、一日も早くイラクに平和が訪れ、日本とイラクを自由に行き来できるようになることを祈るばかりです。
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by k_nikoniko | 2007-02-27 22:59 | 戦争

イラク女性から聞いた本当のイラク

アンサムさんとガフランさんは、札幌の総合病院の小児科で臨床研修中です。日本の病院は彼女たちの勤めるバスラより医療が進んでいるため、多くの技術や知識を学ぶことができるそうです。
病院での日課は、子どもたちを診察し、会議に出席し、医療器具の使い方を学ぶとのこと。

二人は、1991年の湾岸戦争のときに医学部の2年生でした。戦争中は、2~3ヶ月勉強を中断したそうです。
その後、小児科医になりましたが、次第にイラク国内が荒廃していったといいます。
多くの医師が国外に脱出していて、医師不足も深刻です。
「国を出たいと思ったことはありますか?」と尋ねると、ガフランさんは「国外に出ようと思ったことはありません」ときっぱり。アンサムさんは「私はときどき考えます。でも、それは難しいことです。家族がいるからです。生活を全て変えるのは難しいです」と言っていました。

イラクでは、医師の4割ほどが女医で、女性が医者になるのは難しいことではなく、男性であろうと女性であろうと、学力さえあれば差別なく医学部に進学できるそうです。
女性は特に、小児科医と産科医になる傾向が強く、女性の外科医は国内に一人か二人ぐらいしかいないとのこと。反対に、小児科医は女性のほうが多いといいます。
ガフランさんは、「日本は女医が少ないですね。イラクとは大きな違いです。どうしてだかわかりませんが」と笑っていました。

イラクと日本の女性は、一般的な考え方が全く異なるそうです。たとえば、結婚観。「イラク女性は20歳前に結婚したがります。見合い結婚をする人もいます」とアンサムさん。
アンサムさんとガフランさんは未婚で、「私たちは結婚していません。例外なのです」と大笑い。「親は何も言いませんか?」と聞いたら、「何も言いません。私たちが選んだ道ですから」とのこと。

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by k_nikoniko | 2006-10-02 11:38 | 戦争

再びイラクについて

昨日、バグダッドで事件があったので、またイラクについて書くことにしました。
先日紹介した二人の女医(ガフラン・サバさんとアンサム・サリさん)の話しから抜粋です。
彼女たちの出身は南部のバスラなので、現在のバグダッドの様子がよくわからず、近隣のアラブ諸国も把握できていないだろうと言っていました。
バスラでさえ街を安全に歩くことができないので、バグダッドはもっとひどいのではないかとのこと。
道を歩く人はほとんどおらず、もぬけの殻のようになっているのではないかといいます。
子供たちは学校に行きたくても、爆弾や誘拐の恐れもあり、家に引きこもっているそうです。
彼女たちが何度も繰り返し語っていたのは、教育も医療も湾岸戦争以降にすべて崩壊してしまったという事実です。
とにかく、インフラが壊滅状態で、子供といった弱者が一番の犠牲になっていると強調していました。
ところで、この日、中東からの留学生4人(ヨルダン人、レバノン人、シリア人、サウジアラビア人)も来ていました。いずれもさまざまな問題をかかえている国であり、日本にはあまりなじみがない地域ともいえます。
せっかくの出会いなので、彼らは日本語も上手だし、いろいろ尋ねてみたかったのですが、知識不足で突っ込んだ話などできず。
こんなに近くにそういった国の人がいるのに、交流が少ないのはとても残念です。
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by k_nikoniko | 2006-09-15 01:42 | 戦争

札幌にやって来たイラクの女性医師

9月11日の今夜、小児科で研修中の二人のイラク女性医師の話を聞いてきました。
イラク人から国内の惨状を聞くのははじめてです。
笑顔を見せながらの講演会でしたが、内容はかなり辛いものでした。
彼女たちは小児科の子どもたちの写真を持ってきたそうですが、先天性異常児といった悲しい映像が多いらしく、今回は公開しなかったとのことでした。
病院は破壊され、医療器具は動かず、電気や水の供給も不十分。
「停電になったらどうするのですか?」という質問に、「何もできません。神に祈るだけです」と答える彼女たち。
新生児の死亡率は10~15%で、子どもたちは慢性的な栄養不良におちいっているといいます。
心理的なダメージも大きく、母子共にうつ状態や絶望感にさいなまれ、将来に不安を抱いているそうです。
彼女たちは、日本でできるだけ多くの知識を学び、イラクの子どもたちに生かしたいと抱負を述べました。
半年間滞在するそうなので、また機会をみて、お話しを聞き、ブログで紹介してみたいです。
日本各地へ旅行することも楽しみにしているそうです。
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by k_nikoniko | 2006-09-11 23:48 | 戦争

戦時中の少年の寄せ書き

お盆で親戚の家に行ったら、おじの遺品のなかに、「思い出」と記した少年時代の寄せ書きノートがありました。
おじが死んで25年以上経つのに、どういうタイミングか、今日それをはじめて見せてもらいました。
終戦の2~3年前ごろ、少年飛行兵学校を卒業するときに友だちが書いたもののようです。
少年たちの年齢は15歳ぐらいでしょうか。
誰ひとりとして、「また会おう」といった類のことは書いていません。
戦闘機に乗った男の子の横に「さようなら」と添えてある漫画ちっくなイラスト。子供っぽい絵と、死を覚悟した別れの言葉のアンバランスに、胸が痛くなりました。
中学生とは思えないほどの達筆で、次のような一文もありました。
「大君の御旗の下に死してこそ人と生れし甲斐はありけり」
「行く所は一つだ。死して靖国の御社で会おう」
自筆の寄せ書きは、彼らの声が聞こえてきそうなぐらいの生々しさです。
おじから戦争の話しなど聞いたことはありません。
自分の父親世代は、子供たちと戦争について語らない人が多いといえます。
私もまた、子供たち世代に語るには知っていることが少なすぎます。
戦争は遠い国のこと、ではないと、この寄せ書きが教えてくれたようです。

「春雨や 我等のうれしき外出も 降りてすごすは 何ぞくやしき」
遊びたい盛りの少年たちの”くやしさ”は、春雨に対してだけではなかったのではないでしょうか。
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by k_nikoniko | 2006-08-14 20:16 | 戦争