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フランス流フェミニズムなど存在しない

2011年6月30日のリベラシオン紙電子版に掲載された「フランス流フェミニズム、そんなものは存在しない」です。
ロール・ブルニ(社会学者)、ローズ=マリー・ラグラヴ(社会学者)、セバスチャン・ルー(社会学者)、エレニ・ヴァリカ(政治家)の連名。
ジョーン・スコットの「フランス流フェミニズム」を受けて。
*意訳しています。誤訳がたくさんあると思います。

「フランス流フェミニズム」? 引用符がついてもつかなくても、この表現はフランス流フェミニズムが美しく素晴らしく存在していることを暗示している。奇異なフェミニストの形態が、それぞれの国の社会的、政治的、宗教的文脈で実現されることを誰も否定できないとしたら、フェミニストの闘いのための議論、そしてしばしば指向対象の原型は、国から国への文化伝達だったことを検証しなければならない。それはフランスの場合もだ。アメリカ・フェミニズムが、シモーヌ・ド・ボーヴォワールにはじまり、フランスの著述に多く影響されているのが事実だとしても、1970年代のフェミニズムの社会生成、次のジェンダー研究、多くの教育やセミナー、シンポジウムの主題は、長い間、アメリカ、そして、より広く英語圏の理論家と活動家の恩恵で確立した。

まずジョーン・スコットに対して。とにかく、彼女には社会科学の「分析に役立つカテゴリー」というジェンダーの定義づけをしなければならない。社会学者がすでに練り上げたこの概念は、特に歴史において、質的および決定的な飛躍を実現させる。ジェンダー研究の成功は、どこの国でも、昨日の敵-正気に欠けた使用の危険を冒すが-を今日要求しているようなものだ。この歴史学者はまた、出版物Citoyenne paradoxaleでの政治のパリテを考慮した法律に関する議論の際に、すでに精通した仕事を明白にしてくれた。そして、この寄稿の2人の署名者が関心を持っている共和主義への批判的視点をもたらしてくれた。

6月19日の反論において、ジョーン・スコットに匹敵する同僚が、「読み方を知らない」、「誤った解釈」をした、と疑ったことには唖然とする。彼女は、「プリンストン高等研究所の有名な教授」で、「相違は類似に対立するが、平等には対立せず、それは全く違うことだということを説明」しなければならない高いポストが与えられている。ジョーン・スコットが間違った解釈をしたケースでも同様に、尊大な調子で正当化するイラストを強調し、横柄な人を蔑む口調で論争するのは正しいだろうか? 学校の権威を持って自ら任じながら、知性の敵を失格させる。その姿勢は司令官である。彼女は結局、根本の議論を避けたのだ。

問題の根本は何か? 誘惑と同意の場所と役割である。ジェンダーが否定されるのであれば、ジョーン・スコットの議論と同時に、根源である権力をさらに否定することになる。そしてもうひとつ、誘惑すること、それは男女の調和的交際のカギであり、誘惑は、自分の真の領域に他者を招き入れることであるのを忘れている。ところで、誘惑関係に巻き込まれた二人の立役者は、反社会化された個人ではなく、不平等から解放され、力関係から自由である。二人の役者を同等で平等にするのは、二人の精神に溶け込んだ不平等を消去した魔法の世界で誘惑について考えることである。ジョーン・スコットが批評で引き合いに出したフランス文学において、頻繁に誘惑されるのは若い娘であり、その娘はしばしば侮辱されたり、虐待されたりする。

それゆえ、支配-従属の関係の退場は、社会関係を複雑に妨害するだろう。人類学のニコル=クロード・マチューの「屈することが同意ではないとき」の退場である。性の相違に関する研究のためにジェンダー研究を追い払うことである。男性支配は締め出される。それに取って代わるのは、誘惑がキーワードになるだろう行動を和らげる文明だ。誘惑が「男女」の和解の支柱のように提示されるのはおかしい。DV、収入と年金の格差、女性の失業が存在する現在において、誘惑が政治的返答のように見えるのはおかしい。他の不平等がまだいつも大多数のフランス人の日常生活にセットで構成されている。もうひとつ、フェミニズムが国際的な新しい方法を構築しているときに、「フランスのフェミニズム」の基礎が隷属的な誘惑なのはおかしい。

「特異性」の幻想のなかに逃げ込む代わりに、あらゆる形のフェミニズムと対話しなければならない。もちろん、フランスにおける全フェミニズムを代表したいという野心を持たないという条件で、この「フランスのフェミニズム」もそこに含まれる。提案する再国有化は、むしろ保守派の強化、もしくは、今日的なフェミニストの混沌内部への新たな傾斜を構築する。1970年代に、MLF(女性解放運動)の「F」は、フランスではなく、女性を意味していた。今日、それは政治的選択である。国家のアイデンティティーの遺産に、すでに危険なやり方で有性武器庫に追加の武器を与えながら、フランス流フェミニズムを本当に登録したいのだろうか? 4人の著述家は、世代の違うフェミニストであり、その点から見れば、正統な不安を表現している。


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by k_nikoniko | 2011-08-01 01:12 | ジェンダー
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