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ガザからのメール(3/3)

2009年1月4日
昨日は人生で最も恐ろしい日だったと思う。母は、1967年のときより怖かったといっていた。戦争はそれほどはひどくない。電気が使えないこと、水がほとんどないこと、凍りつく寒さ、そして最も恐ろしいのは、生活の戦争のオーケストラを伴う寒さである。

陸上の侵攻による戦車での爆撃、F16の空爆、昼も夜も繰り返しつづく轟音。それは耳元で蜂がぶんぶんいっているかのような鬱陶しい音なのだ。それに加え、海からの攻撃の音もある。

戦争のメロディー。私はそう名づけたい。

このように、ワエルの質問に私は答えることができる。彼は質問しつづけた:戦争って何? どうして戦争なの? 誰が戦争をはじめたの? どうして戦争なの?

たぶん、私がメロディーという言葉を加えたら、彼は「どんなメロディ…」と質問してきただろう。

残念ながら、ワエルはメロディーについて質問してこない。彼は聞き続ける。「バイロットはどうして鳥を殺したがるの? どうしてパイロットは鳥を憎んでるの? たぶんパイロットは鳥が僕たちのように命があることを知らないんだ…」

私は彼の質問にショックを覚えた。「たぶん、鳥に命があることをパイロットは知らないんだ」

外が冷え込んできたので、私はワエルに家の中に入るよう言った。彼の鳥はもはや空に飛んではいない。「おいで、アラスカゲームをしよう!」

「アラスカって何?」
「おばあちゃんとも一緒にできる新しいゲーム。頭からつま先まですっぽり身体を隠せるよう、みんな自分の毛布を持って」

これで体が温まるのか、爆撃から隠れることができるのか、私にはわからない。電気がなく、私たちを心地よくさせてくれる空の鳥がいないので、どんなことをしたって、いい気分にさせてくれた。

「OK。ワエルがアラスカ州の一番偉い人だよ。私たちはアラスカの住民。ワエルは私たちが何をするように命令する?」 私はゲームをはじめた。

「店に行って、僕のために飛行機とカゴと種を買ってくるように命令する」と、親指をしゃぶりながら彼は言った。

「どうして?」 私は尋ねた。「説明しなければならないよ」

「僕は上へ、上へ、上へ行きたい。神に届くまで。
そして、鳥たちを全部連れてくるんだ。
鳥をかごに入れて。
僕はまた飛ぶ。
そして、パイロットを捕まえて、
彼をここに連れてきて、
鳥に餌を与えるようにパイロットに種をあげるんだ」

爆撃がつづくなか、私はワエルを見た。彼はかなり不安そうだった。

…そして、アラスカゲームはこの爆撃がつづく状況下で、体と生活にある程度の温かさをもたらすクリエイティブなある種の考えをもたらすだろうと思っていたので。




残念ながら、それはあまり賢いアイデアではなかった。私は母親の命令にただ従い、お互いもっと近くによりそい、抱きしめあうことで、本当の温かさをもたらし、ほんの少しの安心を感じた。

外からのメロディーを聴きながら。大きな声で爆撃の回数を数え始めた。1、2、2、28、32…。子供たちは50以上のかぞえかたを知らなかったので、そこでやめた。

ドアや窓は開けっ放しにしておかなければならない。というのは、F16 の爆撃は、ドアや窓を粉々にできる。以前、2008年3月、うちの前のビルが攻撃されたときにそれが起こった。そのときは、市場でガラスを買うことができたが、今は何も買えず、つまり、ドアがなかったり、窓が割れた状態で一冬過ごさなければならないことになる。変化をコントロールし、窓とドアは開けたままにしておくしかない。

とても長い5時間が過ぎたが、状況は変わらない。私たちが目撃した唯一の変化は、オーケストラにエキストラの音が加わったことだ。救急車が行ったり来たりする音である。

私は子供たちに、私たちと一緒に1階で寝るかどうか聞いた。ワエルは拒否した。彼は、「自分のベッドで寝る。そうしなければ。パイロットがアパートを攻撃するだろう」言いつづけた。

私は、「みんな一緒にいたらもっと温かく感じる」と言って彼を説得しようとした。彼はついに同意した。でも、「自分のベッド、自分の部屋、おもちゃ、学校のかばんを調べに2階に行ってもいいか」と聞き続けた。最終的に、ひとつの場所に彼をとどまらせるのが安全のようなので、彼の家族が2階に行くことになった。より寒いし、危険ではあったけれど。

みんなが寝てしまった後、電気が使えるようになった。電気なしで過ごして24時間近くたっている。私はそれを最大限に利用しようとした。まず、熱いシャワー。しかし残念なことに、水を温めるほど十分な電流ではなく、それはうまくいかなかった。そこで、コンピュータの電源を入れ、やってしまわなければならない仕事をし、彼らを安心させ。ガザのこの戦争のなかでも1日以上は生きていたことを知ってもらうために、パレスチナ以外に住む友人や家族にメールを書いた。

2008年1月5日
寝る直前にワエルは行った。「本当のことをいうと、僕は戦争が好きだな」
私は理由を尋ねた。
「だって、顔や手を洗わなくてもいいから。この寒さのなか、顔や手を洗わなくてもいいから。それに、朝、幼稚園に行かなくてもいいから」

「でも、幼稚園に行かなければ、爆撃を数えることができなくなるよ。だって、ワエルは50までしか数えられないでしょう?」

「爆撃を数えるのはもう好きじゃない」 彼は答えて、階段を上がっていった。

こんな小さな子に爆撃を数えさせるなんて、私はなんてバカなんだろうと思った。自分自身に非常に腹が立ってきた。

ワエルは戻ってきて言った。「聞きたいことがあるの。少年と父親が鉄でできていても、ロケットにやられちゃう?」

「うん」 私は答えた。

「じゃ、木製だったら?」

「うん」 私は答えた。

「じゃ、樹木だったら?」

突然、私はノーと言わなければならないことに気づいた。そう言わなければ、彼は眠ることができないだろう…。
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by k_nikoniko | 2013-08-13 08:11 | 雑誌などに掲載された記事
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