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カテゴリ:戦争( 47 )

子どもたちに笑顔を パレスチナでの取り組み2

マジダさんのセンターでは、多様な活動を行い、失敗したケースもいろいろあったそうです。
そのなかで、「子ども議会」は成功している良い例だといいます。
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子ども議会は1993年にはじまりました。
そのきっかけとなったのは、子供たちのケンカだったそうです。
ケンカした子どもたちが自分たちで解決法を見出すにはどうしたらいいか?
マジダさんはじめ大人たちもどうすべきかわからず、手探りで「子ども議会」を作ったといいます。
子どもたち自身が、「子ども議会」を生み出し、維持しているのです。

センターの「子ども議会」はとても民主的です。
この話しを聞いていて感じたのは、「子ども議会」は民主主義の西側諸国から見習った制度なのかどうか、ということです。
西欧諸国は「イスラムの民主化」を謳っていますが、イスラム社会には民主主義的な側面が全くないのでしょうか?
西欧文化の民主主義を押し付けても成功しないのではないか?
そんな疑問をマジダさんにぶつけてみました。
すると、次のような答えが返ってきました。
子ども議会は、イスラムの伝統や文化に基づいています。
議会に最も近いイスラムの伝統的なやり方に、シューラという仕組みがあります。
シューラとは、みんなが一致したリーダーを選び、リーダーがものごとを決めていく方法で、子ども議会も全員でリーダーを決めます。
ただ、シューラはコーランに基づいており、女性の参加を限定していますが、センターでは自分たちの決めたルールにより決定し、女の子も積極的に参加できます。
西欧諸国はイスラムの民主化を目指していますが、私たちにしてみれば、西欧がシューラのアイデアを参考にしたのではないかと思っています。
英国議会の歴史は長いのですが、英国議員には階級があり、ある議員が演説している間、下級の議員も立たなければなりません。
でも、子ども議会は平等で、ひとりが立って話し、座ってから次の人が立って発言します。

西欧がシューラのアイデアを参考にしたのではないか。
その例として、マジダさんは、米国からのある申し出について教えてくれました。
2003年に米国の支援団体から、子ども議会の向上のために16万ドル(約2000万円)援助すると提案されたといいます。
子ども議会にかかる費用は年間500~700ドル(10万円以下)ほどなので、資金の一部をセンターの増築、備品や教材の購入といった別の目的に使いたいと伝えたところ、“援助資金は子ども議会だけに限る”と言われたそうです。
子ども議会に携わっているボランティアの月給を600ドルにし、交通費や携帯電話などの経費を支払えばいい、と米国側は交渉してきたのです。
センターでは、指導員でさえ月給は450ドルほど。あまりにも法外な金額なので、申し出を断ったといいます。
「子ども議会」はパレスチナ人が考えてはじめたのですが、米国がそれに便乗し、お金の力を借りて、「イスラムの民主化」を推進しているともいえます。
何だかいやらしいです。

さて、子ども議会について、マジダさんの話を紹介します。



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by k_nikoniko | 2015-06-16 09:01 | 戦争

子どもたちに笑顔を パレスチナでの取り組み1

紛争がつづくパレスチナでは、子どもたちが希望をなくし、学校にもいけず、遊び場もない状態で暮らしています。
子どもたちの心の傷をどう癒すか。
昨年(2006年)来日したマジダさんが所属するCFTAの取り組みは、大変興味深いものでした。

マジダさんの住むハンユニスはガザの南部に位置し、人口は15万ほど。ガザに比べて発展に遅れた地区です。
教育システムの整備が不十分で、義務教育を終えた子どもたちは進学先がありません。
行き場のない子どもたちは、幅1メートルほどの狭い道で遊んでいます。
子どもの数は増加しており、人口の過半数が15歳以下です。
一世帯の子どもの数は平均5~7人で、ほとんどが2間ほどの住居に暮らしているそうです。

子どもたちは自由に走り回る場所がありません。
そこで、子どもたちに安全に遊ぶ空間を提供する施設ナワールセンターが作られました。
ガザでも貧しい地域にある唯一の子どものための施設で、6~12歳の子どもを受け入れています。
スタッフは、マジダさんを含めて4人で、残りはボランティア。資金も備品も十分とはいえません。
当初の計画では定員80~120人だったのですが、600人の子どもを受け入れています。

以下は、マジダさんのお話。



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by k_nikoniko | 2015-06-15 07:38 | 戦争

「新しい自由な世界へ」平塚らいちょう

1951年11月に平塚らいちょうが書いた短い新聞記事を見つけました。

わたしたち一人ひとりが、どれほど平和を強く望んでいても、それが個人的な立場にのみとどまるかぎり、この世界から戦争をなくするコトはできません。わたしたちの平和への熱意と努力が、新しい世界機構の創造に向けられなければ、云いかえれば、世界政府をつくるというコトに集結されねば真の平和の実現は期待されません。世界政府こそ恒久平和への門であり、入口であるからです。
今日の世界??は??の政治家や軍人、また男子ばかりの手に任せておいたのでは、もはや?われません。彼らにばかり任せていたら、世界はそして日本はいったいドコへ行くコトでしょう。
今、日本の母たちは一人残らず戦争を心の底から憎み、子どもたちや孫たちが再び戦争しなければならない様なコトのないようひたすらに平和を望んでおります。
この母たちこそ、過酷な戦争のギセイにおいて得た唯一の収穫である日本の平和憲法を守りぬくと共に、これを世界的なモノにおしひろめなければならない切なる?と決意をもってこの世界政府運動の旗の下に?せ?まるべきでありましょう。
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by k_nikoniko | 2015-04-30 11:43 | 戦争

ぜいたく夫婦よさようなら

戦時中の1938年2月から1945年7月まで、内閣府内閣情報部(のち情報局)が編集・刊行していた国策グラフ雑誌『写真週報』は、恐ろしい内容をソフトに伝えようとしていて、けっこううまい編集。
こういう工夫を凝らした広報誌を作ってたんだ、と変に感心してしまいました。

その企画のひとつが、「ぜいたく夫婦よさようなら」。
派手なNG夫婦(左)と模範的夫婦(右)が紹介されています。

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NG夫とは…
フランス製のコスメチックで男のくせに香料の匂いがプンプンする。だいたい舶来の整髪料は鉱物性で、われわれの頭皮には向かないのだ。
英国製ダンヒルはストレイトグレーンのパイプである。高い関税を払ってまでこんなものを買い入れるのを誇りとしていた。
仔山羊の皮でバックスキンのキザな仕立ての白靴などぜいたく以外の何ものでもない。

NG妻とは…
アールデンの白粉、ドラレの頬紅、コティの口紅。欧米依存主義はここにもあった。
毒々しい真紅のマニキュア、プラチナ台に真珠の指輪。
金糸銀糸の訪問着。これ一つで普段着なら五つも出来る。ごくたまにしか着ない着物に無駄な金をかけていたのだ。

模範夫とは…
ネクタイやカラーは柄や色よりも清潔に心を用いよう。新時代の美学は変貌して来た。
重いの軽いのといふ気持ちがすでにゼイタクなのだ。帽子は日よけが第一使命。
服地はドイツだってイタリアだってスフ混織だ。伸びて行く国は身を屈して戦っている。

模範妻とは…
お化粧も出来るだけ素顔を生かす。化粧品は国産品を信頼し、健康美を生かす薄化粧。顔に色を塗って遊ぶのはもう古い。
清潔にさえしえあれば、女の手は美しいもの。体さえ健康なら、爪は自然にバラ色になって来る。
履物の寿命も手入れ一つ。〇〇下駄屋さんに嫌われてもよいから今度こそは耐えのレコード目指して。

NG妻の「アールデンの白粉」は、エリザベス・アーデンのフェイスパウダーのことかしら?
コティは知っていますが、ドラレがわからない…。

戦争になったら、プチ贅沢なんて言っていられませんね。
日本がもし戦争をはじめたら、勝ち組といわれている男性・女性が非難されそう。
勝ち組とまでいかなくても、我慢を強いられ、息苦しさを感じるでしょう。
私は美容もファッションも好きなので、そういう楽しみを一切奪われるのがイヤという意味でも、戦争は反対です。

その一方で、模範的なカップルの吹き出しを読んで、「今の健康ブームって、もしかしたら戦争の準備?」と思ってしまいました。

この他、以下のような企画ページもありました。
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『写真週報』についてのウィキペディアはこちら
昨年2014年8月24日に、国立公文書館の「『写真週報』 広報誌にみる戦時のくらし」展にて。


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by k_nikoniko | 2015-04-29 10:04 | 戦争

少なくとも二人のフランス人女性が旧日本軍「慰安婦」に

フランスのネットマガジン『Slarte fr』に、BC級戦争犯罪裁判・サイゴン裁判(フランス)で判決が下った「フランス女性に対する強姦事件」についての記事が掲載されました。

第二次世界大戦:少なくとも二人のフランス人女性が日本軍「慰安婦」に


2014年12月4日 14:36(日本時間 6:00)
Julie Hamaïde

戦時中、主に朝鮮人と中国人の20万人もの女性が、組織的に、日本軍の性奴隷状態に強いられていた。

朝鮮半島と中国の一部を侵略した後、1945年に日本軍は、治安と監視の口実で、フランスが統治していたインドシナに侵攻した。そのなかに、フランス人の姉妹を捕らえ、7週間もの間、監禁・強姦した軍人がいる。

この事実は、関東学院大学の林博史教授の最近の研究で明らかになった。サイゴン常設軍事裁判所(現・ベトナムのホーチミン市)の1947年の起訴状によると、日本陸軍大尉が姉妹を捕らえた。妹は14歳だったといい、まず姉を強姦し、二人を“連行”した。同大尉は、1945315日から53日まで、「部下である中隊の兵隊らが、数週間にわたり毎日強姦するのを知りながら、それを組織もしくは黙認していた」と起訴状には書いてある。

194553日、大尉と部下である軍曹は、二人の女性を射殺した。裁判所は、この大尉に、殺戮、強姦、強姦共犯、詐欺の罪で死刑の判決を下し、1947812日に死刑が執行された。

インドシナに居住していたフランス人女性への強姦に関する記述および証明の公文書が見つかったのは、今回が初めてだ。「慰安婦」は性奴隷を歪曲した表現であり、その時期に同様な境遇にあった女性が非常にたくさんいたという隠された事実を示している。

当時、日本軍のインドシナでの使命は、治安と監視だけに限られていた。しかし、林教授が見つけた記録によると、194539日、日本軍司令部は、「数知れない残酷さと違法な犯罪」による武力行使を予謀したという。最高司令部の人道的主張とは反対の行動だった。「日本軍の目的は、フランス軍との中立にとどめる。…略… 市民は敵とはみなさない」 それから数日後、さまざまな暴虐を伴い、人間狩りがフランス人に対しても行われた。

1日に10人以上

林教授はこの夏、公文書が日本法務省から国立公文書館へ移管された後に、この裁判記録を見つけた。それまで、林教授も、彼が運営する日本の戦争責任資料センターも、フランス女性に対するこうした裁判について知られていなかった。林教授によると、その他のこうしたケースを証言できる証人尋問報告書をフランス軍が所有しているかもしれないという。インドネシアのオランダ人女性に関しても、似たような実態がすでに明らかになっている。

林博史教授は、1128日にパリで開催された記者会見でこの情報を発表したが、フランスのメディアはほとんど注目しなかった。この記者会見は、韓国挺身隊問題対策協議会が主催し、韓国人の元「慰安婦」サバイバーのキル・ウォノクさんも出席した。サバイバーの数は減ってきており、韓国で生存している元「慰安婦」は50人ほどだという。

何万人もの女性たちが、戦地の駐屯所付近に作られた日本兵のための「慰安所」に強制的に連行された。女性たちは、1日に10人以上の男性の相手をさせられたこともあった。キル・ウォノクさんのように13歳にもならない少女もいた。「1940年、私は『慰安婦』として満州のハルピンに連行されました。そこで性病を患い、兵士の相手ができなくなりました」 キル・ウォノクさんは朝鮮に送り返された。

慰安所制度は体系的である。女性が性病に感染しないよう検査するために、軍医が定期的に訪問していた。数年前にシベリアで、地元の女性を強姦した日本兵の一部が性病で死亡しているからだ。金銭を受け取った女性もいたが、彼女たちはそのお金をお酒やタバコ代として使っていた。

責任を否定する日本

戦争が終わった後も、性奴隷の被害者たちは羞恥心と拒絶の恐怖を抱えて生き、自分の体験を話そうとはしなかった。初めて声を上げたのは、90年代に入ってからだ。

それ以来、日本政府は、責任を認めなければならないこと、教科書に「慰安婦」の歴史を入れるべきであることを恐れ、調査を拒否している。戦争被害者すべてに対し、1965年の日韓協定で賠償済みだとの見解である。それゆえ、20年以上前から毎週水曜日に、挺対協、元「慰安婦」サバイバー、その支援者たちは、ソウルの日本大使館の前でデモをつづけている。デモの参加者たちは、亡くなった被害者の名誉を象徴する像を作った。日本大使館をじっと見つめる、椅子に座った少女の像だ。その横には、サバイバーと抗議活動する人たちのために、空席の椅子がおいてある。「人権、女性の権利、そして正義は、一度踏みにじられると、回復するのは難しい。平和のために、このような戦争犯罪が二度と繰り返さないために、がんばらなくてはならない」とフランスを訪問したキル・ウォノクさんは訴えた。

ここ数年、世論を変えるために、そして外国政府の支援を求め、「各国訪問」を敢行している。戦後70年を来年に控え、「人権の国」に値する支援がもたらされることを期待し、挺対協はフランスで多くの政治家たちと面会した。


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by k_nikoniko | 2014-12-05 23:44 | 戦争

自衛力の増強と「戦犯」

国立公文書館所蔵の「戦争裁判関係事務資料抜粋 その8 昭和27年」に収められていた文書です。

自衛力の増強と「戦犯」

1.「戦犯」の大部は旧軍組織内において命令による行為のためであった。然るに旧軍組織内におけるこの指揮命令に伴う発令者受令者の責任と裁判による刑の配分とはまったく「マッチ」していない。のみならず責任の地位にありながら遇々裁判を免れまた機械的に命令を実行した者で重刑に苦しんでいるものも相当多い。同裁判そのものにも戦時下の敵愾心が影響してきわめて多種多様の不公正を包蔵している。これはすでに日本国民朝野の熟知するところとなっていることは過般政府の「戦犯赦免」の勧告となったのをみても明らかである。

2.警察警備隊、海上警備隊と日本政府は無軍備の現憲法下に四苦八苦して米の要求と条約義務の遂行に努力しているがその内容をみると一方に「戦犯」として多くの人々を獄窓に繋ぎながら他方そのかつての同僚、先輩部下たりし人々(しかも遇々「戦犯」の厄を免れた人々)を新軍備の基幹たる人々に包蔵しておりまた旧軍人の家族の大部は取残されいずれも生活苦に喘いでいる。世の中にはまさに複雑怪奇である。

3.こんな状況で一体隊内の人々はすっきりした気持ちで本当に愛国心に燃ゆる精強な部隊となりえようか。また日本国民はこれに全幅の信頼を以て国の安全を託しえると考えるであろうか。まして巣鴨にいる人の側からみたら一体この軍事はどんなに映るだろうか。

4.しかも米国は平和条約及び安全保障条約の線に沿い一途に日本の「自衛力の強化」を称揚している。この状況はこれをたとえば馬の脚をしばってこれを鞭って前進を強いるに等しい。

5.良識ある日本人は戦争の惨禍を二度と再繰り返さないことを希うはもちろんであるがさればといって世界の現状から祖国が無防備でよいなどと心から信ずるほど愚かではない。日本国民の希うところは先最も立遅れの「戦犯」「遺族援護」等の先決問題を逐次片づけ軍隊及び軍人本来の名誉の基盤を再確立して後真に信頼するに足るすっきりした軍隊を作りたいというのである。現状で米国がいくら力押しに「自衛力の増強」を呼んでも国民が納得せずまた国民の納得しない軍隊は烏合の衆に過ぎず却って将来に禍根をのこす以外何物でもない。これに反して右の前提条件さえ片づけば自衛力問題は自ら適正に解決するとは目に見えている。

6.戦争の後始末の諸施策は今のところ「戦犯」を除きかねがね来年度は片づく見込みにあるが「戦犯」は果たしていつ片づくのか見当もつかない。一体米国はじめ連合国はいつまでこんな厄介な重荷を負わしておくつもりだろうか、あとのことは日本人自らの判断で片づけるが「戦犯」の「ガッシリ」と連合国の手に握られていてどうすることもできぬ。

7.連合国が真に世界の平和と日本の自立を希い民主陣営の防壁たらしめんとするならばまず最も立ち遅れている戦争の残滓「戦犯」を速やかに解消すべきものと考える。



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by k_nikoniko | 2014-08-16 09:58 | 戦争

I AM Palestine!!

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by k_nikoniko | 2014-07-25 23:10 | 戦争

戦争をさせない全国署名

「戦争をさせない全国署名 6.12提出集会」 大江健三郎さんスピーチ中。

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by k_nikoniko | 2014-06-12 19:32 | 戦争

3月20日は「この国の危機」を考える1日でした

12時10分から「国連報告者アナンドグローバー氏院内勉強会」。福島第一原発事故による住民の健康管理に関する勧告に対し、関係省庁(外務省、環境省、復興庁、原子力規制員会)から発言。
一部ネット配信されているので、どのようなやりとりがあったかご覧いただけるとわかりますが、「このような官僚にこの国の政策をまかせていていいのか?」というのが率直な感想。
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16時からは、「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」主催の「元イラク派遣空自隊員と問う、集団的自衛権 -『有事』に蔑ろにされる人権」。イラクに派遣され、負傷した元自衛隊員・池田頼将さんのお話は、痛々しかった。
ネット配信してます。
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夜は「戦争をさせない1000人委員会」の出発集会。雨にもかかわらず、4000人が参加(主催者発表)。
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by k_nikoniko | 2014-03-21 18:52 | 戦争

戦争をイメージできない若者たち

先日の「脱原発都知事選候補に統一を呼びかける会」の記者会見で、憔悴した表情で鎌田慧さんがこう言った。
「若い人には何のことかわからず、変な老人が焦っているように見えるかもしれない。でも、戦争体験者は戦争の足音が聞こえるから、こうして老人が走り回っている。戦争への道を止めたくて」
聞いている記者はみな若く、こうした言葉の重みが理解できないのだと思う。
前回の記者会見でのむのたけじさんのお話も、小山内美江子さんの訴えもスルー。
記事にならず、人々に戦争の恐怖は伝わらない。
私は戦後20年もたたないうちに生まれている。
それは阪神淡路大震災を今思い出すぐらいの年月。
戦争がそれほど遠い過去のものではないので、少しは戦争をリアルに考えることができる。
でも、若い人には実感がないのだろう、戦争というものの。
原発も恐ろしいけど、戦争もイヤだ。
戦争を体験してきた方たちの発言に、もっと真剣に耳を傾けるべきだと思う。



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by k_nikoniko | 2014-02-09 01:01 | 戦争