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アイヌ文様で未来を描く 貝澤珠美さん

カラフルな色彩、異色の素材使い。落ち着いた色調のアイヌ刺繍の伝統を覆し、斬新なデザインに挑戦しつづけるアイヌ文様デザイナーの貝澤珠美さん。
インテリアを学び、20代でデザイナーとして独立という華やかな経歴を持つが、生まれ育った二風谷の話になると、“おてんば娘”の意外な一面を見せる。
「倉庫でかくれんぼしたり、裏山を登ったり、凍った川をソリで滑ったり。家の周りはかっこうの遊び場でした」 
撮影で訪れたご実家は、すぐ横をシケレペ川が流れ、敷地は山の奥へとつづき、自然に恵まれたうらやましいほどの環境。貝澤さんの創造力の源となるのは、この二風谷の風景なのだろう。
新境地を切り拓こうと突き進む貝澤さんだが、その生き方もまたおおらかで自然体そのものだ。彼女の言葉を借りると、“たまたま”この道に入ったといえる。

嫌悪感から愛着へ
アイヌへの気持ちが変化

二風谷で暮らしていた頃は、アイヌ文化に嫌悪感さえ抱いていたそうだ。自分のアイデンティティに目覚めたのは、札幌に出て1年ほどたってからのことだった。
30年ほど前の二風谷はアイヌ伝統の保存にそれほど熱心ではなかった。萱野茂さんがアイヌ語教室を開いたのは、小学校1年生のとき。その第1期生だったが、他の子たちがそうであったように、小学校高学年ごろから次第に、アイヌ文化から遠ざかっていく。
高校卒業を控え、“特に夢もなかった”貝澤さんは、進路に迷った末、デザイン学校のインテリア学科に入学。油絵を描く母親の影響と「カッコいい」というやや安易な理由からだった。しかし、ここで周りの学生たちに刺激され、デザイナーとしての自覚が生まれる。
そして、自分のオリジナリティを追求していくなかで、「独創的で個性的な」アイヌ文様を思い出したという。
それまでは、アイヌ刺繍や彫り物は土産物のひとつにすぎず、批判的に見ていた。古いモノという位置づけだったが、「テーブルやカーテンなど日常のインテリアに、カッコよくデザインしてみたい」とのアイデアが湧いてきたのだ。
卒業制作ではじめてアイヌ文化を取り入れ、「体験型アイヌ村」の図面と模型を作成した。それをきっかけに、地元の人に直接話を聞いたり、文献を読んだり、関心が高まっていった。ただ、この時点では、アイヌ文様デザイナーになるつもりは全くなかったそうだ。
転機が訪れたのは、就職した内装会社を辞め、アルバイト生活をしているときだった。「アイヌ刺繍でも習ってみたら?」との勧めもあり、二風谷の訓練校で3ヶ月間、アイヌ刺繍を学ぶことに。
「それまでやったことがなかったのですが、どうやら手先は器用だったらしく……」と屈託なく笑う。「お裁縫と違い、アイヌ刺繍はもの作りの感覚。『私、嫌いじゃないな』と思ったんです」
その後、札幌ですぐに刺繍教室を開いた。「一度だけ大学の非常勤講師を体験し、教える面白しろさに味をしめ、軽い気持で。1年続くか自信はなかったのですが」 心もとないスタートだったが、刺繍教室は今年で12年目を迎える。

独学で基本や規則を学び
自由にアレンジを楽しむ

二風谷は自然だけでなく、人の宝庫でもある。貝澤さんにとって、アイヌ文化の教科書は、地元のおじいちゃんやおばあちゃんたち。そして、「何をするにも、私の先生」という母親・美和子さんの存在も大きい。二人でさまざまな作品を見ながら、「ああしたほうがいいんじゃないか、こうしようか」と研究を重ねているという。
アイヌ文様はまだ解明されていない点が多い。刺繍の刺し方は古い着物などを参考にできるが、アート性の高い文様の描き方に関する文献はなく、謎に包まれている。
それゆえ、アイヌ文様を自らデザインする人はさほど多くない。
「アート面での伝承者はいないので、手で覚えましたね。図録を見ながら、百点以上の着物の文様を書き写しました。とにかく描いたんです、何も考えずに。そうすると、基本や規則のようなものがだんだんわかってきました。『こういうことか、ここは絶対守らなくちゃいけない部分だな』と」
基本は大切と心得てはいるが、デザイナーである限り、先駆性や自己表現が重要な課題になる。貝澤さんは、「古い文様を忠実に再現しすぎるのもどうかな?」との疑問も抱いているそうだ。
「昔の人は、基本の範囲内で、自由にアレンジしていて、個性的な表現をしていたと思うんですね。今もそうであっていいし、自分もそうしたいですね」
素材に関しても、アイヌ刺繍本来の「木綿」にこだわっていない。「今生きている世界、環境の中で、使いたいものを使えばいいのではないか」と考えているからだ。
アイヌ文化や伝統において、「絶対に乱してはいけない」といった制約が多くなりがちなのは、「アイヌが蒙った歴史による影響が大きい」と指摘する。
「そのように育ってしまったんです。もちろん、守るべき箇所は守らなければならない。でも、若い人が継承しなければ、伝統は失われてしまいます」
デザイナーを志したのは、「単にカッコいいから」と言い切るが、実はもうひとつ訳があった。
「自分はアイヌであり、それを変えることはできない。私たちは恥じてきましたが、アイヌ文様をお洒落にしたら、次の世代にとって、良いことではないか。アイヌのことは、アイヌ自身がやらなければ」との思いだ。
人を惹きつけるには、魅力やあこがれが必要である。「後世に残し、世界に広めていくためにも、昔のままのやり方ではダメ。基本を大事にしながらも、どこまで自由に自分を表現できるか。それをいつも試行錯誤しています」
独立したころは、「新しくすればいいわけではない」といった反発もあった。今でこそ若いアイヌが活躍してきているが、当時は珍しく、周囲も驚いたという。

デザインを通して
自分を好きになりたい

デザイナーとして10年。キャリアが持ちながらも、初対面の人に職業を聞かれると、いまでも「アイヌ文様デザイナー」と素直に言えない自分がいる。
「『アイヌのことを言って大丈夫かな、この人どんな顔するのかな』と少し思っちゃう」
この職を貫いているのは、小さい頃から植えつけられた感情を克服するためでもあり、「デザインを通して、アイヌである自分を好きになりたい」とも語る。
アイヌ民族は着物を着て、村に住んでいる。現在でもこうしたイメージの域を脱していない。
「“カッコいい”デザインでイメージを変えていく。それが私のやり方です。私の作品を見た人からは、『これまでのアイヌの印象と全く違う』とよく言われます。デザインで衝撃を受けてもらいたいですね」
昨今の環境ブームの影響もあってか、日本でも先住民が注目されはじめ、若者たちの間で、アイヌ文化が語られる機会も増している。
それはそれで喜ばしいことだが、問題もないわけではない。たとえば、文様をロゴなどに“無断借用”するケースなどだ。
「歴史をきちんと知ったうえで、使って欲しいです。過去の文化ではなく、私を含め、受け継ぐ人たちがいるのだから」と釘をさしながらも、アイヌ文様の意匠特許の重要性を訴える。

アイヌ文様を日常生活に
内装デザインが今の目標

貝澤さんが手がけるデザインの範囲は広い。「とにかく、自分で何でも作りたい」タイプなのだという。好きな照明からはじまり、刺繍を覚え、洋服やアクセサリー、食器の制作にも取り組んだ。
「そもそも生活空間にあるすべてをデザインしたいんです」
これらの作品はほとんどがオーダーメード。「やっと、ここ最近、デザイナーとして食べていけるようになりました」と苦笑い。
これまで、ホテルの浴衣、札幌駅構内「どさんこプラザ」のパッケージ、新千歳空港ターミナル「千鳥屋」の包装紙を担当し、ロゴやポスターなどもデザインしている。
最大の目標は内装デザイン。「インテリアが好きなんです。現場の雰囲気も職人さんの仕事も。店舗やホテルが一番アピールしやすい。ホテルの部屋であれば、ベッドカバーやバスローブ、照明のデザイン。カフェも、やりたいですね」と大きな目を輝かせた。
「おじいちゃん子」を自認する貝澤さんの祖父は、二風谷ダム訴訟の原告であり、アイヌ民族の権利復活に尽力した故貝澤正さんだ。
「祖父は、階段の一段になればいい、とよく言っていました。私もその一段を築くことができたら、と思っています」
自然との共鳴にも似たその姿勢は、幼いころから身についたものだろう。その貝澤さんが創る“アイヌ文様”は、昔そうであったように、暮らしを彩り、人と人とをつないでいくに違いない。

貝澤珠美(かいざわ たまみ)
1974年、平取町二風谷生まれ。
1997年、シケレペ・アート「TAMAMI」ブランド設立。

『カイ』(2010年春号)


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by k_nikoniko | 2015-05-29 10:51 | 掲載記事(2000~2010)
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