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フランス流フェミニズム:弁護の発言

2011年6月17日のリベラシオン紙電子版に掲載された「フランス流フェミニズム:弁解の発言」です。
クロード・アビ(パリ第3大学)、モナ・オズフ(フランス国立科学研究センター)、フィリップ・レイノー(パリ第2大学)、イレーヌ・テリィ(社会科学高等研究院)の連名。
ジョーン・スコットの「フランス流フェミニズム」への返答。
*意訳しています。誤訳はたくさんあると思います。

調査が終了し、アメリカ司法裁判所は夏休みに旅立つことができ、ストロス=カーンの昼メロドラマは終わった。有名なプリンストン高等研究所のジョーン・スコット教授は、それを犯罪だと命名し、共犯者たちを割り出したところだ。犯罪か? フランス人が誘惑で、つまり、男性的凶暴さの何とも最悪な自己表明で示す愛想のよさか? 共犯者たちか? 被告たちの代表者をともかく派遣した、敵対する性に協調する3人の疑わしい知識人か。

告発はむりもない。それにしても、議論をしなければならない。そして、すべてが悪化するのはそれからである。最も明確なケース、イレーヌ・テリィからはじめよう。共犯者の小集団のなかで彼女だけが、DSK事件で持ち上がった公開議論への参加を志願した。「メードの女性と経済人」(ルモンド紙、5月23日)の見出しの寄稿で、彼女は、ストロス=カーンを弁護しようと、「時代遅れの気がふれたような言動を声高に叫ぶ」ことを躊躇しない人々と、「無実の推定の純真な支持者」と名づけた人々を区別した。しかし彼女は、後者に対し、性に関する違反の特殊性を適用できない刑法の概念にとどめておくことを責め、性暴力の被害者だったと嘆く人々に「真実性の推定」を要求している。「メードのただの女性」の話を聞き、4時間で「有力な経済人の襟首をつかむ」のはかなり効果的だったとニューヨーク警察をほめながらも、彼女はフランスの政治文化をさぐっている。我々は、フランスで、推定被害者に同程度の関心を寄せる準備ができているか?

あまり明確ではないだろうか? しかしここで-眠たい目をこすり-権力者に対する気づかいと、貧しい移民のメードの女性に対する「かろうじてぼかされた不信」で、イレーヌ・テリィは批判されたのだ。プリンストンの大学教員は、自分にふさわしい評判を手に入れるために、容易に検証可能な真実の歪曲という危険を冒したことをわかっているのか? それとも、フランスはあまりにも小さく、あまりにも官能的な国なので、ここの住民はたったひとつの真実を提供する小説に逆らって大胆に状況を回復しようとはしないと思ったのだろうか?

こうした混乱において、フィリップ・レイノーは他の仲間たちほど重要な役を演じていない。しかし、同じく無視できない。彼は、「男性の欲望への女性の服従が影響力と権力の根源であると提唱する(原文ママ)」のを「視点」といった表現で、絶対君主制が「平等の特殊な形態」の普及に貢献したと突飛な思考を導入した。ジョーン・スコットによれば、フィリップ・レイノーは、専制政治に迎合的な貴族的感受性をフランスが永続している、と証言していることになる。そして、-アメリカの共和制の美徳とは反対に-女性の役割を、いかがわしく、気に入られようした、もしくは、おべっかつかいの姿でしか考えることができない、と証言していることになる。実際に引用された文献では、ヒュームに続けて、「文明化した君主制」が、不平等を崩すことなく-当然の不平等だと思っていたが-、多種多様な巧みな手法による効果を限定するメカニズムに順応したことを示すために付随したものだ。ギャラントリ(フランス特有の女性への心づかい)や会話などは、暴力を減少し、男性の欲望に服従することなく女性にある種の権力を行使させる美徳をもたらした。ジョーン・スコットにとっておそらく聞くに堪えない発言だが。

ジョーン・スコットが大騒ぎした、クロード・アビの引用も同様である。「完全服従は利益のみならず、愛の条件でもある」 このような文章は、本当にむっとさせるものだ。クロード・アビは、「黄金の歴史」を宣伝したのだろうか? まったく違う。『アストレ』の恋人(男性)の強迫観念に感動した女性の発言を解説することに、彼女は満足していたのだ。引用された文章を問題視するのは、“男性”的な完全服従である。ジョーン・スコットが読んでいないのか。だとしたら大学教員として残念である。もしくは、男性が服従されうるという思考を彼女は根本的に想像できないのか。だとしたら、かわいそうになる。

無教養な誤った解釈の後、ここで理解させるのは不適当である。かなり混乱した方法で、スコット検事はモナ・オズフに対しても同時に、相違を平等に「対立させ」ないこと、こちらをあちらに服従したこと-そして、平等に敵意を持つこと-で非難した。相違は類似に対立するが、平等は対立せず、それが全く別のことであると、誰がジョーン・スコットに説明できるのか? 誰が彼女に、服従という動詞の意味を教えるのか? 自然界や歴史上の人間のあらゆるところにふりまかれた、性、肌の色、健康、知識、美、富といった不均衡かつ具体的な相違は、人々の平等の抽象的かつ普遍的な原理の前に屈しなければならない。なんともいえない不可思議さで、モナ・オズフとクロード・アビが本質的で最高の平等と表した尊敬を、平等の敵に変化させた。さらに、平等の権利のあらゆる闘士の間では、レズビアニズムに反自然的な常軌逸脱のレッテルを貼る傾向にあるのか? 2人の著述家のテキストのどこに、こうしたグロテスクな同一視を見つけ出したのか? 探さなくてもよい、そのようなものはないのだ。

モナ・オズフの本物の引用は法廷で提出された。しかし、「フランス領土に普及させた相違」にかかわることを理解するのに、高等教育は必要ない。結局、局地的で地域的であることと、性的特質とは関係がないのだ。ジョーン・スコット検事のイデオロギーのめがねで見ると、ドミニク・ストロス=カーンに証明された犯罪の免罪符…を明らかにする目的の「フランスのイデオロギーにおいて誘惑が決定的な位置」という文章が特に問題なのだ。

意図的に歪曲する目的か、もしくは、かわいそうに理解していないのか? ジョーン・スコットは我々に対し、フランス流フェミニズムに対し、奇妙な非難を組み立てた。それが我々の考えを歪曲しているのは言うまでもない。いずれにしても彼女は意味があることを言ったので、我々が考えているのとは逆のことを大抵の場合に差し出すにいたった。だからといって我々の意見がつねにまったく同じであると言いたいのではない。我々がフランスの意見の一致を表明することに満足しているのではない。彼女が明らかにしたように。文化的多様性から家族進化へと移行し、少しも秘密ではない食い違いという多様な主題に基づいているなら、我々のなかの誰ひとり、暴力に立ち向かう女性の保護を否定しないし、女性に征服された法的および政治的平等を問題視しなかった。「この中の自然の秩序」の名のもとに、「フェミニズム」と「レズビアニズム」の訴訟の予審もしなかった。しかし、平等の要求が男女関係の問題を消耗させるとの考えを否定しないのも事実だ。そして、消耗することのない問題をよく理解するために、文化的継承物の活用することを否定しないのも事実である。

そこから、たぶん、無限のニュアンスを伝えているフランス文学への我々の愛着がある。甘い恋愛、ギャラン(女性に好かれようとする丁寧さ)、自由奔放さ、ロマンティック…。ジョーン・スコットを大騒ぎさせた表現のなかでイレーヌ・テリィが書いたように、「同意の絶対なる尊重とキスを奪われる甘い驚き」を同時に体験できるのは、非常に多様な行動のモデルのおかげである。それらすべてに、楽しみ、装飾、そして、喜びや美、自己批判といった生活に余裕を与える貴重な可能性を形作っているのだ。もし女性が自らの誘導を考えて可能性を引き出したとしても、驚くことは何もない。こうした偉大な文化は、ゆとりと遊びを提供する。自分をアストレやエロイーズ、メルトゥイユ侯爵夫人だと思うのは、また別の話だ。

スコット検事によってあまりにも悪く紹介されたこの不幸な事件において、我々は“答弁の取引”(刑事事件で検察側の軽い求刑と引き換えに弁護側が有罪を認めたりするような司法取引)など提案しない。我々は我々の共犯者を断固として弁護する。


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by k_nikoniko | 2011-08-01 00:53 | ジェンダー
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