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おしゃべりな毎日

フリーライター木村嘉代子のブログです。日々感じたことを綴っています。Copyright(C)2005-2023 Kayoko Kimura   

チュニジアやエジプトの革命とベルリン壁崩壊

フランスのネットマガジンRue 89に、1月29日に掲載された「アラブ世界とベルリンの壁」の記事です。
現在、アクセス数2万以上、書き込み150以上。賛否両論あり、コメントも興味深い。
誤訳、省略もありますが、翻訳しました。おかしな点がありましたら、訂正よろしくお願いします。

チュニジアのベンアリ元大統領の国外退去と、他のアラブ諸国における「伝染」という事態以後、1989年10月のベルリンの壁崩壊、そして、ヨーロッパ社会主義ブロックの崩壊へと導いたドミノ効果との比較がしばしば行われている。この比較は限界をともなうが、全く無意味というわけではない。

はっきりした大きな違いは、中央および東ヨーロッパ社会主義国が同じ「ブロック」に属していることにある。モスクワ、クレムリンを統制の中心とした連合だった。1952年のベルリンや、1956年のブダペスト、1968年のプラハでは抗議デモを鎮圧する指令が出されたが、ミカエル・ゴルバチョフの指示により、クレムリンは東ドイツの抗議デモをそのまま放置し、歴史的変化により、道が突然解放された。

それから数週間で、東側諸国が壁の崩壊の連鎖で共倒れとなった。武力で「民主的な伝染」を回避できると考えていたチャウシェスク元大統領のルーマニアも含まれる。社会主義ブロックに属さないユーゴスラビアだけが生き延び、2年後に流血の内紛が起こった。

国際的な文脈においても、同様に特異である。西ヨーロッパとアメリカは、敵対する軍事連合コメコンに属する国の体制の変化を好意的に見ていた。そして、ソ連という20世紀における敵国の弱体化も見ていた。その段階では、2年後にソ連も同じように崩壊するなど、わかるはずもなかった。

アラブ世界はひとつのブロックではない

アラブ世界は、このような特徴を全く持っていない。ひとつのブロックではないし、アラブ連盟のようなインフォーマルなもの以外の連合には属していない。抗議デモ鎮圧の指令か、それとも鎮圧の禁止命令かの判断を、「センター」に依存しているわけでもない。

当事国ではない世界の国々は、抗議デモの民主的渇望を支援しつつも、原理主義の手中に落ちていく国々が出現することを恐れ、この2つの感情を同時に抱いている。不安定な故郷、潜在的な「敵」になることを恐れているのである。

チュニジアの出来事は人々を驚かせた。チュニジア人もまた驚いている。本当の勇気、20年もの間居座っていた独裁者を転覆させた可能性に驚かされた。しかし、チュニジアは小国であり、大それた戦略的な賭けに出ることはない。今回の出来事は、外部からの強力な干渉もないまま、順調にことが運んだ。

2011年チュニジア、1989年ベルリン

結果として、ベンアリ元大統領の国外退去は、アラブ世界の人々にとって、ベルリンの壁の効果を持ちうるのである。いずれにせよ、心理的な側面でその効果を示すかのように、多くの国(アルジェリア、ヨルダン、エジプト、イエメン…)において、シディブジィドでの絶望的な自己犠牲、権力に対する抗議デモ、ソーシャルネットワークの妨害のためのネット検閲が記録されている。ソーシャルネットワークは、革命誘因としてのベクトルの役目を果したすことが、チュニジアのケースで明らかになった。

しかし、それぞれの国には、それぞれの体制があり、それぞれの方法で状況を管理している。エジプトは、ここ数日、旋風の中心だ。手荒い行動が起こり、金曜日には60人以上が死亡し、通信が切断された。包囲されたムバラク大統領は、身の危険を逃れるために、内閣の解散を行った。

アルジェリアでは、2月12日に抗議デモが約束されていたにもかかわらず、その兆候は、すぐに制圧された。

それぞれの国がそれぞれの歴史を持ち、それぞれ異なる政治的、経済的、社会的文脈がある。アルジェリアやチュニジアでの出来事が、サウジアラビアと同じように展開するとは、誰も予想していない。今回の伝染は、同じ体制が同じ現象に対抗した1989年のヨーロッパと共通の感覚ではないことは確かだ。アラブ世界におけるインパクトは現実であるが、同じ原因が必ずしも、それぞれの国に同じ結果をもたらすとは限らない。

権力者たちの懸念

とはいえ、世界の権力者たちが、この出来事を心配しながら観察していることは確かである。長期間に及ぶ保守主義、軍事政権もしくは王政の専制君主の凡庸さ、政治と宗教の反啓蒙主義的脅威。こうしたことで批判されている国々で、自由を求める風が吹いているのを、喜んで観ている場合ではないのだ。

ワシントンから、パリ、同じく、「エジプト」の言葉が土曜日に検閲の対象となった北京でも、こうした懸念を感知することができる。民衆運動から何が飛び出すのか、それを誰も予知できない、そういった懸念である。中央および東ヨーロッパのときは、より民主的で、西ヨーロッパ体制と両立可能な体制という予見できたが、それとは対照的に、現在エジプトで起こっている革命が、いったいどこに向かうのか、全くわからない。

イスラムの懸念も明らだ。1世紀にわたる長い歴史を持ち、エジプトやヨルダンにしっかり根づいたムスリム同胞団にとって、ムバラク大統領の転覆は勝利への道を開くことになるのだろうか? それは、アメリカやイスラエル支持者たちにとって望ましいことではない。アラブ世界の「反逆者」民主主義者をいらだたせる立場にあるからだ。

先週、保守的アナリストであるロバート・カプランは、ニューヨークタイムズ紙に次のようなことを書いていた。アラブ世界の出来事に大喜びしていてはいけない。なぜなら、ヨルダンのアブダラ王のように「思慮に富む指導者」や、ムバラク大統領のような「安定」を名残惜しく思うだけで終わってしまうだろう。そして、ガザでのハマス政権の誕生が、民主的な選挙の結果だったことを思い出すだろう。

しかし、アラブの人々は、ロバート・カプランの記事を読んではいないし、何も心配していない。

どうやって脱出するのだろうか? 1989年のように、歴史はアラブ世界で動き出している。安心感を保障してくれた独裁者の崩壊に感涙する人々はまず、がまんならない像をあまりにも長期にわたって支持したために、革命的なこうした過程を不利にしたのではないか、と自問しなければならないだろう。それがどのようなものであろうと、結果を引き受けなければならない。



by k_nikoniko | 2011-02-02 10:16 | 中東問題