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道新セクハラ自死事件で遺族が民事訴訟

8月22日、北海道新聞函館支社で嘱託看護師だった松本A子さんが亡くなったのは、同社で起きたセクハラが原因だったとして、A子さんの遺族が同社と社員2人に約8600万円の損害賠償を求める訴訟を函館地裁に起こしました。

また同日、暴行容疑などで刑事告訴された社員2人が不起訴処分となったのを不服として、函館検察審査会への申し立ても行いました。

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北海道新聞社を嘱託看護師の遺族が提訴 「セクハラ原因で自殺に追い込まれた」(産経新聞)
北海道新聞と社員をセクハラで提訴 嘱託看護師の遺族(朝日新聞)

以下、記者会見での松本A子さんの父親のお話です。

娘は会社でセクハラを受け、それを解決する間もなく、死んでしまいました。
もしセクハラがなければ、いまも普通に自宅から歩いて坂を下りて、電車に乗って、出勤し、夕方6時には自宅近くの停留所で降りて帰宅し、うがいをして、食事をして、シャワーを浴びて、その後は自分の部屋で普段の生活をしていた、と考えますと、やりきれない気持ちでいっぱいです。
娘の死に方があまりにも悲惨なものだけに、何をどう言ったらいいか、まったくわかりません。





娘は、檜山管内の病院を辞め、再就職先を探しているときに道新の看護師募集を見て応募し、2010年4月に採用され、2015年2月19日まで、道新函館支社健康相談室に嘱託看護師として勤務しました。
元道新販売店主だった祖母も、「いいところに勤めた」と大変喜んでいました。このとき祖母はガンを患っており、少しでも安心させるために、娘は祖母を車椅子にのせ、自分の勤務先に連れて行ったこともありました。

2015年2月19日(木)、死ぬ1日と5時間前の夕方5時過ぎ、親類の者から、「娘が無断欠勤している」との連絡が入りました。
私たち夫婦は娘の自宅から10分ほど離れたマンションに住んでいます。連絡を受けて、すぐに妻と自宅に行きました。ブザーを押したら、娘が出てきました。「どうしたの?」と聞くと、忘年会でセクハラにあったことを話しはじめました。
1次会、2次会、そして3次会の個室のできごとを具体的に話しました。
K次長に体を押さえつけられ、太ももを触られたなどと言い、泣きだしました。一緒にいたM部員は助けてくれず、「愛人になっちゃえば」と言ったそうです。
まったく聞くに堪えない、ひどい行為だと思いました。
体調が悪いこと、食事がとれなくなったこと、体重が減ったことも話しました。
「会社に相談できる人はいないのか?」と私は聞きました。
北海道新聞の人の行為とは思えず、最初はとても信じることができませんでしたが、娘は嘘をつく性格ではありません。とても深刻だと思いましたが、どうしていいか、そのときは困惑してわかりませんでした。
「弁護士に相談してみないか?」と言いましたら、しばらく沈黙した後、小さな声で、「また同じことを言うの? もう疲れた」と言っていました。
私と妻は、「今日はマンションに泊まるように」とか、妻が「娘の家に泊まる」と言いましたが、娘は、「いいから、いいから。今日は帰って」となかなか私たちに同意しませんでしたので、その日は帰ることにしました。
翌日20日(金)、心配で朝9時ごろ自宅に行きましたら、娘の部屋のブラインドがおりていたので、たぶん寝ているのだろうと、いったんうちに帰りました。
夕方もう一度自宅に行きましたら、2階の娘の部屋の明かりがついていて、風呂場と洗面所の電気もついていたため、風呂に入っていると思い、とりあえずは大丈夫だと帰りました。

しかし、翌日の2015年2月21日(土)の午前5時ごろ、自宅から火災が発生し、娘は一酸化炭素中毒で死んでしまいました。
娘が死んだ当日の朝9時から消防と警察の合同調査が入り、私も立ち合いました。
消防の調査では、故意の出火であること。
警察の調査では、多数のセクハラに関する資料が、物置と2階の娘の部屋から発見されました。
そのことから、セクハラを苦にした自殺であることがわかりました。

娘が死んだ翌日の2015年2月22日(日)、道新函館支社長T氏と、営業部長S氏から、親類のものを通して、「塩をまかれてもかまわないから、謝罪文を受け取ってほしい」と連絡がありました。
その翌日23日(月)にも、道新側から親類の者を通して、「娘さんが火葬される前にお参りさせてほしい」という連絡がありました。
娘が親への最後の頼みとして、「葬式をやらないでください」というメモを残していました。
娘は何のために死んだのか。
道新側の人間に一番会いたくないのは、娘である、と思い、当然、道新の申し出は断りました。
26日(木)、娘との最後の夜は、私と妻の二人で過ごしました。
次の日27日、妻は身障者で箸を使えませんから、私が一人で娘の骨を拾ってやりました。

そして、そろそろ道新の人と会わなければいけない、と連絡をとりました。
2月28日(土)10時に湯の川のHホテル6階606号室で、1回目の顔合わせをしました。娘が死んでから、ちょうど1週間後のことです。
道新側からは、道新函館支社長T氏、販売部長Y氏、そして、私と妻の4人です。
このときは、娘の告発文書と直接聞いた話から、就業規則に則って処理されたのか疑問がありましたので、再調査の依頼をしました。
それから道新側からの申し出で、3月19日(木)11時に、湯の川の同じHホテル3階310号室で、2回目の面談を行いました。
道新側は、代理人弁護士O氏、本社経営企画局法務広報担当次長T氏、函館支社販売部長Y氏、それと私です。
このときも、「再調査をやってほしい」と申し上げました。若い法務広報担当次長T氏は、「できるだけ早く調査して、連絡します」と言いましたが、そのとき、代理人弁護士O氏は、T氏を遮りました。そしてこのときから、対応は函館支社から本社に移り、連絡がつきにくい状態になりました。

道新側から何も連絡がなくなりましたので、2015年4月1日(水)、道新代理人弁護士O氏の事務所に電話をして、「具体的にいつまでに調査結果が出るのか」と聞いたところ、「半年かかるかもしれないし、1年以上かかるかもしれないし」という回答でした。
セクハラがあったのは2014年12月8日の忘年会。そして、2015年1月8日には、加害者に謝罪させようとしています。
そのときは1か月で処理しようとしたのに、今回はまったく連絡がなく、非常に不愉快で、誠意がないと思いました。ついにがまんができなくなり、5月に刑事告訴することにしました。
娘のくやしい気持ちを代わって言わせていただきます。
「リスクマネージメント能力の著しい欠如が破滅を招くことすらわからない、人を人とも思わない、そのくせ新聞では庶民や弱者の味方のようなふりをする。道新に不正を追求する報道機関としての資格はありません。どうか一社でもこの件を記事にして欲しい。もう道新と戦うのは疲れ果てました」
娘はこう告発文書に書いて死んでしまいました。
私たちにへの道新の対応は本当にその場しのぎのであり、娘のときもこのようなことだったのだろうと想像できました。
北海道新聞社が、セクハラのない職場環境を提供し、セクハラが起きたら起きたで、適切な対応をしていれば、娘は不満だったとしても、ここまで大事にはいたらなかったと思います。

今後は、娘の気持ちを満足させるために、民事裁判、そして検察審査会などで審査してもらい、娘の遺骨にいい知らせをしてあげたいと思っています。


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by k_nikoniko | 2016-08-25 23:41 | ジェンダー
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