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本物の人体の標本だとしたら…

人間の体を紹介する展示会が開催されています。
人体をプレート状にスライスしたものや、実際に内臓などを触るコーナーまであるそうです。
これらは本物の人体を樹脂加工したものだと聞きました。
遺体を標本化し、展示しているというのです。
前回この展示会に行った人にそれを教えたら、「ウソだ!」と絶句しました。
2年ほど前、身内が手術をして、摘出した内臓を見ました。
私は見たくなかったのですが、「写真を撮ってほしい」と頼まれたので、しかたなく引き受けました。
医師が手にしていた内臓は、解剖図にあるのと同じ形で、気が乗らなかったわりには、まじまじと見てしまいました。
さまざまな角度から見ているうちに、そんな自分がちょっと怖くなったものです。
目の前の内臓は人間のもので、本来は神聖な人体の一部であるはずなのに、単なるモノを観察しているような感覚に陥ったからです。
人体の標本を観賞するのは、人間をモノとしてとらえる危険性をはらんでいます。
命が宿っていたことなど、忘れてしまうのです。
それに、私は身内の内臓を展示したくないし、多くの人に見せたいとも思いません。
展示されている人体が誰であれ、親や兄弟、友人といった人たちがいたはずです。
そういう人たちが展示されていることを知ったら、悲しい気持ちになるに違いありません。
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by k_nikoniko | 2007-05-08 01:06 | 社会問題
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