恵庭OL事件の受刑者が寄せた10年前のメッセージ
2014年 04月 26日
10年前の2004年3月22日、恵庭OL殺人事件の第一回控訴審公判が札幌高等裁判所で開かれました。
その前日の21日、札幌で「恵庭裁判を考える」会に寄せられた、Aさんからのメッセージです。
こちらもご覧ください。
その前日の21日、札幌で「恵庭裁判を考える」会に寄せられた、Aさんからのメッセージです。
一審、有罪判決から1年が経ち、控訴審が始まります。やっと1年、というより、あっというまの1年だったように思います。刑事事件、裁判など自分に縁があるなど考えたこともなく生きてきました。ここにきてどれほど多くの冤罪があるかを知りました。可能性だけで殺人犯とされてしまった判決文。私の問いには何も答えてはくれませんでした。何度も破り捨てたい思いにかられました。そのたびに「このまま司法の暴走を許してはならない、何とか頑張りぬいてほしい」「前科のある自分は、いずれは懲役に行かなければならず…」と自分の口惜しさを私にたくしていった人たちの思いが私を支えてくれました。どれだけ多くの人が、こんな思いをしているのでしょう。闘うよりも、ウソでも認めたほうが、早く社会に帰れる、そうして作り出された有罪率99.9%の数字。一審判決後、知らない人から日本の司法の実態は「疑わしきは、被告人を罰せよ」だという手紙をもらいました。今でも文通していて手紙をくれたきっかけは何だったの?と聞いたら、「判決文を読んで私が犯人じゃないとわかったから」と返事がきました。犯人じゃないとわかる有罪判決文。それが通じる司法の世界とは何でしょう。私のような否認事件の場合、裁判中、裁判後、弁護人とトラブルが発生する場合も多々あるようです。私はおかれた状況のなかでは弁護人に恵まれました。二審も一審と同じ弁護団と聞き「絶対判決が覆る」と言ってくれた人もいます。人に心を開けない私を、じっと待ち続けてくれた4人の先生たちに感謝の気持ちでいっぱいです。そして、控訴審にむけ、新たに4人の先生が弁護団に加わっていただけることになりました。手弁当事件でありながら、これだけの力を加えていただけたのは、司法というものが、本当に、おかしな方向にむかっているのだ、と身の引きしまる思いもあります。今日の集会に来ていただいた中には、ずっと私を応援しつづけてくれている人、私への疑問をぬぐいきれず、興味で来てくれた人、いろいろいると思います。それでも、これから始まる控訴審を見守っていただければと思います。そして毎日のように、テレビ、新聞などからさまざまな事件のニュースが流れてきます。罪を認めていても、否定していてもいろいろなことを言われます。それがすべて真実ではない、と思っていただければうれしく思います。私は無実です。
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by k_nikoniko
| 2014-04-26 15:34
| ー恵庭OL事件