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市民活動を市民の手に

参加していた市民団体の活動がひとまず休止となった日、これまで運動に縁が薄かった組で飲んだのですが、お酒がいいぐあいに回ってきたころ、外部から支援してくださったAさんが、「事務局は頭のいい人の集まりで、難しくてわかりにくかった」と言いだしました。
それを聞いたBさんは、「市民活動の敷居が高いと感じる訳はそれだ」と、喉のつかえがとれたようで、しばらくその話題で盛り上がりました。Bさんは、「そんなことも知らないの?」と言われたり、そんな視線を感じることがあり、ときどき肩身が狭かったそうです。
確かに、すべてとはいいませんが、市民活動は「頭のいい人の頭のいい人のための活動」になっているような気がしないでもありません。さらに言えば、「頭のいい人と行動することで自分もその気になって優越感に浸りたい人のための活動」でもあるというか。
私自身、この世界では常識とされている人物や事柄になじみが少なく、それでいて、「知らない」と言えなかったこともたびたびでした。
でも、こうした活動は、広く一般的な市民のためのものとはちょっと違います。市民と市民活動が乖離しているのです。
「政治を市民の手に取り戻そう」ではないけれど、「市民活動を市民の手に戻す」べきだと思います。
これは市民活動と違う道を歩いていた私の感想です。
この1年、「とっつきにくい市民活動の壁に風穴を通したい」と行動してきたのですが、風が吹いたのか、風が心地よかったのか、うっとうしかったのか、手ごたえはいまひとつわかりません。
私的には、新しい層を巻き込めなかったので失敗。
社会への関心の薄い人たちを振り向かせるにはどうすべきか。今はそれを考えています。
ところで、Bさんが口をついた、「オルタナティブな市民活動」というアイデアに心惹かれました。「難しくない、誰でも参加できる身近な市民活動があればいい」と。
”もうひとつの”市民活動。
暮らしのなかで矛盾を抱えながらも、声を出せないで苦しんでいる人たちには、最初の一歩としてのオルタナティブな市民活動が必要ともいえます。
もちろん、これまでの市民活動が培ってきた経験、豊富な知識、人脈は大変貴重で、短時間で手にいれられるものではありません。
そうした人たちに学びながら、一方で違うタイプの人たちの新鮮な発想や能力を取り入れ、協働で活動していけたらいいと思います。
それが受け入れられるのか、拒否されるのか。
長年活動にたずさわっている人たちはどう考えているのでしょう?
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by k_nikoniko | 2007-11-05 23:27 | 社会問題
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