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フランスの脱原発ネットワークにお話をうかがいました

2011年10月、フランスの脱原発ネットワーク(Réseau Sortir du Nucléaire)のシャルロット・ミジョンさんにお話をうかがいました。
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フランスの脱原発運動がどうなのか、という質問には、簡単に答えることができません(笑)。
調査によると、一般の人たちの少なくとも2/3が原発に反対しています。
福島の事故後の同じ調査では、フランス人の3/4が原発は危険だと思い、疑問を抱いています。

福島原発事故後、世論は大きく進化しました。
いままで、原発事故のモデルはチェルノブイリでした。
チェルノブイリ事故は25年前に起き、「これはソ連の事故であり、フランスのことではない」という世論でした。
今回は、日本のような先端技術の国での事故であり、そうした国でもひどい事故が起きるという現実を見せつけられました。
事故直後の3月ごろは、既存メディアでも大きく取り上げました。今は減りましたが。

フランスで原発がはじまったのは1970年代で、それから定着し、多くの政党が推進し、原発建設は急ピッチで早く進められました。
同時に、安全なエネルギーだと主張し、クリーンでCO2の排出量が少ないと良い評判を宣伝するために、事業者は巨額を費やしました。
原子力産業に従事する人々でさえ、どうしたら原発なしでやっていけるのか、疑問を持ち、単に不確かな状況のなかで、原発はつづけられています。

1970年代、フランスの反原発運動はとても激しく、たくさんの抗議デモが行われました。
マルヴィルのスーパーフェニックス建設計画の抗議デモは非常に大きく、政府が介入し、一人亡くなっています。
これはなんと言うか、本当に後味の悪く、その後、多くの人がデモに参加するのを恐れさせるものでした。
当時はまた、フランス国内あちこちに原発が建設されていった時代であり、その数年間で新しい原発ができなかったのはたった1年だけでした。
1年間で8つの原子炉が建設された年もありました。

その後、少しずつですが、脱原発運動は拡大し、動きはじめました。
まず、スーパーフェニックスの廃止を実現します。
これは、日本の「もんじゅ」のような原子炉です。
フランスの反原発団体に、ヨーロッパの団体が加わり、抗議活動がとても活発でした。
スーパーフェニックスは、1987年に廃止にいたりました。

このとき、さまざまな団体をむすぶネットワークが、30もの団体によって設立されました。
原発施設の立地地域で設立された団体、核廃棄物処理に反対する団体など、次第に団体の数が増えていきました。

現在、脱原発ネットワークには、915の団体が参加しています。
賛同団体はさまざまです。過激ないくつかの団体とは距離を置いています。
ウランによる放射能汚染を専門にしている団体もいます。
フランスでは、最後のウラン鉱山が2001年に閉山しました。
これも大きな問題になっています。
大量の放射線物質を廃棄したままにしたため、水が汚染され、大きなスキャンダルになったからです。
放射性物質の輸送を専門にしている団体、核廃棄物処理の団体も参加しています。
福島原発事故後、原子力資料情報室や市民放射能測定所などの日本の反原発運動や日本人と密にコンタクトをとりはじめました。
フランス在住の日本人や、北海道の「Shut!泊」の泉さんともつながりがあります。
泊原発はMOXでのプルサーマルをはじめるからです。
福島原発事故以前は、日本とはそれほど関係は密ではありませんでしたが、外国の多くの脱原発運動とは連携していました。
特にドイツです。
私はドイツ語を流暢に話すので、たくさんのつながりがあります。
それから、スイスとも同じようにつながりがあります。
ロシアとは少し、オーストリアやスペインなどヨーロッパのさまざまな国とも。
そして、アメリカの2つの大きな団体です。
さらに、ウラン鉱山の問題を抱えるニジェールやオーストラリアの団体です。



私たちのネットワークは、計画の中止、原発建設の中止、現在稼動している原子炉の停止を求めています。
毎年デモを組織しています。一番大きいデモは2007年です。
2006年はシェルブールで欧州加圧水型炉(EPR)の建設に反対するデモを行い、4万人が参加しました。
2007年もまた、多くの人がデモに参加しました。
フランスの5つの都市、リヨン、トゥールーズ、ボルドー、リール、レンヌで大きなデモが行われました。レンヌでは3万人が参加しました。
また、毎年4月末には、チェルノブイリ事故を記念してデモを行います。

多くの人が福島原発事故に衝撃を受け、運動がより活発化しました。
市民団体の抗議デモは即座に行われ、フランスの原発に対する依存の傾向を変えるような、かなり良い活動だったといえます。
来年の3月11日にも大きなデモを計画しています。

フランス人の全員が、フランスにこれだけの原子炉があることを知っているわけではありません。
どのくらいの割合でフランス人が知っているのかはわかりませんが、抗議デモには、10万人ほどが動きます。
多くの人が闘っています。参加者は少しずつ増えています。また、たくさんの抗議運動団体がいます。

どのように脱原発運動を進めていくかというのは、難しい問題です。
人々に話し、語ること。
脱原発実現のために、広報活動にも力を入れて、一生懸命やっています。
たくさん情報発信をしたり、毎年パンフレットを作成したり。
私たちがやるべきことは、エネルギーについて説明することです。
フランスは原発があるからエネルギーで独立している、と言っていますが、ウランを輸入しているので、独立していません。
新しいエネルギーについて、脱原発のシナリオが存在することを話さなければなりません。
あらゆる現実性を考慮し、いろいろ分析して作成したシナリオです。
数年で脱原発を実現するために、2年前からシナリオ作りに取りかかりました。
そのシナリオは技術的にも現実的です。
問題は、政府や政治家が真剣に興味を持つかです。

私の意見ですが、緑の党は以前、脱原発派ではあっても、それが政策の中心ではありませんでした。
今は、脱原発を中心に考えてます。
大統領選挙のキャンペーン中に、原発問題が語られるのは、はじめてのことです。
フランソワ・オランド氏は脱原発についてのポジションをはっきり語らず、とてもあいまいです。

脱原発は、2012年の大統領選挙に左右されるでしょう。
問題は、脱原発にかける時間です。
5年で脱原発を実現するには、確固たる意志が必要です。急がなければなりません。
20年かけて脱原発するのはより容易です。技術的にもできます。
これは本当に、政治の問題です。
フランスでは一度も脱原発を決断したことがありません。
原発の契約をするというのは、核爆弾の材料を所有する最も良い方法です。
フランスは、大国であることを証明するために、核爆弾に資金を費やしているのです。

フランスの劣化ウラン弾の被害者は多くありませんが、いくつかの団体がその支援を行っています。
フランスでは、原発の抗議行動のほうが、核兵器反対運動より強いです。
核兵器反対の活動は非常に厳しいです。

原発立地地域では、反対運動は活発ではありません。
フランスでは、原発建設にともない、自治体に巨額の交付金が支払われます。
原発が建設されるのは小さな村ですが、突然、巨額を手に入れることになります。
自治体は金持ちになり、地元住民は雇用や公共施設を手に入れることになります。
交付金は本当に巨額です。
たとえば、フランス南部の小さな町は、その巨額な交付金で、道路を大理石で舗装したほどです。
トリカスタン原発の近くの町です。
ですから、原発の周辺の住民たちは、原発建設を阻止するために、多くの闘いを強いられます。
たとえば、1970年代末から1980年初めにかけて、ブルターニュはとてもとても反対運動が盛んでした。
この当時、建設された原発がブルターニュに集中していました。
反対運動はとても大きなものでした。
その地域で中心に活動したのは、漁業従事者でした。
原発建設は、貴重な漁業の終焉を意味し、すべてのブルターニュ沿岸の人々、ブルターニュのあちこちで反対運動が起こりました。
闘いは厳しいものでしたが、いくつかは建設阻止に成功しました。
アルザスもまた、大きな反対運動がありました。
ドイツの国境近くです。
ドイツもまた、フランスの原発を反対してデモを行いました。

フランスでも深刻な事故は起きています。
最も深刻な事故は1989年12月31日にボルドー地方で暴風雨があったときです。
ボルドー近くのブライエ原子力発電所が水浸しになりました。
洪水になり、ポンプの一部が故障しました。
その結果、温度が上昇するという事故になりました。

他の例としては、2年前に、南フランスの原発施設で、とても大きな問題がおきました。
これについて、多くは語られませんでした。
メディアはこうした事故を報道しません。質の良い情報はなかなか流れません。

これから11月にも大きなデモを行います。
ドイツへの放射性物質の輸送が予定されているからです。
昨年の輸送では、軍隊がデモ隊を攻撃し、何人かが怪我をしました。
普通は警察が動員され、問題になります。
毎年か、2年に1度、ドイツへの運搬が行われます。ドイツでも大きな抗議行動があります。
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by k_nikoniko | 2013-11-04 08:22 | 原発・核
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