フリーライター木村嘉代子のブログです。日々感じたことを綴っています。Copyright(C)2005-2016 Kayoko Kimura
by k_nikoniko
お問い合わせ:
k.kayoko.7☆gmail.com
☆→@に変えてください

最新の記事
こんな国際恋愛も…という話を..
at 2017-12-08 09:23
福島県大熊町の復興についての..
at 2017-10-24 20:00
南スーダンPKO自衛隊派遣差..
at 2017-10-06 08:58
”首はとられ”ないが社会を変..
at 2017-09-07 13:23
「南スーダンPKO派遣差止訴..
at 2017-08-15 08:46
ドキュメンタリー映画『まなぶ..
at 2017-07-19 09:38
3つのがんを発症した福島原発..
at 2017-06-28 11:38
南スーダンPKO派遣差止め訴..
at 2017-06-20 11:06
札幌の自主夜間中学が公立化か
at 2017-06-16 08:36
ルモンド紙より「南スーダンの..
at 2017-06-03 14:05
カテゴリ
全体
掲載記事(2011~)
掲載記事(2000~2010)
掲載記事(1991~1999)
掲載記事(1990以前)
ジェンダー
男と女
ひとりごと
フランス
イギリス
国際ニュース
社会問題
原発・核
デモ日記
戦争
歴史
メディア
カルチャー


サッカー
外部リンク
ライフログ
タグ
検索


カテゴリ:戦争( 47 )

銃弾1万発は超悪趣味なクリスマスプレゼント

日本が自慢できることの一番は、経済大国になったことではなく、第二次世界大戦以来ずっと戦争をしていないこと。
平和ボケになってしまうぐらい、戦争に巻き込んだり、巻き込まれずに、70年近く過ごしてきたことです。
それはそれで問題ではあるけれど(そんなに簡単な話ではないけれど)、とにかく、敗戦以来、日本は戦争をしてきませんでした。
「戦争をしない」というのは、小学校でも中学校でも高校でも教えられました。
憲法9条を知らなくても、「日本は戦争をしない」ことは知っているのではないかと思います。

先日、20代のエジプト人に憲法9条の話をしたら、「一度戦争に負けただけで、二度としないって宣言しちゃうの?」と吹き出しそうな顔で言いました。
そして彼女は、「エジプトはずっとイスラエルと戦争してるのに…」と、″まったく理解できない"風な表情を浮かべたのです。
正直、ぞっとしました。
彼女に対してではなく、これが戦争している国の人にとって"一般的な考え方なのではないか"と思ったからです。
彼女は生まれてこのかた、自分の国が戦争のない平和な社会であったことがないのです。
そういう国は、この地球上にたくさんあり、もしかしたら、そういう国の人たちは彼女と同じように考えているかもしれません。
宗教や文化に関係なく。
1回戦争で負けたぐらいで、もう二度としないと戦争を放棄する。
そんなのバカらしい、と。

世界では、負けたらやり返す、勝ってもまた攻める、と戦争が繰り返されています。
日本が戦争を放棄したのは、その経緯はいろいろあったにしても、評価すべきです。
そして、「戦争をしない国」を自慢しつづけ、他の国にも広めていくべきです。
戦争を繰り返す国こそが愚かなのだ、と。


[PR]
by k_nikoniko | 2013-12-24 21:00 | 戦争

BBCラジオのレポート「第一次大戦の戦場イーペル」

イーペル(Ypres)は、ベルギー西部、フランデレン地域のウェスト=フランデレン州にある都市。第一次世界大戦中に、ドイツ軍と連合国軍の最前線として、第一次および第二次イーペルの戦いなどの長期戦闘が繰り返された。
街はほとんど壊滅したが、戦後再建され、「平和都市」となった。

イギリスBBCのインターネットラジオで放送された、イーペルのレポートです。
放送はいつだったか、忘れてしまいました。たぶん2009年ごろです。
ちょうど「浅茅野飛行場建設跡をどうするか」といった問題を考えたりしていたころなので、日本語に訳してみました。

以下、レポートです。

第一次世界大戦の間、ベルギー北部の小さな中世の街イーペル周辺で、50万人が殺された。
北ヨーロッパの暗くかなり冷え込んだ夜の中世の歴史的街。このあたりは、私のように広場のコーナーに向かって歩いている人はいない。
90年前、イーペルはフランス西部の一部だった。フランスの前線は、土地を横断して広がっていた。この街での4年間の戦闘で、50万人が殺されたと見積もられている。何千何百という人が消息を絶った。
それから、大英帝国がイーペルに侵攻した。

私は、イギリス軍の兵士だった祖父がドイツと戦った場所を歩いてみようと思い、このレポートを計画した。
イーペル周辺の広範囲で、いったい何が起こったのか。
まずは、戦争について展示しているフランドルフィールズ博物館を訪ねた。

「なぜドイツ軍はイーペルを攻撃したのですか?」
「前線に到達するためです。イーペルの周辺地域は、フランス西部全域の前線でした。ですから、ここを進撃しなければならなかったのです。イーペルはドイツ軍がそのルートに侵攻するのを止めました。ここは、イギリス軍のライフラインとなる重要なルートでした。これが概略です」
「人々は、最後の侵攻を防ぎ、海上を通させるために、ドイツ軍を止めなければならなかった。そして現在は、戦争に関するツアーがビジネスになっています。もしこのように大勢の人々を引き寄せることがなかったら、この街はどのようになっていたと思いますか?」
「フランドル西部のとても静かな伝統的な農業の街だったでしょう。いまでは、毎年30万人以上がこの街を訪れます」
「人口3万人のとても小さな街ですが、静寂さと多くの訪問者をどうとらえていますか?」
「この街では多くの死とともに暮らしています。平穏な生活はとてもいいのですが、それとはまったく対照的なものを目しなければなりません。静けさと死の重みを感じることができるこの土地をどう扱うか。それははっきりしています。生き延びるために、このコントラストが必要だと思います」

たしかにそうだろう。イーペルの戦闘の地は決して終わりがない。ここでは戦時中の塹壕を残そうとさえ考えている。現在、博物館だけがイーペルの戦争を展示した場所ではない。
やっと探していたものにたどりついた。「パラダイス」という店だ。ここには、本が何冊も何冊も積み上げてある。ショーケースには戦場の品。見事だ。パラダイスの店長に話を聞く。

「商売はどうですか?」
「おかげさまでうまくいっています」
「この店で売っているのは、本だけじゃないですよね。どんなものがありますか?」
「戦場の品です。ドイツ軍のものとか」
「それを売っているんですね?」
「そうです。観光客は土産にほしがるのです」

ショーケースを見る。ここにはヘルメットがつるしてある。刀剣もある。

「これらの品はどこから手に入れたのですか?」
「戦場跡を歩くと、数日でほしいだけのものが見つかります。いくつかは土のなかに埋まっています」
「このようなものを手に入れることができますか?」
「これぐらいのものなら、たぶんできるでしょう」

店長と戦場を調査することもできる。この街では毎日、たくさんのオプションツアーが用意されている。まず、イーペルの郊外の道路にあるイギリス人戦没者墓地に立ち寄った。ツアーガイドは、戦争に導いてくれる。

「ここに来た人たちは、何を探していると思いますか?」
「それはとても難しいです。ある人は、身内の足跡をたどるためにやって来ます。ここでその人に何が起こったのか。それがここにはあるからです。どこで彼は息を引きとったのか? どこでけがをしたのか? それを知るために。別の人は、歴史を知るためにやって来ます」

ここに来た人たちは、どのように歴史を感じるのだろう。「見て触れる」ために、みんなここにやって来るのではないか、と私は思う。

戦場を歩いていた私の祖父は幸運だった。彼は故国に戻ることができた。祖父は懸命に働いた。そして、フランス西部について語ったが、十分な貯蓄がありながらも、二度とその街に行こうとはしなかった。

ここは小さな英国教会だ。ここに入ってみる。戦場について、観光客にある種のことを教えてくれる時間を見出せそうだ。ここはかわいらしい教会である。

「なぜイギリス人はここを訪れると思いますか?」
「イラクやアフガニスタンの戦争があり、ここを訪れる人が増えています。人々は、苦しみに気づいたのだと思います。人々はこの場所から、第一次世界大戦中に祖父に何が起きたのか、自分の家族史に立ち返ろうとしています。それはとても興味深いことです」
「ここを訪れるイギリス人が増えているといいましたが、どのぐらいですか?」
「いい例があります。1963年、この教会は閉鎖されようとしていました。でも、復活したのです。教会にやって来る人は、年15,000人から50,000人に増えました」
[PR]
by k_nikoniko | 2013-11-26 09:39 | 戦争

戦時中に旭川の学校で起きた生活図画という弾圧事件

生活図画事件とは、旭川師範学校および旭川中学の美術部を中心に、教員や生徒など関係者が、治安維持法違反で弾圧された事件。生活綴方事件は全国各地で起きたが、生活図画事件は北海道だけで、あまり知られていない。
生活画家事件では25人が検挙され、3人が実刑、13人が執行猶予付き有罪となる。
これ以外にも何人か取り調べを受けたと推測されている。
取り調べでは、教育方針や手紙の中身を捏造させられ、拷問を受けたとの証言がある。

戦後になっても名誉回復はされておらず、生存者3人が、2010年5月、国会で名誉回復を訴えるという。
元高校教師の宮田汎氏がこの件について調べ、ブックレット(自費出版)を発行している。
絵画はほとんど没収されたが、写真は残っている(ブックレットに数点掲載)とのこと。

生活図画とは?
東京美術学校から旭川師範学校(現・教育大旭川校)に赴任(1932年)した熊田満佐呉教員(藤原惟人に師事)と旭川中学校に赴任(1927年)した上野成之教員の指導で行われた美術教育。
自分の身のまわりの生活を、現実のままにリアルに描き、その生活がどうしてあるのか、変えるためにはどうしたいいのかを議論しながら、絵を描いていく手法。

治安維持法による弾圧
1941年1月10日、熊田教員が、生活綴方教師53人とともに検挙される。美術部の学生5人が「軍事教練が不可」の理由で留年。1人が「天皇に対して不敬」で退学。
同年9月20日、上野教員を含む関係者24人が検挙される。
1943年、熊田教員、上野教員、本間教員の3人が実刑判決。執行猶予付き有罪が13人。

弾圧の口実
根拠は治安維持法第一条で、「共産党もしくはコミンテルンの目的に役立つ、その遂行のための行為」に基づき弾圧された。
たとえば、熊田教員の「焦燥」と題する絵画は、「迫りくるファシズムと軍国主義のなかで煩悶している青年(かたわらに裏返しになった本)」が描かれているが、官憲は、青年が読んでいる本を「唯物論全集」だとし、「マルキストたる作者が時局に重圧に深刻に悩む主観的絵画なるが、かたわらの『唯物論全集』により画面を特に階級的に深めあり」と記す。
また、本間教員が描いた、吹雪の中を子どもたちが登校してくる絵画を「貧農の子らが吹雪を突いて通学する場面なるが児童の深刻なる表情は作者の意欲を表し横殴りの吹雪は客観的資本主義社会の現実をもって象徴したるもの」と違反の証拠としている。
[PR]
by k_nikoniko | 2013-11-10 08:32 | 戦争

シリア攻撃

BBCでオバマ大統領の演説を聴く。
キャスターが沈んだ声で、「子どもを守るためには軍事同道も辞さない」とオバマの言葉を繰り返し、ラジオでは暗く議論がつづいている。
オバマ大統領がこの演説のなかで頻繁に使った「独裁者」「民主主義」に問いたい。
アメリカこそ独裁者ではないのか? アメリカは民主主義か? と。
化学兵器はダメで、劣化ウラン弾はいいのか?



[PR]
by k_nikoniko | 2013-09-11 13:06 | 戦争

シリア軍事介入には反対です

日本にいると、アメリカからの情報ばかりで判断が鈍ります。
フランスで評価の高いネットメディアMediapartの記事にある、「アメリカ批判」、そして、「アメリカの従僕となった西欧諸国批判」が、こういうときは小気味いい。

シリア:戦争、沈黙、そして嘘

米国、フランス、英国は、シリアに軍事介入しようとしている。アサド政権の崩壊を早めるというが、発表された空爆戦は苦し紛れのようであり、合法的ではなく、同時に過去の失敗をカモフラージュする操作であり、世論の日和見主義的な行動であり、その地域の大動乱の引き金になるだろう。他の手段はあるはずだ。

はっきり言おう。真の民主主義者は今、アサド体制の崩壊を望み、被害者を救わなければならない。真の民主主義者、つまり自由市民は、米国帝国主義者の大悪魔の従順な従僕でしかない西欧の国々の陰謀者の視点で見た世界など拒絶しなければなららない。自由市民は、国際的価値があらゆる場で守られ、こうした価値の促進と防御が国際的人権の正当性を確立する唯一の方法であることを熟慮しなければならない。……

リードと数行だけ翻訳しました(このサイトは有料です)。
投稿コメントは、昨夜(日本時間)で140ぐらいだったのですが、今朝見たら380を超えてました。
日本の報道との大きな違いは、いまや世界の独裁者となったアメリカと、自国を含む西欧の政府の無力さを批判していつところでしょうか。

フランスだとかイギリスだとか国家を一般化して良し悪しを述べるのではなく、その国内に悪人と善人が存在していることを知り、善人が国際的に連帯して、新自由主義・帝国主義推進者に立ち向かわなければいけない時代なのだと思います。

日本では各国の善人の姿がなかなか伝わらないのが、すごく残念です。
[PR]
by k_nikoniko | 2013-08-29 08:11 | 戦争

10年前にイラク戦争がはじまったとき

先月、イラク戦争から10年のイベントに参加したとき、「10年前に何をしていたかなぁ?」と記憶をたどってみた。
当時、戦争反対のデモや集会には行っていない。
積極的に活動してはいなかった。
何をしていたんだろう?

ふと思い出したのが、イラク戦争がらみの原稿がボツになったこと。

10年前は、ちょうど北海道新聞の「朝の食卓」というコラムを書きはじめたときだった。
2回目か3回目の原稿で、イラク戦争に触れたが、「これはちょっと…」と掲載を見送られた。
さわやかな話題を提供する朝刊のコラムにはふさわしくない内容だったのだろう。

そのボツ原稿を探してみたけれど、このときのコラムの原稿がすべてすっぽりなくなっていた。
間違えて消去してしまったらしい。

そのときに書いたものが、1本だけ見つかった。
日付はないけど、タイトルが「最後通告と野球」になっていたので、そのころ書いたのだと思う。

この場に及んで、まだ大リーグか。
ここ数日のニュース番組に、憤りを感じる。
深刻な面持ちでイラク問題を解説した直後に、「次は、ゴジラです」と、明るい口調で言われると、なんだか騙されたような気がしてしまうのだ。
テレビのニュース番組では、大学教授や評論家を招き、熱い論議が繰り返されている。
アメリカ批判も少なくない。
反戦運動も、各地で盛り上がっている。
にもかかわらず、スポーツのトップニュースはアメリカ野球。
球場からは、アメリカ人の明るい歓声さえ聞こえてくる。
これを見て、不愉快に思うのは私だけだろうか? 
これまで騒ぎ過ぎたので、いまさら引っ込みがつかなくなってしまったのかもしれない。
しかし、戦争が始まる前と同様にはしゃがれても、シラけるばかり。
せめてスポーツぐらい楽しいニュースを、という気持ちはわかる。
政治とスポーツを同じレベルで語るべきではない、という意見にも賛成だ。
でも、なぜアメリカ野球なのか?
そもそも、これほどまでに大リーグを持ち上げる必要があるのか? 
世界で活躍している選手を称えたいのなら、他のスポーツも平等に扱うべきだ。
政府のアメリカ追従を指摘しているメディアは、スポーツでアメリカにおべっかを使っている。
非常に矛盾している。
[PR]
by k_nikoniko | 2013-04-07 10:23 | 戦争

イラク戦争から10年

「イラク戦争の10年と日本」のイベントに参加した。

イラク人フォトジャーナリストのアリ・マシュハダーニさんは、「心臓の悪い方は観ないでください」と言い、ビデオを紹介した。
さすがの私も直視できないほどの残酷なシーン(最初の一瞬しか観ていないけど…)。
このビデオの後、会場から、「日本軍も中国などで同じようなことし、その映像が残っているはずだ」との発言があった。

1993年か94年、イギリスBBC2が、アジアにおける日本軍の行い(蛮行)を記録したドキュメンタリーを放映した。
この目でみたので、残虐な映像は確かに存在している。
偶然つけたチャンネルで、目に入ってきたのが、日本刀で首をはねたり、山積みにされた遺体を移動させたりする場面だった。
日本では観る機会がなかった(そして、いまも“ない”)映像。
ものすごい衝撃だった。
ロンドンの狭いアパートでひとり、涙でぐしゃぐしゃになりながら、テレビを観た。

翌日、知り合いのイギリス人にその話をしたら、「過去を教えられないのは、この国も同じ」となぐさめてくれた。
「イギリス人だって、たとえば、ボーア戦争でどれだけ残虐なことをしたのか、知らない」と言った。
イラク戦争の10年前の話だ。

今、イギリスの人たちは、イラク戦争で何があったのか、知っているのだろうか?

イベントのもうひとりのスピーカー、英軍兵士の息子をイラク戦争で亡くしたローズ・ジェントルさんは、「19歳の息子は、イラクがどこにあるか知らずに戦争へ行った」と話した。

イラクは、第一次世界大戦後、イギリスに委任統治されていた。
そうした歴史をイギリス人は知らない?

ジェントルさんのアクセントが気になったので、ちょっと調べてみたら、スコットランド人だった。
ポロックという人口6万人強の町から、息子さんはイラク戦争へ行ったのだ。

戦争へ駆り出される若者は、イギリスもアメリカも似ている。日本も例外ではない。
こうした若者と戦争の関係を考えるたびに、ジャン=リュック・ゴダール監督の映画「カラビニエ」を思い出す。
赤紙を持ってきたカラビニエに、「戦争に行ったら何でも手に入る」と言われ、勇んで戦争へ行く兄弟。
悲しいまでに無邪気な兄弟とその家族。

無知は恐ろしい。
とはいえ、教育もメディアも無知を奨励するような日本で、どうやって“無知”を自覚することができるのだろう。
賢い人たちは、その方法をなかなか教えてはくれない。
知ろうとしない人たちには、いつまでたっても真実は伝わらないままだ。
[PR]
by k_nikoniko | 2013-03-20 22:49 | 戦争

イベントのお知らせ「イラクからのメッセージ」

9月8日(土)に開催される講演会のお知らせ

劣化ウランの放射能被ばくが深刻なイラク
イラクからのメッセージ 小児がんを乗り越えて
フサーム医師と元患者のザイナブさん来日!

湾岸戦争とイラク侵略戦争で米軍は劣化ウラン弾を使用しました。
イラクでは、この劣化ウランの放射線の影響と推定される小児がんが増加しています。
このたび、イラク南部都市バスラのフサーム・サリッヒ医師と、ザイナブさんが来日し、福島と東京で、劣化ウラン被ばくによる小児がん、先天性異常や流産の実態、線量測定など放射線防護が一切行われていないイラクの状況などを報告します。
イラクの悲劇は、原発等の燃料の廃棄物が、戦争に利用された結果であり、福島、そして日本と無縁ではありません。
ぜひイラクの現実に耳を傾けてください。

9月8日(土) 18:45開演(18:30開場)
場所:文京シビックセンター 4階ホール(文京区春日1丁目16番21号)
(最寄り駅: 東京メトロ 後楽園駅、都営地下鉄春日駅、JR総武線 水道橋駅)

資料代:1000円
主催:バスラ東京報告会実行委員会
協力:JIM-NET、セイブ・ザ・イラクチルドレン広島、日本国際ボランティアセンター(JVC)、
イラク戦争の検証を求めるネットワーク
お問い合わせ: JIM-NET (03-6228-0746)、木村(kkayoko7[at]gmail.com、[at]は@)

フサーム・サリッヒ医師(Dr Hussam Mahmood Salih)
イラク南部の都市バスラ出身。バスラ産科小児科病院を経て、2010年よりバスラ子ども専門病院勤務。2004~2011年にセイブ・ザ・イラクチルドレン広島の招きで来日し、計11ヶ月間ほど、広島大学大学院医師薬学総合研究科で研修。

ザイナブ(Zainab)
21歳。バスラ出身。13歳で小児白血病の治療をはじめ、JIM-NETから通院費の支援を受け病気を克服。19歳のときから、院内学級でJIM-NETの活動を手伝うようになり、子どもたちに絵などを教えている。今回が初来日。

********

イラクに関する投稿、ご参考まで

イラクに「アラブの春」は来るだろうか
イラク小児白血病専門医が劣化ウラン弾の影響で増加する小児ガンを語る
アラブ革命のなかでイラクは
イラクの美しい風景
オバマ大統領について各国の人に聞いてみた
広島、そしてイラク
イラクの子どもとイギリス兵
イラク人の向上心を信じて
イラク女性から聞いた本当のイラク
再びイラクについて
札幌にやって来たイラクの女性医師
[PR]
by k_nikoniko | 2012-08-23 12:30 | 戦争

イラク人医師らの報告会 in 福島

イベントのお知らせ

イラクから 福島へ
~ イラク人医師 フサーム・サリッヒ氏によるイラクの現実の報告会 ~

この度イラクから、子どもたちを診察してこられた医師をお招きすることになりました。
フサーム医師はイラクの小児白血病専門医で、現在イラクのバスラにある子ども専門病院で子どもたちの治療に当たっています。  
また、フサーム医師の元患者さんで、白血病から回復したイラク女性ザイナブさんも福島に来てくださることになりました。今はバスラ子ども専門病院で、子どもたちに勉強を教えています。
 
イラクは、アメリカ軍が1991年、2003年以降の攻撃で使用した劣化ウラン弾による被曝が深刻な状況になっています。現地では線量計も医療機器も十分ではありません。放射能の知識のない住民も
多いそうです。
フサームさんとザイナブさんのお話しを伺って放射性被害(被曝)について共に考えていきませんか。多くの皆さんのご参加をお待ちしています。
                    
*セイブ・ザ・イラクチルドレン広島より、代表の大江厚子さん、通訳の中島健さんも同行されます。

◆日 時 : 2012年9月7日(金)18:30~20:30
◆場 所 : チェンバおおまち 3階 会議室
  福島市大町4-15  TEL 024-526-4533
◆ 参加費 :  500円 
◆ お問い合わせ:高橋(070-5095-3329)子どもを放射能から守る福島ネットワーク

★同じチェンバ大町三階の交流広場にてイラクのパネル展を開催します。是非ご覧ください。
[PR]
by k_nikoniko | 2012-08-23 11:21 | 戦争

イラクに「アラブの春」は来るだろうか

先日会ったイラク人のフサーム医師は、イラクでも小さなデモが行われると言っていました。
「まったく報道されないけど」と。
では、「イラクでもチュニジアやエジプトのような『アラブの春』が起きそう?」と聞いてみました。
「不可能だと思う。戦争前であれば可能だったかもしれない。今は、民衆がひとつにまとまるのは難しい。シーア派やスンニ派、クルド民族など、いくつものグループに分断されてしまったから」
という、悲観的な返答でした。

フサーム医師の報告会(8月7日、広島)のとき、「アラブの春」にからんだ発言が、アメリカ人のシンディ・シーハンさんからの質問を受ける形でなされました。
以下、その質疑応答です。

シンディさん:湾岸戦争のときは、共和党の父親のほうのジョージ・ブッシュが大統領で、経済制裁の時代は民主党のビル・クリントンが大統領でした。その結果、200~300万人のイラク人が命を落としました。ビル・クリントンのときの国務長官マデレーン・オブライトは、経済制裁で50万人の子どもが命を落としたことについて質問され、「それでもやる価値はあった」と答えました。2人目のジョージ・ブッシュが大統領のときにイラクに侵略し、8年経った今でもアメリカはイラクを占領しています。アメリカは、共和党の大統領であろうと、民主党の大統領であろうと、同じことをしています。私の質問したいことは、イラクの人がオバマ大統領をどう思っているか、です。

フサームさん:アメリカ大統領選のとき、私たちは新しい大統領について議論しました。イラク国民はオバマが大統領に大きな期待を抱いていたと思います。オバマ大統領は黒人ですし、イスラム教徒の家庭出身なので、イラクの状況にもっと注目してくれるだろうと期待していました。アメリカの黒人が苦しんでいるのを知っているオバマ大統領なら、イラクのよりよい未来のために援助してくれると思ったのです。大統領に就任したとき、彼はすぐに米軍を撤退すると約束しました。しかし、すべてのイラク国民は後に失望したと思います。イラクの状況は変わっていません。以前とまったく同じです。アメリカはさまざまなプロジェクトをイラクに導入しようとしていますが、そこからは何も生みだされていません。アメリカが考えているだけで、私たちイラクは何も手にすることができないでいます。みなできるだけ多くのお金を持ち帰ろうとしているのです。表面的な変化だけで、基本的なことは何も変わっていません。

シンディさん:識字率が97%から39%に下がったのを知って驚いきました。今日の生活水準とサダム・フセイン時代のそれと比べて、どうですか?

フサームさん:サダム・フセインは独裁者であり、厳しい時代でした。私たちに自由はありませんでした。しかし、あのときは安全が保障されていました。規制が厳しく、人々は海外へ行のも制限されていました。非常に拘束されていました。現在は自由ですが、安全保障がありません。外出できず、子どもの世話もできません。誰もが国境を超えて簡単にイラクに侵入できます。イランが一部をかすめとり、クウェートが一部をかすめとる、といった状況です。イラクは石油が豊富だからです。しかし、人々の暮らしは悲惨で、現在のほうが悪化しています。
問題は、1991年にはイラク国民が容易にサダム・フセインを倒すことができたというところにあります。特に、バスラの人々は、サダム・フセインと政府を倒すために立ち上がっていました。あのとき、イラクの人々は自分たちの手で国を変えることができたのです。しかし、他の国の多くが、サダム・フセインを擁護しました。そして、2003年になって、アメリカがイラクを侵略しました。1991年のとき、イラク軍はサダム・フセイン打倒のために民衆と合流しようとしていました。それをアメリカ軍が阻止したのです。イラク人が自ら状況を変えることができたのに。アメリカは、アメリカ式の民主主義を導入しようと攻撃してきました。しかし、それはまったく無駄に終わりました。イラクは現在、非常に遅れた国になっています。
独裁主義と占領時代を比較するのは不可能です。戦前には安全な暮らしがありました。サダム・フセイン時代は自由はなくても、非常に安全でした。多くの人が今、占領されるより、サダム・フセイン時代のほうがよかったと、思いはじめています。安全に生活できたからです。イラクは独立国家ではなく、政府は多くの国から圧力をかけられています。
以前は、教育や医療サービスが無料でしたが、今は教育も医療サービスもお金がかかります。
[PR]
by k_nikoniko | 2011-08-24 21:41 | 戦争