フリーライター木村嘉代子のブログです。日々感じたことを綴っています。Copyright(C)2005-2016 Kayoko Kimura
by k_nikoniko
お問い合わせ:
k.kayoko.7☆gmail.com
☆→@に変えてください

最新の記事
こんな国際恋愛も…という話を..
at 2017-12-08 09:23
福島県大熊町の復興についての..
at 2017-10-24 20:00
南スーダンPKO自衛隊派遣差..
at 2017-10-06 08:58
”首はとられ”ないが社会を変..
at 2017-09-07 13:23
「南スーダンPKO派遣差止訴..
at 2017-08-15 08:46
ドキュメンタリー映画『まなぶ..
at 2017-07-19 09:38
3つのがんを発症した福島原発..
at 2017-06-28 11:38
南スーダンPKO派遣差止め訴..
at 2017-06-20 11:06
札幌の自主夜間中学が公立化か
at 2017-06-16 08:36
ルモンド紙より「南スーダンの..
at 2017-06-03 14:05
カテゴリ
全体
掲載記事(2011~)
掲載記事(2000~2010)
掲載記事(1991~1999)
掲載記事(1990以前)
ジェンダー
男と女
ひとりごと
フランス
イギリス
国際ニュース
社会問題
原発・核
デモ日記
戦争
歴史
メディア
カルチャー


サッカー
外部リンク
ライフログ
タグ
検索


イラクに「アラブの春」は来るだろうか

先日会ったイラク人のフサーム医師は、イラクでも小さなデモが行われると言っていました。
「まったく報道されないけど」と。
では、「イラクでもチュニジアやエジプトのような『アラブの春』が起きそう?」と聞いてみました。
「不可能だと思う。戦争前であれば可能だったかもしれない。今は、民衆がひとつにまとまるのは難しい。シーア派やスンニ派、クルド民族など、いくつものグループに分断されてしまったから」
という、悲観的な返答でした。

フサーム医師の報告会(8月7日、広島)のとき、「アラブの春」にからんだ発言が、アメリカ人のシンディ・シーハンさんからの質問を受ける形でなされました。
以下、その質疑応答です。

シンディさん:湾岸戦争のときは、共和党の父親のほうのジョージ・ブッシュが大統領で、経済制裁の時代は民主党のビル・クリントンが大統領でした。その結果、200~300万人のイラク人が命を落としました。ビル・クリントンのときの国務長官マデレーン・オブライトは、経済制裁で50万人の子どもが命を落としたことについて質問され、「それでもやる価値はあった」と答えました。2人目のジョージ・ブッシュが大統領のときにイラクに侵略し、8年経った今でもアメリカはイラクを占領しています。アメリカは、共和党の大統領であろうと、民主党の大統領であろうと、同じことをしています。私の質問したいことは、イラクの人がオバマ大統領をどう思っているか、です。

フサームさん:アメリカ大統領選のとき、私たちは新しい大統領について議論しました。イラク国民はオバマが大統領に大きな期待を抱いていたと思います。オバマ大統領は黒人ですし、イスラム教徒の家庭出身なので、イラクの状況にもっと注目してくれるだろうと期待していました。アメリカの黒人が苦しんでいるのを知っているオバマ大統領なら、イラクのよりよい未来のために援助してくれると思ったのです。大統領に就任したとき、彼はすぐに米軍を撤退すると約束しました。しかし、すべてのイラク国民は後に失望したと思います。イラクの状況は変わっていません。以前とまったく同じです。アメリカはさまざまなプロジェクトをイラクに導入しようとしていますが、そこからは何も生みだされていません。アメリカが考えているだけで、私たちイラクは何も手にすることができないでいます。みなできるだけ多くのお金を持ち帰ろうとしているのです。表面的な変化だけで、基本的なことは何も変わっていません。

シンディさん:識字率が97%から39%に下がったのを知って驚いきました。今日の生活水準とサダム・フセイン時代のそれと比べて、どうですか?

フサームさん:サダム・フセインは独裁者であり、厳しい時代でした。私たちに自由はありませんでした。しかし、あのときは安全が保障されていました。規制が厳しく、人々は海外へ行のも制限されていました。非常に拘束されていました。現在は自由ですが、安全保障がありません。外出できず、子どもの世話もできません。誰もが国境を超えて簡単にイラクに侵入できます。イランが一部をかすめとり、クウェートが一部をかすめとる、といった状況です。イラクは石油が豊富だからです。しかし、人々の暮らしは悲惨で、現在のほうが悪化しています。
問題は、1991年にはイラク国民が容易にサダム・フセインを倒すことができたというところにあります。特に、バスラの人々は、サダム・フセインと政府を倒すために立ち上がっていました。あのとき、イラクの人々は自分たちの手で国を変えることができたのです。しかし、他の国の多くが、サダム・フセインを擁護しました。そして、2003年になって、アメリカがイラクを侵略しました。1991年のとき、イラク軍はサダム・フセイン打倒のために民衆と合流しようとしていました。それをアメリカ軍が阻止したのです。イラク人が自ら状況を変えることができたのに。アメリカは、アメリカ式の民主主義を導入しようと攻撃してきました。しかし、それはまったく無駄に終わりました。イラクは現在、非常に遅れた国になっています。
独裁主義と占領時代を比較するのは不可能です。戦前には安全な暮らしがありました。サダム・フセイン時代は自由はなくても、非常に安全でした。多くの人が今、占領されるより、サダム・フセイン時代のほうがよかったと、思いはじめています。安全に生活できたからです。イラクは独立国家ではなく、政府は多くの国から圧力をかけられています。
以前は、教育や医療サービスが無料でしたが、今は教育も医療サービスもお金がかかります。
[PR]
by k_nikoniko | 2011-08-24 21:41 | 戦争
<< 「環境意識の高い北海道」とおっ... イラク劣化ウラン弾の影響で増加... >>