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フランス流フェミニズム

2011年6月9日のリベラシオン紙電子版に掲載されたアメリカの歴史学者ジョーン・W・スコットの「フランス流フェミニズム」です。
イレーヌ・テリィの寄稿「メードの女性と経済人」に対する批判。
*意訳しています。誤訳はたくさんあると思います。

DSK事件に端を発した議論で、男性の側を擁護する人たちが、アメリカ人は誘惑の魅力と性暴力をごちゃまぜにしていると主張している(1回以上)。たとえば、ベルナール=アンリ・レヴィは、ドミニク・ストロス=カーンについて「誘惑者、魅力的な人」であり、「性暴力する人」ではないと言った。それ自体の正確な経過が勘ぐられているなかで、被害者であると意思表示した女性の証言の真実性が疑問視されている。彼女が起訴したことで彼は罰を受けるのか? 彼女はずる賢い人柄を示すサイン―結局、イスラム教徒が問題なのだ―を曲解していないか? 同意した後で、意見を変えたのではないか? 擁護の立場で書かれた論評のいくつかには、ドミニク・ストロス=カーンが性関係の同意があったとの弁明を暗示している。理由はわからないが、この女性は、意見を変え、それから、実際に起こったことに関してうそをついた。この思考順序において、イレーヌ・テリィは、被害者の言葉が、被告の無実の推定よりも重視されることを心配していた。「しかし、我々は、フランスの政治文化のなかで、真の権利として真実性の推定を考慮する準備ができているだろうか?」

イレーヌ・テリィが被告の権利を尊重して表明した懸念は、政界の大物への気づかいであり、労働階級出身の移民の有色女性の動機のかろうじてぼかされた不信でもある。イレーヌ・テリィは同様に、誘惑はフランス文化において特別な位置を占めているという概念も弁護したがっていた。イレーヌ・テリィにとって、「フランス流フェミニズム」の正確な解釈の特徴のひとつ、フランス国家のアイデンティティーである独特で奇異な局面が重要なのだ。

「(このフェミニズム)は、ある生き方であり、単に思考の方法ではない。それは、政治的公正の行き詰まりを否定し、男女平等の権利と誘惑の不均等な喜び、同意の絶対的尊重とキスを奪われる甘い驚きを要求している」

これは、フランスのフェミニスト全員が認めるフェミニズムではない。(パリテ運動の創設者、「ラ・バルブ」グループの活動家、5月31日のリベラシオン紙での論争で説明した女性政治家、その他) 平等の権利の考えは、「誘惑の不均衡な喜び」の観念を弱めることがわかるだろう。さらに、同意と「キスを奪われる驚き」との矛盾も露呈する。イレーヌ・テリィによって誤ったフェミニズムの特徴が付与された定義のなかに、ほかにも多くのことが見えてくるだろう。こちらのものの形が何であれ、「誘惑のフランス理論」と私が呼んでいるものを公式化した人たちは、「愛の同意」と誘惑のゲームが、それ自体、男女の不平等に基づいていることを明示している。

フランス革命から200年の1989年、フランスの「誘惑の芸術」に関して多くの著述が発表された。フィリップ・レイノーが「平等の特殊な形」と呼ぶ思考の起源は、絶対王朝とルイ14世時代の貴族的習慣にまでさかのぼり、お国柄の重要な構成要素として、世代を超えて受け継がれてきた。モナ・オズフ(女性の言葉:フランスの奇異さに関するエッセイ)やクロード・アビ(愛の同意とフランス特有の女性への心づかい)の著述が(とりわけ)発達させたこうした視点は、男性の欲望への女性の服従が影響力と権力の根源であると提唱する。クロード・アビはオノレ・デュフレの代表作『アストレ』を引用している。「完全なる服従は単に利益のためだけでなく、女性の愛の条件でもある」 彼女は、女性が個人として平等の権利を探求するのは、「生活習慣の凶暴化」にいたらせるとつけ加えている。

モナ・オズフは、フランスでは(アメリカとは反対に)「相違が服従関係において―相反するのではなく―平等に存在する」を高く評価し、それに満足している。彼女は同様に(モンテスキューを引用して)、生活習慣は法律よりも重要だと記している。誘惑のゲームから引き出される影響力および喜びの比較対象になるべく「法的およびと政治的な平等の空しさ」を、女性は年月をかけて理解できるようになる、と書いている。この二人の知識人にとって、平等の権利を求めるフェミニズムは、この世の自然の秩序に反する常軌逸脱であり、レズビアニズムに類似している。

ここでの問題は、男女関係をも広く巻き込んだ、貴族政治的共和主義と形容するイデオロギーにある。相違は(男性に対して女性の)階級の流儀に含まれるべきで、法的平等を定着させようとする努力は単に空しい(相違は-性の相違のように-「この世の自然の秩序」の一部をなすので)だけでなく、同時に混乱の要因でもある、と彼女は暗示している。「愛の同意」は、国家的調和の利益において、その人の上級者への服従を意味する。モナ・オズフによると、誘惑の言葉がもたらす政治的解釈はこのようなものだ。「フランス領土に普及した明白な相違を負わされる強迫観念は、あまりにも容易に乗り越えられた。なぜなら、感情的な執着が、全フランス人に共通する本質の確実性に従ったからである。こうして、すべての人が局地的な相違を育み、魅力や値打ちを感じ、媚態やうぬぼれさえも持つが、反逆の精神は抱かない。従属を事前に同意した抽象的な結合における、不安や攻撃性のない相違である」

こうした条件から、ドミニク・ストロス=カーンのケースが、誘惑に重要なウエイトをおくイデオロギーの仲間たちを混乱させたのは当然である。それは単に性的特質や私生活の問題ではなく、同意について重要視することでもない。男性の権利と女性の服従の単なる問題ではない。この事件で投げかけられているのは、フランス国家のアイデンティティーの文脈において相違と平等がどう理解されるのかを知る問いである。


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by k_nikoniko | 2011-08-01 00:43 | ジェンダー
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